円蔵山には、隠れた桜の名所がある。 先人が風流を好んで植えたのか、はたまた自然に群生したのか。その成り立ちは誰にもわからない。 桜は何も語らず、ただ静かに、春を告げる。 参詣コースからも外れているので、そこは円蔵山唯一の建造物にして居住区域である柳洞寺の人間、あるいはその縁の者しか知らぬ穴場となっていた。 喧噪から逃れ、静かに花見をするにはうってつけの場所。 しかしそこに、冬木市一騒がしい団体がやってくれば、話は全く違ってくる。 「桜、きれいねえ……」 「ほんと、桜はキレイよね……」 「や、やだ姉さんにイリヤさん、そんな事―――」 「なに言ってるのサクラ? わたしたちは『桜の花がキレイ』って言ってるのよ」 「……………………」 「桜、きれいよねえ」 「ホントに、桜はキレイね」 「も、もうやめてくださーい!」 凛とイリヤはすっかりあかいあくまとしろいこあくまモードになり、さっきから桜がキレイだキレイだと騒ぎたてては、同じ名を持つ少女をからかっている。 そんなある意味仲の良い三人とはまた別に、セイバーも隣に座る士郎へ話しかけた。 「本当にこの花は美しい。思わず見惚れてしまいます」 「セイバーは花見をするの初めてなのか?」 「はい。ブリテンはこちらより冬が長く、春が短かったものですから。春の祭りは盛大に執り行われましたが、ゆっくりと花を愛でる時間はありませんでした」 イギリスの緯度は北海道のそれに近い。そのため冬は長く厳しい。 だからこそ冷たい冬が終わりを告げる喜びはひとしおというものだが、冬が長ければその分春は短くなる。やるべき事は多すぎて、彼女にはゆっくり花に目を止める時間もなかった。 自国のものとはまた違う春の風情を、セイバーは春の空気ごと胸一杯に吸い込む。 「こんなに落ち着いて花を愛でられるというのは、なんと幸福なことなのでしょう――――」 「あ、セイバー。豚の角煮、あと一個になってるぞ」 「な!? シロウ、それを早く言って下さい!」 セイバーは再び彼女の戦場――料理争奪戦の中に飛び込んでゆく。 衛宮家総出のメンバーで弁当を持ってきている以上、この場に風流もへったくれもあるはずがなかった。 頭上には柔らかい空の青色と優しい白紅色の花の美しいコントラストが広がり、眼下には赤黄緑と豊かで食欲をそそる色彩の饗宴が広がる。たとえ皆が頭上を見上げる時間が、眼下を見下ろす時間の10分の1ぐらいしかないとしても、花見の主役は花と弁当。 士郎がこっそりため息をつく。弁当争奪戦は、おかずが多いうちは平和だが、終盤に向かうにつれ過酷になるのが世の常だ。 より少ない物をより多くの人間が求めようとする時、そこには争いが生じる。奪い合うものが聖杯でも弁当のおかずでも、それに大差はない。 しかし悲しいかな、そんな彼の心中に気づける者は、残念ながらここにはいなかった。 「あー! ちょっと誰!? せっかく取っておいたわたしのサンドイッチ食べたの!」 「え? あれイリヤがとってあったの? そんなのわからないわよ。こっちの鳥のやつでも食べたら?」 「リン! 貴女もわたしが辛いのダメって知ってるでしょ!」 「藤村先生、しょうが焼きばかり食べないでください! わたしも狙ってるんですから!」 「ぎゃう! 桜ちゃん怖いー!」 まさしく阿鼻叫喚な大騒ぎ。ちょうど輪の端と端で、もそりもそりと食べる士郎とライダーがやけに対照的だ。 だがこのメンツで安全地帯など存在しようはずもない。そのうち、セイバーを挟んで士郎と反対隣に座っていた大河が絡み始めた。 「ねえ士郎。花見といえばお酒でしょ? なんでここにはお酒がないのよう」 「バカ言うな。真っ昼間から、寺があるお山で、未成年が大半の花見に酒が出せると思ってんのか」 「むー。そういうのは関係ないと思う。大人だけ飲んでればいいじゃない。ねーライダーさんー?」 「関係大ありだっ! そんなに酒が飲みたいんなら、夜になってからライダーと花見酒でもしてろっ!」 「士郎のケチー! あんまりカタブツだと、年とってからガチガチになっちゃうんだからねーだ!」 「藤ねえが教師のクセにズボラすぎるんだ! この不良教師めっ!」 大河は駄々をこね続ける。ライダーも酒がないのは不満なようだ。無言ながらも瞳で「士郎。