「シロウ、少しよろしいでしょうか」
 冷蔵庫の中を覗いて今夜の献立を考えていると、セイバーがやってきて声をかけた。
「ああ、いいぞ。どうした?」
「実は、これの汚れがうまく取れないのです。良い洗い方はないものでしょうか」
 そう言いながらセイバーが差し出してきたのは、黄色い手袋。
 なんの飾り気もないありきたりなそれは、彼女の私物だ。なんでも藤ねえのお古をセイバーにあげたと聞いている。
 そのお古の手袋が、お古とはいえあまりに黒ずんで汚れているのは一目瞭然だった。
「うわ、汚いな。どうしたんだこれ」
「はい、申し訳ありません……。ついうっかりぬかるみに触れた時、泥がついてしまいました」
 泥を落として洗おうとしても、これ以上はなかなか――とセイバーは苦悩の表情で語る。
 うーん。どんな泥だったのか知らないけど、ずいぶん頑固な汚れだな。なんつーか、柳洞寺の地下空洞の真ん中にぽっかり空いたクレーターの中の泥とは別物であることを祈ろう。
「これはちょっと家じゃ無理かな。クリーニングに出すしかないかも」
「クリーニングですか……」
 躊躇するセイバー。無理もない、寒さは今がまっただ中。手袋が最も活躍する季節である。
 どんなに急いでもクリーニングでは数日かかる。その間、セイバーは手袋なしになってしまうのだ。
 だからといって冬の終わりまでセイバーにこんな汚れた手袋をさせておくのもあまりと言えばあまりなわけで。
「よし」
 頭の中で今月の家計簿をつけかえる。少し赤が勝つかもしれないけど、なんとかなるだろう。
「セイバー、手袋買いに行こうか。たしかそれしか持ってなかったろ」
「良いのですか? それはありがたい。代えがないのは少し心細く思っていたのです」
 やっぱりそうか。それはたしかに悪かった。
「じゃあ今まで気付かなかったお詫びもかねて、どうせなら新都に行こう。そっちのがたくさん種類があるから」
 ……その分少し高いけど。でもせっかくだし、セイバーが好きなのを買ってやりたい。
「はい。よろしくお願いします」
 こうして俺とセイバーはその日、何度目かになる新都行きのバスに乗り込んだのだった。



 新都のヴェルデには、ともかくいろんな店が入っている。
 レストラン。ゲームセンター。本屋。
 そして当然のように、女性用のファッションフロアーもある。
 そのうちの一角、それほど値段の高くなさそうなところを選んで足を運んだ。
 ……ついうっかりブランド物や高級素材のとこに行くと、軽く4千円や5千円、ともすれば1万円ぐらいは平気でいくからな、手袋でも。それだけ良質ではあるのだが、正直なところ衛宮邸の家計では手が出ない。彼女が好きな物をと思う気持ちは本物でも、ない袖は振れぬのだ。
 ここは今までの手袋と同じく、普通の物で我慢してもらおう。
「この中から選ぶのですね」
「ああ。この中なら好きなの選んでいいぞ」
 店員さんにこちらのサイフ事情をそれとなく伝え、そういう手袋の置いてある場所を教えてもらう。
 さすがに高校生の二人組だと店員さんも高い方を勧めてやれとは思わないようで、快く教えてくれた。
 そうして案内されたここの商品は、高くても2千円ちょっと。お金にこだわらないセイバーをこっちに誘導できてほっと一安心。
「む……………………」
 ざっと20種類以上はありそうな手袋コーナーのワゴンを見て、セイバーはひとつ唸る。そしてそのまま固まってしまった。
「――――」
「………………」
「――――――――」
「…………………………」
「――――――――――――」
「……………………………………」
「――セイバー?」
 なんでノーリアクション?
「そ、それがですね……」
 セイバーは、心底困った、という顔でこちらを振り向く。
「その……以前にもお話した通り、私には自分の服装に関する知識がまるでありません。
 どのような手袋を選べば良いのか見当もつかないのです」
「あ、そういえば」
 前にそんな事を言っていたような。
 うーん、でもなあ…………。アドバイスしてやりたいとこだが、俺にもさっぱりわからないぞ、女の子の服飾品の善し悪しなんて。
「――――――――――――――――」
「…………………………………………」
 今度は二人で同じ沈黙を分かち合う。
 チラリ、とセイバーの方を見ると、彼女は少しだけ期待をこめた目で俺を見ている。
 ……もしかして、このパターンは……
「シロウ。よろしければ貴方が見立ててはくれませんでしょうか」
「…………俺?」
 そりゃ前の下着を見立ててくれってのに比べたらお安い御用、と言いたいところだけど。
 やっぱり俺にとっては困難な事にかわりはない。例えて言えば、1m半しか跳べないやつのハードルとして、5mの高さと2mの高さを用意するようなもんであって。
「俺が選ぶよりセイバーが気に入ったものの方がいい気もするんだけど」
「しかし私には、どれが良いのかすらわかりません。このままでは日が暮れてしまう」
「うーん…………」
 セイバー自身ですらわからない、セイバーの好みに合うようなもの、か。
 難しい。これが料理だったらまだ分かるのだが、女性物の手袋なんて専門外もいいとこだ。
 とりあえず見るところから始めようと、ワゴンの中を漁ってみる。
「…………………………………………」
「――――――――――――――――」
 ……ダメだ。あんまりにも範囲が広すぎる。
 色だけでも白、黒、ピンクに黄色に赤と多種多様だというのに、デザインまでいちいち違う。普通の毛糸で編んだもの、シルエットがすっきりと細身のやつ、手首にあったかそうな飾りがついてるの。
 この中からセイバーに似合いそうなやつを探すのは大変――――
「あ……」
 俺の後ろからワゴンを覗き込んでいたセイバーが、何かに気付いたような声を出す。
「ん? 何かあったのか」
「いえ……その……」
 セイバーはためらいがちに、ワゴンの一角を指差した。
 そこにあったのは、オレンジ色の手袋。
 ミトン、と言っただろうか。よく子供がしているような、親指以外の指が全部同じところへ入るようになってるタイプのものだ。
「これ? もしかして気に入ったのか?」
「あ、いえ…………珍しい形だ、と思ったのです。他は皆、手の形をしているというのに、これだけ少し違いますから」
「うん。これも手袋なんだけど、この大きな方に親指以外の4本を入れる形なんだ。
 こういうの、よくちっちゃい子がしてるよな」
「そうなのですか。子供用、なのですね。
 ……言われてみればイリヤスフィールがこのような手袋をしていた覚えがあります。あの年頃の子供がつけるものなのでしょう」
 セイバーの声には、なぜか落胆が混じっていた。
「? セイバー、これが欲しいんじゃないのか?」
「な……いえ、そんなことはありませんっ! 私は子供ではありませんから!」
「いや、セイバーだったら似合うと思うけど」
「む。それは私が子供だということですか、シロウ」
 ジロリ、と剣呑な目で睨まれた。そ、そういう意味じゃないっ。
 たしかにこの売り場に、ミトンのタイプはこれ一つしかないようだが、この手袋のサイズは大人用だ。つまり大人でもこういう手袋をする人がいる、ということである。
 とはいえあんまり大人っぽい人だとさすがに似合わないからなあ。……だとすると、セイバーが子供っぽいと言ってることになるのか?
 その後も他の手袋を物色するが、彼女の視線はチラチラと、さっきのミトンの手袋を見る。
 気になる、というよりあれと比べているような感じだ。そしてお眼鏡にかなわないのか、また次の手袋を手に取る。
「うーん…………」
 このミトンの手袋の、なにがそんなにセイバーの心を掴んだのか。
 俺もオレンジ色の手袋を改めて検分する。するとそれらしき理由はすぐに見つかった。
 白くて小さくて柔らかそうな、動物の毛みたいな玉がひとつずつ手袋についている。たぶん触ればやはり動物を触ったような手触りを返してくるだろう。
 ぬいぐるみや可愛いもの好きのセイバーらしい、可愛い理由だ。
 セイバーは俺がこれを手に取ったら、もう気になって仕方ないらしい。さっきからすっかり手袋を探す手は止まってしまっている。
 そんなに惚れ込んでるなら、無理しなくていいのに。
「セイバー。やっぱりこれがいいんじゃないか?」
「ですから私は子供では――――」
「子供とか関係ない。セイバーだったらきっと似合う。……その、すごく可愛いと、思うし」
 照れくささにどもりながらも、必要なことは口にした。
 彼女は頬を染めながら、再び手袋をじっと見て、
「…………私は…………」







