パシ――――………ンッッ!
「―――――っ!」
打ち払われた竹刀と共に泳ぐ体を懸命におしとどめるが、勢いよく踏み込んだ力はそう簡単に殺せない。
体勢を立て直す前に、後頭部への強烈な一撃。
しかしそれは俺に当たる一瞬前、ぴたりと止められた。
「くっ…………まだ届かないか…………」
荒い息を必死に整えながら、無念を声に出す。
振り下ろした竹刀を手元に引き寄せて、セイバーは冷水のような厳しい雰囲気を、ほんの少し和らげた。
「少し休憩にしましょうシロウ。貴方もずいぶん疲れているようですから」
「ああ、悔しいけどそうだな」
顔中ににじんだ汗を腕でぬぐい、竹刀をたてかける。
いつもの剣の鍛錬は、やはりいつもの通りセイバーの圧倒的な力を見せつけられる結果となった。
何が悔しいって、俺はこんなに汗だくだってのに、彼女は息ひとつ乱れず汗もかいてないってことだ。
このあいだ梅雨が明けて、今は本格的な暑さが襲来している。体力の消耗もこれまでより激しい。
少しくらいはセイバーを参らせることができるかとも思ったんだけど――――
「考えてみたら、セイバーより俺の方が体力ないもんな」
やかんから水を飲みながらひとりごちる。戦いにおいては何に関してもセイバーの方が上なんだから、同じ条件下で俺の方が有利になることなんてまずない。
セイバーはいつものとおり、道場の隅に正座して瞑想している。明るい陽射しが彼女の金髪をキラキラと輝かせ、白い肌を美しく照らしだした。
相変わらずキレイだな、と見ていたら、その上体がぐらりと揺らぎ――――
ぽて。
「わーーーーっっ!! セイバー!!?」
なんの前触れもなく、倒れ伏した。
「申し訳ない、シロウ…………」
本当にすまなさそうな顔で、セイバーは謝罪を口にする。
道場で倒れたセイバーを慌てて抱き起こすと、驚くほど体が熱くなっていた。ともかく冷やそうと急いで冷たいものを用意する。
居間に運びこみ、扇風機の風をあてながら氷枕に寝かせてやると、彼女は落ち着いたようだった。
倒れた原因は熱中症。子供か老人の病気だと思っていたけど、やっぱり夏は注意しなくちゃいけないんだな。
謝りながら上半身を起こそうとしたセイバーを押し留め、もう一度寝かせる。
「俺の方こそごめん。セイバーのこと、気づいてやれなかった」
「いえ、自分の体のことなのですから、私が気づかねばならなかったのです」
そう言うセイバーの目はぼんやりとして、まだ熱が残っているようだった。
口調もどことなく虚ろで、夢を見ているようにつぶやく。
「ここ数日、なぜかとても暑くて……不覚をとりました」
「そっか。セイバー、日本の夏は初めてだもんな」
第四次聖杯戦争がいつの時期だったかは忘れたが、たとえ夏でも暑さなど感じてる余裕はなかっただろう。
欧米諸国に比べ、日本の夏はひたすら暑い。それはジメジメとした湿気が体にまとわりつくためだ。
湿度の低い夏は、どんなに暑くても日陰に入ると案外涼しかったりする。だからエジプトの人でもアジアの夏は白旗をあげる、とかなんとか。
ましてブリテンという涼しい地方で育った彼女は、日本人より汗腺が発達していない。汗をかけないとそのぶん熱は体にこもる。
思ったより今年の夏はセイバーにとって厳しいものになりそうだ。少しずつ慣れてゆくしかないだろうけど、慣れるまでしばらく目が離せない。
「日本の夏はまだまだ暑くなるけど、頑張ろうなセイバー」
「な……これ以上暑くなるというのですか……?」
驚く声にもいつもの覇気がない。うーん、こりゃかなり参ってるみたいだな。
だとすると、他にも―――
「先輩、先輩〜〜〜〜〜〜!!!」
考え事をしている最中に絶叫が響きわたる。
少しの間をおいて、桜が珍しくチャイムも押さず、居間に滑り込んできた。
「どうしたんだ、桜。そんなに慌てて」
「ライダーがっ、ライダーが…………!
引きこもって出てこなくなっちゃったんです!!
