いつも通り学校で一成の手伝いを終えると、空は朱色に染まっていた。
 そんなに遅くなったつもりはないのだが、秋の日はつるべ落としというやつだろう。家に帰り着くころには暗くなっていそうだ。
 もっとも日の落ちる時間が遅くなったからって何が困るわけでもない。女の子なら物騒だということもあるだろうが、男の俺にはあまり関係のない話である。……暗くなってから女性の後ろを歩いたとき相手が早足になったりすると、なんとも言えぬもの悲しさを感じたりはするが。
 うん、やっぱり用事もないことだし、寄り道はせずに帰ろう。ああ、でもお茶請けのどら焼きはまだ残っていただろうか。
 そんなことを思いながらのんびり昇降口まで歩いていくと。
「――――シロウ」
 聞き慣れた、けれどここで聞くとは思わなかった声に呼びかけられた。
 どこか安堵のにじんだ、美しくもあたたかい声。
 校舎の中ではなく昇降口の外で待っていたのは、生徒でない身分を遠慮してか。
 彼女がここにいることに驚いて、こっちはつい素っ頓狂な声を出してしまう。
「セイバー!? どうしたんだ、こんなところで」
「シロウを待っていたのです。キャスターから、今日はおそらく一成ともども遅くなるだろうと聞いていましたので」
 セイバーは時々キャスターに呼ばれ、彼女の内職の手伝いをしているという。たしか今日も呼ばれていたはずだ。
 そのキャスターから、今日は一成が俺に手伝いを頼むと聞いたんだろう。
 セイバーが寺から出るまで一成が帰ってこなかったから、俺もまだ帰ってないと判断して迎えに来てくれたわけか。それもたぶん寺から直接。
「だけどセイバー。俺がいつ終わるかわからなかったんだろ? もしかしてずいぶん待ったんじゃないのか?」
「そんなことはありません。私がここに着いてからそれほど時間は経っていませんから」
 穏やかな顔でセイバーは言うが、さっきの安心した顔からするとかなり待ってたんじゃないだろうか。少なくとも、俺がもう帰ってしまったのでは、と不安になるぐらいには。
 けれど彼女がそれを認めない以上、俺にかける言葉はないわけで。
「…………そっか。
 それじゃあ帰りに大判焼きでも買って行こう。みんなには内緒だから買い食いだけど」
「な…………良いのですかシロウ?」
「ああ。セイバーが迎えに来てくれたお礼だからさ」
 言葉の代わりに、定番だけど物で返すぐらいしかできないのであった。




 校門を出ると朱色の空が真っ赤になっていた。
 学校前の坂道を二人で下る。……いつかも歩いたような気がする。夕暮れの中、彼女と二人で、この道を。
 けれどあの時に比べて、空の色はずいぶん濃くて。
「――――すごいですね。これほど赤い空は珍しい」
 考えていたことをセイバーに言われ、胸の中を彼女に見透かされたような気持ちになった。
 セイバーも感慨深げに、夕陽色の燃えるような街を見下ろしている。
 …………ふと、ひとつの言葉が口をついた。
「何かあったのか、セイバー」
「いいえ、目立つものは何も。
 ここは私たちの知っている、いつも通りの冬木の町です」
 なら帰ろう。
 そんな、いつも通りの言葉が、なぜか出ない。
 それを言ってしまったら、何か大切なものが失われる予感があって。
 ―――そんなバカなことがあるはずないのに。
「……………………」
 他にかけられる言葉が見つからず、ただセイバーの背中を見つめて立ち尽くす。
 セイバーも何も語らず、ただ赤い街並みを瞳に映し続けた。
「……………………」
 まるで、燃えているような、赤。―――燃えているような、街。
 日は次第に地平線へと姿を隠す。赤い街にだんだんと黒い影が差す。
 彼女はこの景色にどんな想いを見出しているのだろう。
 ……赤い世界に影が落ちる光景を見ると、どうしてもひとつの事しか思い浮かばない俺には、想像することさえ不可能だ。
 それはもう過去の話で。
 今、目の前にある景色がソレではないと、わかっているはずなのに――――
「シロウ、お待たせしました。ついこの光景に見入ってしまった。
 遅くなって申し訳ありません。さあ、帰りましょう」
「へっ!? あ……ああ、そうだな」
 突然声をかけられ、正気に戻った。
 呆けている俺を置き、セイバーは先に坂を下りはじめる。
 セイバーが、赤い世界へと足を踏み入れてゆく。

 ――――行ッテハダメダ

 なぜ、そんなことを思ったのだろう。
 夕陽の中をセイバーと歩くのはこれが初めてではない。
 これまでだって何度となく彼女と歩いた。そしてきっと、これからも。
 なのに。

