「うわ。しまった」
 和ダンスの上に置いてあった箱を何気なく手にとり、中を覗いてみたとき、思わず出た第一声はそれだった。
 俺の言葉を聞きとがめて、居間でお茶を飲んでいたセイバーが声をかけてくる。
「シロウ。どうかしたのですか?」
「いや、大したことじゃないんだけど……」
 手の中にあったものをセイバーに見せる。すると彼女は目を丸くした。
 中にはガラス製のちょっと潰れた球体と、鉄製の寺の模型のような形の物が並んで入っている。
「シロウ。これは?」
「これは風鈴って言うんだ。でも今見つけてもなあ…………」
 暦はすでに9月。風鈴を出すにはずいぶん遅すぎた。
 これは来年に回そう。来年は忘れないようにしなきゃな。
 そう思って特に未練も感じず、さっさと片づけようとしたんだが、見ればセイバーは興味津々に風鈴を眺めている。
「…………セイバー、風鈴が気になるのか?」
「はっ!? いえ、その――ええ、そうですね。正直なところ気になります。
 これはどのような道具なのですか?」
「これを軒先とかに吊しておくと、涼しげないい音がするんだ。で、それを聞いて暑さをまぎらわす」
 彼女が興味あると言うのなら、少しだけ風鈴にお出まし願おう。
 そして取り出した時、なぜセイバーが風鈴を気にかけたのか理由がわかった。
 ガラス製の風鈴には、可愛らしい金魚の絵がついている。
 相変わらず可愛いもの好きなんだな。そう思うと自然と顔がにやけた。
「シロウ? 頬がゆるんでいますよ」
「ああ、ちょっとな」
 セイバーは、むーと不満そうに俺を見た。自分が馬鹿にされてると誤解したのか、俺がなぜ笑っているのかわからなくて面白くないのか。
 それでもガラスの風鈴を手渡してやると、そちらへ興味を移ししげしげと眺めはじめる。
「―――なんとも不思議な。ガラスに絵が描いてあるように見えます」
「見えますっていうかそのまんま。ガラスに絵を描いてあるんだ」
「しかしそれでは、画材が落ちてしまわないのですか?」
「それはガラスの内側に絵を描いてるから、ちょっとやそっとの雨風じゃ落ちないんだよ」
「なんと…………」
 セイバーは感心しきりな様子で、いろんな角度から風鈴を見ている。そのうち、風鈴の本体と風を受ける短冊の部分が触れ合って、カチリと音をたてた。
「…………? シロウ、この風鈴から出ている長いものは何でしょう」
「ほら、ここが長いと、風を受けやすくなるだろ」
 風鈴は風の力で涼しい音を出すものだ。
 ちょっと貸してくれと言ってセイバーの手から風鈴を取り、正しい形に手で吊す。息を吹きかけてやるとチリンと小さく澄んだ音がした。
 おお、とセイバーが感嘆の声をあげる。
「素晴らしい……こんなに可愛らしい上にきれいな音を出すことができるのですね」
「きれいな音、っていったらこっちの南部風鈴だって負けてないぞ」
 箱からもうひとつの風鈴を取り出して彼女に見せた。
 ガラスで出来た江戸風鈴と違い、南部風鈴は金属で出来ている。当然音も違うわけだ。
 同じように試しで音を出してみると、金属製の軽やかで透明な音が響きわたった。
「俺は音ならどっちかっていうとこっちの方が好きかな」
「ええ、わかります。この音にもまた、独特の味わいがある」
 嬉しそうにセイバーはもう一度ずつ風鈴の音を鳴らし、両方の音を噛みしめるように少しだけ目を閉じた。
「それにしてもシロウ。どうしてこの道具が、先ほどの『しまった』という言葉に繋がるのですか?」
「だって今からじゃ風鈴の出番はないだろ。そろそろ涼しくなってきたんだからさ」
 暑い季節に聞くからこそ、風鈴の音は真価を発揮する。涼しい季節に聞いてもただキレイなだけで、あまりありがたみはない。
「そういえば――もうじき秋になるのですね」
 セイバーが庭へと視線を移す。外ではつい先日までこの時間も明るかった空が、すでに薄暗くなりつつあった。
「言われてみれば、空気が過ごしやすくなってきました。朝夕も涼しい」
「みんなクーラーのある部屋にこもる回数も減ったしな」
「……ここしばらくかき氷も食べていないように思います」
「はは、わかったわかった。じゃあ今日のデザートはかき氷の食べ納めにしようか」
「シロウ! そのようなことを催促したのではありません!」
 無念そうに言ったセイバーの先を促してやると、真っ赤になって怒られた。彼女の場合単なる照れ隠しか、それとも腹ぺこ扱いされて怒っているのかは微妙なところだ。
 だんだん話がズレてきてしまったので、ここらで修正しておく。
「まあともかく、もう時季はずれになったってことで。
 来年は忘れずに出そうな、風鈴。ちなみにセイバーはどっちがいい?」
「は? 私が選んでも良いのですか?」
 ひとつ頷くと、セイバーは目を輝かせて感謝の意を表した。
 大きく深呼吸をして、きりっとした表情で2つの風鈴に相対する。
 手に取って正面から裏から眺めてみる。振って音を鳴らしてみる。さわって手触りを確かめる。
 何度も何度も同じことを繰り返してるうちに、だんだんと顔が険しくなっていった。かなり悩んでるみたいだ。
 ―――ただ険しい顔とはいっても、悩んでる理由が理由だから、どうしても可愛く見えてしまう。
「……むむ……こちらの江戸風鈴の方は見栄えよく愛らしく…………こちらの南部風鈴は音色の響きが美しい…………私はどちらを選べば…………」
 むーむーとうなりながら2つの風鈴を交互に見……どちらかと言えば睨み付けるセイバー。
 これは答えが出そうにないな。
 彼女の頭の血管が切れる前に止めようと、セイバーの手から風鈴を二つとも取り上げる。あ、と驚いたようなセイバーの顔。
「まあゆっくり悩んでくれ。来年までに決まればいいから」
「そうですか…………」
 セイバーは気勢を削がれたのか、それとも今決めたかったのか。なんとなくしおれてしまった。
 名残惜しげに風鈴をもう一度見て、
「しかしシロウ。今からでも一日くらい出してみて、それぞれの風情を確認しても良いのでは?」
「もう少し早ければそれでも良かったんだけどな。今はやっぱりもう遅いから来年にしよう」
 なんたってすでに別の音が風鈴に代わって席巻しているのだ。
「他の音? それはなんでしょう?」
 不思議そうな顔をしているセイバーへの返答は、庭を指さすことで示した。

