「よーし、できたぞー」
 台所から居間に聞こえるよう声をはりあげる。居間の空気がざわりと様変わりした。
 手伝いに来てくれた桜の手もかりて、8つの丼を運ぶ。今日の昼は衛宮家特製うどんなのだ。
 ちゃんと麺をうつところから俺がやった。初お披露目だからちょっと緊張する。
「わー、おいしそー」
「士郎ってば新境地を開拓しちゃったわねえ。これでいつでもお嫁に行けるわ」
 嬉しそうなイリヤと藤ねえ。どうでもいいが、俺はお嫁を貰うつもりはあっても行く気はない。
 全員が食卓について、食べる前のごあいさつ。
『いただきまーす』
 今日の昼飯に集まったメンバーは、衛宮家住人の俺とセイバー。食事のたびにやって来る藤ねえとイリヤ。今日は気がむいたのかうちに食べに来た遠坂と、手伝いに来てくれた桜。ここまではいつも通りで、それに桜についてきたライダーとなぜか遊びに来たランサー。計8人だ。
 丼が足りるかと心配したが、幸いなんとかなった。……このあいだの食器バーゲンのときに、こういう事態を考えて買い足しておいたのが良かったらしい。
「うん、おいしい。やっぱりうどんはコシが命よね」
「とってもおいしいです、先輩。おだしもすごく絶妙で」
 と初めての手打ちうどんはなかなか好評の様子。うんうん、俺も作ったかいがあるってものだ。
 けれどみんなを眺め回しているうちに、ふとそれに気が付いた。俺の隣でいつもはむはむこくこくと食べているセイバーの手が、さっきから止まっている。
 しかも顔はしかめ面。あきらかにキゲンが悪そうだ。
「どうしたセイバー? うどんは口に合わなかったか」
「いえ、そうではないのですが…………」
 問いかけた俺に答え、セイバーはふたたび正面を向いて眉をしかめる。
 そこには他のみんなと同じくうまそうにうどんをすする二人のサーヴァント。
「――ランサー。ライダー。貴方たちは、箸を使おうと思わないのですか」
『…………え?』
 名指しされたランサーとライダーの手が止まる。二人の手にはフォークとスプーン。
 言われたことがわからず、一瞬固まる二人に、セイバーはなお言い足した。
「貴方たちも現界してかなりの時間がたちます。郷に入っては郷に従え、と言うでしょう。そろそろ箸で食べるべき食事は箸で食べようと思わないのですか」
「そんなコト言われたってなあ……」
「今さらなにを、という感じですね」
 言われた二人は困惑げに顔を見合わせる。聞いてるまわりの人間もセイバーの真意がわからず不思議そうだ。あ、藤ねえだけ我関せずって顔でうどんすすってる。
「オレたちは箸の使い方なんざ知らねぇから仕方ないじゃねえか」
「そんなことはない。同じように外国で生まれ育ったイリヤスフィールとて、今は箸を使えています。なのに貴方がたが使えないということは、修得する気がないということだ」
「セイバー。私達が箸を使えないことが、貴女に関係するというのですか」
「私ではありません。せっかくシロウが作ってくれた食事に対して、それでは失礼だと言っているのです」
 えっ、俺!?