 ――――行ッテハダメダ

 セイバーを…………失う。

 他のことを考えるいとまもあらばこそ。
 気が付けば、手は勝手にセイバーの腕を握り締めていた。
「っ…………シロウ?」
 セイバーが不思議そうに俺を見上げる。自分が何をしているのかに気づき、慌てて手を離した。
「うわ、ごめん。何やってんだか…………」
「いえ、いいのですが………突然どうしたのですか?」
「いや何でもない。なんでもないんだ」
 というより自分でもどうしてそういう行動に出たのかわからない。
 うろたえる俺を少しの間セイバーは黙って見つめていたが。
 唐突に、今度は彼女が俺の腕を強くひっぱった。
「わっ!?」
 勢いのまま、上体が大きく倒れ込む。
 セイバーはそのまま位置の低くなった俺の頭を、自分の胸に抱え込んだ。
「セッ、セイバー……!?」
 ほっそりとした腕に、しっかりホールドされる。
 そりゃ彼女に抱き締められるのは嬉しいけど、ここは公道で、しかも学校の前で、いつ誰が通りかかるかもわからないわけで。
 そんなごちゃごちゃした頭が。
「――――無理をしないでください」
 ……彼女の一言で凍結した。
「貴方は今、なぜ私を引き留めたのです。なにか思うところがあってのことなのでしょう。
 貴方が抱えているものを、胸の中に溜め込まないでください」
「……………………」
 そんなに力が入っている風でもないのに、セイバーの腕はふりほどけない。それは彼女が力を入れずとも相手が逃げられない捕縛術でも使っているからなのか。
 それとも、俺がこの腕をふりほどきたくないだけなのか。よくわからなかった。
「―――もしかして十年前のことを思い出していたのではないのですか」
 彼女の発した言葉にギクリとなる。
 たしかにこの色はあの日とよく似ていた。焼けただれて真っ赤な世界。真っ赤な空に黒い煙がのぼる。人は皆、黒一色だった。
 でも、それはもう過去の話であり、今目の前に広がる光景とは違うとわかってるわけで。セイバーを引き留めた理由では、きっと、ない。
「どうしてそう思うんだ?」
「…………シロウが…………」
 セイバーはつらそうに一度だけ顔をふせる。―――どうしてセイバーがそんな顔するんだよ。
 俺の頭を抱き寄せる彼女の腕にわずかに力がこめられた。
 細い指が、そっと俺の髪を梳く。それはとても心地よかった。

「シロウはいつも私に言うではありませんか。騎士であり、王である私に、少女であっていいのだと。
 ならば私からも言わせてください。シロウはもっと年相応の少年でいても良いのです。
 辛いことは辛いと言い、時に弱みを見せる少年であっていい」

 セイバーの声は、いつもより優しく耳朶に染み込んでゆく。

「たとえ傷があるという自覚すらなくとも、その傷に耐えることは貴方の心に負荷をかけているのでしょう。それがいつかシロウを押し潰してしまいそうで、私は怖い。
 いつも気を張っていてはいつか心が折れてしまう。
 だから、時には頼ってください。肝心な時に強い貴方であるように」

 ――――セイバーの言ってることは、的外れだと思う。だって俺はちっとも辛くなんかないんだから。
 けど、彼女がそう言うのなら、大人しく聞いておこう。
 それにいつもあたたかくて柔らかいセイバーの体が、今日は特別あたたかい気がして。
 セイバーには悪いけど、もう少しだけ抱かれていたいと、思ってしまった。

 夕陽はすでにその身を隠しきっている。わずかに漏れる陽光が消えれば、完全な夜になるだろう。
 それまでの間でいいから、今はこのぬくもりに触れていたい。
 セイバーの体からは、優しい日だまりの匂いがした。






 お題その29、「陽が落ちる」。
 たまにはセイバーも実年齢どおりお姉さんっぽく。つか彼女、外見年齢と実年齢が一致してた頃でもこれっくらいは言いそうだと思うのですがどうか。
 士郎ってあんなことがあったのに、夕焼けもたき火も怖がりませんよね。そこらへんが彼の空っぽさを表しているのではないかなとか思ってみたり。
 あ、ちなみに作中の「大切なものが失われる」というのは阿部記憶からの感情です。虚像が崩れる予感でわありません。うちのHPはホロゥっぽい設定ですが、幻の四日間で起きてるわけぢゃない現実世界なのと主張してみる。てか阿部記憶に士郎記憶プラスして初めてこんな感情がって説明しないとわかんないっていうのはどうなのよ鏡花さん。




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