「………………………………………………………………」
もはや言葉もない。
まさかここまで続くとは思わなかった。夢とはいえ子供の顔を見てしまうと、なんだか本当にギルガメッシュの子を生んだような、複雑な気分にさせられる。
これで三日連続。なにが悲しくてこんな夢ばかりを。
つい隣を見てしまうが、そこに昨夜と同じ彼の姿はない。さすがに三日連続は甘えられないと自重したのだが……こんなことならワガママを通すべきだったろうか。
「………いや、これは私の問題です。シロウに迷惑はかけられない。
そもそも夢の内容など私にすら責任はないではないですか」
もしかしてこれは罰なのだろうか。彼との蜜月に甘んじている自分への。
最近士郎と同衾している回数が増えていないか、思わず計算してみる。
「って、何をしているのでしょう」
途中で我に返り、ためいきを吐き出した。
ああまったく、本当に。
「…………どうしてこんな夢を…………」
つくづく自分が嫌になる。いっそ夢を見ないで眠れたらどれほどラクか。
あまり夢を見る質ではなかったというのに―――
「………………はあ………………」
大きな大きな大きなためいき。
今夜も残念ながら、これ以上眠れそうになかった。
☆★☆★☆★☆★☆
眠いながらも朝は来て、否応無しに昼は来る。
朝が来たら人は起きねばならない。もっとも世の中には夜間に活動する人もいるわけで、必ずしもその法則が当てはまるわけではないが、少なくともセイバーは朝起きて夜寝るという生活サイクルで生きている。
そも、あの夢にたたき起こされてからずっと起きていたので、朝も夜もないのだが。
人々が昼食をとる少し前の時間。セイバーは商店街へと歩みを進めていた。
いつもの瞑想がどうにも集中できず、気分転換として士郎の代わりに買い物でもしようと思い立ったのがその理由である。
和風建築が多い坂道をくだり、バス停のあるいつもの交差点へ。そのままさらに坂をくだって、商店街への道をいくらか進んだところで。
「………………………………」
セイバーはくるりと向きを変えた。
そのまま元来た道を早足で戻る。後ろの足音は気にしないようにして。
しかし。
「セイバー! どこへ行く!」
金髪の英雄王は、関わらないようにしようとしたセイバーの努力など知らず、唯我独尊に呼び止めるのであった。
こうなっては仕方ない。できれば知らないフリをしていたかったが、追いかけられて家までついて来られるのも面倒だ。
「………ギルガメッシュ………」
顔を歪めて振り返る。ギルガメッシュは彼女の表情に気づかないのか、あるいは気にしていないのか。相変わらずの尊大な態度で、盛大な勘違いを口にする。
「フッ。我と会うのが照れくさいと言うのか? 恥ずかしがることはない、おまえにはいつでも我の隣に立つ栄誉を許そう」
「許していただかなくて結構です。むしろ貴方には私の隣に立つことを許したくありません」
「まったく、いつもながらつれない女よ。男をあまり焦らすものではないぞ、セイバー」
焦らした覚えは微塵たりともない。
けれどそんなセイバーの胸中も知らず、ギルガメッシュは背後の空間から、何かを取り出す。
「まあよい。今日はそんなおまえに良いものを持ってきた。何も言わずにこれを受け取れ」
そう言って差し出してきたのは、一本の杖。
面食らった。いつも彼がよこしてくる品とは、あまりにも意匠がちがいすぎる。あんまりびっくりして、押しつけられたそれを思わず手にとってしまった。
改めて手の中のものを見ると、あまり馴染みのない魔力を感じる。
「? なんですかこれは」
セイバーは渡された杖を四方八方から眺めた。
基本的には赤い杖だが、片方の先端には輪っかがついており、その中に黄色い星が入っている。しかも輪の外には鳥の物を模した羽が。そして杖の根元に、水晶で作られたような、虹色に輝く宝石がついている。
