小さな恋のメロディ?
  〜第1話〜


 無限に広がる大宇宙。
 そこに存在する無限の可能性に魅入られた人間たちが、宇宙開発事業に手を出して、いったいどのくらいの年月が流れたのだろう。

 それがはっきりとはせずとも、とても長い時間が費やされ、ついに人間は宇宙を自らの生活の場とすることに成功した。それは、人が己の足のみで移動し、空の星など遠く手の届かぬものと思っていた時代からすると、想像もできないほどの大躍進と言えよう。

 しかし。人が移動のための道具など作れもしない時代から全く躍進せぬのが人の心である。
 したがって、そんな人を元に作られた彼らの心も、人と大して変わっているわけないんである。





 シュンッ
 軽い音をたてて自動ドアが開き、一人の少女がブリッジに入ってきた。とたんにブリッジには、清潔な石鹸の香りが満ちる。

 年の頃なら十七、八。顔の両側に長くのばした金髪は濡れており、頬は桜色に染まっている。それらが彼女が風呂上がりであることを如実に語っていた。いつもは普段着のように着ている制服も、洗濯に出している今は別の服と入れ替わっている。もう少し身体が自由な、ライトグリーンのバスローブだ。

 「風呂から上がったのか、サミィ」

 振り返ってサミィに声をかけたのは、長い銀髪と左右色違いの瞳を持った青年。見た目は二十歳前後だろうか。端正な顔立ちをしているが、その顔から感情は読みとれない。まるで機械のように。

 「うん。イーザーも、そろそろお風呂に入ったら? もう何日入ってないんだか、あたし数えるのも忘れちゃったっていうのに」
 「シャワーは毎日欠かしていない。特に風呂というものは必要ないと思うのだが」
 「ちっちっち。わかってないわねー、イーザー。お風呂ってのは、なにも身体を清潔にするためだけのものじゃないのよ。熱いお湯は血の巡りを良くするし、いい匂いのお湯は心がリラックスするの。
  シャワーだけじゃ味わえない、充実感があるんだから」
 「そうか、ではたまには入ってみるか」

 イーザーは本当にそう思っているのかわからない無表情で呟いた。
 普通、こんな美少女の湯上がり姿を目の前にしたら、正常な男であるならば少しは慌てたり、思わず湧いた欲情を必死に押し隠したりするものである。しかし彼は、先ほどからサミィを前にしても眉ひとつ動かさない。
 きっとサミィが素っ裸で出てきても、同じ反応をするだろう。

 サミィもその事は知っていたが、だからといって本当に素っ裸で出る気など毛頭ない。イーザーの問題というより、人前に裸で出るなど、己の尊厳に関わる。羞恥心の問題だ。

 そしてふと考える。自分は裸で人前に出ろ、などと言われても絶対にやる気はしないが、もしかしてイーザーなら、二つ返事で出ちゃったりすることはあるんだろうか?
 答え。安全が確認できる、知り合いの前でなら、確実にやる。

 (こういうところが、イーザーの問題点かもしれないわね……)

 「サミィ? どうかしたか?」

 知らぬまにため息でももらしていたのか、イーザーが問いかけてくる。

 「ううん、なんでもない。今なら、お風呂あったかいわよ」

 適当に言葉を濁し、サミィはちゃんとした服に着替えるため、ブリッジを後にした。




 サミィ=マリオンとイーザー=マリオン。それが2人の名前である。
 そして2人は、この宇宙艦『モーニング・スター』のたった2人の乗員であった。
 同姓の人間が2人きりで宇宙艦に寝起きしている、というと、普通は夫婦か兄妹を思い浮かべるものだが、この2人はそのどちらとも違っていた。ある意味それ以上の関係ではあったが。

 実は彼らは人間ではない。遺伝子操作によって生み出された、生体兵器なのである。
 その成果の実験として、『シェリフスター・カンパニー』という会社を隠れ蓑にチームを組まされ、戦わされて現在に至るわけだ。

 同じ目的のため、同じ行程を経て生み出された2人なのだから、境遇は全く同じはずなのだが、2人の教えられた一般常識は、お互いかなりズレていた。いや、イーザーが世間一般常識からかなり外れた教え方をされた、といった方が正しいだろう。

 違う戦闘方法を教えられる、というならまだわかる。筋力や手足の長さ、身体的特徴や性格が違う以上、最も適した戦闘方法は自ずと違ってくるだろう。コンビを組む場合、相棒の戦闘方法を踏まえつつ、お互い相手の欠点を補える動きができるのなら、それは大きなメリットとなる。
 しかし、レストランで料理名を言わず、「肉と糖分」などと注文する、という常識を教えて、いったい何の得があるというのだろうか。この行動はどう考えても子供以下だ。

 サミィはこんなイーザーの面を見ると、同時に作られた存在だというのに自分の方が遙か早く作られた錯覚をおぼえてならなかった。
 最初にイーザーと顔合わせをした時など、女性体を見たことがなかったのだろう、イーザーは「胸が大きく腫れ上がっている。病気の疑いがある」などとのたまったものだ。