よりにもよって蟲倉にィィィィ!!」
「む……蟲倉……!?」
――――蟲倉。
間桐の魔術を会得するための修練場であるという場所。
あそこで何があったのか、詳しくは聞いていない。聞いてはいけないとも思っていた。間桐家の人々の希望もあり、俺も遠坂も、ただ漠然としたことしか知らない。わずかに聞けた情報と、いくばくかの予想を総合した。
それでもライダーに頼み込み、一度だけ遠坂と一緒に入れてもらったことがある。俺たちが足を踏み入れた時はすでに何もなかったが、それでも怨念と執着、憎悪と死臭が染みついた、どんな太鼓持ちだってお世辞のひとつも浮かばない陰所であり、背筋の震えが止まらなかった。
ちなみに聖杯戦争中まで、あの部屋には大量の蟲がいたそうだ。戦争後、間桐の爺さんがボケてしまってから蟲を一匹残らず焼却処分にしたため、今はだだっぴろいだけの地下室になっているが。
そんな蟲倉に、なぜ、ライダーが――――
………………………………
「………………桜」
「は、はい? なんですか?」
混乱のあまり涙目になっている桜の肩を、ぽんと叩く。
……考えてみれば、今の説明にキーワードがあった。
「蟲倉ってもしかしなくても――――間桐邸で一番涼しいところだったりしないか?」
「え……………………?」
「そんなわけで。
衛宮邸にクーラールームを開きたいと思います」
食事の後、扇風機を独占してるセイバー、ライダー、イリヤの欧米人トリオに向けて宣言する。
ちなみにライダーは、アイスノンをいくつも渡してなんとか出てきてもらった。本人もあの陰鬱な雰囲気は嫌だけど、背に腹は変えられぬといった状態だったらしい。
「クーラールーム? なんですかそれは?」
扇風機の首ふり機能を自分のところで止めたい欲望と必死に戦っているセイバーが、代表して疑問をぶつけてくる。
「実は和室の部屋にはつけてないけど、洋室にはエアコンというものがある」
「えあこん?」
「そう。それを使えば、部屋が扇風機よりも涼しくなるという優れモノだ」
「「――――――!!!」」
セイバーとライダーの目の色が変わる。さすがにイリヤはエアコンを知ってるし、城に戻ればエアコンを使うより涼しいから、特に変わった様子はない。
実を言うと、洋室の客間には各部屋にエアコンがあるのだ。できれば使ってないそれらの冷房機を、セイバーとライダーの部屋それぞれにつけてやりたいところではあるのだが、さすがに二部屋で一日中エアコンをつけていられると電気代が一気にはねあがる。
というわけで二人で一部屋のエアコンを使ってもらい、イリヤもうちに遊びに来た時はこの部屋で涼んでもらおうということで、洋間の一部屋だけエアコンを掃除しておいた。
あと、彼女達の各部屋にエアコンをつけない理由は、他にもある。
「ということは、その部屋に行けば涼しい風が得られるということですか? 蟲倉にこもらなくても良いと?」
「ああ。さすがにライダーを蟲倉にこめっぱなしってわけにはいかないからな」
「感謝します士郎。いつも貴方の気遣いには驚かされる」
ライダーがすがすがしい笑顔で礼を述べてくれる。続いてセイバーも信頼をたたえた瞳で、
「ありがとうシロウ。昼に迷惑をかけてしまっただけでも済まないと思っていたのに、私達のためここまで手を尽くしてくれて―――」
「いいって。みんなが快適に暮らすためなんだからさ」
それにセイバー。……悪いけどその笑顔、ちょっとだけ曇るかもしれない。
すでにクーラールームに居座る気マンマンの人々に向けて、三本の指を立てて見せる。
「ただし、エアコン使用時の約束を必ず守ること。
ひとつ。部屋が十分冷えたらエアコンを切って、節電に務めること。
ふたつ。食事を持ち込んだり、共用の場でやることをクーラールームに持ち込むのは禁止。
みっつ。クーラールームで寝るのも禁止」
「シ、シロウ!? 寝るのもいけないのですか!」
「ダメ。冷房の中で寝ると風邪をひく」
彼女たちの部屋へ個別にエアコンをつけると、必ずつけたまま寝て風邪をひくだろう。
その予想がどうしても拭えず、個別エアコン計画は潰えたのだった。
熱帯夜に冷房を使えないのはかわいそうだが、こればっかりは心を鬼にするしかない。
「…………どうしてもダメ、ですか? シロウ」
「気の毒だとは思うけどな。アイスノンでも扇風機でも涼しい部屋でも使っていいけど、エアコンのつけっぱなしだけはだめだ」
セイバーはちょっとどころか完全に笑顔を消して黙り込んでしまった。でもやっぱり頷けないんだ。わかってくれ。
「―――まあ私は構いません。寝てはいけないのならば寝ないだけの話です。
頑張ってくださいねセイバー。では私はお先にクーラールームとやら、満喫させてもらいます」
すでに心はクーラールームへと飛び、足取りも軽くさっさか居間を出てゆくライダーの後ろ姿を、セイバーは悔しげに睨み付ける。
いまだサーヴァントで睡眠の必要がないライダーと違い、いまやサーヴァントの肉体でなくなったセイバーは、一日のうち何時間か眠らないわけにはいかない。寝苦しくとも、暑さの中で寝ることが絶対に必要なのだ。
でも、ライダー。頼むから夜の間ぐらいはエアコン消してくれよ……?