 いきなり話を向けられて慌てる俺に、セイバー、ランサー、ライダーの視線がつきささる。他のみんなも俺を見た。待った。ちょっと待ってくれ。
 ランサーが悪い目つきをますます鋭くして、俺に問いかける。
「小僧。オマエはそういうの気にするのか?」
「え。いや、あの、えっと――――」
 正直なところを言うと、そりゃあ箸で食べてくれた方が落ち着くといえば落ち着く。たまにしか食べに来ないけど、サーヴァントたちはみんなヨーロッパの英雄がほとんどだ。日本の作法はあまり合わないらしく、特にみそ汁をスープ用のスプーンで食べられるのは、いつまでたっても見た目に慣れない。
 でも食事はやっぱり楽しくおいしく食べるのが基本だし、嫌がるのを無理に矯正する必要はない、んじゃないか、と思う、けど――――
「使い方がわからないのならば私が教えます。食事の作法は食べる側の当然の礼儀です」
 それでは満足しないのか、騎士王様は日本人でもかなわないほどきれいに伸ばした背筋と正座姿でそんなことを言う。
「冗談じゃねえぜ。なんでオレたちがンなことしなきゃいけないんだ?」
「そうです。セイバーの常識に私達をつきあわせないでください」
 予想どおり、ランサーとライダーからは激しいブーイング。セイバーが言い募ろうとしたとき、斜交いから声があがった。
「あーら。アイルランドの英雄ともあろう人が、これしきのことで逃げるのかしら」
「と、遠坂…………」
 明らかに楽しんでいる遠坂の声。見せつけるように箸でうどんを1本食べて、
「わたしも作る側として、言いたいことはあったのよね。麻婆豆腐や焼売ならまだしも、青椒牛肉絲(チンジャオロース)までフォークで食べられるのはちょっと抵抗があるわ」
「うっ――」
 包囲網が1枚厚くなって、ランサーがたじろぐ。遠坂の得意料理である中華も箸の文化圏の料理だから、フォークで食べるには不自然なものが数多いのだ。
「イリヤはどう? ドイツ生まれのドイツ育ちで、箸を使える立場としては」
「そうね。やっぱり食事を食べにこの家へ来るのなら、最低限のマナーは当然だと思うわ。英雄とか以前の問題じゃないかしら」
「ううっっ――――!」
 あかいあくまとしろいこあくまのダブル攻撃。ああ、あそこから逃げられる者はいない。いないんだよランサー。俺は二人に追い詰められてるランサーを見て思わず同情した。二人の少女からは黒いしっぽが生えてるように見えた。
 遠坂の手はゆるまない。彼女は楽しいことを追求するためなら努力を惜しまない人間なのだ。
「桜はどう思う?」
「えっ、わたしですか。えーと…………」
 桜は少し考えてから、
「あのね、ライダー。せっかくだから、この機会にお箸の使い方、覚えてみない……?」
「サ、サクラ――――」
 ガーーーン、という効果音とともに、これまで飄々とした表情を崩さなかったライダーが、見る見る悲しそうな顔になる。
「サクラは――サクラは私が箸を使えないことが、そんなに不満だと…………」
「そ、そうじゃないの。別に使えなくても気にしないわ。でも、おみそ汁くらい、お箸で食べてほしいかなあって――――」
 そうか。桜も俺と同じく、ライダーがスプーンでみそ汁を食べるのは慣れなかったか。ヨーロッパではスープ皿に口をつける習慣もないから、わからないでもないんだけど……
 ライダーはしかられた子犬のようにしおれていたが、やがて毅然と頭を上げる。
「わかりました。マスターの希望に必ず応えてみせましょう」
「はい、決まり、と。で、ライダーはああ言ってるけど、アンタはどうするの?」
 遠坂がにやにや笑いながらランサーを見る。ランサーはぐっと言葉に詰まって、
「…………わかった。オレもやってやる」
 苦渋の表情で言った。
 悪いな、ランサー。この家では男の立場が低いんだ。……いつからこうなっちまったのかは知らないが……。
 俺が遠い目で空を見つめていると、一人だけ話に加わろうとしなかった人から、珍しく声がした。
「ねーみんな。お箸はどうでもいいんだけど――」
 どうでもいいのか、藤ねえ。
「うどんのびちゃうよ?」
 その一言で。
 作法も何も後回しにして、俺たちは一斉にうどんをすすりはじめた。





 さて。
 食事が終わってから、改めてセイバー先生による『正しい箸の使い方』講座がはじまった。
 藤ねえは満腹になったら満足して、イリヤと一緒に上機嫌で帰っていった。帰り際、イリヤが「どれだけ上達するか楽しみにしてるわ」と追い打ちをかけていったのが印象的だった。
 ランサーとライダーは食卓に置かれた、今まで使ったことのない未知の道具を緊張した面もちで見つめている。
