――――ケロケロ ケロケロ ケロケロ
「シロウ」
買い物から帰ってきて、お茶を飲んでひとやすみ。のんびり緑茶の匂いを楽しんでいると、道場で瞑想をしていたはずのセイバーがやってきた。
お茶の匂いにひかれてきたのか、と思い、お茶の準備をしながら返事をする。
「セイバーも緑茶でいいか? お茶請け何がいい?」
「私はドラ焼きが―――いえ、それよりも雨が降りそうです。洗濯物を取り込んでおいた方が良いかと思うのですが」
「――――え?」
「驚いたなあ。本当に雨が降るなんて」
自信に満ちた――というより確信レベルで言い切ったセイバーの言葉が気になり、とりあえず洗濯物を取り込む。もう少し干しておいても良かったけど、問題がない程度には乾いていた。
すると最後のひとつを取り込み終えるか終えないかのうちに、彼女の宣言通り雨粒が空から落ちてきた。
急いで軒下に避難し、洗濯物を室内に移動させる。安心して息を吐く頃には、雨は本降りになっていた。
セイバーに忠告してもらって助かった。でなければ洗濯物を濡らすハメになっていただろう。
「ありがとう、セイバー。おかげで助かったよ」
礼を言うと、セイバーは大したことではありません、と微笑んだ。
「それにしてもどうして雨だってわかったんだ? もう少し大丈夫だと思ってたのに」
「簡単なことです。蛙が鳴いていたのでわかりました」
「カエル?」
言われて耳をすますと。
――――ケロケロ ケロケロ ケロケロ
聞こえる。小さいけれど庭のあちこちから、ケロケロとカエルの鳴き声が。
「よく気づいたな、カエルが鳴いてるの。俺は全然気づかなかった」
「そうですか? 私はすぐに気づきましたよ」
たしかにこれだけの音なら、耳には入っている。けどいつも注意を払うことがないから、頭には残らなかったのだろう。
そう言うと、セイバーも得心いったように頷いた。
「なるほど。この時代の人々は毎日”天気予報”なる番組を見ていますから、むしろこういったことには鈍感になってしまうのかもしれませんね」
「こういったこと?」
「雲の流れ、雨の匂い、そして蛙の鳴き声。それらの事から総合的に判断して、雨が近いかを予測することです。私の時代では誰もが知る、当たり前の生活の知恵でした」
「そういえば、ずいぶんと空なんて眺めてないかもな…………」
障子の隙間から空を見る。雲の色をたしかめるために空を”見る”ことぐらいはあっても、雲の流れを”眺める”ことは、久しくやっていない。
カエルの鳴き声もそうだ。夏場のセミの声と同じ。この季節には珍しくもないものだから、あえて聞こうとは思わない。その結果、あってもなくても同じ物となってしまうのだ。
――――ケロケロ ケロケロ ケロケロ
冷めてしまったお茶を煎れ直して、一緒にセイバーの分も煎れて、カエルの声を鑑賞しながらゆっくりと飲む。
さらに耳をすませば、カエルの声と共に優しい雨音も意識の内にすべりこんできた。
ゆっくり雨とカエルの音を聞きながらのお茶の時間。いつも忙しいだけに、たまにはこんなのんびりした気分もいい。
そんな中、ふと思い出して口にした。
「…………カエルといえば、昔はよくカエルやオタマジャクシをつかまえて遊んだもんだよな」
多くはないけど、深山町にも町の外れの方で田んぼを見かける。子供の頃はそこでオタマジャクシを捕まえて、カエルになるまで飼ったりしたこともあった。
しかしセイバーは、なぜかきょとんとした顔で、
「オタマジャクシ……ですか? ええと…………」
「…………あれ? もしかしてセイバー、オタマジャクシって」
「はい、初めて聞きました」
驚いて思わず顔をあげる。どういうことだろう、カエルを知ってるのにオタマジャクシを知らないとは。
「オタマジャクシって、カエルの子供のオタマジャクシだぞ?」
「? 蛙は生まれた時から蛙ではないのですか?」
衝撃発言に今度は目を見張ってしまった。
カエルを天気予報代わりにするほどだったのに、オタマジャクシはカエルの子という事実を知らなかったのか。
まあ考えてみれば、不思議なことではないのかもしれない。俺達なら小学校で習う簡単な理科でも、彼女の時代では周囲の年長者が教えてくれるまで知らないままなのだろう。
とはいえこんな話は、親や年上の兄弟、もしくは近所のお兄さんあたりが遊びの中で教えてくれそうな気もする。
そう思って聞いてみると、セイバーはなぜか困った顔をした。
「ええ、その通りです。シロウが言うのならば、おそらく普通の子供はそうなのでしょう。
