雨上がりの午後、まだ青いところは見えない灰色に雲がたれこめた空の下。
 新都にある少しゆるやかな坂をセイバーと二人でのぼる。
 俺の聞いた話がたしかなら、この先に目的のものが見えるはずだ。
「あの、シロウ。そろそろこんなところまで連れ出した目的というのを教えてもらえませんか?」
「もう少し待てって。ここを上がりきったら…………ほら、見えた」
 わずかな達成感と感嘆の両方をこめた息を吐き、眼下を見下ろした。
 そこには真っ赤に咲き誇る、小さな花をつけた低木が群生している。
「おお………これはなんと、見事な」
「………………あれ?」
 セイバーの驚きの声と、俺の拍子抜けした声は、同時に上がった。
 彼女にとって、この光景と隣から聞こえた声が一致しなかったんだろう。せっかく感動してくれたのに、すぐ不思議そうな顔になって、こちらを見た。
「シロウ? 貴方の目的はこの花だったのではないのですか?」
「うーん、そうなんだけど、そうじゃないというか」
 ぼやきながら足を前に進める。思ったとおり、赤い花の正体はこの季節を象徴する花。
 雨によく似合う花ナンバーワン、アジサイだ。
 アジサイは一面――とまではいかないまでも、衛宮邸うちの庭ぐらいの広さを埋め尽くして咲いている。花の少ないこの季節、これだけ咲き揃うとまさに圧巻と言っていい。
 しかし俺にとってはいささか拍子抜けだった。というのも―――
「ここのアジサイは青いって聞いてたんだよな」
「そうなのですか? しかしここのアジサイは赤いですよ。教えてくれた者の勘違いではないのですか」
「いや、そんなことはないぞ」
 何を隠そうここのことを教えてくれたのは桜なのだ。一昨年見つけて、去年は写真まで撮ったという。俺も見せてもらったが、確かにこの風景だった。違う点といえば花が青か赤かということだけ。
 そのことを話すと、セイバーも腕組みをして考え込んだ。
「なるほど……証拠品まであるのですか。しかし実際にこの花は赤い。どういうことなのでしょう?」
「むう。まさか場所を間違ってるってこともないし…………」
 風景は同じで、アジサイの色だけ違う場所を見つけ、さらに場所を勘違いするというのはちょっと考えづらい。
 アジサイそっちのけで二人して腕組みをしてうんうんと唸っていると。
「――がっかり。日本の教育水準は高いと聞いていたのですが、そんなことも知らないのですね。
 いえ、単に貴方が学習を怠っていただけなのかしら。衛宮士郎」
 後ろから澄んだ鐘を鳴らすような声がした。
 しかし内容は辛辣そのもの。こんなに声と話す中身にギャップのある人間を、俺たちは一人しか知らない。
「「カレン!?」」
「ごきげんよう、衛宮士郎、セイバー。今日はこんなところで逢引ですか?」
 振り向いた視線の先には、いつものシスター服を着た銀色の悪魔。
 ……と前に口にしたら、『私は悪魔の霊障を再現する体質なのであって、悪魔そのものではありません』とか言われた。しかし日常生活では、悪魔は狡猾に人の皮を被っているものなのである。他にも赤とか白とか。
 それはともかく。
「カレンこそ、なんでこんなところに?」
「ここはアジサイの花が見事ですので。単に花を愛でに来ただけです」
 そう言ってカレンはアジサイへ近づいてゆく。花の前に立ったかと思うと、じっと見下ろして、そのまま動かない。
「それにしてもカレン、先程の言葉はどういう意味です? あの口ぶりでは、貴女は私達が悩んでいた疑問の答えを知っているかのようでしたが」
 アジサイを見たまま会話を打ち切ってしまったカレンに業を煮やし、セイバーが口を開いた。実は俺もそれが気になっていたのだ。
 カレンは無表情のまま振り向いて、
「アジサイの花というのは、同じ木でも年によって、花の色が変わるというのを知りませんか?」
「え? そうなのか?」
「ええ。アジサイというのは土壌の成分によって色を変えるのです。土壌がアルカリ性ならば赤、酸性ならば青。去年は青かった花が赤くなったというのならば、この土壌がなんらかの原因で酸性からアルカリ性に変わったということなのでしょう」