「……なあ、ほんとにやるのか? こんなの日常生活に必要ないんじゃ……」
「今さら逃げるつもりですか、ランサー。たしかに箸の使い方など、聖杯戦争には必要ない知識です。しかし日常生活では非常に大切な知識であることを、いい加減自覚するべきです」
 セイバーがピシャリと言い放つ。ランサーはぶつぶつと「まさかこの年になって食器の使い方を覚えるなんて」とぼやいている。
 そういえば不思議に思ったことがあって、俺はセイバーに聞いてみた。
「なあ。セイバーはどうして箸を使えるんだ?」
 最初から使えたから違和感なかったけど、よく考えたらセイバーが箸の使い方を知っているのは不自然だ。
 聖杯がそんなこと教えてくれるとも思えないし、だとしたら誰かから教わるしかないのだが――
「私は以前、切嗣から箸の使い方を習いました」
「ああ、やっぱりそうか」
 これは納得。セイバーが生きてきた5、6世紀のブリテンに箸なんてものはなかったろうし、俺がセイバーを喚び出したときはもう彼女は箸を使えた。ならばその間、第4回冬木市聖杯戦争のときに習った、というのが唯一の機会だろう。
 となると次は別の疑問が出てくるわけで。
「んで、切嗣はなんでセイバーに箸の使い方なんかを?」
「はい。シロウも知ってのとおり、私は規格外のサーヴァント――いわば生霊として聖杯戦争に臨んだため、霊体化ができませんでした。
 そして切嗣は敵マスターの情報を手に入れ、最も効果的な手段を使って相手を倒すというマスターでした。ゆえに情報収集のため、たびたび偵察活動を行っていたようです。
 もちろん常に私がついていたわけではありませんが、サーヴァントとしてマスターをほったらかしにするわけにもいきません。そこで切嗣は、私に本来必要のない日常生活の仕草を教え込み、偵察活動中に目立たないよう工夫したのです」
 そのうちのひとつが、箸の使い方だったらしい。
 ただでさえセイバーはこんな目を引く美少女なのに、外国人らしくポロポロと箸から食べ物をこぼしていたら、目立ちまくってて偵察活動どころではないだろう。
「けどセイバー。そもそも貴女自身が人目につくのに、よく偵察なんてできたわね」
 俺と同じことを思ったんだろう。遠坂が問いかける。
 問われたセイバーは、ロコツに目を泳がせて、
「――まあ……切嗣はマスターとしては優秀でしたから…………」
 そう言ったきり、肩を落としてしまった。
 ……………………待テ。
 親父はいったい何をやったんだ、セイバー。
 追究したい気持ちが喉元まであふれそうだったが、明らかに気落ちした様子のセイバーに、声が出てくることを許さない。
 ふと、親父の笑顔が脳裏に浮かぶ。安心しきった臨終の顔が、なぜか当時よりずっと晴れやかに見えた。
 これ以上過去を掘り返すことはやめにして、俺は話を本筋に戻す。
「ま、まあセイバーが箸を使える理由はわかったからさ。それじゃそろそろ、練習に移ろうか」
「は、はいっ! そうですね!」
 パアアとセイバーの顔が助けを得て輝く。一方ランサーとライダーは『余計な事を』と言いたげにこっちを睨んでいた。
 あー、すまん。後でなんかうまいもんでも作るから。
 セイバーは背筋をはりなおし、箸をかまえる。
「いいですか。下側の箸を薬指と親指で挟むようにしっかり固定し、上の箸を人差し指と中指と親指の先で軽く挟みます。そう、そんな感じです。食べ物をつまむときは中指と人差し指の二本で箸を動かし、親指は添えているだけです。
 手に持てたらまずは動かしてみましょう。物を掴む前に、きちんと動かせるか確認します。」
 俺たち日本人なら物心つく前から当たり前に使ってる道具の使い方を、セイバーは懇切丁寧に教えていく。こうして見ると箸ってのはずいぶんテクニックのいる食器のような気がしてきた。
 事実ランサーとライダーは、満足に動かすこともできず、ポロポロ箸を落としている。
 二人が苦戦している間にセイバーは台所から皿を数枚持ってきた。そのうち半分には米粒が入っている。
「セイバー、これは?」
「これを使って箸の使い方を特訓します。私もこれで箸を覚えました」
 俺の質問に簡潔な答えを返すセイバー。ランサーとライダーの前に米粒の入った皿と空の皿をセットにしてそれぞれ差し出す。
「二人とも、この皿の中に入っている米粒を、一粒残らず空いている方の皿に移してください」
「わかりました」
 マジメなカオでライダー。米粒の皿をおもむろに手に取り――――
 ザーーーーーー。
 ――時が止まった。
「……………………あ、あの。ライダー……?」
 桜がそっと声をかける。ライダーはいきなり固くなった空気に不思議そうな表情だ。
 ビキッッ!!
