最高気温、32度。今日も暑い。
――――じ〜わじわじわじわじわじわじわじわ
静けさや、岩に染み入る蝉の声なんて言ったのはどこのどいつだ。岩に染み入るどころかとっくに許容量を超えて外に漏れだしたセミの声は、うるさくてうっとうしいことこの上ない。嫌が応にも暑さを冗長させる。
当然だ。今は夏なのだから。むしろ暑くない夏など夏ではない。
…………そうとわかっていても、暑いものは暑い。
「あー……今日のおやつはかき氷にでもするかな……」
――――――と、漏らしたのが一時間半前。現在の時刻は午後二時。
その間、ずっと。
そわそわそわそわそわそわそわそわそわそわそわそわ
貧乏ゆすりなどといったはしたないことはしてないくせに、雰囲気だけで落ち着かないことを伝えてくる人物がひとり。
緑色の瞳は時計と俺と、部屋の何もない空間をせわしなく行き交っている。
「あのさ、セイバー」
「なんでしょうかシロウ」
答える声には抑揚がない。……いや、余裕がないんだろう。簡単に言って、心ここにあらず。
彼女の横でテレビを見ていたのだが、ずっと針のむしろにでも座っている気分だった。
別に責められているわけじゃないから、針のむしろという言い方は間違いかもしれない。でもすごく居づらい。
「その、少し早いけど、おやつにしようか?」
「っっ!? …………いえ、それはいけません。おやつは3時にいただくものです。
間食ひとつとっても、規則正しい生活をしなくては正しく精神を保つことが――――」
うんぬん、と人としてあるべき姿を語り出すセイバー。相変わらずの頑固っぷりだ。
彼女の融通が効かなくて困る点はこれである。セイバーはおやつを我慢してるし、俺はそんな彼女の傍にいるのが居たたまれない。だから早めにおやつを食べよう、という提案に、規律が先に立って頷くことができない。誰かが損をするわけでもないというのに。
たまに困るよなあ、と以前グチったら、シロウに言われたくはありませんと倍になっていかに俺が頑固者かとお説教を食らったので二度は言ってない。むう。俺そんなに頑固か?
「――――であるからして、きちんとした生活はとても大切なのです。健全な精神は健全な肉体に宿るとも言います。土蔵で寝てしまうというシロウの癖は――――」
お説教は俺の生活態度にまで言及している。なんとなく3時までの気を紛らすために長々と言ってるように感じるのは気のせいだろうか。
ともかくこのままでは埒が明かない。こういうときはアプローチを変えてみるにかぎる。
「――――つまり、肝心なのは自ずから心掛けを、って聞いているのですかシロウ?」
「あ、そうだ。今日は大量に買い物しなきゃいけなかったんだ」
「――――――はい?」
唐突にお説教を遮られ、拍子抜けしたセイバーの声がもれる。ウソではない。そろそろ買い置き品を買い込みたかったところだ。
それにこの間見た商品も、本日のおやつのために買っておきたい。
「セイバー、よければ手伝ってくれないか。帰ってきたらお礼にかき氷作るから」
「!!」
ぴくんっ、とセイバーの肩がふるえる。どうやら心の琴線に触れたらしい。
「…………わかりました。シロウを守る剣となるのが私の務め。
買い物でも見事務めを果たしてみせましょう」
コホンと小さく咳払い。しかし今、本当の比重は、俺よりかき氷だろう。
まったく、本音が見え見えのくせに建前をつけるなんて素直じゃない。
けれどそんなところも可愛いと思えるあたり、惚れた方が負けという言葉は真実だなと思った。
帰宅して荷物を整理すると、すぐにかき氷の用意にとりかかった。
とはいってもそれほど時間のかかるものじゃない。セイバーお気に入りのペンギン型かき氷機と、皿。あと材料の氷とシロップを取り出すだけ。
しかし今回は、セイバーを驚かせる秘策がひとつある。
「シロウ。これは――――」
セイバーは驚きと感動に充ち満ちた目で、買い物袋から取り出したシロップを見つめた。
色とりどりの液体に目移りし、そのうち目を回してしまいそうだ。
「シロップだよ。かき氷の」
「シロップ――――これが全て、かき氷の味つけ用だというのですか」
「そう。赤がいちごで緑がメロン。黄色がレモンで青がブルーハワイ。白いのはミルク、オレンジはみかんだな」
目の前に並ぶ六つの色に、セイバーはまだボウッと意識を奪われていた。
さっきの買い物で買ってきたのは、よく売っている大瓶ではなく二、三回食べればなくなってしまいそうな小瓶のシロップだった。これなら色々な味をそろえて選ぶ楽しみができていい。
