「あ〜〜……やっぱり止んでないか」
昼間の日は次第に長くなりつつも、厚い雲に覆われてるため時には驚くほど暗くなるのが早いこの季節。
今日も普段より早く暗くなってきた空を見上げ、俺は落胆しながら呟いた。
天からは大粒の雨。夏に降れば恵みであるはずのそれも、今の俺には厄介でさえある。
隣に並んで一緒に空を見ていた一成が、驚きの声をあげた。
「なんだ衛宮。お前も傘を持っておらんのか?」
「ああ。ちょっとな。一成なら持ってるかもと思ったんだが……」
この雨は、予想通りといえば予想通りだが、ある意味予想外でもあった。
朝の時点では梅雨の切れ間とも言える、久々の上天気だった。気持ちよく晴れ渡った青空に、気分もスカッとしたものだ。しかし天気予報では、午後から急に崩れて夕方から雨が降るだろうとも言っていた。
当然、傘は持っていったのだが――――放課後になる前から降り出した雨のせいで足留めを食らう、天気予報を見てこなかった生徒たちも多かった。
空に向かって悪態をつく慎二を見かね、つい傘を貸してしまったと遠坂あたりに知れたら、また衛宮くんはお人好しすぎると怒られるかもしれない。
けど今日は一成の手伝いをするつもりだったから、それまでには止むかもしれないし、そうでなければ途中の交差点まで一成に入れていってもらおうかという算段はあった。あったけど。
「まさか一成まで傘忘れてるとはな……」
「すまんな。今朝は珍しく寝坊してしまい、天気予報を見ているヒマなどなかったのだ」
「いや、一成は悪くない。しかし困ったな」
昇降口に二人で立ち、今一度空を見上げる。降り始めほどの勢いこそないものの、雨はまだザアザアと降り続いていた。
この雨の中を走って帰るには、俺の家までは結構な距離がある。一成の住む柳洞寺は尚更だ。
こうなったら覚悟を決めて、雨宿りでもするか。
最も開き直った結論に達したその時。
「……ん? なにやら騒がしいな」
一成が校門の向こうに何かを見つけた。ここからでは校門が死角になって見えないが、門の向こう側に何かがあるようだ。下校する生徒たちは皆、わざわざ足を止めてソレを見ている。中にはジッと見つめている生徒までいる。
なんだろう、と思う間もなく、ソレは動き始めたようだ。周りを取り囲む生徒たちの視線が同時に移動していることからわかる。
ソレは校門の陰から姿を現し――――
「え――――!?」
俺は阿呆みたいにその姿を見つめていた。
現れたのはベージュの傘と、それをさす人影。手にはもう一本別の傘を持っている。
金色に光輝く髪は、この雨天の下でも色褪せることはない。
雨に濡れたくなくて誰もが無意識に縮こまって歩く中、まるで道場にでもいるかのように、いつも通りに伸びた背筋。
その人影は校門から昇降口まで真っ直ぐに歩いて来て、俺達の前で立ち止まり、小さく微笑んだ。
「シロウ。迎えに参りました」
「セイバー……!? どうしてここに?」
「ですから、迎えに来たのです。もしやシロウは傘を持っていないのではないか、と危惧しましたので」
「…………? だって今日、俺が傘持ってったのは知ってるんじゃなかったのか?」
今朝の天気予報を聞いて、出がけの桜と藤ねえに傘を持ってゆくよう大声で注意したのは誰あろう俺だった。あの時はセイバーもまだ朝食後で居間に残っていたから知っているはずなのに。
しかしセイバーは腰に手をあて、呆れたようにためいきをつき、
「ええ、シロウが先程からの雨を予想し、傘を持っていったのは知っていました。
とはいえこの雨は突発的な物でしたから、シロウの学友の中には傘を忘れ、難儀している者もいるのではないかと思ったのです。その場合、貴方が傘を手放して、自らは雨宿りでもしようと考えるのは容易に予想がつきました」
「ぐっ………………」
は、反論できない。
もしかして俺の思考回路って、セイバーに読まれてるのか……?
