ある朝目覚めると、自分が毒虫になっているのを発見した。
というほどのインパクトはないが、やはり朝目覚めて、昨夜とまったく違ったりしたら驚くものだ。
そう。たとえば今の、我が家の庭のように。
「うわーーい、真っ白ーーーー!!」
「冷たーい、気持ちいーい!」
二人分の歓声で目が覚める。
部屋の時計を見ると、朝の6時5分前。そろそろ起きる時間とはいえ、こんな形で起きる事はあまりない。
何事だろう、と目をこらしながら庭を見ると。
「――――――――――――――――」
つい呆けてしまった。
昨夜とはまったく趣の違う庭が、俺の目の前に広がっている。つまり一面の銀世界。
冬が長いくせに比較的温暖な冬木市にしては、これだけ雪が積もるのは珍しい。
「シーローウー! すごいよ、雪が積もってるーー!!」
初めて雪を見た子犬のように、イリヤが雪の中ではしゃぎ回っている。俺に気付いてかけてきた声にも嬉しさが滲み出ていた。
「あ、士郎だ。士郎ー! 士郎も一緒に足跡つけるー!?」
同じく声をかけてきたのは藤ねえ。アンタ本当に衛宮邸の最年長者ですか。いやまあそれが藤ねえなんだけど。
「悪いけど遠慮しとく。二人とも、ほどほどにしとかないと風邪ひくぞー」
「大丈夫ー! アインツベルンの森はもっと寒いからー!」
「もう、士郎は爺むさいなあ。お姉ちゃん心配だよう」
藤ねえはそう言うけど、さすがに俺は雪にはしゃぎ回るほど子供じゃない。
一見したところ、ずいぶんと雪は積もっているようだ。人の足首ぐらいの高さまである。
「うーん……」
少し考え、やはり食事前にやってしまおうと結論づける。いつもの服装より少し厚着をして、廊下に出た。
居間から玄関に出ようとしたところで、ばったり桜と出会う。
「桜。ちょうど良かった。悪いけど、今朝の食事の準備、まかせてもいいか?」
「ええ、構いませんけど……先輩、どうかしたんですか?」
「外、見えただろ。雪がすごいから玄関を雪かきしてくる」
「そうですか。でもそれなら朝ごはんの後でも――」
「いや、今終わらせておきたいんだ」
なにせこの後には色々控えているのである。
「わかりました。じゃあ今朝の準備はわたしが」
「ああ、すまないな。準備ができた頃には戻るから」
桜に見送られながら玄関を出る。
出たところで、いきなり雪に足をとられた。
「おっと」
やっぱり相当厄介だ。これは今日いっぱいかかるかもしれない。
新雪に足跡をつけつつ、庭掃除用の箒なんかを置いてある物置からスコップを取り出す。雪かき用のプラスチックだから丈夫ではないけれど、軽くて一度に掘れる面積が大きい。
人一人が通れる幅で、玄関から黙々と道を掘ってゆく。
「――――――――」
雪かきはわりと体力作業だ。同じ容量の土に比べればはるかに軽いし掘りやすいが、なにせモグラでもないのに道を掘るのである。しかも時間制限があって、夜になる前に掘らなければならない。そうしないと昼間の気温で解けた雪が氷となって固まってしまう。
「――――――――
ふう。こんなもんかな」
衛宮邸の玄関を出て、延々と塀の横を通りすぎ、1ブロック分掘り進んだところで手を止める。この三叉路を右に行けば藤ねえの家、左に行けばいつも通学に使っている道だ。
だいたいの感覚だけど、そろそろ朝食の準備もできているような気がする。
「うん。続きは朝飯の後だな」
少しの疲労感と充実感を抱えて、今来た道を引き返した。
朝食は寒い気温を考慮してか、桜がポタージュスープを出してくれた。
それを飲んで身体をあたため、いよいよ本番に出かけることにする。
靴を履き、手袋をつけて、スコップを手に。
さて行ってくるかと門をくぐろうとすると。
――――ガラララッ
今しがた閉めたばかりの玄関から、扉の開く音がする。
反射的に振り向くと、そこにいたのは。
「どこに行くのです、シロウ? 私もお供いたします」
「え、セイバー?」
俺と同じくコートと手袋を装備したセイバーが、当然のような顔をして立っていた。
……いや。あの、なんかピリピリしてないか?
