嵐は、やはりいつもの通り、台風のような人と共にやってきた。
3年C組担任教諭、藤村大河。我らが藤ねえは珍しく本日、遅刻もしなけりゃ焦りもしないピッタリの時間で教室に現れ、ちょっぴり騒がしいいつも通りのホームルームをとりおこなった。
そして最後に、
「今日はみんなに新しいお友達を紹介しちゃいまーーす!」
……………………は?
たまにマンガ等で聞く定番のセリフ。実際に教師のセリフとして聞くのはこれが初めてだ。
それが意味するところは、おそらく転校生。
――しかし俺たちは高校三年生。しかも今はすでに5月だ。なんだってこんな中途半端な時期に――
――――――っっ!?
「どうかしたか、衛宮」
「あー……いや…………」
後ろの席から一成が不思議そうに聞いた。なんだかものすごくイヤな予感が…………。
命に関わることではない。だからセイバーに鍛えられた生命の危機感ではなく、むしろ遠坂に鍛えられた自分に訪れる不幸への直感が警告を告げたように思う。
藤ねえはクルリと得意げに一回転して、教室の外へ告げる。
「はい、それじゃお待たせ。入ってきていいわよー」
ガラリ。
元々クラスの全員が扉に注目していたが、入ってきた人物を見て、本格的に目を奪われた。
背は高くなく、むしろ小柄だろう。筋肉がついてることを本人が不満に思うその手足は、逆を言えばほっそり引き締まってることでもある。全体的に華奢で、そのくせ頼りなさを一切感じさせないその身体。
この街では滅多に見ない――ああ、でも最近は、街でこいつの姿を見る人も多いのだろう――流れるような金色の髪。高価な宝石を嵌めこんだような緑色の瞳は、美しいだけでなく見る者を魅了する、不思議な引力を感じさせる。カリスマとはこういうことか。
まるで高名な人形作家の手で作られたような、けれど人の作るものでは決して再現不可能な美貌。普通ならばお姫さまのようなと表現するところなのだが、彼女の場合は凛とした特有の気配から、姫というよりその佇まいも含めてまさしく王者。
「じゃあ自己紹介してねー」
「アルトリア=セイバー=ペンドラゴンです。よろしくお願いします。どうぞセイバーと呼んでください」
ガンッッ!!
俺は自分の机にヘッドバッドをかました。藤ねえの作った机のヒビが、少し広がったように感じた。
教室は騒然となった。これだけの美少女を目の当たりにすれば、当然の反応と言えよう。
そんな中、後ろで一成の唖然とした気配が伝わってくる。無理もない。
俺はまだ起き上がることができず、そのままの体勢で思わずうなった。しかしこのままというわけにもいくまい。
全身の気力を振り絞り、頭を上げる。セイバーを見るとまた気力が萎えてしまうので、その隣でとぼけている虎を睨みつけた。視線に最大限の苛立ちをこめて。
長年姉弟として過ごした年月と実績を元に、アイコンタクトを試みる。
『どういうつもりだ、この虎』
藤ねえはわずかに胸をそらし、
『へっへーん!』
…………アイコンタクト失敗。というか意志疎通は成功しているけれど意味はなかった。
俺が驚いたことで満足したのか、藤ねえはクラスの皆に静かにするよう指示して、
「セイバーちゃんは転校生じゃなくて、今日一日の体験入学の形になってるの。みんな、仲良くしてあげてね」
うおおぉぉぉ、と男子生徒を中心に雄叫びがあがる。
そうか……体験入学か。そういえばセイバー、前に学校の様子を見たがってたもんな。
あの時は休日の学校を案内しただけだったから、今日こそ彼女の見たがっていたものが見れるだろう。
少し心が落ち着きを取り戻したので、改めてセイバーを見る。
どこから持ってきたのか、少し使い古した感のある穂群原の制服は、彼女には少しサイズが大きいようだった。ということは、誰かのお古なのかもしれない。
いつもなら白や青を基調にした服を着ているセイバーが赤・黒・茶を使った制服を着ているのは、妙に新鮮な感じがした。
本人は俺に対してすまなさそうな、けれども笑みを含んだ視線をよこしてくる。無断で事を決めてしまったことは申し訳ないが、きっと俺が驚くのを楽しみにもしていたんだろう、あの顔は。くそ、遠坂じゃあるまいし、趣味が悪いぞセイバー。
「じゃあ席は……今日は田中さんが休みだから、あそこの空いてる席に座ってね。士郎の隣のそこ」
「はい、大河」
「こら、今日のわたしはあなたの先生なんだから、藤村先生って呼びなきゃダメよセイバーちゃん」
「はい、藤村先生」
じゃあアンタも士郎とかセイバーちゃんとか呼ぶなよ、と思ったが口に出すほど気力は残ってない。きっと藤ねえも俺とセイバーの二人が揃ってるせいで、無意識に家での呼び方が出ているのだろう。
「じゃーみんな、三時間目の英語の授業でまったねー!」
いつもの別れのあいさつを告げ、藤ねえはさっさと教室を後にした。
セイバーは迷いなく教室を横切り、俺の隣の席で立ち止まり、こちらへ向かって、
「シロウ。今日は一日よろしくお願いします」
満面の笑みで、そう告げた。
「……………………」
「あの、シロウ……? ……やはり怒っていますか……?」
「いや、怒っちゃいないけど…………」
なんと表現したらいいのか。この気持ちは。
心の準備ができてない、というのが一番正しいだろう。こんなところで会うとは思ってもいなかった、というやつだ。上京した翌年、アパートの隣の部屋に入った住人が郷里で別れた彼女だったりしたら、こんな気分になるのかもしれない。
だから別に不愉快なわけではないのだが。
セイバーの方は俺の機嫌を損ねたと思ったのか、不安そうな顔でじっと見つめてくる。まったく、こんな顔をされたら、いつまでも自分の都合ばかり考えてるわけにはいかなくなるじゃないか。