「――――――――ふう」
大きくひとつ息をはく。
土蔵で過ごす、一日の最後のひととき。魔術講座は遠坂から継続して受けつづけているが、それでも一日の終わりに行うこの鍛錬をやめる気にはなれなかった。
これはすでに衛宮士郎のライフワークになっている。今更やめろと言われても、きっとやめることなどできないだろう。
強化や投影で使ったガラクタを片づけ、部屋に戻る。今日も一日ご苦労さま。
布団を出して、床を作る。さあゆっくり寝――――
「……シロウ? まだ起きていますか?」
よう、としたところで、室外から声がかかる。
障子越しに聞こえるのは、まぎれもなくセイバーの声。しかし月明かりで障子に映るシルエットは、彼女にしてはずいぶん大きい。
「起きてるぞ。どうかしたのか?」
「―――失礼します」
カラリと障子を開けて入ってきたセイバーは、びっくりするほど大荷物だった。
敷き布団にかけ布団。ちょこんと乗せた枕と、寝具一式だ。
なかば呆気にとられている俺を後目に、彼女は持ってきた寝具を俺の布団の隣にならべる。
「…………あのー、セイバーさん?」
なにをしてらっしゃるんでしょうか?
思わず聞かずにはいられない。
セイバーは俺を見据えたまま、
「夏の間はここで休ませてもらおうと思います。私の部屋では暑くてとても眠れません」
そんな、トンデモナイ事を口にした。
「な、え、なにぃぃぁ!!?」
「涼しい部屋で眠るのは構わない、と言ったのはシロウでしょう。私の知る限り、この家で最も涼しいのはこの部屋です」
………………あう。
たしかにこの部屋は夏に涼しく冬に暖かい。ある意味衛宮邸のVIPルームだ。
セイバーと一緒に寝るのも初めてじゃない。初めてじゃないどころか最低でも週一は一緒に寝てる。
ただ、まあ、その。それは正しい意味での『寝る』とは微妙に違ったもので。いや、正しい意味でも寝てはいるんだが。
しかし、なんというか、こういうカタチの『布団を並べて睡眠をとる』という同室での寝方は初めてなのだ。
「いや、あのな、セイバー。ちょっと待った」
それはマズい。何がマズいかって聞かれるとうまく答えらんないけど、とにかくマズい。
だがセイバーはまったく気にしていないようだ。
「何故です? 布団は持ってきましたから、シロウに窮屈な思いはさせません。
それに……私も時にはシロウと同室で寝てみたいと思ったのです。いけませんか……?」
くぅん、とうなだれた子犬のような目で聞いてくるセイバー。
そりゃ俺だってセイバーのおねだりなら、できるだけ聞いてあげたい。みんなには甘いと言われるけど、好きな女の子のお願いは可能なかぎり叶えてやりたいと思うのは当然だ。
でもこれは『できるだけ』『可能なこと』じゃない。セイバーが望んでいるのは、あくまで同室で睡眠をとること、だけ。女は好きな男と抱き合って寝るだけでも充足感を得られるというから、おそらくはそれなのだろう。
――――そして俺が男である以上。ソレだけで留まれる自信はない。
「シロウ………」
いつもこの部屋で、セイバーが隣で眠る時は、二人で愛し合った後なのだ。
つまりセイバーが隣で寝てると否応ナシにその時の事に直結してしまう。パブロフの犬、オペラント条件付。
その衝動を抑え込み、セイバーの隣で大人しく眠る。しかも毎晩。無理、絶対無理。そんな事ができるヤツは仙人に違いない。
それくらいだったらいっそ、毎夜毎晩セイバーと――――
「シロウは……私と同室で寝るのはイヤなのですか? いつもの、その……の後は…………」
「うぐっ――――」
セイバーの目がわずかな羞恥とそれ以上の悲しみをはらむ。
いつも一緒に寝ている時の事を思い出した羞恥と、そうでない今日は一緒に寝てくれないのか、という悲しみ。
さっきとは別の意味でそれはマズい。さすがに、行為の後でないと一緒に寝ない男、と思われるのだけは避けたい。
断腸の思いで、彼女の望む言葉を口にする。
「……………………とりあえず、今夜だけな」
「はい。では今夜はここで休ませていただきます」
一転、花がほころぶような笑顔をうかべ、セイバーはいそいそと布団の中に潜り込んだ。
仙人ならぬ健康な男子である俺は何日耐えられるだろう。
きっとまともな睡眠がとれるのは、寝不足で気絶した時に違いない。
お題その16、「梅雨明け」。ゴメン、間桐邸のあの地下室は、蟲倉って名前で良かったでしょうか。自信ない。
うちの話としては初めてでしょうか? セイバーがサーヴァントじゃないーって断言したの。いちおーうちで書いた帰還話が始めにきてるので、うちのセイバーはそういうことになってます。もっともセイバーって呼び名を変える気はないし、サーヴァント組に組分けされるし、宝具も使えるし、状況に応じて士郎をマスターって呼びますが。とはいえストーリーの状況に応じて、たまにこーやって「サーヴァントじゃない宣言」はいくつか出ます。
たまには小悪魔セイバー。男社会で生きてきた彼女は、男の性は知ってても、ビミョーな心理までは無頓着と思うのですがどうか。てかスマヌ、話が強引すぎた上に下品よ鏡花さん。
ちなみにゾーケン爺さんがボケているのは仕様です(笑)だって第六次聖杯戦争がないと知れば、あの爺さんショックで絶対ボケが始まると思う(笑)
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