 それでも最近は、だんだん仕事を通じて世間の常識を覚えてきているので、助かってはいるのだが……。

 「サミィ。次の仕事が入った」

 物思いに沈んでいたサミィは、当のイーザーの声で我に帰った。手元のパネルを見ると、通信回線に次の仕事内容が映し出されている。

 「『おばあちゃん孝行』。なにこれ」
 「続きの通信に、内容の詳細が入っている」

 言われた通り通信の続きを見ると、相変わらず気の弱そうな社長が、文章だけをよこしてきていた。
 つまり、リアルタイムの通信ではない、ということだ。……いやな予感がする。

 『いやー、本当は君たち向きの仕事じゃないんだけど……。クロフト本社のお得意さまでね。どうしても断れなかったんだよ。というわけでサミィくん、悪いけど行ってくれるかい?』
 「どんなわけでよっ!?」

 相手に届かないとわかっていても、思わずツッコミが入ってしまう。
 通信はさらに続いていた。

 『実はサミィくんをどこで見かけたんだか、マリアン=テイラー女史が自分の孫そっくりだと言い出してね……。
 マリアン女史といえば、知ってのとおり銀河系で最も優秀な人材を排出する、歴史あるクライアルベリー学園の元理事長だ。元、とはいっても現理事長はマリアン女史のお孫さんに当たるそうだし、まだまだマリアン女史の発言権も衰えていない。
 ここで貸しを作っておこう……というのが本社の考えなわけで、その…………』

 パネルに映されているのは文面のみだというのに。社長の気弱な口調から、冷や汗をかきつつ作り笑いを浮かべている姿まで浮かんでしまうのはなぜだろう?

 『ま、まあさらに詳しいことは、実際にマリアン女史のいる惑星ウェザールに行って、マリアン女史の孫、ジュニアさんに聞いてくれ。それじゃあ僕はこれで』
 「それじゃあこれで、ぢゃないいぃぃぃぃ!!!!!」

 サミィは片方の拳をもう片方の手のひらに思いっきり打ちつけた。本当は通信パネルを叩きたいところだが、そんなことをしたら艦が壊れてしまうので、最近編み出したサミィ特有のワザだ。

 確かにこれまでにも、内容の詳細を知らされずに現地へ行き、ぶっつけ本番の仕事というのは多々あった。いや、むしろ会社側がわかっていること全てを事前にサミィたちに伝えていることの方が少ない。
 だからといって、これは普段の度をはるかに越している。

 目的も、何をやるかすら書いていない。そもそも『おばあちゃん孝行』とはなんなのだ。

 「……イーザー、『おばあちゃん孝行』って、知ってる?」
 「孝行:子が親を敬い、よく尽くす・こと(さま)――だそうだ」

 イーザーは電子辞書の文字をそのまま読み上げる。
 サミィは横へ傾くように小さく首をかしげ、

 「つまり……どういうこと?」
 「わからん」

 特に2人の頭が悪いとか、察しが悪いとかいうわけではない。『血縁』や『家族』という概念を持たない2人にとって、親戚とのつきあいや関係というものが、知識としてすら頭に入っていないだけなのだ。
 だからもちろん、どんな行為をもってして『尽くす』と言うのかも、よくわからない。

 「ともかく、行ってみればわかるだろう」

 イーザーの意見は身もふたもないが、それゆえに真実である。なにはともあれ、行ってみる以外に道はない。

 「また厄介なことにならなければいいけど……」

 今までサミィが幾度となく願ってきた、ささやかな願いが叶えられることは、これまであまりにも少なかった。






 「まあまあまあ、ほんとに来てくれたのね。とても嬉しいわ。さあさ、座ってちょうだい」

 惑星ウェザール。住人三万人余が暮らしていながら、星一つに学校が一つ、というかなり特殊な惑星である。
 しかし、それは別に不思議なことではない。この惑星上に、まだ十数件の家しかなかった時代。『一環した教育システムを使い、長い目で見た教育を』という謳い文句で設立されたのが、私立クライアルベリー学園なのだ。
 一環した教育システムというのはまさに徹底しており、小学校から大学は言うに及ばず、保育舎から大学院、さらにはその後のカルチャースクールまで運営するという本格派。などと言えば聞こえはいいが、悪く言うとすでに『教育』と名のつくものならば何でも手を広げている、といった印象がある。

 まあとりあえず、学園の運営方針は問題ではない。
 一番の問題は、2人が到着するなり駆け寄ってきた老婆に、サミィが接待責めに会っていることだろう。

 「最初は自分の目を疑ったものよ。目は悪くなってたけど、とうとう幻覚まで見るようになったかって。でも、本当のことだとわかった時は心から神さまに感謝したわ。あ、そうそう、お茶がまだだったわね。すぐ容れるから待っててね」

 サミィはひきつり笑いを浮かべながら、あらかじめ写真でチェックしていた顔に話しかける。

 「あ、あの…テイラーさん。あたしたちはあなたの依頼で来たんですから、そこまでもてなしていただくわけには……」
 「『テイラーさん』、なんて他人行儀な呼び方はしないで、マリアおばあちゃん、って呼んでちょうだい♪」