デザインは悪くない。むしろ可愛らしいとさえ言える。だが、この杖が放つ禍々しい気配はいかなるものか。
「……むむむむむ……」
杖としばしにらめっこ。理由はよくわからないが、見れば見るほど彼女の直感は、この杖と関わるなと告げてくる。
「――――ギルガメッシュ。せっかくですが丁重にお返ししま、」
『だめですよう、ちゃんと受け取ってくださらなくちゃー』
「!?」
びくっ、と驚きに体を震わせ、思わずセイバーは身をひいた。手にしていた杖がとつぜん喋りだして驚かない人間などいないだろう。
しゃべる杖は、楽しそうに白い羽をたぱたぱと動かし、
『あ、初めましてセイバーさん。私、マジカルルビーともうします。可愛くルビーちゃん、と呼んでくださいね♪』
……………………なぜだろう。
口、はないけど、この杖が口を開いたとたん、禍々しさが一層パワーアップした気がする。
『さあセイバーさん、この私を掲げて、「タイプムーン・カレイドプリズムパワー、メー○クアーップ!」と叫んでください、大声で。さあ。さあさあさあ』
杖、もといルビーは催促するかのように、赤く点滅を繰り返す。
「た、たいぷむー…………なんですって?」
『タイプムーン・カレイドプリズムパワー、メー○クアーップ! です。そうすると(私にとって)とても面白いことが起こりますからねー』
「…………面白いこと、とはなんでしょう。そもそも貴方は何者なのですか」
『はいー。実はルビーちゃん、この杖ことカレイドステッキの人工天然精霊でして。
このカレイドステッキは、第二魔法を応用して並行世界から違う自分を呼び出し、”並行世界の自分”をかぶることによって、この世界の自分にはないスキルを身につけることができる悪夢のリリカルアイテムなのです!
士郎さんの説明によると、並行世界から自分の持ってない能力をダウンロードしてくる、ってカンジですねー』
「だうん…………?」
『あらあら、セイバーさんもハイテク関係には弱いんですか。
つまりですね。ぶっちゃけますとセイバーさんが私を使っていただいた場合、そこのギルガメッシュさんと(面白そうだったから)交わした約束により、ここにいるセイバーさんを並行世界のセイバーさんと同じ能力を持ったセイバーさんにできるってわけなんです。
それすなわち、無限に連なる並行世界のどこかにいるであろう、ギルガメッシュさんを心の底から愛しているセイバーさん!!
私の能力によってあら不思議、ここにいるセイバーさんもギルガメッシュさんを魂から愛せるセイバーさんに早変わ』
みしっっっ!!!
小さくも芯の通った音がして、カレイドステッキはギルガメッシュの顔面に思いっきし吸い込まれていった。
「男子の顔に杖を!? おのれセイバー!」
「誰がいりますか、そんな能力!」
心の底から本心だった。
ギルガメッシュの顔から自分で離れ、カレイドステッキは自前の羽を使ってセイバーの周りを飛び回る。
たぱたぱ。たぱたぱ。たぱたぱたぱたぱたぱ。
『そんなー。ね? どうせですから違うセイバーさんにもなってみましょうよー。能力はたくさんあって損はしませんよー』
「少なくともその能力は、身を滅ぼす役にしか立たないと思います」
『あ、そうだ、今なら特別に花嫁衣装もつけちゃいますから。キャー、女の子の夢っ! 白無垢とウエディングドレス、なんだったら各国の民族衣装もお色直し用につけちゃいますよ。このこのっ、セイバーさんなら色が白いからなんでも似合いますよ、美人は羨ましいですねー♪』
ぞわぞわぞわっっっ!
彼女は背筋に毛虫が百匹這っているような悪寒に襲われた。
花嫁衣装? 誰が、私が? 誰の? シロウではなく、まさか、ギ、ギルガ――――――
「お断りだ、この――――!」
地面に叩きつけてやろうと、セイバーは飛び回る杖をもう一度手にとる。
とたん、
カッ!