「こちらこそ。今日はよろしくな、セイバー」
「―――はい。色々とお世話になります。シロウ」
セイバーの顔に穏やかさが戻る。そのタイミングを待っていたかのように、今度は別方向から声がかかった。
「驚きました。セイバーさん、まさか貴女が穂群原へ入るとは」
「急な話ですみません一成。とはいっても転入ではなく、今日だけの体験入学です」
「なるほど、そうでした。しかしいっそ、本当に転入してくるというのも――」
他のクラスメートたちが遠巻きにセイバーを眺める中、いつも通りに話しかける一成。皆の中にはセイバーに話しかけたいやつもいただろうが、生徒会長をさしおいて美少女転校生に話しかけられるほど根性のあるやつはなかなかいない。
そんなわけで、俺はその情熱を持て余した生徒たちに取り囲まれる。
「衛宮ぁっ! キサマというやつは……遠坂さんと間桐・妹だけでなく、今度はこんな金髪美人とお近づきだとぅ!?」
「羨ましい。その席代われ。今すぐ代われ。ギギギギギ」
「てゆーかさあ。あの子ってもしかして、噂の衛宮くんの知り合いの金髪さんじゃない?」
「「「「なぁぁぁぁにぃぃぃぃぃぃ!!!??」」」」
俺が何か言葉を差し挟むスキもなく、エスカレートした話の勢いで、いきなり包囲網が縮まった。
「ほんと!? あの子、衛宮くんの知り合いなの!?」
「そうだ、オレ見たことあるぞ! 衛宮がすげー美人の金髪の子と、商店街を歩いてたの!!」
「まさか幼妻か!? 幼妻なのか!?」
「ちくしょぉぉぉ! 衛宮ばかりがなぜモテるっっ!!」
「あなたひどいわっ! 恋人なんていないっていうのはウソだったのねっっ!?」
……阿鼻叫喚、ほとんどパニック状態に陥った教室は、まさに地獄絵図だ。十年前に見たのとはまた違った意味で。
ちなみに最後のは後藤くん。どうやらゆうべは人間関係ドロドロな昼ドラでも見たらしい。
セイバーが冬木市に住むようになってずいぶん経つ。きっと俺と彼女が知己の仲だと知るやつが、このクラスにもいるだろう、と予想はしていた。が。
――――それにしても、こう激しく問いつめられるのは――――
「勘弁してくれ…………」
さっきから限界に達していた俺の精神が、とうとう磨り減って無くなった気がした。
直後、一時間目開始のチャイムが鳴らなければ、そのまま倒れていたかもしれない。
一時間目は、ちょっと早めに授業が終わった。皆の気配が浮き足だっているのを、教師もわかっていたのだろう。今日は何やっても授業にならない、と悟ったようだ。
チャイムが鳴る数分前に日直が号令をかける。教師が教壇を降りる前から、何人もの生徒が席を立って俺の隣――セイバーの席に殺到した。
「セイバーさん! 話聞かせて欲しいんだけどいいかな?」
「はい。構いませんが……」
「なあなあ、どこから来たんだ? やっぱアメリカ?」
「いえ、ブリテン――イギリスです」
「ちっちゃくてかわいー。ねえ、化粧水とかってやっぱりイギリス製? どんなの使ってるの?」
「ケショウスイ?」
「あ、それよりさあ。彼氏とかいるの? いないよな? 頼む、いないと言ってくれ!」
「そうだ、オレたちのためにも、セイバーさんのためにも、衛宮のためにも!!」
「男子うるさいー! あ、衛宮くんと言えばさあ、衛宮くんとどういう関係なの?」
「はい、私とシロウは――――」
「だーーっ、お前らいいかげんにしろ!!」
聞いてられなくなり思わず輪の中に乱入した。美人で外国人で一日クラスメートのセイバーに人が集まるのは当然だし、質問責めもあるだろうとは思っていた。
しかしこのままだと、俺もセットで話の肴にされてしまう。それも極めてありがたくないカタチで。
ただでさえ最近の俺は遠坂と桜と美綴という、穂群原の誇る三大美女トリオが近くにいるせいで、男子生徒からいわれのない嫉妬をされているのだ。この上セイバーが万一にでも「私とシロウは剣と鞘」なんて言おうものなら、ヘタすりゃ慎二以上の女ったらしにされてしまう。
しかしそんな俺のちっぽけな危機感と人権は、好奇心に飢えた獣のような学友たちにとって、塵芥のようなものだったらしい。
「「「衛宮(くん)、ジャマ!!!」」」
まるで洗剤が油汚れをはじくかのごとく、俺はペペイっ、と輪の中から弾き飛ばされた。
さっきまで俺のいたところには別の生徒がすかさず入りこみ、もうあの中に入ることはできない。ラグビーのスクラムみたいだ。
セイバーは慌てたようにこちらへ視線を送るが、それもすぐ他の生徒たちの身体ではばまれた。
「ねえセイバーさん、イギリスの授業ってこっちと似てるの? さっきの授業、ついてこれた?」
「授業にはついて行けました。凛から特訓を受けていましたから」
質問には律儀に答えるセイバー。なるほど、遠坂のやつも今回の件はグルか。藤ねえともども後で覚えてろ。
「リン? イギリスのお友達?」
「いいえ、こちらに来てからの友人です。この学校に在籍しているのですからご存じでは? 遠坂凛ですよ」
「え〜〜〜!? 遠坂さんともお友達なの!?」
「うっわすげえ! 美女コンビじゃん!」
「いいなあ。僕もお友達になりたい」
幸いにもさっきの際どい話題からは離れてくれたが、やはりどんな質問が出るのか、それにセイバーが何と答えるのか気になって目を離せない。
内心焦りながら見守っていると、後ろから声をかけられた。
「やっぱり気になるものか? 衛宮」
そりゃそうだろう。セイバーの答え一つで俺の学園生活における評価は大いに変わる。
冬木市の温泉女子寮なる衛宮邸の噂を、真実にしてはいけない。それが真実なればこそ。
