「わーーーーーーーーーぁぁぁ!!!」 イリヤスフィールのあげる歓声が静かな夜に響き渡った。 その声に驚いて、彼女の足下を照らす光がふわりと舞い上がる。空へと上る光を白い少女は目を輝かせながら見つめていた。 やがて周りの光が遠くの方へ飛んでいってしまうと、今度は別の場所にいる光を追いかけて走り出す。 「イリヤ。走ると危ないぞ」 「わかってるー!」 自他共に認める彼女の兄が忠告するも、とてもわかっているような勢いではない。 しかしそれも無理はないだろうとセイバーは思う。 彼女だって実はひそかに興奮しているのだ。この光景には。 「まったく。なんだってこんなとこまで、わざわざ蛍なんか見に来なきゃいけないのよ。心の贅肉だわ」 セイバーの隣でブツブツと文句を呟いているのは相変わらずの服装をした遠坂凛。士郎がこの場所は虫が多いからとどんなに説得しても、決してミニスカートをやめようとしなかった強者だ。そのあたりは虫よけスプレーで完全防備である。 そしてさらに隣にいる赤い騎士が皮肉げに主へ注進した。 「などと言いつつ、君はかなり積極的にここへ来たではないか」 「なによ。わたしのどこが積極的だったっていうの?」 「集団の先頭、とまでは言わずとも、前半分の中にいるのは十分乗り気の証拠だと思うがね。 虚勢を張ることが必要な時もあるが、たまには素直になったほうが女性らしいぞ」 「ふん、そういうアンタこそ冷静ぶって後ろにいたくせに、実は早く行きたくてウズウズしてたんでしょ?」 やいのやいのと皮肉の応酬を交わす二人は息がピッタリだ。仲が良くて結構なことである。 そんな光景を視界の端におさめながら、セイバーは眼前に広がる景色にひたすら見惚れていた。 森のあちこちが光っている。 色は全てぼんやりと緑色。まるで彼女を夢の世界へ誘うように、一定の間隔で明滅をくりかえす。 話には聞いていたが、まさかこれほどとは――― 「どうだ、セイバー? けっこうキレイだろ」 「…………驚きました。シロウから話を聞いた時は、にわかには信じられませんでしたが。 たしかにこれは――――本当にこの光を虫が発しているのですか」 「ああ。これが日本の風物詩の、蛍って虫だ。最近は開発が進んでるから、こんなとこまで来なきゃ見れないけどさ」 愛しいはずの彼の声も、今はどこか遠くに聞こえる。五感の全てから現実感が消えてしまったようだった。 深山町から車に乗ること30分。趣は違えどアインツベルンの森のように深い山の中にはいり、ようやく車を降りてみれば、そこはすでに幻想世界であった。 初めて見る不思議な景色にただただ息を飲む。 「美しいですね――――」 「そうだな。昔はもっとすごかったらしいけど」 「もっと……? これよりさらにすごかったというのですか?」 「雷河爺さんや一成の親父さんが子供の頃は、一面に蛍がいたらしいぞ。蛍を捕まえていろんな遊びをしたって聞いたことがある。 今は蛍も珍しい虫になったから、持ち帰ったりしないのがマナーなんだ」 ……む。それではあれは、止めた方がいいのだろうか。 「シロウ。やはりあれも、いけない事でしょうか」 「ん?」 二人で視線をセイバーの指さす先へと移す。そこではイリヤスフィールが蛍に向かってそろそろと進んでいた。 「あー、本当はただ捕まえるのも良くないんだけど」 初めて蛍を見たら、やってみたくなる気持ちはわかる。だから手にとるだけなら止められない、と彼は言い、 「おーいイリヤ。蛍はそっと捕まえるんだぞ。殺しちゃダメだからな」 「わかってる。静かにしててシロウ」 そろそろ、そろそろとゆっくり少女は蛍に近づく。そしてパッと両の手をかぶせ、小さな虫を虜にした。 小さな手の隙間から、小さく緑色の光がもれる。 その美しい光景はまさしく神話の世界の1ページのようだった。 「見て見てシロウ。わたしの手が光ってる!」 獲物を捕まえたネコのように喜び勇んで戻ってくる少女の頭を、士郎が優しく撫でる。 「うん、よかったな。弱らないうちに早目に放してやるんだぞ」 「はーい!」 イリヤスフィールは他の皆にも捕まえた蛍を見せに走っていった。素直にほめる者、子供っぽいと笑う者、しかし皆の顔は一様にほころんでいる。 一通り見せると、少女はそっと手で作ったカゴを壊し、捕らわれた存在を解放した。虜囚はしばし戸惑っていたが、数瞬の後に漆黒の空へ舞い上がる。 