「なっ……!?」
閃光が走った。同時に杖から漏れる忍び笑い。
『ふふふ―――ふふふふふふ!
やりました! 再び私を手に取りましたね! これでセイバーさんを変・身!させてあげられちゃいます!』
「な、な―――!? し、しかし、まだ先程の呪文を唱えてはいないはずっ……!」
『ああ、あんなのオマケですから。言うと楽しいだけで、別に必要なわけではありません』
「こ、このアクマぁぁぁぁ!!!」
セイバーの絶叫が響く。同時にギルガメッシュの哄笑も轟いた。
「くはははははははは!! やった、やったぞ、ついにセイバーを我のものに!!」
「くっ――――!」
まさか。本当に自分は、心を偽らされギルガメッシュを愛するようになってしまうというのだろうか。
ギルガメッシュを信じて頼りにしている、あの夢の自分のように。
嫌だ。そんなことは絶対に嫌だ。心を陵辱されるくらいなら、いっそ死を選ぶ。
しかしもし、心を偽らされている事すら気付けないようになってしまったら。ああ、そんな生き恥をさらすなど、考えたくもない。
そんな事、そんなこと――――シロウ、シロウ、シロウ――――!!
セイバーの頭の中を、様々な思いが走馬燈のように走り抜ける。
わずか十秒にも満たない時間の後。
カレイドステッキの閃光は消え、そして―――
「………………あ?」
「………………む?」
そこには、元の状態に戻ったカレイドステッキと、それを訝しげに見るギルガメッシュと。
―――さっきまでと全く変わらぬセイバーの姿があった。
「セ………セイバー?」
恐る恐る彼女の名を呼ぶギルガメッシュ。
それにセイバーは偽らざる本心を返す。
「近寄らないでください鬱陶しい」
「はうッッ!?」
もんどりうって彼は地面に倒れ伏す。言葉のナイフ、という表現がピッタリな有様だった。
一方のセイバーは、なんとなく自分の体をあちこち見下ろしてみる。
「……はて。特に変わった様子は見受けられませんが……」
「どどどどどどどどどぉぉぉぉいうことだ貴様ああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
一瞬にして復活したギルガメッシュが、マジカルルビーに詰め寄った。ルビーはセイバーの手から飛び立ち、ん〜? という疑問を声に滲ませる。
『おかしいですねぇ、手順は問題ないはずなんですけど……。
ちょっと見てみましょうか』
そう言って、ルビーはそこらの塀に向かって、
『マジカルビーーーム!』
謎の光線を発射した。
みにょんみにょんみにょん、とどこか耳障りな音と共に発射されたピンク色の光線は、波紋のような輪を描き、塀に大きな輪を焼き付ける。
そこに映った光景を見て、セイバーとギルガメッシュは思わず声をあげた。
「なっ……!?」
「なんだこれは!」
映し出されたのは、何人もの金髪赤眼の青年。あれもギルガメッシュ、これもギルガメッシュ、ギルガメッシュ、ギルガメッシュ。漠然と数えて20人前後のギルガメッシュだった。
その端っこの方にたった一人、青年より背の低い金髪の少女がいる。セイバーだ。
『おい、セイバーを我に寄こせ!』
『なにを言う、セイバーは我のものだ!』
『たわけた事を、セイバーは我のものだというに!』
『ええい散れ散れ、セイバーは誰にも渡さぬ!』
『ギ、ギルガメッシュ、これはいったい……』
よく見れば、一人のギルガメッシュがセイバーをその背にかばい、セイバーも自分を庇っている青年に寄り添っている。構図としては何人もの暴走族に絡まれたカップルという図式だった。絡んでいる方も絡まれている方もギルガメッシュ、という点を除けば。
