「おや。こちらの家は、今晩はカレーのようですね」 「ああほんとだ。ずいぶんスパイシーな匂いだな……本場のに近いぞこれ」 見知らぬ家の前で、俺とセイバーはどちらからともなく立ち止まった。 休日のバイト上がり。バス停まで迎えにきてくれたセイバーと、わずかな時間の散歩中。 もう赤いというよりほとんど黒い空の下、途中の家から漂ってきたのはカレーの匂いだった。 「不思議ですね。このカレーという料理は、どうしてこうも匂いが強いのでしょう」 「家によってカレーの味って微妙に違うんだけど、絶対にカレーだってことは匂いでわかるな」 ならば可能性としては、やはり大元になるカレー粉の匂いが特徴的なのだろう。 この家のカレーはどんなカレーなんだろうか。チキンかポークかビーフか。はたまたシーフードとか野菜カレーってのもある。 「…………この家のカレーは、シロウの作るカレーとどのように違うのでしょう」 「え?」 似たようなことを考えていたのか、と驚いてつい声が出る。しかしセイバーはそんな俺の声に驚き、 「―――はっ!? いえ、別にシロウの作るカレーに一言あるわけではありません。し、しかし家々によって独自に持つ味というのは、一度確かめてみたい気もしますし、その」 必死に言い繕うセイバー。って、そんなに慌てなくてもいいのに。 「セイバー、他の家のカレーが食べてみたいのか?」 「その、あの――――別に、食い意地が張っているというわけではありません。知的好奇心と言いますか、ですね」 ああもう、そんなにあたふたしたら、本当のことでも言い訳に聞こえるじゃないか。仕方ないなあ。 「わかったわかった。じゃあ、今度藤ねえに頼んで藤村組のカレーを分けてもらおうな」 「良いのですか?」 「もちろん。遠坂ん家はカレーとか作らなさそうだし、桜のカレーは俺が教えたものだからよそのカレーじゃないしな」 いきいきした瞳で、楽しみです、と笑うセイバー。一般的にこういうのを食い意地がはっていると言うのかどうか、俺には判断がつきかねる。 カレーの匂いただようご近所さんは、家の外でそんな会話がされているとも知らずにカレーの匂いをふりまき続ける。家には台所と、リビングらしき大きな窓、そして二階の部屋のひとつに明かりが灯っていた。 それは、この家だけじゃない。あたりの家ではほとんどが、光を補うために明かりを灯している。 この明かりの下ひとつひとつに、一人一人の生活がある。誰かがそこにいる証。 「家の明かりって、あったかくてなんかいいよな」 「ええ。この時代に来た時は驚きました。夜でも外から見えるほど明かりが強いなど、私の時代では考えられなかった」 電気に馴染みのないセイバーでも、明かりには思うところがあるらしい。どこか安心した横顔で彼女は家の明かりを見つめている。 「もっと驚いたのは、この時代の明かりには温度がないことです。どれほど近づいても熱くない明かりというのは、想像したこともありませんでした。 なのに家に灯るこの明かりは、なぜか温度を感じます。本当に不思議です」 「そうか。セイバーでもそう感じるんだ」 もちろん実際に家の明かりが温度を発しているわけじゃない。家の明かりをあたたかいと感じるのは見る人の感傷だ。 明かりを見て、あたたかい気持ちを抱くからこそ感じる温度。 「うん。でも、なんとなくわかる」 「え?」 「家の明かりって、なんか出迎えてくれてるって気がするんだよな」 家の中が無人ではないというサイン。ここに入れば、家族がおかえりなさいと言ってくれる前触れ。 だから家の明かりはこんなにもあたたかいのだろう。 家の明かりは、そこにいる人のぬくもりだ。 「セイバーがいてくれるようになってから、よくわかった。毎日家に帰った時に明かりがついてると、すごくホッとする」 「? そういうものですか?」 「ああ、そういうもの」 以前まではバイトから帰ってきても、家は暗いことが多かった。