言葉に詰まっていると、隣でかんらかんらと笑う声がした。
「はっはっは、これは愉快。なるほど、セイバーさんは衛宮のことをよく分かっておられるのだな。
その上で手を回してくれるとは、まさしく内助の功とはこの事だ。さすがですねセイバーさん」
「いいえ一成。決して褒められるようなことではありません。
シロウを守ろうと思うのならば、この程度の先回りは当然のことなのです」
「なるほど、確かにその通りです。だがそれを当然と思えることこそ素晴らしい」
…………二人は勝手に俺の話題で盛り上がっている。
この二人、性質的な事なのかいやに気が合うんだが、決まって俺の話題で意気投合するのはどうだろう。
俺は一成をちらりと見て、頬をかいた。
「あー…………ならセイバー。俺が今なにを考えてるかも、もしかしてわかったりとかするか?」
「勿論です。しかしそれならば、私とシロウの方が適任かと思います」
「う゛っ…………やっぱりそうなるのか…………」
ガックリと肩を落とす。
俺とセイバーの暗号めいた会話についてゆけない一成だけが、不思議そうに俺達を眺めていた。
一見ちょっと……いや、かなり異様な3人組が、学校の坂道を下っていた。
穂群原の関係者なら誰もがその顔を知る生徒会長、柳洞一成が、女物のベージュの傘をさして歩いている。
さらにその隣には、男子生徒のさす傘の中へ金髪の美少女が一緒に入った二人組み。俗に言う相合い傘というヤツである。これで周囲を歩いている生徒たちの目に止まらないはずがない。
「悪いな、一成。お前までつき合わせちゃったみたいで」
「なに、傘を貸してもらえるだけでも行幸だ。これでさらに文句など言おうものなら罰が当たる」
気にしてない風を装ってはいるが、一成の目はチラチラと傘や周囲に向けられていたりする。……やっぱり気になるんだな。
俺としては、セイバーの持ってきてくれた俺の傘に一成と二人で入るつもりだった。男二人で相合い傘というのは確かにむさ苦しいが、今日みたいな天気の崩れ方をした日には別段珍しいことでもないだろう。
で、衛宮邸と柳洞寺の分かれ道である交差点に着いたら、一成に傘を渡してセイバーの傘に入れてもらうか、そこからぐらいなら走って帰ってもいい。そう思っていた。
「――――なあ、セイバー。やっぱりその方が良かったんじゃ…………」
「いえ。シロウと一成で傘に入るより、シロウと私で同じ傘に入った方が確実に濡れる面積は少なくて済みます。そして一成には申し訳ないが、二人で使う傘の方が大きいのは当然の話です」
セイバーの言い分は全くもって、反論しようのないほど正しすぎる。
女の子と、それも誰もが羨むような美少女のセイバーと相合い傘になっている俺の心臓や世間での評判、あと男所帯の柳洞寺に女物の傘を持って帰る一成のやりづらさ。そんな体面の問題を一切抜きにすればの話だが。
周囲を気にする俺と一成の言葉は自然と少なくなる。そしてセイバーも、なぜか普段に比べ口数が少なかった。
彼女はたしかにあまりおしゃべりを楽しむタイプではないが、一緒にいる相手は一成なのだ。俺が知る限り、いつも長々とこの二人のおしゃべりは盛り上がる。基本的にはさっきみたいに、主に俺の話題で。
やがて俺達は坂の途中にある十字路の交差点に到着した。ここから衛宮邸と柳洞寺への道は別々の物となる。
「それじゃ一成、また明日な」
「ああ。すまんな衛宮、セイバーさん。この傘は休日にでもそちらへ届けさせてもらう」
「わかった。セイバーもそれでいいよな?」
「はい。かまいません」
さすがに俺と一成が学校で受け渡しをするには、この傘は可愛らしすぎる。
セイバーと二人で一成の背中を見送り、こちらはこちらで帰路についた。
――――歩き始めてから、数歩とゆかぬうちに。
「シロウ」
「え…………? な、なんだ?」
いやに刺々しいセイバーの声がかかる。
私は機嫌が悪いですよーというオーラが滲み出たような声だ。
「セ、セイバー? その……怒ってるのか?」
「ほう。シロウには私を怒らせるような心当たりがあるのですね」
いや、まったくない。ないが、今現在セイバーが怒っていることぐらいはわかる。