「…………おい、貴様。なんだコレは」
映像の外にいるたった一人のギルガメッシュは、震える指で意味不明な映像を指し、ルビーに問い掛けた。
ルビーは小首をかしげ――いや、首などないのだが、そう思わせる口調で――解説する。
『はいー、どうやらあっちこっちの世界から、第二魔法を手に入れたギルガメッシュさんがあの世界に来ちゃったみたいですね』
「第二魔法?」
『並行世界へ旅をする魔法です。現代ではゼルレッチのじじ……もとい、ゼルレッチ翁しか使えない、正真正銘の魔法ですよ。
ゼルレッチ翁と知り合ったか、それとも過去や未来の第二魔法の使い手と知り合ったか。ともかくどうにかして第二魔法を駆使したギルガメッシュさんが、「ギルガメッシュさんを愛してるセイバーさん」を連れ出そうと、この世界に集まってるみたいです。無限に連なる並行世界の中で、そーゆうセイバーさんがいるのは、どうやらここだけのようですから』
いやはや考える事はみんな同じですねー、と朗らかに笑う精霊。
「そ、それで!?」
『あっちこっちのギルガメッシュさんが一度に第二魔法を使ったせいで、今あの世界の周りはすっごく歪んでしまってるんですよね。おかげでルビーちゃんの力が届かないです。
つまり私の力では、今はどうやってもあっちのセイバーさんの能力を持ってこられません。神秘はより強い神秘に打ち消されるものなんですよ』
「な、それは話が違うのではないか!?
あの雑種の女にこの我が、頼み込んでまで貴様を借り出したというのに!!」
『まあセイバーさんは血液による登録もしてませんし、こんなもんですねー。あはー』
「ええい、なにがこんなも――――」
カカッ!!
――――その日、午前11時31分45秒。
冬木市の上空を見上げた者は、眩き黄金の光が、曇り空を割って天を切り裂いたと証言した。
その中には授業中、異変を感じて外を見た若き冬木の管理人も含まれる。
冬木市一の天才魔術師は、この光景を目にした瞬間こう呟いた。
「セイバー……あんまりエクスカリバーなんて連発しないでよね……」
もちろん、自らのガンド使用回数など脳裏に思い描きもせずに。
―――むかむかむかむかむかむかむかむかむかむか。
おいしい食べ物は素直な気持ちでおいしく口にするのが正しい事だとわかっているのに、ここ最近はなかなか実行することができない。
寝ても覚めてもあの金髪赤眼が追ってくるのはもうまっぴらだ。それでもあの影がやってくる。
おかげでここ数日のセイバーの機嫌はスキーの直滑降斜面並に下り坂だった。
だというのに。
「なあ、セイバー。最近どうしたんだ? なんかギルガメッシュに冷たすぎるぞ」
彼女の主までもがこんな言葉を口にするのはいったいどうしたことか。
む、と眉の角度をまたつり上げ、セイバーは口をとがらせる。
「シロウ。貴方はギルガメッシュにもっと優しくしろというのですか。
あのような男に気を使う必要などありません。一寸の虫にも五分の魂、などと言いますが、あの男には五分でも多すぎるくらいです」
「……………………」
納得してくれたのか、士郎は黙り込む。顔に若干おびえの表情が走っていたのは見なかったことにした。
それでも彼はおそるおそる口をひらき、
「セイバーが前からあいつをうっとうしがってるのは知ってるけどさ。
それでもここ数日はずいぶんエスカレートしてると思って。あいつ、何かセイバーを怒らせるような、トンデモナイことしでかしたのか?」
「いえ、責任の半分は彼にはないのですが…………」