たまに桜が来てくれる時は明かりがついてたけど、それも頻繁なことじゃない。 でもセイバーがこの家に来てからというもの、毎日明かりが出迎えてくれる。この季節は特にその有り難みを実感する。 「ありがとうセイバー。おまえがお帰りなさいって言ってくれるのがすごく安心するんだ」 「そんな、礼など無用です。私はシロウを守るという役目を己に課していますが、生産的な仕事に従事しているわけではない。 ならば外で働いて帰ってきたシロウを労るのはむしろ当然でしょう」 「うん、それを当然って言ってくれる人がいるのは、すごく有り難くて嬉しいことなんだ」 セイバーは今ひとつ納得がいかないような顔をしていたが、やがて微笑で俺の言葉を受け止めてくれた。 彼女は一人暮らしとかしたことなさそうだし、実感が湧かないのかもしれないな。 疲れて帰ってきた時、特に冬の寒い夜、家の明かりがついてる時とついてない時の違いを。 俺も一人暮らしが長かったから、藤ねえや桜が家の明かりをつけてくれてる日とそうでない日にどれだけ差があるかは知っている。 「シロウがそう言うのでしたら、これからも毎日心をこめて、お帰りなさいと言わせていただきます」 「ああ。じゃあ俺も毎日それを楽しみにしてる」 どんなに疲れて帰ってきても、セイバーがお帰りなさいと声をかけてくれたら、疲れなど吹き飛んでしまうのだ。 これからもその喜びが続くというのは、とても嬉しい事だと思えた。 「あ、こちらの家からは肉を焼く匂いがします」 「この匂いは焼き肉だな」 「こちらの匂いは……ずいぶんと香ばしいですね」 「へえ、この時期にうなぎなんて珍しいな」 てくてくと、ご近所さんの今夜の晩ご飯予想をしながら道を行く。あまり匂いのしない家もあるんだけど、ちゃんと探せば出題には困らない。 いつもなら通り過ぎてしまうだけの道で、いつもはしない遊びを楽しむ。 何も今日だけが特別な日ってわけじゃない。この道はいつも通りの道だ。 いつもと違うのは、隣に彼女がいるというだけ。 普段は気付かなかった『いつも』がそれだけで特別に変わる。 「この家は―――どうしましたシロウ、その顔は」 「なんかついてるか?」 「いえ、そうではなく。何故笑っているのです? 私の顔こそ何かついているのですか」 「いや別に何も。というか笑ってるつもりもなかったし」 「自分で気付いていなかったのですか? おかしなものですね」 セイバーはほっこりとあたたかい笑顔を見せる。 …………む。逆に笑われてしまった。けど嫌な感じは全然しない。 だってセイバーの笑顔はこんなにも嬉しそうで、こんなにも優しい。 「たしかに、ヘンだな」 今度は口の端と頬の筋肉があがるのを自覚できた。 「ええ、おかしいです」 セイバーの笑顔もますます楽しそうになる。 どこまでも笑い合いながら、並んで歩く日暮れ刻。 ――――そして。 終点が見えてくる。 坂道の終わりに、周囲より若干大きな武家屋敷。 俺達が帰りつく場所、衛宮邸である。 「明かり、ついてるな」 「ええ。ついていますね」 居間、台所、離れの客間。家のあちこちに明かりが灯り、無人ではないことを教えてくれる。 明かりが、俺達を出迎えてくれている。 家の中からはいい匂いが漂ってきていた。今日の料理当番はたしか桜だったな。 「今日はうちもカレーなのか」 「いいえ。これは桜の作るビーフシチューの匂いです」 「へ? ホントか?」 鼻をならして匂いをかいでみる。……が、どうしてもカレーとビーフシチューの区別はつかない。 「よくわかるな、セイバー」 「これくらいは当然でしょう」 えっへん、と胸を張るセイバー。その仕草がとても微笑ましい。 あったかい我が家への扉を開け、ただいまと声を出したところで、夕暮れの散歩は終わりを告げた。
お題その36、「夕暮れ散歩」。お題「モミジ狩り」で今イチ不完全燃焼っぽかった精神面のラブラブいちゃいちゃを補完するつもりで書いてみる。でもカッとなってやりすぎた。今は反省している。 |