だがそんな事情を知らない一成は気軽に笑った。
「そこまで心配することもあるまい。セイバーさんが他人にちやほやされたからといって、のぼせ上がるような御仁にはとても思えん。まして浮気など絶対にあり得ないからな」
「…………一成。俺が心配してるのはそこじゃないんだが」
「む? ではそこは心配していないとでも言うのか?」
――――――まあ、たしかに。
皆に囲まれて話しかけられ、笑顔で対応しているセイバー。いつも家で見るのとは、また少し違った顔。
その光景を見ると、衛宮邸事情の話題という点を抜かしても、落ち着かない気分にはさせられる。
でもそれは、嫉妬というんじゃない。なんていうか――――
「そうだな、やっぱり少し寂しい。それと…………不安かもしれない」
「ああ、無理もないな。あれだけ人気者なのだから」
その通り。セイバーは人気者だ。さっきも思ったが、彼女には生まれついてのカリスマが備わっている。そういや聖杯戦争時のステータスでは、技能でカリスマBなんてもんがあったっけ。
けれど今の彼女に、果たしてそれは必要なのだろうか。
人と接するなら、好印象を持たれる方が良いのはわかってる。セイバーも家で時間を潰すより、外に出て、少しでもこの時代に慣れた方がいいという事も常々思ってきた。
なのになぜだろう。この光景は、かつての彼女を想起させる。
王よ主君よと傅く人々。尊敬の眼差しは、しかし彼女の外面だけしか見ていない。人でないものを崇める瞳。
誰も、本当の彼女を知る者はいない。
それはとても不幸な――――
「衛宮?」
一成に声をかけられて、思考の海から引き上げられた。
――――何を考えてる。今のセイバーは、あの時とは違う。
「悪い、一成。なんでもないから気にするな」
「お前がそう言うのならそうなんだろうが……」
クラスの皆は普通に接している。多少の憧れはあるにしても、親しくなりたいと思う程度の親愛の情だ。
セイバーにもこれからは普通の友人が増えていくだろう。そうあって欲しいし、そうでなくちゃ嘘だと思う。
………………ただ、それでも。
そろそろ、俺も時間も限界だった。この光景を許すためには。
「セイバー」
輪の中心に向かって呼びかける。
「次の時間は化学室なんだ。案内するから、一緒に行こう」
「はい、すぐ参りますシロウ」
セイバーは皆に失礼、と断って、教科書や筆記用具を片手に立ち上がる。大多数はつまらなさそうにしていたが、一部の生徒は同じように化学室へ移動する準備に戻っていった。
スッと俺の隣に並ぶ少女。歩調を揃えながら、どうしても気になったことを聞いてみる。
「大丈夫だったか? ずいぶん質問責めにされてたみたいだけど」
「ええ。皆とても気軽に話しかけてくれました。これだけ大人数と会話をしたのは久しぶりです」
セイバーの顔には充実した笑みが浮かんでいた。
それは俺の杞憂を吹き飛ばし、安心させてくれるには十分すぎるほどだった。
「……………………」
「……………………」
『………………………………………………………………』
不自然なほど重い沈黙が教室を支配する。
もちろん授業中の教室で私語は慎むべき。しかしそうと決まってはいてもこっそり話す生徒は必ずいるものだし、そうでなくとも教師の話す声、黒板に板書する音、人が動いた時に生ずる気配とあらゆる音が教室には起こる。
まして今は三時限目、我らが藤ねえの英語の授業。普通に授業をしていても、周囲のクラスからうるさいと苦情が来たこともある、騒々しさなら折り紙付きな授業なのだ。
なのに。今は誰も言葉を発せず、それどころか身動きひとつできず固まっている。
その理由は、ひとえにたった一人の機嫌にあった。
きんこんかんこーーん
固有結界のような重苦しい雰囲気を破ったのは、三時限目終了のチャイムの音。
タフな藤ねえはパッと我に返り、
「それじゃあ今日はここまで! ありがとうございました〜!」
日直の礼も待たず、さっさと教室から逃げ出した。
藤ねえが飛び出してきっかり1秒後。俺のお隣さんが咆哮をあげる。
「シロウ!!」
「はっ、はいいぃぃぃ!!」
「このような事態は看過できません!! 特訓を申し込みます!!」
……………………やっぱりこうなったか。
「私が…………ブリテンの王たる私が英語なるものを話せない(と思われるなど、これ以上の屈辱はこの世にありません!!」
恥辱から肩を震わせ、怒りで顔を紅潮させつつ。セイバーは涙目で俺に詰め寄った。
英語。
それは文字通り、イギリスで作られた言葉。
ラテン語が元になってるだの、他の国でも公用語になってるだの、いろいろあるがそれは些末事だ。イギリスで公用語となっており、俺たちが日本語を話すように、イギリス人は英語を話す。それは太陽が東からのぼるくらいに知られた真実。
だから―――もしもイギリス人が英語の授業でつまづいてしまったら。
それはどんなにか滑稽な事だろう。
しかしそれは、考えてみれば無理からぬ事でもある。日本の英語教育は文法から入るため、現場で役に立たない、話せない英語とよく言われる。文法問題の出来は英語を母国語としてる事とはあまり関係がない。俺たちだって現国の授業で満点を取るには勉強が必要だ。
そう。これくらいの事ならば、多少拍子抜けする生徒はいても、特筆すべき事ではない。
問題は…………セイバーが本当に『英語をわからない』という事。
たとえば、”car”という単語がある。小学生でも知ってるその単語は、日本語にすると『車』という意味だ。しかしセイバーはこれを知らない。