 木枯らしが俺たちの周りを通り過ぎていく。
 子供たちが元気良く商店街の方へ駆けてゆくのを、なんとなく見送った。
 いつもの交差点から二人で家までの坂をのぼってゆく。
 彼女の手には、買ったばかりの手袋の入った袋があった。
「けど良かったのか? 本当に」
 ためらいがちに問い掛ける。
 結局、セイバーはあのミトンの手袋を選ばなかった。何か他のものを、と言うので、それとは少しタイプの違うものを選んでみた。デザインはシンプルだけど品の良さそうな白い手袋をセイバーは気に入り、こちらを買って帰ってきたのだ。もちろん指は五本指のものである。
「はい。あれは機能的ではありません。私が身につけるものとしてふさわしくない」
「手袋にそこまで、」
「気にするものです、シロウ」
 セイバーは俺の言葉を遮り、真摯な目で俺を射抜く。突然彼女が見せた真剣な眼差しに、つい圧倒された。
「この手は剣士の手です。いついかなる時でも腕と首だけは敵に渡してはなりません。
 先程のように手を拘束する手袋をしていた時、もしもシロウを守りきれないようなことがあれば、私は悔やんでも悔やみきれない」
「――――――――」
 …………情けない。
 俺には、そんなことない、と言ってやることすらできない。
 重い荷物を持つのは男である俺がやるべきだし、セイバーに重い荷物を持たせたくはない。けれどこの命という荷物は重すぎて、まだ俺では一人で持ちきれないのだ。
 だからセイバーは自分が持つと言っている。重い荷物を持つために、普通の女の子が当然選べる、非機能的なデザインのファッションはできないと言っている。
 だから、俺が今言えることはせいぜい、
「……………………セイバー」
「はい」
「俺、強くなるから」
 きょとん、とした顔のセイバー。恥ずかしいから顔は合わさず、チラリと視線だけ向けて宣言する。
「強くなるよ。せめてセイバーが手袋を脱ぐ間ぐらいは、自分とセイバーの身を守れるように。
 そうしたら、また手袋を買いに行こう。その時はどんなのでも選べるから」
 セイバーはしばらくの間、呆然としていたが。
 ――――破顔一笑。
 彼女の顔に優しい笑みが広がる。
「なるほど。しかし、道は遠いですよ。少なくともアーチャーは超えてもらわないと」
「う…………それっていつ頃の話なんだ?」
「さあ。シロウの頑張り次第ですから」
 楽しそうに、ではなく、嬉しそうに笑う。
 そんな彼女の顔を見ていると、やっぱり鍛錬の時間を増やそうかと思ったりするのだった。






 お題その47、「手袋を買いに」。
 それは約束の四日間、もとい、やっぱ約束って良いですね。守れる守れないは別にしても、未来を見つめての発言かなっと。




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