ゴロゴロゴロ…… ゴロゴロ……
「お。来たかな?」
 空を見上げて独り言をつぶやく。
 真っ青な空には、もくもくと煙のようにわきあがる真っ白な入道雲。
 夏の風物詩のひとつ、夕立。雨の降る時間はたいしたもんじゃないけど、その間叩き付けるように降る雨足はたいしたものだ。洗濯物なぞ一発KOである。
 カラッとした夏の陽射しのおかげで洗濯物も乾いてるだろうし、今すぐ取り込んでしまわなければ。
 居間から立ち上がって障子を開ける。すると。
     ダダダダダダッ
「へ?」
 珍しい人物が、眼前を走り抜けていった。
 いや、まだ走り抜けるというほどスピードが出ているわけではない。せいぜい早歩きの範囲だろう。
 しかしいつも冷静沈着、静かに行動するのを常としている彼女が、戦闘中以外でこんなに急いでいるのはあまり見ない。
 珍しいので、つい声をかけてみた。
「おーいセイバー。そんなに急いでどうしたんだ?」
「はっ!? ……あ、いえ……シロウ…………な、なんでも、なんでもありません…………」
 まるでつまみ食いがバレた藤ねえのように落ち着きなく、セイバーは首を横にふって、必死に何かを否定する。
 挙動不審。そんな言葉が頭をよぎった。というか、そうとしか言い様がない。
「……えーと……」
「そ、それでは、私は失礼します。しばらく部屋で瞑想をしますので、立ち入らぬようお願いしたい」
 彼女はそう言い捨てると、俺の返事も待たず、さっきより二割増しのスピードで立ち去った。
 …………部屋で瞑想って…………なんでさ?
「怪しいな……なんだってんだ?」
 セイバーが瞑想をするなら、いつもは道場だ。それ以外の場所でしてるとこなど見たことがない。
 部屋で何をするつもりなんだろう。

 ゴロゴロ…… ゴロゴロ…… ゴロゴロ…………

「お、それより先に洗濯物、洗濯物」
 セイバーへの追及は、あとでおやつと一緒に部屋へ行ってしてもいい。
 今はむしろ、夕立の脅威にさらされている洗濯物を救うのが先なのだった。