 セイバーの方から、あまり正体を知りたくない、切断音が聞こえた。
「ライダー! 貴女という人は、真面目にやる気があるのですか!」
「なにを怒っているのですセイバー。貴女が移せと言ったのでしょう」
「貴様、私を愚弄するのならば、今すぐ斬って捨ててくれる!」
 かなり本気モードで怒る騎士王様。……しかし俺にはわかってしまった。きっとライダーは本気で天然なんだ。
 空いてる皿に中身を移せ、と言われたから、米粒を空いてる皿に移した。『箸を使わずに』、皿から皿へ直接。
 からかわれるのが嫌いなセイバーと、どこか天然ボケなライダー。二人の相性はあまり良くない。
 ここはひとまずブレイクタイム。俺は引きずるようにセイバーを台所へ連れてゆき、リンゴでウサギさんを作って気分転換させた。セイバーはこういう、かわいい細工の食べ物に目がない。次はタコさんウインナーでも作ってやろうか。
 セイバーがウサギさんリンゴを楽しんでいる間、対する居間では桜がライダーに米粒を移す真意を教えているはずだ。気分はすっかり、散歩中互いに威嚇を始めた犬を引き離す飼い主である。
 二人が落ちついた頃を見計らって、セイバーと居間に戻った。セイバーはさっきまでのことはなかったかのように平然と、
「では、ランサー。ライダー。『箸を使って』一粒一粒、米粒を空いている方の皿に移してください」
 課題を出した。
 二人は一応頷いて挑戦するも、なかなかうまくいかない。そりゃそうだな。日本人だって箸の使い方がヘタな人にはできないワザだ。小豆や大豆の豆類でやるよりは滑らない分ラクだけど、小さい米粒をつかむのは案外難しい。
「セイバー。もう少し優しい特訓にしてやってもいいんじゃないのか? あれじゃ夜までかかっちまう」
「いいえ。簡単な練習では意味がない。目標は食事を食べられるようにすることなのですから、難しくとも 最初から高い目標の方が覚えも早いのです」
 セイバーのスパルタっぷりは道場の外でも顕在なようだ。
 同じ師を持つ者として、気の毒になあ、と二人を見ていて、あることに気がついた。
「あれ。ランサーもライダーもサウスポーなのか?」
「さうすぽー?」
 セイバーがキョトンとした顔で俺を見る。言われた二人も同じだ。
「左利きってことだよ。だってランサーもライダーも左手で箸使ってるだろ」
「……………………小僧。もしかして箸ってのは…………」
「利き手で使うものなのですか……………………?」
 苦虫を噛み潰したような声で交互に聞いてくるランサーとライダー。――俺、おかしなこと言ったかな。
 ランサーが頭をがしがし掻きながらセイバーを不満そうに睨みつける。
「なんだよ。セイバーが左手で使ってるもんだから、左手で持つもんかと思ったぜ」
「そんなことない。箸はナイフやフォークと違ってこれしか使わない食器なんだから、利き手の方が食べやすいだろ」
「だったら最初っからそう言え」
 文句をたれまくるランサー。どうやら自分の間違いが恥ずかしいらしい。ライダーも何も言わず、右手に箸を持ち替えた。
 どうやらセイバーの見本が左手だったため、左手で使うことしか頭になかったようだ。それぞれ遠坂や桜に右利きの持ち方を教えてもらっている。別にポイントが変わるわけじゃないんだけど、右手と左手では見た目が正反対だから、お手本がないと正しいかわからない。
 二人が右手の持ち方を教わっていると、今度は俺の隣でセイバーが不満そうにしていた。
「む。なんだか私が責められているような気がします」
「いやいや。こんなのただの偶然だって」
 セイバーがへそを曲げてしまわないよう、さりげなく誘導する。
「それよかセイバー。この後は実戦訓練にしてみるのはどうだ? やっぱり食べるために箸を使うんだからさ。実際に何か食べてみたほうがいいと思うんだ。もちろんセイバーのお手本つきで」
 ぴくり、とセイバーの眉が動いた。
「…………なるほど。シロウの言うことにも一理あります。それでは次は実戦訓練を行うことにしましょう」
「じゃあ何か持ってくるな」
 うん、やはり食べ物関連の攻撃力は強かった。セイバーは俺の提案をあっさり承諾、無表情を装っているが、嬉しそうなオーラが全身からにじみ出ている。
 昨日の肉じゃがの残りをレンジでチンして、小皿に分ける。その途中、居間にいるセイバーから声がかかった。
「シロウ。食べ物は四皿分持ってきてください」
「へ? 四皿?」
「ええ。シロウにもお手本をお願いしたいと思います」
 俺にも?