「むむむ…………私はどれを選べば…………」
……どうやら先日の砂糖入り抹茶味しか食べたことのないセイバーにとって、六択というのは難問だったようだ。眉が吊り上がっている。
「まあゆっくり決めてくれ」
とりあえず、氷が削り終わるまでに。
ペンギンの腹の部分に皿を置き、てっぺんの取っ手を回す。氷の削れるシャリシャリという音がとても涼しげだ。かき氷は作るのも楽しい。
セイバーも氷を削る音が聞こえたのだろう。睨み付けるように見ていたシロップからかき氷機の方へ視線を移し、氷が削り終わるのを今か今かと待ちわびている。
「かき氷といえばシロウ。その後、獅子の型の機械は見つかったでしょうか」
「ああ、そういえば…………ん、悪い、覚えがないや」
「そうですか。残念です」
平静を装っているが本当に残念そうなセイバー。やはりひそかに楽しみにしていたんだろう。
考えてみれば、おそらくかき氷機にペンギンの型を使うのは涼しさを増すためだ。南極を連想して少しでも涼しくなろうっていう製作者の考えだろう。同じ理由で白クマも対象になる。
しかしライオンを見たって、あんまり涼しいイメージには結びつかない。それが他の動物型のかき氷機をあまり見ない理由ではあるまいか。
とはいえセイバーが欲しがってるのはたしか。今度投影で作れないかやってみようか。
中身のできない外側だけになる可能性もあるが、その時はスタンダードな型のかき氷機にかぶせるカバーぐらいにはなるかもしれない。
「シロウ、どうしたのです? 手が止まっていますよ」
「へ? あ、悪い」
いつの間にか考え事の方に夢中になっていたらしい。氷を削る動きを再開する。
セイバーは皿に削られた氷がたまっていくのをじっと見ている。待ちきれないという気持ちを全身にみなぎらせて。
まもなく一人分の氷がたまり、セイバーの瞳が輝きを増す。
「はい、お待ちどう。セイバー、どの味をかけるか決まった?」
「そうですね――――。シロウ、最も一般的なのはどの味なのでしょうか」
「うーん、一番ポピュラーなのといったらいちご味だと思うけど」
「ならば私はそれにします。皆に好まれるのならば、好まれるだけの理由があると思うのです」
まあたしかにいちご味なら無難だろう。なんといってもハズレがない。
白い氷の山に赤いシロップをかけると、色を吸って氷が赤く染まっていく。おお、と歓声をあげながら見つめるセイバー。
「よしできあがり。ほら、セイバー」
「ありがとうシロウ。ではいただきます」
セイバーはさっそくスプーンを手にとる。いつも食事の前に見せる、冷静な顔で雰囲気だけ期待してるといった表情がすでに顔には出ていた。
「急いで食べて、また頭痛くするなよ」
「む……シロウは私を馬鹿にしているのですか。私は滅多なことでは何度も同じ過ちを繰り返したりしません」
だって仕方ないじゃないか、あんなにわくわくした目で見られたら、すぐにでもかっ込みそうに見えたんだから。
眉をよせて彼女は拗ねる。本気で睨まれると怖いけど、こんなふうにちょっと甘えたように睨まれると、怒ってるんだってわかってても可愛い。
言葉通りセイバーはシャリシャリと赤い山を崩しては食べ、崩しては食べとゆっくりした食べ方でかき氷を攻略してゆく。おおむねいちご味に満足してることは、その表情を見ればわかった。
俺も自分の分を削って、緑色のシロップをかけてみる。
「シロウのはメロン味ですか?」
「ああ。セイバーがいちごなら、俺は違う味にしてみようかなって」
一番よくシロップのかかっていそうなところをすくって、まず一口。とたん冷たい感覚が舌から脳天へつき抜けた。
暑さでうだっていた頭がスッキリしてくる。うん、やっぱり夏はかき氷に限るな。
食べ物から涼を取る、といった優雅なヒトトキに心から感謝する。
やがて、山が半分ほど崩れた頃。
なにげなく前に座っている彼女へ目を向けた時。
「………………………………………………………………」
「ん?」
あんぐりと。
大きな瞳をさらに大きく、こぼれるんじゃないかってぐらい見開かせてセイバーは言葉を失っていた。
手に持っていたスプーンはとっくにテーブルに落ちてしまっている。
「どうした、セイバー」
「シ……………………シロウ……………………
舌はっ…………その舌は、どうしたのですか…………?」
唖然、呆然。そんな言葉がよく似合う口調で、セイバーはなんとか言葉を絞り出した。まるで何か悪いことでも起こるのを必死に耐えているような、懸命に冷静さを保とうとしているような声で。
――――って、舌?