自らの自由と宴の続きを謳歌するように。 「あ…………シロウ」 「お、こっち来たな」 イリヤスフィールの手から飛び立った蛍はふわりふわりと宙を舞い、セイバー達の方へとやって来た。 そして彼女の足下、すぐ近くにいた別の蛍の傍へと降りる。 やがて二匹は交互に光を放ち始めた。少しタイミングをずらして光るその様は。 「まるで会話をしているようです。何を話しているのでしょうか?」 「セイバーすごいな。ほとんど当たってるぞ。蛍ってのは元々、結婚相手を見つけるために光るんだ」 「む。シロウ。蛙の時も同じことを言っていませんでしたか?」 「う……そんな事言ったってしかたないだろ。ほんとのことなんだから」 たしかに動物の生態など彼の責任ではない。 足下の蛍はいまだ同じリズムで明滅をくりかえしている。 この森でほとほとと光る虫たちは、皆愛を囁き合っているのだろうか。 「だとしたら、私はこちらの方が好みです。 声に出すより静かな想いを伝える方が良い」 「『声はせで身をのみこがす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ』ですか? セイバーさん」 いつのまにか隣に来ていた少女の存在に、声をかけられて気づく。 そこには彼女の名と同じ名を冠した色の服を着た少女が立っていた。 「桜。それは何ですか?」 「これは和歌と言いまして、えーっと、昔の人が作った、そうですね……詩の一種、と言えばいいでしょうか。先輩、説明できますか?」 「すまん、俺は出典すらわからない」 「ほら、源氏物語ですよ。玉鬘の君の」 「――――――」 士郎は黙り込んでしまった。どうやら心当たりがないらしい。 「それで、今のは蛍とどういう繋がりがあるのでしょう」 「この歌はある人が、『鳴く声のない蛍の光でさえ他人が消すことはできない、それくらい私の想いは深いのです』と詠ってきたのを、『物を言わぬ蛍の方が口に出せぬ分貴方より深い想いを持っているのでしょう』とお断りした時のものなんです。 この国では、昔の位の高い人たちは、こうやって和歌で気持ちを伝えあったんですよ」 なんとも驚きだ。つまり貴族のたしなみということか。 それにしても自分の想いを蛍に投影するとは、また優雅な話である。 口にできないからこそ、想いは強い。 「なるほど、たしかにそうかもしれません」 納得してひとつ頷き、セイバーは桜の方を見る。 桜はこちらを見ておらず、じっと隣の少年を見つめていた。 しかし少年も桜を見てはいない。いまだ蛍の光る景色を見ている。 (なるほど――――たしかに) 口に出さない想いは、強いようだ。 桜はまだ士郎を見つめている。その横顔はどう見ても、恋する乙女の顔にしか見えない。 …………セイバーが桜の想いに気づいたのはいつだったろう。 士郎と結ばれてからかもしれないし、もしかすると最初からだったのかもしれない。 つまりそのくらい前から、少なくともセイバーが士郎と出会った頃にはすでに、桜は士郎を好きで。 ずっと前から想い続けてきたということだ。 自分が彼を好きな気持ちは疑いようがなく、また誰にも譲るつもりはないが、それでも、時に桜の士郎に対する想いは自分よりも大きいのではないかと感じることがある。 (しかし、想いは伝えなければ、相手が知っているかはわからない) 人は万能ではない。 口に出さない想いはたしかに強くなるだろう。 しかし伝えなければわからないこともある。桜は士郎に自分の気持ちを伝えていないから、士郎が桜の気持ちに気づいているかはわからない。また士郎も桜の気持ちに気づいてるのか伝えていないから、士郎が気づいているのか桜やセイバーにはわからない。 物言わぬ蛍ですら、相手に想いを伝えているというのに。 …………自分は。 ちゃんと、伝えているだろうか。伝わって、いるだろうか。 知って欲しいと思っている想いを、誰より知って欲しい人に。 (私は――――) いつも、伝え方が不器用だった。 なんと言えばいいのか良くわからないし、わかったところでプライドや照れくささが邪魔をして、うまく言葉として出てこない。 しかしこの小さな虫たちのように、想いを伝えるには言葉でなくとも良いはずだ。
「――――――――」
お題その19、「蛍のいる夜」。カエルの時のような、と言ったらホントにカエルの時と同じオチになってしまって猛反省。 |