 珍しいこともあるもんだ。セイバーなら、自分で全部お手本をするかと思っていた。性格的にも食い意地的にも。
 まあ何か考えがあるんだろうと思いつつ、一皿だけ他のより多めにした肉じゃが四皿を持って居間に戻る。そこではランサーとライダーがさっきより多少うまくなった箸の訓練を続けていた。掴むより落とす回数の方が多いけど、数粒の米が隣の皿に移っている。
「ランサー、ライダー。どうやら米粒は難しいようなので、ここからはひとまず実戦訓練に入ります」
「おおっ! いいねえ、そうでなくちゃな」
 ランサーが喜色を満面に出して手を打つ。この男の食事への感情表現は非常にストレートだ。
 しかしそんなランサーを諫めるようにセイバーは言う。
「箸は、使えればいいというものではありません。フォークやナイフにテーブルマナーがあるように、箸の使い方にも作法があるのです」
 …………だんだん要求されるものが高度になってきた。さすがに今日一日でそこまで、と思うのだが、セイバーの目にこもる強い意志は、そんなこと聞いてくれそうにない。
「そんなの気にしなくても、口に入ればみんな一緒じゃねえか。あんまりうるさく言うなよ。メシがまずくなる」
 そして。
 ここにそんなセイバーの性格を理解しきっていない男が一人。
 ずっと箸で細かい作業をさせられていたストレスもあってか、ランサーは箸をじゃがいもに突き刺し、そのまま口の中へ放り込む。
「ランサー!」
「あてっっ!」
 びしりっ! という音とともに、セイバーが箸でランサーの手を打ち付けた。ちなみにちゃんと箸は逆手に持ち直している。
「なにすんだセイバー!」
「貴方のやったことは『刺し箸』と言って、礼儀に反した箸使いです。改めてください」
「な、なあセイバー。とりあえず箸の使い方をマスターして、礼儀はその後でもいいんじゃ……」
「シロウ! 貴方は甘い! 最初から間違った技術を覚えてしまうと、後にそれを更正するには倍の努力が必要なのです! 覚えがないとは言わせませんよ!」
「はは、はいっっ!」
 思わず背筋を伸ばして答えてしまってから気づいた。……それって俺の剣の腕に、そういう部分があるってことか?
「それより貴方も彼らに手本を。私は箸を使えますが、こと美しい箸使いという点では、やはりシロウの方が技術が上だ」
「わ、わかった」
 セイバーに指示され、俺も肉じゃがに箸をつける。
 対面に座るランサーとライダーは、俺の箸が運ぶ様子をじっと見ている。正直かなり食べづらい。
 じゃがいもを一口サイズに箸で切り分け、口に運ぶ。続いて肉も。
 生徒二人は俺の手つきを手本に、三倍ぐらいの時間をかけて肉じゃがを完食した。
 もちろんその頃には、セイバー先生の肉じゃがはすっかり空になっている。
 セイバーは満足そうな顔で――生徒の出来か肉じゃがの味かはわからないが――大きく頷いてから言った。
「二人とも、だいぶ良くなってきました。しかし、まだまだです。究極の箸使いの道のりは遠く険しく続いているものです」
 拳を握り、熱弁を振るっている。……そろそろ止めないとマズいかな。
 ランサーとライダーの二人も、いいかげんウンザリしてきたみたいだ。
「って言われてもなあ。なにもそこまで行かなくてもいーんだろ? とりあえずマトモに使えれば」
「たしかに、私自身もまだ箸使いを究めたとは言えません。ですから忠告だけに留めますが、箸の道も究めれば最高の礼儀を示せる、ということを知っておいてほしいのです。
 見てください。シロウの使った箸を」
 セイバーに言われ、ランサーとライダーは俺の手元をのぞきこんだ。俺がいつも使っている、みんなが使ってるのとたいして変わらぬ箸。
「……私達の箸と変わっているようには見えませんが」
「ライダー。観察力が足りません。よく見比べてください、シロウの箸の先と、貴方がたの箸の先を」
「えーっと、どれどれ…………お、小僧の箸はほとんど使った形跡がないな」
 目敏く違いを見つけるランサー。そういえば俺の箸で濡れた部分はほとんどないが、ランサーたちの箸はずいぶん上の方まで濡れている。
「このように、礼儀作法を守って食べれば、おのずと箸は汚れにくくなるものなのです。私もシロウのいる高みを目指すため、精進を続けるつもりでいます。シロウはおそらく幼いころ、十年前に亡くなった父君に教え込まれたことを忠実に守っているのです」
「…………セイバー、ちょっと待った。なんだその設定」
 どうして俺自身覚えていないあの火事で死んだ父親のことを、セイバーが知っているのか。
 セイバーはキリリと引き締まった顔を俺に向けて、