もちろん彼女とて車の存在は知っているし、それを日本語でなんと言うのかも知っている。だが”car”という単語と車が結びつかない。それもそのはず、5世紀のブリテンに車なんてものは存在しなかったからだ。つまりセイバーが英語をしゃべっていた時代、”car”という単語そのものがなかったのである。
同じ理由でchocolate、Japan、soccerなど、セイバーの読めない単語はかなりの数にのぼった。1500年の時代の差はあまりに大きすぎる。
そんなわけでセイバーは英語の教科書を音読しきれなかった。ちゃんと読めた部分も、訛りが強くて藤ねえですら首をかしげる始末。
忘れてはいけない。彼女が使っていたのは1500年前のブリテンの言葉。日本で言えば、奈良飛鳥時代の奈良県の言葉だ。それが今の標準語とどれだけかけ離れているかは言うまでもない。
ついでに言えば、板書をさせれば筆記体は達筆すぎて誰も読めない。彼女の『英語』はすでに俺たちが認識してる英語とはかけ離れたものになっていたのだ。
まさか遠坂もセイバーが英語の授業についていけない、なんて思わなかったのだろう。このあたりはノータッチだったらしい。さすがここ1番でうっかり属性なヤツ。
授業が終わる頃には、皆セイバーに『ほんとにイギリス人?』と言いたげな視線を送り始め、それを敏感に感じ取ったセイバーからはこれまでにない羞恥と屈辱、それらが転換された大量の怒りのオーラが燃え盛りまくって、周囲の人間は誰も口をきけなくなった。伝説となった騎士王の、殺気よりも密度の濃い負の気にあてられて平気なヤツなどうちのクラスにはいない。
彼女の近くの生徒には気絶してるヤツまで出たし、一成も不穏な空気に口の中で念仏を唱えてた。正直俺も逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「シロウ、私の恥は主である貴方の恥でもある。英語とやら、必ずマスターしてみせます。ご助力願えますね」
口答えは許さん、とばかりの迫力で、ズズイと迫ってくるセイバー。
英語なら藤ねえか遠坂の方が適任という気もしたけど、俺はコクコクと首をもげそうなぐらい縦に振ることしかできなかった。
……というか、さっきから「ブリテンの王」とか「私の主」とか、ヤバい単語を連発してるんだが。
それを止めるほど俺には勇気もないし、それを聞きとがめるほど皆の気力もないのであった。
きんこんかんこーーん。
チャイムの音に気づいた教師が授業の終わりを告げ、日直が号令をかける。その直後、教室は一気に喧噪に包まれた。
「あ〜〜……。やっと昼休みかあ」
どことなく固くなってしまったように感じる肩を回す。肩なんて凝ったことなかったけど、今日だけは肩こりの人の気持ちがわかるような気がした。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、隣の席からセイバーが声をかけてくる。
「お疲れさまです、シロウ。たしかこの後の時間は――――」
「そう、昼休み。昼ご飯の時間だ」
「やはりそうなのですね。素晴らしい」
セイバーの目が期待に輝いた。はは、やっぱどこでもセイバーはセイバーだな。どうやら三時限目の悪夢はこの時間に持ち込まないようだ。
たしか今日の昼は――――あ。
「セイバー。今日の昼ご飯って…………」
「はい。お弁当です」
にこりと笑って、彼女はカバンの中から包みを取り出した。
見慣れない布に包まれているが、見覚えのある大きさ。おそらくあの中に弁当が入っているのだろう。
だとすれば間違いなく、それは今日の昼食用にと、朝のうちに全員分作っておいた弁当である。
ゆうべ急に藤ねえが、明日は弁当を作れと駄々をこねたから、てっきりまた昼飯代がなくなったもんと思ってたが…………
ここまで計算してやがったのか、あの虎。
「じゃあどこで食べるかな」
「シロウはいつもどこで食べるのですか?」
「そうだな、いつもは――――」
「せっかくだ。生徒会室に来い、衛宮。歓迎するぞ」
セイバーとは反対側の横手から勧誘の声。生徒会室に誘う生徒なんて、俺の知り合いには一人しかいない。
セイバーも俺の裏側を覗き込み、相手の姿を見つけたようだ。
「そういえばシロウは、よく生徒会室で一成と食べていると言っていましたね」
「うむ。せっかくセイバーさんも一緒なのだ。生徒会室で茶を出すからゆっくり――――」
「セイバー、いるー?」
一成の言葉を遮って、まことに元気の良い声が響く。
……ていうか、よそのクラスなのに我が物顔で入ってくるなよな。ほら、一成の顔が引きつってるじゃないか。
「と、遠坂! ええいこの女狐め、またも衛宮をたぶらかしに来たな!!」
「人聞きが悪いわね柳洞くんってば。わたしはセイバーと衛宮くんをお昼に誘おうと思って来ただけよ」
「ええい世迷い言を! しかも衛宮だけでは飽きたらず、セイバーさんまでおまえの毒牙にかけようと言うのか!!」
あいもかわらず一成の遠坂ギライは筋金入りだ。きっと前世からの因縁でもあるのだろう。
遠坂はため息をひとつつくと、一成の横をすりぬけセイバーの肩を押した。
「ほら、お昼休みなんだから一緒にごはん食べましょ。今日は天気もいいから、屋上が気持ちいいわよ」
「だから待てというに! 衛宮とセイバーさんは、今俺が生徒会室に誘っていたのだ。横から出てきて何を勝手な」
「ふうーん。でもそれって、まだ決まったわけじゃないんでしょ? ねえ衛宮くん」
「えっっ!? あ、いや、それはそうだけど」
突然話をふられてしどろもどろになりながら答える。
たしかにまだ決まってはいなかったが、そんな強引に決めるのは一成に悪い気がするし。
だが遠坂は俺に次の言葉を言わせず、にんまりと笑みを口の端にのせる。