ですが私は―― 子供らしい遊びをした経験が、あまりありません。野山を駆け巡る時は、いつも義父や義兄に連れられて、足腰を鍛える訓練の一環としてでした」
「あ……………………」
――――そうだった。セイバーは幼い頃から、騎士になるため鍛錬を続けてきたんだ。
だとすれば、普通の子供のように無邪気に遊ぶ余裕など、なかったのだろう。
「…………その、ごめん。セイバー」
「シロウ、謝らないでください。別に私はそれが悪い事だなどと思っていませんから」
うなだれて呟いた謝罪を優しくたしなめられる。顔をあげると、セイバーは懐かしそうに微笑んでいた。
「たしかに子供としての遊びではありませんでしたが、義父や義兄からは薬草と毒草の見分け方、わき水のある場所、食べられる小動物の捕まえ方などを教わった。
子供にとってみれば、それも遊びと大差ありません。
それに私も常に真面目だったわけではなく、義父たちの目を盗んで悪戯をしてみたり、剣を使って球遊びをしたり――――ええと…………」
言葉を濁すセイバー。
途中で自分の言ってることが墓穴を掘ってることに気づいたんだろう。
しかし俺にしてみれば嬉しい誤算だ。そっか、セイバーにもイタズラっ子な時代があったんだ。
「シ、シロウ! 何を笑っているのですか!?」
「ああ、ごめん。つい」
さっきと同じ謝罪の言葉だが、心持ちは大分違う。
セイバーはまだ笑ってる俺を、むー、と睨み、唇を尖らせた。
「それに子供らしい知識など知らずとも構いません。知らない事はシロウに聞けば教えていただけます。知識がなくとも困りはしませんから」
「うん。そうかもな」
つい可愛くて笑ってしまい、拗ねさせてしまった。女の子は難しいな。
けれどそんな拗ねた顔も可愛らしくて、やっぱり口元は笑みを刻む。
セイバーは不満そうな顔を続けていたが、知的好奇心には勝てなかったらしい。そっぽを向いていた目線をこっちに向け直す。
「シロウ。貴方は蛙に詳しいのですか?」
「特別に詳しいってわけじゃないけど、普通の人と同じぐらいには」
少なくともセイバーよりは詳しいだろう。
「では教えてください。なぜ蛙は雨の前に鳴くのでしょう。
彼らは我々に雨を教えてくれる貴重な友です。しかし私には、なぜ彼らが雨の前に鳴くのか未だもってわかりません」
「なんで、と言われてもなあ……………………」
考え込む。カエルが雨を感知して鳴くのは、たぶん湿度を感じてるんだろう。
だからカエルの天気予報は100%じゃない。成功率60%ぐらいだと聞いたことがある。
だがおそらくセイバーの聞きたい事はそういうのじゃない。なんの為にカエルは鳴くのか、だ。
カラスは可愛い七つの子があるから鳴く。ちょっと違うか。
しばらく腕組みをして考えて、
「う〜〜〜ん…………。たぶん、雨が好きだから鳴くんじゃないか」
「雨が好きだから、ですか?」
「そう」
カエルっていうのは皮膚が粘膜で出来ている。両生類と爬虫類の一番大きな違いはそこだ。両生類であるカエルは、水から離れて生きてはいけない。
だから世界が水だらけになる雨の日は、カエルにとってとても嬉しいことのはず。
新しい靴を買ってもらった子供が外へ駆け出すように、嬉しくて鳴きだすんじゃないだろうか。
「あと生物学的には、パートナーを探して求愛したり――――」
「ケロケロケローーーーッッ!!!」
「どわああぁぁぁ!?」
「シロウ!」
話してる最中に、いきなり後ろから飛びかかられた。その勢いで体が前に倒れる。
さっきの声と慣れた重さで、犯人はわかってる。その正体は、
「わたしもシロウが好きー! ケロケローー♪」
「い、イリヤ…………。頼むから不意打ちはやめて…………」
前のめりになった際、肺から空気が押し出されて息苦しい。残った酸素を使ってなんとか言葉をつむぎ、力をこめて体勢を立て直した。
一緒にイリヤの体も動くのを、イリヤはキャッキャと楽しんでいる。俺よりバーサーカーの方がこういうのは得意そうだが、嬉しそうなので良しとしよう。
興が乗ったのか、イリヤはますます腕の力を強くして抱き締めてくる。小動物になつかれているみたいな感じがして、無碍にすることはできない。
困ったので前方に助けを求めると、セイバーは何か思いつめたような顔で悩んでいた。
「…………? セイバー?」
「はっ――――!」
声をかけられてようやく正気に戻ったセイバーは、とたん俺の顔を見て一瞬ひるみ、しかし踏み止まって、……なんで挑む顔になってるのさ?