 ―――― りー りー りー りー

「あ…………」
 庭のあちこちの木陰から聞こえてくる、小さな声。彼女もそれに気付いたようだ。
「そういえば先日からよく聞こえてきます。シロウ、これは何なのですか」
「コオロギっていう虫の鳴き声だよ。これが聞こえるようになると、もう秋なんだって気がするよな」
 夏の虫であるセミとは違って、秋の虫の声はひたすら風流だ。
「秋を告げる声、というわけですか。この国は本当に季節が雅ですね。夏が終わるとゆっくり秋へ移り変わる」
「ああ。もう夏も終わりだな……」
 セイバーは目蓋を閉じて虫の声に聞き入っている。
 そんな彼女の横顔をもう少し眺めていたかったけど、俺もセイバーにならって目を閉じてみることにした。

 ―――― りー りー りー りー

 夏の終わり。長くなった夜の時間。
 それでも、この虫の声を二人で聞いていれば、退屈とは無縁に思えた。






 お題その26、「夏の終わり」。
 夏の終わりってどんなんよ。夏ネタはもうこれ以前のでたっぷりやったじゃない。
 ってことで、いちおーまだ出てない夏ネタと、これから先のお題で出てない秋ネタをくっつけてみる。うまいこといったか不安でござる。




戻る