ちょっと言い淀む。ギルガメッシュが求愛してくるのはいつものことで、それがうっとうしいのもいつものこと。ただ、あの夢のせいで、うっとうしさが嫌悪感まで変わるほど何倍にも増幅されているだけだ。
いつもどおりの行動をしているだけのギルガメッシュには大層理不尽な話だろうと、ちょっぴり罪悪感もわく。ちょっぴりだけだが。
「…………ここのところ、毎日悪夢を見るもので。気が立っているのです」
「夢? どんな夢だよ?」
「……言えません。口に出すのもおぞましい」
というより思い出したくもない。また胸にむかむかが戻ってくる。
士郎はふーふーと湯飲みのお茶を吹いてさまし、一口すすってから、
「――――悪い夢見て、気分が悪くなるのもわからなくもないけどな」
カタン、と湯飲みを置き、真剣な目で彼女の顔を覗き込む。
「それで他人にやつあたりするのはよくないぞ」
「む…………」
たしかに、士郎の言う通りではある。
そういえば彼もよく火事の折の夢を見るのだと大河から聞いた。あの夢の後に自身の運命を呪ったこともあったのだろうか。今では窺い知れぬことではあるのだが。
夢の影響でギルガメッシュの顔を見るだけでも拒絶反応が出る、というのも彼に失礼な話だ。
いくらあの男が嫌いだからといって、最低限の礼節まで軽んじていいとは言えない。
「…………申し訳ありません。善処してみます」
「そうそう。
どうせ夢なんだからさ。現実にまで出てくるわけじゃない。どんな夢か知らないけど、気にしないのが一番だって」
士郎は軽く言ってお茶を飲み続ける。
昔の事は窺い知れねど、十年間悪夢を断続的に見続けてきた少年は、ずいぶん図太くなってしまったようだ。
―――ふと。
あの夢の話をしたら、彼ののんびりとした顔がどうなるのか気になった。
「…………そこまで言うのでしたら話します。
あろうことか、私がギルガメッシュの子を身籠もるという悪夢」
ぶぅッッッッ!!!!!
言葉の途中で盛大にお茶を吹く音がする。
見ると彼は置いてあった台拭きで、必死にテーブルを拭いている。
士郎は湯飲みのお茶を半分ほど霧状に撒き散らしてしまったようだった。
「だ、大丈夫ですか? シロウ」
「……げほっ……へ、平気……それ、よりセイバー、それって」
「――――だから言ったでしょう。口にするのもおぞましい、と」
思わずまた顔をしかめる。やはりまだまだあの男への八つ当たりをおさえられるか自信がない。
士郎は必死にセキをこらえながら、セイバーの顔を見つめていたが。
「あー……その。あの、だな…………その、なんだ。えー……………………」
やがてよくわからないうめき声をあげつつ、あっちこっちに視線を飛ばす。時折顔が赤くなる。いや、時折ではなく段階的に、どんどん赤くなってゆく。そのくせちゃんとした言葉は一向に出てこない。
さすがに五分もそんな時間が続くと、彼女も焦れてきた。
「シロウ。言いたい事ははっきり言ってください」
「あ…………うん。じゃあ…………」
ぐび、と唾を飲み込んで。
一騎打ちのような形相で、セイバーを真正面から捉え。
「あ。あのさ、セイバー…………
まさか、本当に妊娠してるなんて事、ない、よな?」
びぎり。
セイバーは自分の頭のどこかの血管が切れるのを、他人事のように聞いていた。
カタカタ、カタカタと鳴っているのは、怒りに震える自分の歯か、それとも聖剣の鍔鳴りか。
「シロウ――――貴方ハ私ガぎるがめっしゅノ子ヲ授カルト」
「い、いや違う違う違う違う違うっっっっ!!!! そうじゃないっっっっっ!!!!!