「へえ。リトマス試験紙と反対だな」
 言われてみれば、そんな話を聞いたことがある。アジサイは赤、青、紫、白と多彩な色があるけど、たまに色が変わったりするのだと。でもそんな理由があるとは知らなかった。
 セイバーも感心したようにカレンを見ている。
「カレンは物知りだな。ひょっとして花が好きなのか?」
「…………特別好きというわけではありませんが。
 忘れたのですか衛宮士郎。私の名前はカレン・オルテンシア。オルテンシアは私の国の言葉でアジサイを意味します」
「―――あ―――」
 一瞬、知らないはずの記憶が頭の中に蘇る。
 ……そうだ。いつか教会で、コイツの名前の由来を聞いたことがある。カレンとは父の国の言葉から、オルテンシアは母親の名前から取られたのだと。
 ということは、カレンにとってアジサイというのは、母親を象徴する花――――
「その…………ゴメン」
 知らず、頭が下がっていた。
「なぜ謝るのです?」
「あ―――なんていうか―――」
 自分でも何に謝っているのかわからない。カレンの母親の花に関する無知か。カレンに母親の事を思い出させてしまった無神経さか。
 言葉に迷っていると、カレンはムスッとした顔を俺に向けた。
「己の非を認めない人間は、非を認める人間に比べ罪を負っています。
 しかし己の罪の所在がわからないのに罪を認める人間は、なお大罪です」
「む……」
「貴方は私と私の母に遠慮しているのでしょう。しかしそれは考え違いというものです。
 貴方は別に私や母を侮辱したわけではない。
 ならば罪など元から存在しません。あるとすれば、勝手に人の心を推し量り、それで私が傷ついたと決めつける事こそが罪です」
「…………」
「大体その程度のことで貴方が私を傷つけられると思う事が傲岸不遜ね。普段から己の実力を計算に入れず、大きな事を成そうとしているようだけれど、身の程を知るということを覚えないとそのうち痛い目を見ることになるわ」
 ………言ってることはとても正しい。ような気はする。
 しかし途中から、遠坂やイリヤとはまた違う種類の悪魔がやっぱり見え隠れしてるように見えるのは気のせいか? っていうか口元が微妙に笑みの形に歪んでいるみたいだし。
 辛辣を通り越してシュミの世界に入ったようなカレンの攻撃的な言葉に、頭に血をのぼらせてセイバーが弁護してくれる。
「待ちなさい! 確かにシロウは自分を計算に入れておらず、目算も非常に甘い。
 けれどそのような事は、誰に言われずともシロウ自身がよくわかっています。今さら貴女に言われるまでもない!!」
 あー、セイバー、それってあんまりフォローになってない。
 カレンは胸の前で手を組み、目をつぶった。
「そうかもしれません。私はただ、彼の傷を少しだけ切開しているだけですから。
 ……我ながら衛宮士郎を見ると、つい彼の歪みをつっつきたくなります。不思議ですね、この地に来るまではこんなこともなかったのですが」
「…………カレンも名前のとおりアジサイだからな。
 土地が変わって色が変わったんだろ」
 ぼそりと悪態が口をついて出る。
「――――まあ。面白いことを言うのね、衛宮士郎」
 ゾワリ。
 背筋に何か寒いものが走りぬけた。慌てて悪寒の元へ振り向くと、そこにはさっきとは比べ物にならないほど邪悪な笑みの形に口元を歪めたカレンの顔が。
「……………………!?」
 今すぐ回れ右をして帰りたくなるほどのおぞましさ。セイバーに鍛えられた感覚が全力で叫ぶ。これはキケンだと。キケンキケンキケンキケンキケンキケ
 ―――しかし俺がアクションを起こすより先に、どこからともなくカレンはハサミなど取り出し、すぐ傍らのアジサイを一枝切り取った。
「って待った。勝手にそんな事していいのか?」
「かまいません。ここの持ち主とは顔見知りで、気に入ったのならいくらか持って帰ってもいいと先日言っていただきましたから」
 俺の非難もどこ吹く風。彼女はパチン、ともう一枝アジサイを手折る。花が盛りの、見事な枝だ。
 そしてそれを真っ直ぐ俺に突き出し――――え?