「せ、せいばー? 気のせいかもしれないけど、もしかして怒ってない?」
こう、聖杯戦争中に俺がうかつな行動をした時に感じたみたいな、プレッシャーが。
「いいえ、怒ってなどいません。もし私が怒っているように感じるのなら、それはシロウが後ろめたい思いを抱えているからでしょう」
………………やっぱり怒ってるじゃんかよう。
とはいえ遠坂みたくチクチクといたぶるのはセイバーの流儀ではない。ふう、と溜息をついたかと思うと、素直に口を開いた。
「シロウ。前にも言いました。大変な仕事は誰かに手伝いを求めて欲しい、と。
特に今回のように私が手伝える事であるならば、遠慮なく言ってください。この身は貴方を守る剣なのですから」
「へ??」
「朝食の前に、大河が言っていたのです。シロウがまたご近所雪かきボランティアに出かけるのか、と。
なんでも貴方は毎年、このように雪が積もるとあちこちを雪かきして回っているそうですね。今年もまたそのようにしようと、これから出かけるところなのではないのですか」
「うっ…………!」
す、鋭い。
たしかに毎年、一人暮らしの老人の家などの玄関を雪かきしていたのは本当だ。雪かきは体力勝負。腰の曲がった年寄りでは大変だし、いつ転んでケガをするかわからない。かといって雪かきをしないというわけにもいかないだろう。それでは翌日がもっと大変になる。
そんなわけで俺がかって出ていたのだが――――
「まさか藤ねえに行動パターンを読まれるとは…………」
そう呟くと、セイバーはますます呆れた顔をした。
「なんでもご老人にはご老人専門の人間関係と情報網があるのだとか。
シロウが手伝いをした人々の口からそういう経路を通って、大河の祖父である雷河の耳に入ったそうです。人の口に戸は立てられませんよ、シロウ」
「う…………そうだったのか」
まさか口コミで藤ねえにバレるとは思わなかった。
居心地悪く身を縮めている俺に、セイバーは表情を柔らかくし、
「恥じることはありません。シロウの善行が認められているということなのですから。
さあ、そろそろ行きましょう。シロウのために見事先陣を切って見せます」
そう言うと、俺の手からスコップを取り上げて、さっさと歩き出す。
「あ、待てって、セイバー!」
彼女に取られてしまったのとは別のスコップを持ってくるため、俺は物置に駆け出した。
「よし、これで個人宅は終わりだな」
雪かきをする事、ざっと20軒近く。
老人しか住んでいない家はこれで全部のはずだ。
「そうですか。これが多いのか少ないのかはわかりませんが――」
「いや、いつもよりは少ない」
断言する。なんでかというと、同じく雪かきボランティアをしてるヤツがいたからだ。ソイツのやった分だけ、確実に数は少ない。具体的に言うと、洋館の建ち並ぶ方の住宅街のうち半分ほどは、ソイツがやっていった。
いつの間にかソイツを思い出して不機嫌な顔になっていたからか、セイバーが俺を見て苦笑する。
「シロウ、慈善行為は競い合いではありませんから」
「でもアイツと同じ事してると思うとなあ――」
およそ雪には似つかわしくない、黒い肌をした男はいけしゃあしゃあと言ったものだ。
『なに、これも近所づきあいというやつだ。最近凛がお前のところに出入りしているせいで、そのへんが疎かになっているからな』
それが本音なのか建前なのかはっきりわからないところが余計ムカつく。
あのキザ野郎を思い出してイライラしていたところに、セイバーが別の話題を投げかけてきた。
「では、本日はこれで終わりでしょうか」
「あー…………ん…………」
あとひとつあるんだけど。それもとびきり大変なやつが。
歯切れの悪い俺の態度を見て、セイバーは正解を言い当てる。
「シロウ? まだあるのですね?」
「うん、あると言えばあるんだけど……」
さすがにあれにセイバーをつきあわせるのは――
迷っていると、彼女は微笑を浮かべながら、
「遠慮することはありません。私とて騎士です。腕力はシロウに劣るかもしれませんが、体力では負けていません」