私もお酒が飲みたいです」と訴えている。 「ああもうダメなものはダメっ! 第一、酒なんて持ってきてないんだから、どんなに文句つけたって飲めないぞ」 「大丈夫です。私のペガサスで商店街までひとっ飛びすれば―――」 「町の人が驚くようなことは絶対禁止。」 こうして仲良く、全員喧噪の虜となった。 けれど獲物を仕留められなかったトラは、この喧噪の中で静かに牙を研ぐ。別なる獲物を捕らえ、新たな喧噪を引き起こすために。 その獲物として目をつけられたのは。 「セイバーちゃん、セイバーちゃん」 「はい。なんでしょうか大河」 「ほら、あの枝見て。すごくキレーだと思わない?」 「え? ああ……そうですね。いい枝ぶりです」 まるで空にたなびく雲のように、美しい花のつき方だった。セイバーはしばし花を鑑賞してからまた弁当に向き直る。 ―――そこには。 「あああああぁぁぁぁっっっ!! た、大河! わた、私の取り皿にあった、最後の玉子焼きは……!」 「んー? 知らないよ、鳥にでも食べられちゃったんじゃない?」 セイバーはギリリと奥歯を噛みしめ、親の仇を見るような目で大河を睨みつける。大河は一瞬ひるんだが、すぐに気を取り直した。 「バトルロイヤルは弱肉強食なのよ、セイバーちゃん。強い者は弱い者を、弱い者はより弱い者を食らい尽くさないと生き延びられないの」 「くっ……!」 戦の例えを出されては、セイバーも彼女の言うことが一理あると認めざるをえないようだった。 ならば。この身はこれより修羅と化す。 電光のような一瞥で目標を検索。狙うは今奪われたのと同じ玉子焼き。皆で箸をつけられる弁当箱にはもう残っていない。ならば個人の持つ取り皿はどうか。あった。ひとつだけ残る黄金色の至宝。攻略すべき敵が決まったのなら、後は叩き伏せるのみ。 「シ、シロウ!」 「うん? どうしたセイバー」 「その……そちらの枝ぶりが見事ですよ。ご覧になってはいかがです?」 「どれどれ。……ああ、ほんとだ。キレイだな」 自分の手元から大きく目を逸らす士郎。チャンスは今しかない。 セイバーは慎重に、しかし躊躇わず箸をのばす。周りのみんなも成り行きを見守っている。 ―――と、その時。 くるりっ。 「!!!」 士郎が桜の花から元の通りへと視線を戻した。その目に映るのは、今まさに彼の皿から玉子焼きを強奪せんと身体ごと乗り出しているセイバー。 一瞬全員の間に沈黙が落ちる。 それからセイバーは、何事もなかったかのようにすぐさま体勢を元に戻した。 作戦は失敗。それどころか、彼にはしたないところを見られてしまった。 いや、作戦が成功しても、その行為は彼の知るところとなるのだが、とりあえずそれには気付いていないらしい。 すると隣で笑いを噛み殺す声がした。 「セイバー、ほら。食べたいんだろう?」 なんの迷いもなく自分の玉子焼きを差し出す士郎を、セイバーは複雑な面持ちで見つめる。 しばし逡巡して、彼女は決意した。 「―――いえ。やはりいただけません」 「どうしてだよ。玉子焼き、食べたかったんじゃないのか?」 「いいのですっ! これはシロウの取った玉子焼きなのですから、私が略奪するのは間違っているのです!」 玉子焼きへの未練を振り払うべく、叫ぶ。 純粋に好意で言う士郎の顔が見ていられなくて、セイバーはそっぽを向いてしまった。 (そうだ、シロウの玉子焼きならば、別に今日でなくとも食べられるのです。ええ、きっと近いうちにまた食卓に並びます。その時心ゆくまでいただけばいいだけの話ではないですか) 自分を無理やり納得させて、落ち着いて。 それから再びもとの通りに顔を向けると。 「――――――――」 彼女の皿には、黄金色の至宝が鎮座ましましていた。 「シ……シロウ!?」 当然のごとく、彼の皿に同じものは、ない。 「ん?」 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」 ただ笑顔を向けてくる彼に返す言葉は思いつかない。 だから。 「………………………………いただきます」 セイバーは素直に玉子焼きを口に入れた。 せっかく食べられた玉子焼きは、ただ甘いということしかわからなかった。
お題その1、「サクラ咲く」。花よりダンゴになってますが。 |