「しかし私は質素を旨とする修道女。持ち帰るわけにもいきません。その点貴方の家は、よく花が飾ってありますね、衛宮士郎。
 花も愛でる人がいてこそ咲く甲斐があるというもの。この花は貴方に差し上げましょう」
「…………へ?」
 頭の中にハテナマークが浮かぶ。
 ……カレンの言うことは何かおかしい。自分で部屋に飾る気がないのなら、最初から枝を折る必要などない。にもかかわらずその行為を行ったということは、別の理由――つまり俺によこすという理由のために行ったことになる。
 しかし俺には、カレンから花を贈られる理由などこれっぽっちも思いつかなかった。
 逡巡してアジサイを受け取ろうとしない俺に、カレンは焦れたのか、
「女性が花を貰ってほしい、と言っているのですよ。貴方は私に恥をかかせるつもりですか?」
 不機嫌そうに口にした。
 まあたしかに胡散臭くはあるんだが、この花自体には問題ないようだし…………
「わかった。ありがたくいただくよ」
 結局、花を受け取ることにした。
 俺の手に渡った赤い花を見て、カレンは艶めかしく微笑む。――なぜかその笑みに、また背筋が寒くなった。
「受け取ってもらえて良かったわ。
 そうそう、言い忘れていましたが。アジサイの花言葉は、その色の変わりやすさからきた”移り気”というもの。これを異性に贈る時は、相手の浮気を責める意味をこめて贈ります」
「「なっっっ!!?」」
 俺とセイバーの声がハモる。
 銀色の悪魔は、しおらしく、いやしおらしく見せる、儚げな表情で、いけしゃあしゃあと、
「あの夜、貴方はあんなに激しく私を求めて、嫌がっても強引に押し倒しておきながら……それ以来一度も自主的に教会を訪ねてはくれませんね。
 私の名がアジサイを意味していることも、ちょうどあの夜に教えたというのに。
 やはり貴方の子でも授かれば、もっと足繁く通ってくれるのかしら」
「な……あ…………え、ええ……!??」
 記憶の混乱。オルテンシアとは紫陽花という意味。蝸牛にジクジクたかられる姿。それを少女に投影する皮肉。いやいやいや、こんなの俺の性分じゃない、俺の思考回路じゃない。けれどアジサイが美しい花で、名前を気に入っていると笑った笑顔。
 いつの時からか、潜むようになってしまった、俺ではないオレの記憶がまた――――
「シロウ!!」
 隣から怒気を孕んだ声をかけられて我に返る。反射的に隣を見ると、セイバーが不機嫌そのものの顔をして覗き込んでいた。
「シロウ、カレンの言っている事は本当なのですか!? 貴方は彼女に手を出したと!?」
 今の問題発言を即座に否定せず、言葉に詰まっていたことが、彼女の心に疑いを生んでしまったらしい。
「あ―――いや、それは、」
 大きく息を吸って、ゆっくり、心を落ち着ける。……そうだ、いつからかあるコレは『記録』であって『記憶』ではない。
 平静に戻ったとたん、走馬燈のように頭をよぎった記録は、きれいさっぱり消えて全く思い出せなくなった。
「……違う。誓って言える。俺はカレンに手を出したことなんてない。信じてくれ」
「……………………」
 セイバーは少しの間、何事か考え込んでいたが、
「―――分かりました。私は彼女より、シロウを信じます」
「ありがとう、セイバー」
 ホッと安堵の息を吐く。浮気の疑いをかけられた時、男の言い分ってのはなかなか聞いてもらえないものだと言うが、セイバーは俺を信じてくれた。それがとても嬉しい。
 後ろで残念そうに、ため息をつく気配。―――記憶の混乱でつい忘れていたが、今の言葉はさっきの悪態に対する、十倍返しなカレンのいたぶりだったんじゃないだろうか。
「あのなあ、カレン…………!」
 怒鳴りつけようと後ろを振り向いた瞬間。
 服の裾が強く握られる感覚に、動きを止めた。
「へ?」
「あ、あの……シロウ……」
 そのまま再び元の方へ向き直ると。
 そこにはアジサイのように、白かった顔を赤く染めたセイバーが。
「…………しかし、やはり完全に貴方を信じきるには、言葉だけでは足りません。
 それで、その……貴方の潔白を、証明してくれませんか…………? ………今夜………
「あ……………………」
 俺の顔にも熱が灯る。
 いや、しかし、それでセイバーが俺のことを信じてくれるなら、お安い御用というもので。
「わかった。…………今夜な
 コクン、と小さく頷くセイバー。
「あら、雨降って地かたまる、というやつかしら。今の時期にぴったりね」
 後ろからのカレンの皮肉は、もう気にならなかった。






 お題その11、「アジサイ畑」。
 きっと〜♪女の子の方から〜♪ 欲しい〜と言い出したってOKだよ〜♪
 ……スンマセン、多少強引な感は否めない……。ひょっとして力尽きそうなのかジブン。
 てゆーかこれでは、カレン祭りですね(汗)いやしかし名前にアジサイを持つ人に、このお題でインパクト&出番勝ちできるはずがない……。カレンがいなかったら、桜でも絡ませようかと思ってたんですが。(Fateルート5日目朝、桜を追い返そうとする凛と反発する桜の激突シーンのブロックタイトルが「薔薇と紫陽花」なんですよ)たまには可愛いカレンも書きたいなあ。




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