とはいえどんなに鍛えていても、大変なことには違いない。
「駄目と言われても手伝います。さあ、早く行かないと、いつまでたっても終わりませんよ」
セイバーは強引に俺の手をとって、どことも知れぬ場所へ歩き出すよう足を踏み出した。
たしかにここまで彼女の手を借りることは気が引ける。でもここでセイバー一人家に帰らせたら、きっと彼女は機嫌を損ねてしまうだろう。
それに、俺ももう少し二人で雪かきをしたかった。
「わかった。手伝ってもらうから一緒に行こう」
一方的に握られていた手を握り返し、今度は俺が先に立つ。
それで満足したのか、セイバーの微笑は笑顔になっていた。
「…………ここですか? シロウ」
「ああ、ここ」
さく、と開始点にスコップを突き刺すと、セイバーは予想外のものを見たように目を丸くする。
まあ無理もないだろう。
「しかし、ここは交差点ではありませんか。なぜここを?」
俺が指定した場所は、いつもの交差点。
バス停があり、洋館側の住宅地・和風側の住宅地・商店街・柳洞寺・学校といくつかの地域に分かれる、いつもの交差点だ。
そう、俺たちはいつもここを通って学校へ行く。
「それは知っていますが……?」
「そしてこの道はかなりの急勾配だ。こう言えばわかるかな、セイバー」
「――――なるほど。雪が積もっていては滑って危ない、ということですね」
うん、そういう事。
なにせ穂群原学園は、山の中腹に建っている。学校への道がいくら舗装されていても、山道の角度をどうにかすることはできない。
そんな道に雪が積もっていると、滑ってひっくり返ってしまうのだ。事実この坂道で転んでケガをする生徒が毎年出ていたらしい。
「その話を聞いたシロウが雪かきをするようになった、と?」
「ああ。実際に俺が雪かきしたら、その年は転ぶヤツはいてもケガまでいかなかったらしいから」
「毎年続けているのですね。
まったく、シロウらしいというかなんというか」
こめかみをおさえてぼやくセイバー。う、やっぱり呆れられたか。でも本当に役に立ってるんだからいいと思う。
むぅっと反抗的な目で見つめ返すと、セイバーの顔は苦笑に変わった。
「シロウ。私は雪かきが悪いと言っているのではありません。
効果が出ていることは実証されているのです。ならばこれからは、他の人々の手も借りて行えばいいだけの話だと言いたいのです」
「うーん。でも協力してくれるヤツが他にいるかどうか」
なにせボランティアだ。大変な仕事のわりに、自分に返ってくるものが何もない。俺が言うのもなんだけど。
「そうでしょうか? 一成あたりに協力を求めたら、何人か連れてきてくれそうな気がします」
「ああ、一成なら人望あるからそうかもな」
それに運動部のやつらも、ランニング用の道を作るという名目なら集まってくれるかも。
なるほど、言われてみるまで気付かなかった。
「なんでもシロウが一人で背負い込む必要はないのです。一人より二人の方が早く終わるし負担も減るというのはそういう事ですよ」
まるで、優しく教え諭す教師のように。
セイバーは言って、サクリとスコップを雪道に突き立てた。
「やっと終わりましたね」
「ああ。ご苦労さま、セイバー」
二人で自分達の雪かきした道をたどり、家路につく。
太陽はすでに中天にさしかかっていた。はっきりした時刻はわからないが、昼と呼ぶべき時間なのは間違いない。
これでもびっくりするぐらい早く終わったのだ。例年はこれを一人でやっていたから、いつも夕方近くまでかかっていた。
セイバーには迷惑をかけたけど、昼ごろに終わるというのは快挙なのである。
「もう昼飯終わっちゃってるかもな。みんなに心配かけてるかもしれない」
「な……! ま、まさかシロウ、私たちのお昼は……」
「心配しなくても大丈夫。もし全部藤ねえに食べられてたら、俺が責任持って作るから」
「そ、そうですか……。しかしシロウも疲れているのでは?」
「それこそ平気。これくらいで疲れるような鍛え方してないし。セイバーは?」