「シロウ。私がこの教えを教わったのは、とあるテレビでした。究極と至高のメニューを作る、というグルメ番組です。そこでシロウという息子を持つ男が、この礼儀作法を説いていました。あの食へのこだわり、おそらくはあれこそがシロウの実の――――」
「ってそいつは違う『士郎』だろ!?」
 今さらネタがかぶりすぎて恥ずかしいぐらいベタなジャンルじゃないか。ファンディスクにまで入ってたっていうのに。
「いいえ。シロウにこれだけ料理の腕があるのは、きっと我流でも切嗣からでもない、もっと別の理由があるはずなのです。彼の者の息子であるとすれば、しっくり納得がいきます」
「だからって十年前に死んだ俺の前の父親は、普通の家に住んでた普通の父親だったはずだっ! 決してでっかい和風の家に住んでたわけでも、美食倶楽部なんて酔狂なモン経営してたわけでもないっ!」
「では! シロウは切嗣の息子になる前、自分がなんという名前だったか覚えていますか!? 『海原』ではないという保証はあるのですか!」
「うっ…………!」
 たしかに俺は『衛宮士郎』になる前の名前なんて覚えていない。でも、でも断じて『海原』だったり、もちろん『山岡』だったわけではない。……と思う。
「だいいちセイバー。あのオヤジは人に礼を説いているけど、自分では『いただきます』も『ごちそうさま』も言ったことがない、ひねくれものなんだぞ。あんなののマネしちゃダメだ」
「む……。獅子のように我が子を千尋の谷に落として育てる、厳格で高潔な人物だと思ったのですが。シロウがそこまで言うのならばやむをえません。
 では、他のたとえ話を出すことにしましょう」
 しぶしぶ、といった感じでセイバーはこの話題から離れてくれた。ふう、助かった。
 彼女はしばらく目を閉じ、箸にまつわる伝説を思い出す。
「かつて、この国にいた剣豪の話です。彼は数多くの武勇伝で有名であり、その逸話のひとつに『箸で飛んでいるハエを捕まえた』というものがあります。実際に箸でハエを捕まえるのは不潔なのでやめていただきたいが、つまりは箸使いの技術も卓越すればそれだけの技術を得るということなのです」
 セイバーさんセイバーさん。それはたぶん剣豪の箸の技術がスゴいって話じゃなくて、ハエを捕まえた集中力とか反射速度の方に注目してほしい話だと思うのですが。
 けどこの話は、俺も聞き覚えがある。たしかそれを為した剣豪の名は――――
「誰か私を呼んだかな?」
 スパーーーンッッ! と勢いよく庭に続く障子が開けられ、踏み入ってきたのはアサシン。その真名は佐々木小次郎。
 障子を開ける勢いはあるが、口調はあくまでも優雅だ。
「あ。たしか、箸でハエを捕まえたっていう伝説があるのは……」
「そう。我が永遠のライバル、宮本武蔵だ。話は聞かせてもらったぞ。武蔵の名が出たのでは、我が存在にかけて退くわけにはゆかぬ」
 どこで聞いていたのか、とか、そもそも箸の使い方にまでライバル心を燃やさなくても、とか、俺の中でくすぶる疑問はとりあえず置いておくことにした。どうせ訊ねてもムダだからだ。
 小次郎は軽く断りを入れ、セイバーの対面に正座した。うーん、こうして見るとやはり、こいつがサーヴァントの中では一番衛宮家の居間に似合う。セイバーに負けず劣らず正座の姿勢がきれいだ。
「箸の使い方ならば、おそらく私が一番精通していよう。任せるがいい」
「ほう。アサシン、貴方は大した自信があるようですね」
「無論よセイバー。昨日今日使い始めたそなたに負けるはずがなかろう」
 そうか。サーヴァント連中の中でアーチャーと小次郎だけは、純国産だった。ヨーロッパ系が多いからつい忘れるところだったけど、この二人は聖杯の知識うんぬん関係なく、日本語もしゃべれば箸も使える。
 セイバーもそれを思い出したんだろう。悔しそうに唇をかみしめている。箸なんて使い始めて一年にも満たないセイバーでは、おそらく生まれたときから使ってた小次郎に勝てるはずもない。
 でもセイバーのやつ、負けず嫌いだからなあ…………。
「いいでしょう。そこまで言うのなら勝負です。必ず貴方にひざをつかせてみせます」
「望むところだ。以前着かなかった決着、今こそつけてくれようぞ」
 だからどうしておまえたちは、箸の使い方ひとつでそれほど熱くなるんだか。
 呆れる俺を後目に、対決の準備は着々と進む。皿と米粒が用意されて、二人の目の前に置かれた。
 ついでに俺の前にも。
「――――え?」
「シロウ。貴方にも参戦してもらいたい。私はいつか貴方を超えたいと思っていますから、丁度いい機会です」
「ふむ、良いな。私も現代の人間がどれだけ箸に精通しているか興味がある。小僧、我々につきあってもらうぞ」
 どうやら二人には俺すらライバルに見えているらしい。
 ……だから。俺は箸なんて、使えればどうでもいいと思うぞ?