「セイバーが学校に来られるよう今回一番頑張ったのって、誰だと思う……?」
「う――――」
一番、というのは決められない。学校関係の手続きをぬかりなくやってくれた藤ねえは大変だったろうし、セイバーも学校の勉強が理解できるよう一生懸命だったはずだ。
しかしおそらく遠坂という先生がいなければ、セイバーに的確な知識を教えることはできなかっただろう。なにしろ学園でも指折りの成績保持者である。
魔術師の基本は等価交換。俺の第二の師に最初に教わったのがその絶対の定理。
「……………………すまん、一成。今回は遠坂の言うことを聞かなきゃいけなさそうだ」
「はい、じゃあ決まりということで」
遠坂は嬉しそうにセイバーの肩を押して教室を出てゆく。俺もその後に続かざるをえなかった。
「な、なぜだ衛宮〜〜〜〜!! おまえは、おまえはっ……すでに遠坂の魔の手に落ちてしまったのか〜〜〜〜!?」
一成の悲しげな叫びが、俺達の後ろから追いかけてきていた。
重い鉄製の扉をあけると、空気の流れが風となって吹き付けてくる。
一瞬細めた目をあけると、そこにいた先客がこっちを見て笑顔を浮かべた。
「あれ? 桜も来てたのか」
「はい、もちろんです。なんとしてもセイバーさんを連れてくるから一緒に食べようって、姉さんが」
準備万端だな、遠坂のやつ。ここで衛宮家の食卓メンバーを再現でもするつもりだったのか。
五月晴れの真っ青な空、風は少し高めの気温を下げるように心地よい。この太陽の下で弁当を食べて、そのまま眠ってしまっても、誰が責められようか。そんな気持ちにさせる気候。
屋上はこんないい天気にもかかわらず、俺たちの他には誰もいなかった。いつもなら弁当や購買組が数人いるのだが、今日は誰もいなくて助かったと言える。
俺達と桜の計4人は、屋上の真ん中に陣取って車座に腰を下ろした。普通は隅に座るものなんだろうが、これはできるだけ校庭から俺達の姿が見えないようにという配慮である。
――理由は言うまでもない。平凡な男子生徒として、学園のアイドルと次期アイドル候補を両手に花してる場面を、しょっちゅう見られるわけにはいかないからだ。俺だって平穏な学園生活が惜しい。まして今日はセイバーまでいるのだし。
それにしてもこうなることがわかっていたら、もっとピクニックっぽく全員でつつける弁当を持ってきたんだけどな。どうせ持ってくるのは俺で、サイズは四段重ねの重箱になっただろうが。
「おお、これは…………相変わらずシロウのお弁当は目映い」
セイバーはさっそく弁当箱を開けて、感嘆の声をもらしてくれる。遠坂と桜も、いただきますと言って手をつけた。
横で観察してると、セイバーはいつも家でやってる、一口食べてはこくこくと頷くのを繰り返している。そんないつもと同じしぐさが、彼女が制服姿でここが学校というだけなのに、不思議と新鮮さを感じさせた。
「衛宮くん、顔がニヤけてる」
「なっ…………!?」
いきなり遠坂に声をかけられ、慌てて顔のあちこちをおさえた。しかし直後、あかいあくまはにまにまと、ネズミをいたぶるネコの笑みを浮かべていることに気づく。
「ばっ、おまえ……! だましたな!?」
「あら。慌てるってことは、少しは真実味があったってことじゃないのかしらね」
ぐぐ。どうしてこう、このあくまは人をからかうことが好きなのか。
一方セイバーは、きょとんとした顔でこっちを見て、
「桜。凛はだいたい、いつもこんな感じなのですか?」
「そうですね。お昼はこんな感じです」
「しかしシロウの話では、学校での凛は猫をかぶっている、という話でしたが……」
「それは他の人がいる場合です。お昼は、特に今はわたしたちしかいませんから」
さっきは他人の好奇の目がないから、それもいいかと思ったのに――十分前の俺へと忠告してやりたい。
セイバーが昨日の余り物のきんぴらごぼうをつまみながら、今度は遠坂に話しかける。
「ところで凛。あそこまで強引に私たちを連れ出したのは、一体何の目的があったからなのですか?」
「え? 言ったじゃない。こうやってセイバーとお弁当食べたかったからよ?」
「そのために人払いの結界まで張ってですか?」
かぶせる形で桜が疑問を口にす…………って、人払いの結界っ?
「そんなもん張ってたのかっ!?」
「まあね。簡単なものだけど。だってせっかくのお昼ご飯を邪魔されたくないじゃない」
つまり自分が猫を脱げるよう、結界を張ったわけか。準備万端にもほどがある。
セイバーも呆れているようだ。
「凛。そんな事のために魔術を使用するのは良くない」
「な、なによ、いいじゃない。セイバーと学校でお昼食べるなんて、滅多にあることじゃないんだから……。そもそもこれが楽しみで、セイバーの特訓を引き受けたんだし」
もごもごと言い訳して、それでもどこか後ろめたそうに口ごもる遠坂。
――まあいいか。他の生徒に多少の迷惑をかけてしまったことは事実だけど、俺もこうやってゆっくり昼食がとれるのはありがたい。
遠坂も本当にセイバーとの昼食を楽しみにしていたんだろう。この2人、けっこういい友人同士だもんな。
「それで、どう? セイバー。こうして生徒として、学校で食べるお弁当は?」
気をとりなおして、遠坂がセイバーに訊ねる。セイバーは空を振り仰ぎ、それから校庭の方を見て、最後に俺たちの顔を見渡した。
「……とても、おいしく感じます。家で皆と食卓を囲むのとは、また違ったものを感じる」
かみしめるように、愛おしそうに。
――――言った言葉はなんでもない。だが触れたら壊れてしまいそうな、けれどそのままでもいつか消え去ってしまう、繊細で儚い氷の彫刻を見つめるようなその言い方は。