…………その、あいつの子じゃなくてもさ。妊娠してる、なんてことは、あり得るのかも、と、思ったん、だけど…………」
だんだん勢いをなくす士郎の声。うつむいた顔を見て、ようやく彼女も理解する。とたん、頬が紅潮した。
「…………ぅ…………」
つまり彼はこう言っているのだ。
ギルガメッシュの子ということはなくとも、妊娠しているせいで、そんな夢を見るのではないかと。
「――――――――」
可能性はゼロではない。
―――しかし。
「とりあえず、今のところそういった兆候は見られません。それに………」
子供が欲しい、とはあまり思わない。
士郎の子を授かるかも、と考えたことはある。しかし子供を授かるということは喜びばかりではないのだ。
子供といえばいつも彼女の脳裏には、自分と同じ顔を持つ息子のことが描かれる。
―――モードレッド。
姉に作られた彼女のクローン。最期まで理解しあえなかった息子。
今でもときどき思い出す。あの丘で、彼女の頭に大きな瑕を残し、彼女が胴を薙ぎ裂いた時の、あの顔を。
彼の最期の言葉は思い出せない。いや、思い出したくない、のかもしれない。そうでないと罪悪感から逃れられなくなってしまうから。
口の動きまではっきり覚えていても、紡がれた言葉はいまだ頭が理解を拒否している。
たとえ作った覚えがなくとも、セイバーは彼が自分の息子であることを知っていた。
実の息子を殺した自分に、今度こそうまく子供を育てられるという自信は、ない。
「………………………………」
つい口が重くなる。いつのまにか顔が下を向いていた。
そんな自分に気づき、彼女は姿勢を正す。
「それに、まだ子供など早いでしょう。せめてシロウが一人前になるまでは」
「う。……そりゃなあ」
セイバーの育った時代では、彼も彼女も立派に結婚して子供を持てる年だが、この21世紀の世の中ではまだまだ早い。
―――そう。彼が子供を欲しがるのも、子供がいて当然と思える年齢になるのも、もう少し先の話だろう。
急いで解決することではない。まだもう少し猶予がある。
それまでゆっくりと考えよう。いつか子供を授かるかはわからないけれど、最低限そのぐらいの時間は許されている。
だから。
今、叶うかどうかも知れない重責で、こんなに胸を騒がせる必要はないのだと。
己に言い聞かせ、セイバーは心を平静に戻した。
「……まったく。こんな話になってしまうのも全てあの夢が悪いのです。夢が願望の顕れなどと、そんな妄言をどこの誰が吐いたのでしょう。
しかもこの私が、あんな男にあんな言葉を……まったくもってあり得ません。無理矢理略奪されるならまだ可能性が塵芥ほどでもあった――いえ、もちろんそれだけでも許し難いのに、あのような、話に聞くだけでも認められない光景を見せつけられるとは―――」
思い出したらまたむかむかしてきた。本当に、どうなっているのか。
士郎は新しくお茶を注ぎ足し、一口飲む。
「うーん。…………夢は夢だから、やっぱり気にするなって言いたいんだけどさ」
そして、またあのすっきりとしない顔。
歯にものが詰まったような表情で、言いたいことを迷っていたようだが、今度の逡巡は短かった。
「…………まあ。その。なんだ」
そっぽを向いたまま士郎は耳まで赤くなって、どこか不機嫌そうな顔を装いながら、
「あんなヤツにお前は渡さないから安心しろ」
ずずずずずーーっと音をたててお茶をすする。
ごまかすように飲み干したお茶の音の前に囁かれた、彼の本心は。
けれどしっかりセイバーの耳に届いていた。
心がじんわりと暖かくなる。彼の腕に包まれている時とは、また違った幸福感。
あんまりにも嬉しくて。
「―――はい。頼りにしています。シロウ」
彼の後ろに回り込んで、背中に額をくっつけた。
大きくてあたたかい背中。間違いなく士郎が男性なのだと、この背中を見ていると思う。
彼の背中は自分が寄りかかったくらいでは動かない。
無論、戦いともなれば彼はまだまだ未熟で。自分の方が強いのは百も承知なのに。
このぬくもりは、そんな事を全て覆すほど頼もしさを感じさせる。
「――――――――」
「……………………」
言葉は交わさず。ただじっと額を押し付けて。
けれど心が交わってゆくのをたしかに感じる。
今の彼女は一人ではない。孤独に駆け抜けた、誰にも理解されぬ王ではない。
きっと彼と一緒なら、どんな不吉な予感も乗り越えていけるだろう。
セイバーは初めて、いつか士郎の子が欲しいと思った。
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