 しかしそんな心の叫びは、勝負に熱くなった二人の耳に届かない。
「レディ――――」
 ランサーがノリで審判をつとめる。
「ゴー!」
 開始の合図と共に本気で箸を操り始めるセイバーと小次郎。俺も一応マジメにやることにした。手なんか抜いたりしたら後で二人にどんな事を言われるかわからない。
 ……いや、勝ったら勝ったで延々勝負挑まれそうな気もするが、それはその時で。
 俺の箸は順調に米粒を運び、あと少しで全部終わりそうだと思った、その瞬間。
「終了だ」
 涼やかな声が上がる。
 反射的に声の方を見ると、小次郎は俺より早くすべての米粒を移し終わっていた。
「なっ――――!!」
 セイバーが驚愕の声をもらす。彼女はやっと半分ほど移したところらしい。
 小次郎は小さく笑みを見せ、
「ふっ。飽食の現代と違い、かつて私の生きていた頃は米一粒残さず食すは常識であった。今は僧侶しかしておらぬ箸使いを、昔は皆がしておったのだ。その時代に生きた私が負けると思ったか」
 イバって言ってるが、それってつまり悪く言えば貧乏だったって話なんだろうなあ。話の腰を折るから言わないけど。
 小次郎は満足そうな表情でさっさと帰っていった。何をしに来たかは、たぶんもうヤツにもわからないだろう。
 対してセイバーはすっかり挫折し、畳に手をついている。
「くっ……! まさかこのような思いもかけないところで遅れを取ろうとは……」
 俺としてはもうそろそろ正気に戻ってほしいのだが、これだけ落ち込んだセイバーにかける言葉が思いつかない。
 誰かに助けを求めて視線をさまよわすも、ランサーも遠坂も桜も関わり合いになりたくないらしく、目をそらしてしまう。あとは――
「あれ? ライダー」
 ふと気が付けば。
 さっきから黙々と米粒を移す練習をしていたのかライダーは。
 いつのまにか、ゆっくりではあるが確実に危なげなく米粒をつかめるようになっていた。
 俺の声でみんなが気づき、一斉にライダーの方を見る。桜が感激の声をあげた。
「わあライダー! すごい、お箸使えるようになったのね!」
「はい。マスターの願いを遵守するのは、サーヴァントとして当然の務めです」
 口調は淡々としているが、ライダーも桜にほめられて嬉しそうだ。
 どうやらライダーは箸を使うコツを覚えたらしい。これならもう少し食事で実戦経験を積めば、じき問題なく使えるようになるだろう。
 喜ぶ桜とライダーの主従を横目で見て、遠坂がランサーに声をかける。
「ほら。ライダーに先越されちゃったわよ。アンタももうちょっと頑張らないと」
「うーん、でもなあ。オレんところはあんな麗しい主従愛なんてないから、今イチ身が入らねーんだよなあ」
 いっそ嬢ちゃんがマスターなら良かったぜ、とぼやくランサー。
 そんな彼の後ろで、地獄から響くような声がした。
「そうだな。おまえは箸など使えんでいい」
 不吉な予感は声からですら感じ取れる。全員が本能レベルの危険信号を感じ取り、その方向へ向き直った。
 声に続いて姿を現したのは、黒一色の神父服に身を包んだ、良くいえば荘厳、悪くいえば不景気な面をした一人の神父。
 言峰は不愉快そうに眉をしかめ、
「困ったことをしてくれるな衛宮士郎。そしてセイバー。私のサーヴァントに、箸の使い方などという邪道を教えこみおって」
「待て。箸の使い方がなんで邪道なんだよ」
「当然であろう。我が教会は一神教だぞ。無論食器の使い方もしかりだ。うちの教会では、食事のときに使っていい道具はレンゲのみと決まっている」
「………………」
「………………」
『………………………………』
 絶句する俺たち。いや、なんでレンゲかってのは今さら聞く必要もないんだけどなこのマーボー神父の場合。ただ、麻婆豆腐は中華料理であって、それはキリスト教と無関係だとひしひし思う。