なぜだかひどく、寂しげな感じがした。
午後の授業は技術家庭の時間だった。
今日は技術の方の授業。4月から作っている本棚を、そろそろ完成させないといけない時期だ。
皆はこの間から引き続き、作りかけの自分の作品に取り掛かっている。
が、しかし。
「シロウ……。私は何をすれば良いのでしょうか?」
「ああ、そうだなあ…………」
作業着代わりのジャージ姿になったセイバーが、戸惑いながら問いかける。
まさか今日だけで、セイバーに本棚など作れようはずもない。
もっとも、手持ち無沙汰は俺も同じなのだが――――
「衛宮ー、どうしても釘が曲がっちまうんだよー!」
「なあ衛宮、ここんとこもっと丸くならないかな?」
「衛宮さんっ、あたしとこの子のためにスライド式を認知してっ!」
「あー、釘が曲がるのは最初のとこで曲がってるからだ。それから、角を丸くしたいなら、彫刻刀で削ってからヤスリをかけるといいぞ。
あと後藤、本棚をスライド式にするのはこの材料じゃさすがに無理」
わらわらと手に手に問題点をかかえて、クラスメートたちが集まってくる。そのうちのひとつを受け取った。
セイバーは驚いた顔で俺を見て、
「シロウ? シロウは自分の作品を作らなくていいのですか?」
「俺はもうできてるんだ。ほら、得意だろ、こういうの」
普段から機械いじりをしてるおかげか、俺の作品は初日でとっくに出来上がっていた。次の時間はいちおう暇にあかせて色々と手を加えてみたんだけど、それも限度がある。
他方クラスのヤツらは、制作の過程で設計ミスとか作業ミスとか、次第に問題が多くなってきた。
退屈で死にそうだった俺と、なんとかしたくて猫の手も借りたいクラスメート。需要と供給は前回の授業からぴったりと一致した。
頼む、と拝みこんできたやつに手本を見せるため、金槌と釘を手に打ち込んでゆく。
「こうして最初に先を打ち込んだ時、ちゃんと真っ直ぐ入ってるか確認するんだ」
「おーい衛宮、どうしても木がうまく切れないんだけど――」
「って、まだそんなとこやってるのか? それじゃ終わらないぞ」
仕方ない。のこぎりを借りて、えんぴつで描いたラインにそって切断を…………
しようとしたところで、食い入るように俺を見つめる視線に気づく。
「あのー、セイバー? そんなに見つめられるとやりづらいんだけど」
「あ、すみません! その……真剣なシロウの顔をゆっくり見るのは久しぶりなもので、つい……」
顔を赤らめてそんなことをおっしゃるセイバーさん。
「あ、あ――――うん、そうだっけ…………」
俺としてもなんと言ったらいいのかわからない。彼女の素直な賞賛の言葉を聞けたのは嬉しくもあり、かといってこのままだとどうしようもないほど恥ずかしくもあり。ただただつられて頬に熱をためるのみである。
彫像のように固まってしまった俺たちに、周囲の反応が先に変化した。
「……………………衛宮。やっぱりオレ、自分でやる」
「俺も」
「僕も一人でやれるとこまでやってみるよ」
「…………? いいのか、みんな?」
俺に群がってた連中が、一人残らず離れてゆく。その顔には諦観の色。
「だってさ。これ以上セイバーさんがお前にホレ直すとこ見てたって、面白くもなんともないからな」
「「なぁっ…………!!?」」
俺とセイバーの声が重なる。だがそんなのは意にも介さず、やつらは三々五々散っていってしまった。
―――と、そこへ入れ違いに技術担当の教師が現れる。恰幅のいい、筋肉も脂肪も一般人より多少多めの、しかし気のいい先生だ。
「おおい、ペンドラゴンさん。衛宮くん。
二人とも、この時間はやることがないだろう?」
教諭はニコニコしながら、手に持っていたものをセイバーに渡す。えーと……なにかの工作キットか?
「藤村先生から相談を受けててね。これを用意しといたんだ。衛宮くんがいればこの時間中に作れるだろうから、二人で作りなさい」
セイバーの手元を覗き込むと、木材の入ったビニール袋には、完成図が印刷されていた。……これは鳥の巣箱のキットだな。
たまに店とかで見かけるもので、このキットを買えば材料は他にいらず、あとは道具さえあれば簡単に目的の物が作れる、というシリーズだ。たしかにこれなら、俺の補助があればセイバーでも作れるだろう。
だがセイバーは、完成図の写真を見て首をかしげる。
「シロウ。これは何ですか? 小屋のようですが、この材料で作るにはずいぶん小さいような……」
「ああ、セイバー鳥の巣箱は知らなかったっけ? これは野鳥が巣を作りやすくするための箱なんだ。
これをうちの庭につけておくと、鳥がこの中に巣を作るんだぞ」
「鳥が、ですか…………」
セイバーは不思議そうにキットを眺めている。どうやら興味を持ったようだ。
俺も手が空いたところだし、今日はセイバーを手伝おう。
「じゃ、作ってみようかセイバー。道具は俺のを貸すから」
「はい。ありがとうございますシロウ」
2人で材料を取り出す。どうやら木の板は最初から必要な大きさに切られているようだ。
木材を組み立てて釘で打ちつけ、掃除用の扉につける蝶番を―――なんだ、すごく簡単じゃないか。
本当に便利なものが出てるんだな。小学生の頃、夏休みの自由研究にやたら整った工作をしてくるヤツがクラスに一人や二人はいたけど、もしかしてこういうのを使ってたんだろうか。
説明書を見ると木工用ボンドでも作れると書いてあったが、さすがにそれは強度が心配だ。おそらくそれこそ小学生が釘を使ってケガをしないようにという配慮なんだろう。しかし俺たちはもう少し本格的にいきたいところである。
セイバーは金槌を左手に、釘を右手にかまえ、大きく振りかぶって――――って、おおいっ!!