…………そして、ここで素直に心当たりがないと言ってしまえば、余計セイバーを怒らせてしまうこともわかる。
「――――――」
「………………」
お互いにしばし無言。雨の音と歩く時にあがる跳ねた水の音だけが耳に響く。
やがてセイバーは本日二度目の、一度目よりも大きなため息をついた。
「……シロウ。貴方はわかっていてやっているのでしょう」
「? 何の事だ?」
「この傘の面積のうち、シロウの方へかかっている面積の方が、私へかかっている面積に比べ圧倒的に少ない、という事です」
「………あー………」
バレたか。
たしかに今、傘はセイバーへ大きく傾いていた。そのため俺の右半身はほとんどそのまま雨にうたれているような格好だ。
「まったく……何を考えているのです!? 私に比べシロウの方が体は大きいのですから、むしろ貴方の方が大きく面積を取っても良いくらいなのです。一成がいるので説教をするのは控えましたが―――」
一成がいなくなったんで、堂々と怒りをぶつけてきてるわけか。
言ってる側からセイバーは傘を押し返し、俺の方へ傾けようとする。しかしこちらも負けるわけにはいかない。
「だってせっかくセイバーが迎えに来てくれたのに、そのセイバーを濡らして帰るわけにはいかないじゃないか」
「雨なのですから多少は仕方ありません。そもそも私とて、シロウを濡らさないために迎えに行ったのです。なのに貴方がこんなに濡れては、本末転倒もいいところだ」
「頭が濡れないだけでもすごく助かってるぞ。俺はこれで十分だよ」
「そんなはずはないでしょう。気づいていないのですか? 手から雨水が滴っていますよ」
ぐいぐい。ぐいぐい。ぐいぐい。ぐいぐい。
互いに押し合い、傘の位置はさっきから同じ場所に保たれている。
セイバーが俺のために言ってくれてるのはわかってる。でも俺が濡れないということは、代わりにセイバーが濡れるということだ。そんなの認められるわけがない。
「中途半端な傘の差し方でどっちも濡れるより、俺は濡れてもいいからセイバーを守りたい。セイバーは女の子なんだから」
「貴方はまだそんな事を言うのですか!?
私は武人であり騎士です。誰かを、それこそシロウを守るのが役目であって、守られるべきか弱い存在ではありません!」
「お前の強さも、騎士としての誇りも知ってる。けど、それでもセイバーは、俺にとって守らなきゃいけない女の子なんだ」
ガーッと吼えるセイバーに真っ直ぐ言い返す。
倍くらいの勢いで返ってくるかと覚悟していたが、セイバーは口をつぐんでしまった。
「……………………」
「――セイバー?」
「……私はここに来るまで、自身を女性だと意識した事は一度もありませんでした」
「ああ、そう言ってたな」
「なのにシロウは最初から、私を女性として扱っていました」
「だってセイバーは女の子じゃないか」
「そうやって貴方が私を戦いから遠ざけるたびに、シロウへ説教を施したのを覚えていますか」
「覚えてるよ。武人に男も女も関係ないってやつだろ」
「なのにシロウは頑強に私の説得を拒みましたね」
「セイバーだって自分が女の子だって自覚してくれなかったからおあいこだ」
「……きっとこれから何度言っても、貴方はその主張を曲げないのでしょう。さすがの私も怒るのに疲れました。
それに、もうじき家に到着します」
言われて辺りを見ると、すでに衛宮邸の門が視界に入るところまで来ていた。
―――と思った瞬間、ギュッとセイバーが身を寄せてくる。
「ですから、今日のところはこれで妥協しましょう。私がしっかり身を寄せれば、シロウをもう少し濡らさなくてすみますから」
そう言った彼女の顔は、苦笑するように微笑んでいた。
お題その10、「相合い傘」。
いつまでたっても二人の主張はすれ違い。セイバーへの捉え方は二人ともあの頃と変わらず。
でもそのすれ違いが、たまらなく幸せ。
あ、セイバー愛用の雨具は黄色いレインコートが公式設定ですが、それだと相合い傘にならないんで、今回はあえて傘で。
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