 というかそれ以前に、いくら一神教だって箸を認めないなんて心の狭いことは言わないはずだ。それにそんな決まりがあるならまず間違いなくフォークとナイフとスプーンだけで、レンゲは認められないのでは。
 しかし言峰は大真面目に、ランサーから箸を取り上げようとする。それにランサーは抵抗した。
「冗談じゃねえ。あんな真っ赤なマーボー、毎日食べさせられる身にもなれってんだ。あんなの食べるくらいなら何も食べなくたって構やしねえよ」
「ほう、なるほど。それでここ最近、おまえもギルガメッシュも食事の時間になると外出していたのだな。もう二ヶ月も食べていないから、腕によりをかけて作るべきと思っていたのだが」
 気づけ。それくらい。
 ランサーはいまだに歯をむきだしにして怒っている。こりゃテコでも言峰の独自理論にはつきあいそうにない。むしろつきあわないのが人として当然の姿だ。
 そんなランサーに、言峰は見せつけるように左腕を取り出した。そこにあったのは――
「命令だ、ランサー。おまえはこれから、食事のときレンゲしか使ってはならん。それが嫌なら自害しろ」
「なっ――――!? テ、テメエ! どこまでヒキョウなんだ!!」
 令呪が光り、ランサーに強制的な命令が与えられる。
 とたん箸をつかんでいたランサーの手から、ソレが滑り落ちた。
「ぐ……!」
 悔しそうに顔を歪ませるランサー。対して言峰はすがすがしい笑顔。他人の不幸と絶望を糧に、ツヤツヤと輝くような笑顔を見せている。
「今夜は腕によりをかけたスペシャルなやつを作ってやる。早く帰るがいい」
 そして。
 聖杯を開いたときよりはるかに嬉しそうな顔で、外道神父は帰っていった。
 あとでランサーに顔の形が変わるほど殴られるかもしれないが、それは自業自得だから俺の知ったことじゃない。
 ランサーは先程のセイバー以上の落ち込みようで、今にも別の意味で自害してしまいそうなほど、表情を暗くさせながらよたよたと出ていった。教会に帰るのかどうかはわからないが、後ろ姿は50男の哀愁漂う背中とよく似ていた。
「…………なあ、セイバー」
「はい、シロウ。なんでしょうか」
「次にランサーが来たときは、うまいもん食べさせてやろう。……レンゲでもいいから」
「そうですね……。彼の境遇には同情を禁じ得ません」
 そのときはレンゲで食べても違和感の少ない食事を出してやろう。シチューとかカレーとかちらし寿司とか。
 神父によって道に迷わされた哀れな子羊のため、俺はメニューを検討しておこうと決めたのだった。






 サーヴァントたちは一般知識を聖杯からの情報としてもらっているそうですが。
 いくら聖杯でも、本来食事の必要がないサーヴァントに、食器の使い方まで教えるとは思えないのですよね。
 (それでなくとも必要な知識の量は膨大で、普通なら脳がパンクしかねない情報量だと思います)
 実際にセイバーは箸を使えるけど、ライダーは使えるかどうかわからない記述がありましたし。
 イリヤは……おそらく元は使えないとは思うけど。たぶん藤村の家で教わったと思うですよ。いつまでも使えないのは子供っぽいとか思って。
 そうそう。セイバーは箸を左手で使うらしーですよ?(side materialとTG付録TYPE-MOON応援本2の没ラフ画より)。士郎との握手も左手って記述ありました。剣を片手で持つ時は右手の一枚絵が多いですけど。ランサーは一枚絵の槍の持ち方からたぶん右利き、ライダーはわかりません。
 イチバン哀れだったランサー。けど令呪は時間が長いと効果が薄れるそうなので、きっとそのうちお箸も使えますよ。うん。(目そらし)




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