「セイバー! 金槌は振りかぶっちゃダメだ!!」
「む。しかし力を入れた方が、このような道具は効果を発揮すると―――」
「木って結構もろいんだぞ。女の子の力だって、本気で打ちすぎると木が割れる」
これは本当。特に木目にそって打ち込んでいたりすると、下手に力を入れすぎて木材が割れてしまうことがある。
さては、さっき俺がやってたの、全然見てなかったな。
むーー、とジト目で見ると、セイバーもいつもの強気を引っ込めた。
「…………も、申し訳ありません。もう一度指導をお願いします」
「よしきた」
そう素直に言ってもらえれば、拒む理由は何もない。
俺はセイバーの目の前で、もう一度釘打ちの実演をしてみせた。ふむふむ、と興味深そうに頷くセイバーのしぐさが可愛らしい。
釘を一本打ち終わると、彼女は次の釘を握り締め、雄々しく立ち上がった。
「シロウ。貴方の心はたしかに受け取りました。
ここから先は私の戦場です。シロウは後方支援に徹してください。先陣には私が立ち、必ずや勝利に導いてみせましょう」
セイバーはやる気まんまんだ。とにかく気合が入っている時、彼女はとたんに騎士としての気質を丸出しにしてしまうクセがある。もちろん家ならなんの不都合もないんだが、商店街の真ん中でやられたりすると、ちょっと周囲の人の反応が困ってしまうクセだ。まあ武装しないだけ今回はマシか。
彼女は二本目の釘を、俺がおしえた通りていねいに打ち込んでゆく。
「お、うまいじゃないか」
「ええ。この動きはもはや完璧にマスターしました」
その言葉に偽りはなく、セイバーは驚くほど的確に釘を打っていた。力の入れ具合も申し分ない。猪突猛進な彼女だからちょっと心配だったんだが、問題はないようだ。
考えてみればセイバーが手加減できない性格であれば、俺はとっくに剣の稽古中に殺されている。むしろ手加減はできて当然か。
セイバーはつづけて三本目の釘にとりかかる。この調子なら、俺は木材をおさえているだけで大丈夫そうだ。
「なに作ってんのさ、衛宮」
「ん? 慎二か」
後ろからの声に首だけで振り返る。そこには手ぶらのまま、ヒマそうにプラプラと歩く慎二が立っていた。
「いいのか? 作業しなくて」
「僕はいいんだよ。自主休憩。それより衛宮こそ、なに作ってるんだよ」
「これは鳥の巣箱。セイバーが今日中に作れるようにって、藤ねえが用意してくれたらしいんだ」
「ふーん。相変わらずヘンなところで気が回るんだな、藤村は。どうしてそれがいつもできないかね」
憎まれ口ではあるが、これは慎二なりの誉め言葉だ。慎二はもう一度、俺たちの手元を見て、
「それで選んだのが鳥の巣箱だって? まったく、僕なら絶対にゴメンだね」
「なんでだよ。いいじゃないか、アパートやマンションならともかく、一軒家ならちゃんと使えると思うぞ」
……もっとも間桐邸に鳥が巣を作る、というのも想像できないが。遠坂邸もノラ猫一匹やってこない、とよく遠坂がぼやいてるし。
すると慎二はフン、と鼻先で軽く俺の言い分を笑い飛ばした。
「ああ、衛宮はそうだろうね。せいぜいそいつと2人で愛の巣でも作ってればいいさ」
「――――――!」
セイバーが金槌を上げた状態で固まった。俺も思考回路が吹っ飛ぶ。
「なっ、なああぁぁ??」
「そんなに驚くなよ、冗談に決まってるだろ。藤村がそんなとこまで考えて選んだ筈ないし。
でもさ衛宮。今からそうやって将来の相手決めてると、これから先遊べないぜ?」
―――本当に冗談なのか実は本気なのか。そもそも何を忠告したいのかすらよくわからない言葉を残し、慎二はクルリと背中を向けた。
俺にわかるのは、あの言い分はなんとなく、遊び人の慎二らしいなあということだけである。
正面に向き直ると、セイバーが怖いくらい真剣な目で、作りかけの巣箱を見つめていた。
「あー…………セイバー。続きやろうか」
「は、ええ…………そうですね…………」
しかし。
なぜかセイバーの身体がぎくしゃくとして、作業ペースは落ち、釘1本打つのにさっきまでの3倍近い時間がかかるようになってしまったのだった。
学校での時間は、あっという間に終わりを告げた。
セイバーと二人で、夕焼けの帰り道を歩いていく。なんとなく今の雰囲気を大事にしたくて、二人とも何も言わずにゆっくりと足をはこんでいた。
技術の時間に作った巣箱は結局完成せず、家へと持ち帰ることになった。また学校へ来て完成させれば、と俺と教師はすすめたんだが、セイバーは首をたてに振らなかった。
皆が下校する時間だというのに、なぜか今、俺たちの周囲には誰もいない。
オレンジ色の夕陽の中を歩いていると、とつぜんセイバーが顔をあげ、話しかけてくる。
「今日は色々とありがとうございました。シロウになにも言わずこんなことをしてしまって、さぞ驚いたでしょう」
「ああ、すごく驚いた。そうだな…………でもいいんじゃないか、こういう驚きなら」
笑いながら答えると、セイバーの顔にも笑みが浮かんだ。
どこかから夕飯を作るにおいが漂ってくる。あたたかいオレンジ色が優しい世界を優しく包む。
穂群原の制服を着て、学校の帰り道、夕焼けの中で微笑む少女。
それは、どこにでもある、当たり前の風景。
彼女がこの時代に生まれて、普通に育っていたならば、ごく自然に享受するはずだった日常(。
…………だから。
「セイバー。今日は楽しかったか」
もし。
もしセイバーが楽しかったのなら、本気で遠坂や藤ねえに頼み込んでみよう。
彼女が普通の女の子として学校に通うためなら、二人とも喜んで協力してくれるだろうし、俺だって自分にできることならなんだってやる。
セイバーは振り向く。夕陽を背景に。
―――どこか儚げな、あの夕焼けの橋の上を思い出させる笑みを浮かべ。
「セイ……バー……?」
「そうですね。新鮮でなかったと言えば嘘になります」
…………だから、わかってしまった。
彼女の答えは、あの時と同じなのだと。
「なんでだよ……」
胸の中に冷たいものが澱む。名前をつけるなら、それは失望、あるいは絶望と呼ばれるもの。