 ガシャラガシャーーーーン!!!
 まさに天地をゆるがす、という表現がぴったりくるほど、巨大な音が光と共に落ちてくる。
 家中の物をひっくり返したってこう大きな音は出まい。やかましいことこの上ないが、不思議なもので慣れてしまえばとくに気になることもなかった。
「子供の頃はけっこう怖かったけどなあ」
 お茶請けの準備をしながらカミナリを見る。空は金色の線でいくつかに分かたれ、たまに下界へ神の怒りのごとき一撃を下す。……あれ、どこかに落ちてるんだろうか。だったらやっぱり怖いな。
 今日のお茶請けはとっておきの、ポンデドーナツでいってみることにしよう。お茶はやっぱり夏でも熱い方がおいしい。
 お茶請けとお茶を1セットにして、セイバーの部屋へ。考えてみれば彼女の部屋で一緒にお茶を飲むのも久しぶりかもしれない。
 障子の外から声をかける。
「おーいセイバー、入るぞー」
 そのまま返事を待つが――――あれ?
 いつまでたっても返事はこない。
「…………いないのか?」
 念のため障子を開けてみる。部屋はやっぱりもぬけの空だった。
 おかしいな、さっきこっちの方に来たと思ったんだが。
 離れの別の部屋へ行ったんだろうか。
「―――いや―――違うな」
 この部屋からたしかにセイバーの気配がする。
 最近は彼女の鍛え方のおかげか、多少は気配を読む力が身についてきた。
 さすがに完全に気配を断たれてしまうとお手上げだが、珍しくセイバーの気は乱れているように感じて、つかむのはいつもより容易だった。
 その原因も気になるところだが、まずは彼女を見つけなければ。部屋のどこかに隠れているんだろうか。
 壁の向こうのどこかにいる可能性もあるが、廊下にはいなかった。
 隣にあるのはライダーの部屋。しかし彼女は今、バイトに行って留守にしている。主のいない部屋に無断で入ることなどセイバーはしないだろう。
 …………というか、無断で桜の部屋に入ったときの悪夢が思い出されるので、かなり真剣に誰にも入ってほしくない。
「ってことは、やっぱり部屋の中か」
 俺の部屋ほどではないが、セイバーの部屋も物が多い方じゃない。人が隠れられるような家具は皆無である。だとすれば、候補はただひとつ。
 俺は迷わず押し入れを開けた。
「セイバー…………なにやってるんだ?」
 押し入れの中には、少女が小さくなって、入り込んでゐた。
 スペースはまだ空きがある。自主的に体が小さくなっているのだ。
 セイバーは声をかけられるまで、俺がすぐ近くに来ていたと気づかなかったらしい。なぜか固くつむっていた目を開けると、驚いた顔で俺を見た。
「あ―――シロウ。いつの間に…………」
「いつって、部屋の外から声をかけたのに、答えがないからさ」
「そ、そうでしたか。気づかなかったのは不覚です。しかしシロウ、返事がない以上婦女子の部屋に勝手に入るのは――――、…………っっ!」
 話の途中でセイバーの体が硬直する。
 その様は犬の気配を察知して逃げ出さんとするウサギによく似ていた。
「…………? セイバー?」
「い、いえ、気にしないでくださいっ! そう、話の途中でしたね。ですから――――」
 ピカッ!
 窓の外を一際大きなカミナリが光る。
「〜〜〜〜〜〜っっっ!!」
 とたん、セイバーは身を竦め、目を固くつむってしまった。
 この反応、もしかして…………
「セイバー、カミナリが怖いのか?」
「な、人聞きの悪い事を言わないでくださいっ! 私は騎士であり王なのです。雷ごときに怯えるなど、女子供のような弱点は――――」
 ガラゴロドシャーーン!!
「ひああっっ!?」
 近くへの落雷の音に遮られ、威勢の良い啖呵が悲鳴に変わる。
 しかも反射的に彼女の両手が俺の服を握りしめた。
 なんだよ、やっぱり怖いんじゃないか。
 というか、女子供のようなと言うけれど、セイバーは女の子なんだからちっともおかしくない。
 ……まあ、たしかにあれだけいつも強気なセイバーが、カミナリなんてものに怯えるのは意外と言えば意外だ。しかし逆に彼女の怖がりそうなもので想像通りのものといえば、せいぜい兵糧責めぐらいしか思い浮かばない。
 セイバーは押し入れの一番奥へ逃げ込んでしまった。これでは会話がしづらいので、俺も押し入れの中へとお邪魔する。
「大丈夫か? 顔色悪そうだぞ」
「へ……平気です。このような苦境、何度も……切り抜けてきました。今回とて、きっと、…………」
 ゴロゴロゴロ…………
 ビクッッ!
 カミナリの音がするたびにセイバーは怯えている。
 彼女の弱点がわかればいざという時にからかえる、なんていつか思った自分が情けない。少なくともこんなに怖がってる彼女の弱点をつっついて遊ぶなど、今この時にできるわけないじゃないか。
「セイバー、無理するな。辛い時に意地張って一人で抱え込むなよ」
「む……大丈夫と言ったら大丈夫なのです。このような事で私は折れたりしない」
 セイバーは俺の言い分が気に入らなかったらしく、口を尖らせてなお我を張ろうとする。
 ああもう、なんだってこいつはこんなに強情なんだっ。
 さっきまで身を小さくするために丸めていた背中を伸ばし、セイバーは押し入れの中でなんとか正座した。ただし、なぜか片方の手は俺の服を握ったまま。
「先程も言いました通り、私は瞑想をします。少し静かにしていただきたい。よろしいですね」
「そりゃいいけどさ…………」
 落ち着けるのか、こんなにカミナリが近いのに。