 さすがに髪は真っ白になっているが、肌はまだまだ血の色が透けて見え、背も曲がっていない。着ている服も、老婆というよりミセスといったデザインの服を選んでいるようで、それがまたヘタに年に合わせた服よりも似合っている。きっと若い頃は、さぞかしセンスのいい美人であったろう。
 資料では、すでに80歳を越えているということだったが、動きの機敏さやはつらつとした声は、どう見てもせいぜい60代といったところだ。
 さらに言うと、サミィに会えて心底喜んでいる様子は、どことなく少女のように愛らしい。

 普段から、仕事柄色々なタイプの人間と接しているが、こういう人は初めてである。
 サミィがどう対応していいのかわからず、ひたすら恐縮しながら戸惑っていると、

 「お祖母さま。サミィさんたちは仕事で来てくださったのですから、あまり困らせるのもどうかと思いますよ」
 「まあジュニア、この年寄りの楽しみを奪おうっていうの?」

 後ろからかかった声に、マリアが文句を言いつつ振り返る。つられたように、サミィたちも。
 そこには、小さく苦笑を浮かべながら、こちらに歩いてくる青年の姿があった。

 背は、イーザーより少し低いくらいだろう。茶色いセットした髪型と、きっちり着こなしたスーツが、清潔感を感じさせる。端正な顔に細い銀縁の眼鏡をかけている様子は、いかにも真面目な実業家を連想させた。
 この顔も、すでに資料で見知っている。マリアの孫で現クライアルベリー学園理事長、ジュニア=テイラー。

 「お祖母さまは、まだまだお若いでしょう。それより、あまりお祖母さまが話しかけるものだから、お二人がびっくりしていますよ」

 言って、ジュニアはサミィの前で足を止め、微笑みかける。

 「初めまして、ジュニア=テイラーです。このたびは、祖母のワガママを聞いてくださり、どうもありがとうございます」
 「……サミィ=マリオンです。気にしないでください。依頼ですから」

 差し出された手を、サミィはとりあえず受け取る。
 しかし内心は、この手を受け取って依頼を遂行すべきか、それともこの場からとっとと逃げ出すべきか、一瞬の逡巡が生まれていた。

 もちろん、サミィに選択権はない。とはいえ、なんだかわけのわからない依頼を、何も考えずこなせるほど割り切れる性格でもない。
 そんなサミィの内心の葛藤に気づいたかどうか、

 「本当に、こんなくだらない事につきあわせてしまい、申し訳ありません。老い先短い年寄りの言うことぐらい聞け、というのが祖母の口グセでして……。この元気な姿を見ると、何をバカなことを、とも思うのですが、年寄りは何かあってからじゃ遅いですからね」
 「ジュニア。人を年寄り年寄りと、連呼するものじゃありませんよ」
 「お祖母さまが、いつも言ってることじゃないですか」
 「私はいいのよ。でも、人に言われると腹がたつわ」

 なるほど、かなり長生きしそうな性格だ。もしかすると彼女の若さの秘訣は、若々しいセンスや行動だけでなく、この性格もあるのかもしれない。

 クセのある人間は、クイーンやレティシアである程度免疫ができていたつもりのサミィだったが、やはり世の中は広い。精神年齢が外見より若い、というとメニィを思い出すが、そういうのともちょっと違うような気がする。
 あえて言うなら、したたかさ、と表現するのだろうが、クイーンやレティシアとは違うタイプのしたたかさもあることを、サミィは初めて知った。
 それに、クイーンなどであれば遠慮会釈なしにツッコミを入れたり、冷たくあしらったりすることもできようが、依頼人の、しかも老人にそれをやったりして、泣かせでもしたら対処のしようがない。

 ……依頼内容も依頼人も不可解なこの状況。いったいクロフトは、何を考えてこんな依頼を受けたんだろう……?

 などとサミィが、推測――というより純粋な疑問に近いその問いを、胸のうちで呟いていると。

 「さあさあサミィ、あなたはそんなスーツなんか脱いで、私の見立てた服に着替えてちょうだい。
  女の子なんですもの、もっとおしゃれを楽しまなくちゃ♪」

 わっし、とサミィの腕をつかむと、ぐいぐい引っぱる。

 「ちょ、ちょっとテイラーさん……じゃなかった、マリアさん!?」
 「年寄りの楽しみにつきあうのも、若い人の務めなのよ♪」

 本気で抵抗すれば、サミィの勝ちに決まっているが、まさか年寄りの細腕を、彼女の力でふりほどくわけにもいかない。結果として、サミィはずるずる引きずられてしまう。

 「サミィ――」
 「あ、イーザーさんは、二人が終わるまでこちらへ……」

 視界の端っこに、口を開きかけつつも、あちらはジュニアに連れられてゆくイーザーの姿が目に入る。

 ――どーしろってゆーのよおおぉぉぉぉぉ――!?

 サミィの絶叫は、しかし彼女から発されることなく、どこか遠くへ消えていった。


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