呆然とした俺の問いかけに、セイバーの顔が困ったような苦笑へと変わる。
「今日は学校生活というものを堪能させていただきました。凛や桜、綾子やユキカたちのような、普通の少女になった気分だった。
私には、それで充分です」
「別に今日だけに限った事じゃない。セイバーさえその気なら、こんな毎日を続ける事だって――――」
「いいえ。本物の学生になり、この時代の普通の少女として生活を送ったら、私は本当に普通の少女となってしまうかもしれません」
「それの何が悪いっていうんだ!? お前は今この時代にいるんだから、この時代の『普通』を楽しんだっていいんだ!!」
思わず声が荒くなる。
『普通』の幸せを拒絶するセイバーが、無性に腹立たしかった。
こいつがまだ、自分は普通の幸せを手にする権利はないと考えているように見えて。
セイバーにはもっと幸せになってほしいし、もっと幸せになるべきだと思う。
誰よりも俺が、セイバー自身より、彼女が頑張ったことを知っているから。
たとえセイバーが否定しても、あの橋の上の時のように、俺だけは彼女の幸福を諦めない。
「シロウ。私は普通の少女で在るより、騎士として在りたいのです」
しかしセイバーはあの時と違い、穏やかな顔で言い返す。
「今は戦いの最中ではないため鞘から抜き放たれることはありませんが、それでも騎士が剣を錆びつかせることは許されません。
シロウに何かあった時、私はいつでも貴方を守るための最優の剣でありたい。
私は二つの事柄を両立させられるほど器用ではありません。ならば普通で在ることより、騎士でいたいと思います」
あの時よりも柔らかな態度。けれどあの時よりも頑なな意志。
――――もはやこの身はただの少女ではない。剣を捨てることは許されない。
それは彼女が物心つき、騎士として剣を取った時からの誇り。
…………王である事を迷っていたあの時とは違う。今の彼女に迷いはなかった。彼女にとっての誇りは、自らの意志で選んだ道を貫き通すこと。ならば騎士として生きてきたセイバーは、騎士として在ることを望むのだろう。
それでも俺は退けず、説得を試みる。
「……だったらしばらくの間、騎士でいなくたっていいじゃないか。せめてもうしばらく普通に生活してからだって遅くない」
「貴方の気遣いは嬉しい。ですが、シロウ」
セイバーは表情を引きしめ、
「貴方ならばどうです? 冬木市は平和なのだから、ここにいる間は正義の味方を目指すことを辞めろと言われ、頷くことができますか」
「あ――――――――」
言うまでもない。
そんなこと。
初めから、答えは決まりきっている。
「…………そうだな。たしかにその通りだ」
「ええ。ですから今日の事は」
そうしてセイバーは、あの日と同じどこか憧れを含んだ声で、
「新鮮でなかったといえば嘘になります」
鮮やかに、そのユメを断ち切っていった。
「――でもちょっともったいなかったな」
二人並んで下る坂道。いつもの交差点まであとちょっとだが、このまま帰るのも少し寂しい。商店街まで足をのばして、タイヤキでも買い食いしていこうか。
「勿体ない? なにがですか?」
「うん。せっかくセイバーと一緒に学生できるかと思ったのになって。そうしたらセイバーと一日中一緒にいられたのにな」
「……………………」
「? セイバー?」
いきなり立ち止まり深く考えこんでしまった彼女に、俺も足を止めて振り返る。
「――――言われてみれば。
学校へ通うという事は、日中もシロウを護衛できるということでもありますね」
「いや、俺はセイバーとただ一緒にいられればって意味で言ったんだけど」
ぽつりと呟かれた言葉を訂正すると、セイバーの顔だけ夕陽の色が濃くなった。
「と、とにかく。
日中シロウの護衛から必ず外れねばならないという現状には、私も不満があったのです。悪い予感がしても付いてゆく事すら許されず、いざ何かあってもシロウとの距離があまりに遠い」
「……って、学校ではセイバーに守ってもらうような危険なんてないぞ」
断言する俺にセイバーは剣呑な目をむける。
「なにを言っているのです。シロウが聖杯戦争に巻き込まれたきっかけは、まさにその学校に遅くまで居残っていたため、アーチャーとランサーの戦闘を目撃したからだと聞いています」
「う゛っ………………」
か、返す言葉もございません。
「シロウと通学するというのは、いい解決策になるかもしれません。
後ほど、凛に相談してみましょう」
そしてその晩、セイバーから事の顛末を聞いた遠坂は、呆れたようにこう呟いていた。
「アンタたち……学校はバカップルのデートスポットじゃないのよ……」
話の都合上ああしましたが、実際は聖杯からの知識で、サーヴァントはある程度外国語も話せると思います。冬木市内ご近所戦争ではあっても、少なくともマスターの母国語くらいは。だってマスターが日本語を修得してても、とっさに
「Saber! Stand up!」「……へ?」どっかーーん←攻撃
……なんてシャレにならない。主従の組み替えの可能性もあるので、他マスターの母国語も。
うちのセイバーはいつでもどこでも、平和な時間の中にあっても、騎士であろうというスタンスを頑なに貫いてます。なのでたまにはこんな話も出来上がります。それでもこのスタンスは崩せないんだよなあ。
本来、ラストの1シーンは作品的には蛇足なのですが、ついつい好みでつけてしまいました。やっぱり可能性を0にするだけってのはどうにも。半々ぐらいがちょうどいいと思うのですよ。……てか、可能性を0にすると、やっぱりセイバーがホロゥでさんざ言われたニート王に(電波障害)
……余談ですが、学校には制服以外にも、様々な学校限定衣装があります。ブルマとかスク水とか。しかし露出度は少なくとも、ジャージだって立派な萌え系衣装だと思うのはジブンだけか。
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