 ゴロゴロ……
 ――――ぴくっ。
 ゴロゴロゴロ…………
 ――――ぴくくっ。

 ダメだ。カミナリの音がするたびに、集中は乱れてしまっている。
 たしかに完全に集中してしまえばカミナリの音ぐらいどうってことないのだろうが、そこまでいく前にカミナリが鳴ってしまう。そもそも静かにしてたら、よけい音が聞こえてしまいそうなもんだけど。
 彼女自身言い訳ができないぐらい体がそわそわするようになった頃、いいかげん見かねて声をかけた。
「セイバー、もういい。その方法はたぶん駄目だ」
「ううう……修行不足です……」
 セイバーは悔しげに唇を噛む。修行でなんとかなるもんならさせてやりたい気もするが、たぶんどうにもならないだろう。
「となると、あとは――――」
 考えながら、セイバーを見た。若干潤んでいる緑色の瞳。それでも泣き出すのを必死にこらえている。いなくなったりしないのに、俺の服から離れない握りしめられた小さな手。
 いつもだって十分女の子なのに、その姿は普段よりさらにかよわい女の子で。
 どうしたって、放っておけないと思わせられた。
「セイバー」
 名前を呼ぶ。彼女の意識をこちらに向けさせるために。
 そのまま、返事も待たずに顔を寄せた。
「え…………?」
 いつもより弱々しいセイバーの顔が近づいてくる。
 こんな頼りない顔を彼女にさせていられなくて。俺が守ってやりたくて。
 前振りもなにもなく、いきなり、けれどできるだけ優しく唇を重ねた。
「――――――――」
 突然のことに驚き、目を見開いたままのセイバーの顔。
 思考もフリーズしてしまっているのだろうか。まったく動こうとしない。
 ただ唇をくっつけるだけの口付け。数秒の間をおいてから、そっと離れる。
「あ――――シ、シロ――――っ!?」
 セイバーが正気に戻る前に、今度は目をとじてキスをした。
 普段柔らかいと思ってる彼女の肌よりもなお柔らかい唇の感触を、自分の唇で感じる。
 もっと貪れという衝動をおさえこみ、じっと彼女の唇を味わった。
 …………ただ、ひとつだけ。悪戯心が湧き上がる。
 セイバーの上唇を、少しだけ唇で甘噛みしてみた。
「ンッ――――!」
 俺の服を握っていたセイバーの手に、ギュッと力が込められる。
 もう二、三度甘噛みを繰り返し、名残惜しいが唇を離す。
「シ――――シロウ――――」
 目蓋を開けて最初に見たのは、顔を真っ赤にしているセイバー。
 目の端に涙が浮かんでいるような気もするが、その顔にさっきまでの弱々しさはすでにない。
 ――――その顔が紅潮しているのは、照れているのか怒っているのか。
 とりあえず、下手に出てみることにする。
「あー…………その。どうだ、カミナリ、気にならなくなったか?」
「…………酷いです。こんな事をされてしまっては――――」
 貴方のこと以外考えられなくなるのは当たり前ではありませんかっ――――
 セイバーは悔しそうな、拗ねているそぶりで小さくつぶやいた。
 ちょっとやりすぎただろうか? いきなりだったしなあ。
「セイ――――」
 突然の蛮行に謝ろうかと伸ばした手が。
 彼女が俺の胸に飛び込んできたことによって、空ぶりに終わる。
「え?」
「…………責任をとっていただきます。雷が終わるまで、しばらくこうしていてください」
「あ、あー、うん…………」
 別にかまわないが。どういう理屈なんだろう?
「自分の心音を聞いていれば、雷の音など聞こえません。この高い心音を維持するために、シロウの協力が必要なのです」
 見ればセイバーの顔はまだ赤いままだった。つまり自分の心音でカミナリの音を打ち消すから、こうやってセイバーをドキドキさせていろ、と言いたいのだろうか。
 …………正直に言って、すごく嬉しい。セイバーが俺に抱きしめられてドキドキしてる、なんて考えると。
「――――わかった。セイバーが満足するまで、な」
 カミナリが去るまで、とはあえて言わなかった。





 ただし。
 セイバー自身の心音より、俺の心音の方が彼女にはよく聞こえるんじゃないかって、少し心配になったりもしたけれど。






 お題その18、「入道雲」。
 雨に降られる系のネタは結構数出てるので、雷でいってみました。うちにしては珍しく、っていうか初めてでしょうか? キス書いたの。うーむ、やはりネタ練りの直前に、年齢制限つき同人誌読んだのが原因か。
 セイバーが言ってた私にもある怖いものって、結構単純なもののような気がしませんか? 雷とか地震とか。行軍が日常の人だから、さすがに虫とかはないと思いますが。




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