「シッ、シロウ! その…………あ………………」
「――――――」
「ケ、……………………ケロ……………………いえ、やはりなんでもないっ――――!!」
悲鳴一歩寸前の雄叫びをあげて。
セイバーは真っ赤な顔で走り去っていってしまった。
「…………えーと。あれ、どうしたんだと思う? イリヤ…………」
「さあ。わたしにはわからないわ」
果てしなくドライな感想。しかし俺にもわからないので、イリヤを責めることなどできようはずもない。
とはいえセイバーを放っておくわけにもいかない。だから考える。
たしかセイバーは、最後にカエルの鳴き真似らしき言葉を呟いていなかったか。ならばさっきまで話していた、カエルの話と何か関係が――――――ああ、もしかして。
わりと簡単に答えは出た。違っていたら怒らせてしまうかもしれないけど、正解ならなおさら放っておけない。
未だ背中にはりついたままのイリヤを、優しくひきはがす。
「もー。シロウはセイバーに甘いんだからー」
ぷっくりと子供らしく頬をふくらませるイリヤに、ゴメンと謝って、彼女の後を追った。
できるだけ音をたてないように扉を開ける。
思ったとおりセイバーは、道場のいつもの場所に正座し、静かに瞑想していた。
――――しかし俺の気のせいでなければ、まだ顔はほんのり赤く、気も鎮めきれていない。
「セイバー」
入り口から声をかける。瞑想に集中していようといまいと、これで気づいてくれるはずだ。
はたして彼女はゆっくりと目を開き、何か言いたげに俺を見た。
「…………シロウ」
靴を脱いで道場にあがり、彼女へと近づく。セイバーは俺の動きをじっと見ている。
セイバーのすぐ側へ腰を下ろし。
「……………………。
―――なっ!?
シ、シロウ――――!」
有無をいわさず抱き締めた。
セイバーは驚きの声を漏らすものの、暴れたり逃げたりする気配はない。
――――どうやら正解だったみたいだ。
「………………………………」
そのままセイバーは黙り込む。
やがて甘えるように体重をかけてきて、そっと俺の背中へ手を回した。
――――ケロケロ ケロケロ ケロケロ
カエルたちはまだ鳴き止まない。
だから俺たちは無言のまま抱き合う。
二人の代弁者は、しばらく庭で合唱を続けていた。
お題その14、「ケロケロケロッピ」。セイバーはカエルの鳴き真似をするキャラじゃないとか却下!(殴)
なんか最近、この小咄は文体の実験台になってるよーな気もします。きっとまとめて読んだらさぞバラバラな文体だろう……恐ろしくて読み返せない(オイ)
やはりセイバーは、素直に甘えられない不器用さが萌えポイントだと信じたい。でもステイナイトの同衾やホロゥの黄金の湯船みたく、真っ向勝負の超・直球は案外イケると。いわばカーブやフォークは投げられず、ストレートと牽制球だけが投げられるのです。うわあジブンで言ってて意味不明。簡単に言えば、人前でなければそこそこ甘えられるってことです。
あ、いつもはネタの裏打ち下調べってするんですけど、今回は小ネタなのでやってません。なのでカエルの鳴く理由ってのを信じちゃダメ。恥かきますよ〜。
ところでこのカップルだと、「他人から見ればバカップル全開なのに本人たちは気づかない」という行動がつい入ってしまいます。今回も入ってます。難点は、本人達も気づかないので文章表現も希薄になり、結果読み手にもなかなか気づいてもらえない事です。……どこかわかります?(汗)
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