「ああ、これか」
んべろ、と舌を出してみると、舌は緑色に染まっていた。
なんのことはない。
「今食べてたかき氷のシロップの色がついたんだよ。ほら、同じ色だろ」
「そ、そうでしたか……。驚きました。もしや何か悪い病気にでもかかったのではないかと――――」
セイバーはいかにも安心しましたという風にホッと全身の緊張を解く。
たしかにこの色、なんか体に悪いもんでもできたような色だもんな。もちろんレモンの黄色や、ブルーハワイの青も同じだ。健康的というか違和感のないものといえば、セイバーが食べているイチゴの赤ぐらいなもんだろう。
そうそう、ちょうどそんな感じの色で――――って、え゛え゛ぇぇっ!?
「んー…………」
気が付けば、セイバーも自分の舌を半分ほど出して、色を確認していた。
シロップの赤色に染まり、いつもより赤味の強い舌がいつもより艶めかしく見える。普段のピンク色は健康的なのにちょっと赤くなるだけでなぜこうも魅力的に映るのだろう。女性の口元が赤くなるのは蠱惑の魔術でも仕込まれているのではあるまいか。
赤に吸い寄せられるようにセイバーへ近づく。
「……シロウ……?」
途中でセイバーが気づく。でも止められない。
自分へと近づいてくる俺の目的がわかったんだろう。目を丸くしてこちらを見、少し慌てたようだったが、すぐにわずかに潤んだ瞳で見つめ返す。まるで何かを期待しているみたいに。
「セイバー…………」
「シロウ…………」
名を呼び合う。顔を近づける。唇をよせる。
きっとセイバーの舌は、いちごのシロップよりもなお甘い味がするだろ――――
「あーあっつい暑い。こんなに暑いのになにやってんのよ、アンタたちは」
「わあ、かき氷で涼んでたんですか? 美味しそうですね、羨ましいなあ」
がんッッッ!!!
後頭部に激痛が走り、目の前には久々に星が飛んだ。
聞こえたのは遠坂と桜の声。くそっ、なんて間の悪さだ。
自分の身に何が起こったのか知ったのは、クラクラする意識をどうにか繋ぎ止め、何かを突き飛ばしたポーズのまま硬直しているセイバーを見た後だった。
「ななななななんのことでしょう!? わ、私は別に、シロウとふしだらな事をしていたわけではありませんが!?」
「あれ? もしかしてお邪魔だった?」
「姉さん、勘繰っちゃ失礼ですよ。なにもないって言ってるんですから。ねえ?」
そっくりな意地の悪い笑い方で笑う姉妹。
……………………いや、間が悪いなんてもんじゃない。
「お前ら……いつから見てたんだ…………」
「あら、わたしたちが覗きなんてしてたと思うの? セイバーが衛宮くんの緑色の舌に驚いてるところなんて見てないわよ」
「ええ。そんなふしだらな事をしていたわけではありませんから。先輩とセイバーさんがキスしようとしたところなんて知りません」
「やっぱり見てたんじゃないか…………」
そして絶妙のタイミングで踏み込んできたに違いない。まるで裏取引の現場を取り押さえる警察のように。
とはいえ文句を言うわけにもいかないだろう。――たしかに公共の場である居間ですることじゃなかった。
セイバーが真っ赤になったまま慌てて体裁を取り繕う。
「そ、そうだ、凛と桜も食べませんか? シロウの作ってくれたかき氷は冷たくておいしいですよ」
「そうね、いただくわ。熱い二人を見てたらこっちまで暑くなっちゃったし」
「いいですね。かき氷を食べたらわたしもキスしてもらえるでしょうか?」
――――いぢめっ子どもめ。
「……………………ちょっと歯みがきでもしてくる」
どうにもいたたまれなくなって、逃げるように居間を後にする。
戦略的撤退を果たす俺の背中を、女性陣の会話が追いかけてきた。
「へえー、ずいぶんいろいろ種類があるのね、最近のシロップは」
「り、凛と桜はどれにしますか?」
「そうですね。わたしはレモンでお願いします」
「じゃあわたしはアップルにしようかな」
「…………凛、りんご味のものはこの中にはないようですが」
「え、ないの? 姉妹の夏はわたしがアップルで桜がレモンなのに!」
「なんの話ですか?」
――――ちなみに。
俺が戻ってくるころには、俺が食べてた分も含め、かき氷は影も形もなくなっていたことだけをつけ加えておこう。
お題その23、「カキ氷食べる?」。
昔よくこーゆう寸止めを書いていたことを思いだし、久々に書いてみる。
その名も「生殺し」。登場人物と読者様の両方を悶々と焦らす、非常にサディスティックでいぢめっ子度の高い技です。
こないだキスしたので、今回はおあずけ。まー前回と違い今回キスしてたら、唇なんかじゃなくもっとディープな舌の入ったヤツになってただろうけどネッ!←こうやって煽るのも生殺しの技
あ、ついでに解説。アップルとレモンはシスターズのサマーなのです。念のため。
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