「ええ、もちろん大丈夫です。行軍中はもっと大変な雪道がいくらでもありました」
頼もしげに言うセイバーの顔には、ほとんど疲れが見られない。ただ、それでもいつもの稽古の時に比べ、若干身体を動かした後特有の火照った顔をしている。
セイバーでこうなのだから、俺もきっとそうなのだろう。そして俺と同じように、おそらくセイバーも雪に接しているうちに手袋や靴下が濡れてしまっているに違いない。
早くあたためないとしもやけになるかもしれないな。
そんな事を思いながら、玄関をくぐる。
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
「あ、やっと帰ってきた! 遅いよシロウー!」
廊下の奥からぷっくり頬をふくらませたイリヤが飛び出てくる。
「ごめんごめん。ちょっと出かけててさ。
昼飯まだ残ってるか? それとも藤ねえが全部食べちゃったかな」
「ううん、まだ誰も食べてないわ」
「誰も?」
おかしいな、昼飯の時間はとっくに過ぎているはずだが。
「シロウたちが帰ってくるのを待ってたのよ。もう少し遅かったら食べちゃおうかって話してたトコ」
「そりゃ悪いことしたな。おなかへったろ?」
「うん、もうぺこぺこ。だから早く入って。セイバーもね、二人ともそこの雑巾で足を拭いてからあがってちょうだい」
「?」
言われて足元を見る。そこにはいつもは玄関先になどない雑巾が、なぜか鎮座していた。
イリヤの言うとおり、濡れた靴下を脱いで足をぬぐう。冷え切った素足のまま廊下を歩くのは冷たかったが、ひとまず居間へと入った。
「おかえり。どこまで行ってたのよ、またずいぶんと時間かかったじゃない」
遠坂が呆れたように文句をつけてくる。
そうだった。こいつも昼飯を待っててくれたんだ。
「悪かった。もしかして昼飯って、まだ作ってもないのか?」
「そんなわけないでしょ。桜が作ってくれたわよ。
ほら、今盛りつけをするから、その間にこれでも飲んでなさい」
そういって出されたのは。
「…………へ?」
ほかほかと温かそうな湯気をたてる紅茶の入ったティーカップ。
「……もしかして、遠坂が淹れてくれたのか?」
「そ、そうだけど。悪い!? だってアンタたち、こんな寒い中何時間も外にいるから……!」
なぜか突然怒りだした遠坂の後ろで、桜がクスクスと笑っている。
「姉さん、先輩は悪いなんて一言も言ってませんよ。
はい、先輩、セイバーさん。新しい靴下と蒸しタオルです。これで手と足をあたためてくださいね」
「あ、うん、ありがとう」
驚くほどの手際の良さに、むしろ呆気にとられてしまう。さっき玄関を入った時から、必要なものがぽんぽんと出てきてるじゃないか。
なんだってこんな、かゆいところに手が届くみたいな――――あ。
『大河が言っていたのです。シロウがまたご近所雪かきボランティアに出かけるのか、と――――』
セイバーの言葉を思い出す。
藤ねえが、俺の午前中の行動を見抜いていた時。
傍にいたのが、セイバーだけじゃなかったなら。
隣にいるセイバーを見ると、無言でひとつ、こくんと頷いた。そうか。それでか。
「士郎ー! お姉ちゃんおなかペコペコだようー」
大声で文句を言っているのは、ストーブの前に陣取っている不良教師。
口では不平を言いつつも、手はこいこいと手招きしている。
「せっかくだ。あったまらせてもらうか」
「はい、シロウ」
セイバーと二人、お茶と蒸しタオルを持ってストーブの前に移動する。
なんだかくすぐったかったけど、今年の冬はいつもよりあったかいような気がした。
お題その42、「牡丹雪の朝」。
ホントは最初、雪遊びをさせてあげるつもりだったんですけど、なんとなくこっちの方が士郎らしく、それを手伝うのがセイバーらしいかなーって。
そしてセイバーが先陣をきって彼を守る相棒となるのなら、他のみんなはさりげないサポートに回るのです。こう、「ブロードブリッジ」の縮図みたいなカンジで。
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