夜と朝の間(はざま)


 「ん…」

 ふと。あたしは目を覚ました。

 いつの間にか眠っていたらしい。眠かった自覚は全然なかったけど。

 ここんとこ、疲れてたからな…。

 気力を出して、身体をおこすとそこに響いた軽いノックの音。

 「はぁい。…ガウリイ?」
 「ああ。…ちょっといいか?」

 言葉も終わらぬそのうちから、ガウリイはドアを開けて入ってくる。いつもなら返事くらい待てとどなるところだが、今日は何も言わないでおいた。珍しいことではないのだ、こいつがこういう時、あたしの部屋に来るのは。

 「なんの用?」
 「いや、用ってほどのことじゃないんだが…」

 ガウリイは、ベッドに座ったままのあたしの隣へ腰かけた。それから頭をぽりょぽりょとかいて、

 「ほら、お前さんさ…。ここ最近、盗賊いぢめも行ってないだろ? たまにはいいんだぞ、オレを連れてくなら。盗賊いぢめ行ったって」

 こんなことを言い出してくれるガウリイが嬉しくて、あたしは素直に礼をいう。

 「ありがと。……でも今夜はいいわ。さすがにそんな気になれないし」
 「…そうか…」

 そのままふたりで黙りこむ。

 セレンティア・シティを出たのは、まだ今日の昼前のこと。
 ふっきった、つもりだった。少なくとも頭では。

 …でも…まだ、心にかけずにはいられない。『彼』のことがあるかぎり。

 その時、手にあたたかいものを感じて、あたしは顔をあげた。
 見ると、ガウリイがあたしの手を軽く握り、まじまじと眺めている。

 「ガウリイ?」
 「おまえの手は…あったかいな」

 あまりに切ないその声に。あたしの声のトーンも、自然と落ちる。

 「うん…」

 「ミリーナの手……冷たかったな」

 「…うん」

 ミリーナをベッドからおろす時、身体に触れた感じは、まだこの手に残っている。
 あたしも、そしておそらくガウリイも、幾度となく経験した冷たさ。

 けれど、それに慣れるなんてできない。…できやしない。

 そんな時は、無性に人肌が恋しくなる。あたしもガウリイの手を握りかえし、その手を見て初めて気づいた。

 「ガウリイ…。手、すりむいてたの?」

 「あ? ああ、ルークとやりあった時、ちょっとな。大丈夫、なめときゃ治るって」

 「治んないっ!」

 ちからいっぱい断言したあたしに、ガウリイが面くらう。

 「お、おい、リナぁ?」
 「…もしも…もしも、この傷からとんでもないバイキンが入るとかで、ガウリイの命が危なくなるなんてことになったら…」

 わかってる。
 そんなこと、めったにありえないことだってくらい。

 「でも…。ミリーナはあんな、『めったにありえないこと』で……」
 「リナ……」

 ゾードに毒のついた剣で斬りつけられたのは、確かに彼女の油断だった。
 でも。それはけして、油断しすぎたわけじゃない。

 あの時は、ゾードたちの正体など、誰も見破れていなかった。多分ほかの誰でも、ミリーナと同じ行動をとったろう。

 つまり、誰が『ミリーナ』になっても、そして『ルーク』になっても、おかしくなかったのだ。

 ミリーナにふりかかった不幸の、最大の原因は―――『偶然』。

 「もし…あれが、あたしやガウリイだったら……」

 毒は確実に体内を蝕み、その命を奪う。
 万一ガウリイがそうなった時…あたしには自分を保つ自信はない。
 かつてガウリイが殺されるせとぎわで、世界の存在を忘れた人間だから。

 …それで、かもしれない。ガウリイに指摘されるまで、ルークの『止めてくれ』という叫びが聞こえなかったのは。

 あたしの思考が終わる前に、とつぜんガウリイがあたしを抱きよせた。

 「そんなことには、ならない」

 あたしと、そして自分自身に言い聞かせるように。

 「オレは…リナを失うことも、リナをそんな気持ちにさせることもゴメンだ。全力で、お前とオレの身を守る。だから」

 大丈夫だ、と。

 けれど、あたしにはわかっていた。誰よりガウリイ自身が、この言葉に不安を持っている。

 今回と同じ事態にもしあたしが陥って、傍にガウリイしかいなかった時。
 ガウリイには、応急処置の呪文さえ唱えられない。
 地面を走って、あたしを運ぶしかない。
 ミリーナの時よりもっと確実に、あたしは死の淵へ吸いこまれていくのだ。

 でも。もうひとつ、わかっていた。たとえ信憑性のない言葉でも、これがガウリイの精一杯の慰め方だということ。

 だから、あたしはその胸にもたれる。

 泣いていいぞ、とガウリイは言った。

 「…ここなら誰も見てない。オレにも、お前の泣き顔は、見えないから。泣いてるのを見られたくないなら、せめて、背中を向けては、泣くな……」

 …以前、誰かが言っていたような気がする。

 泣ける人間は心配ない。悲しみもつらさも、いつか涙が押し流してくれるから。

 気をつけるべきなのは泣けない人。涙も出ないほど哀しいのに、それをいつまでも心に止めておくことになる。



 ほおが、胸が、しみるように熱い。泣いているのは、あたしなのか、ガウリイなのか、それとも二人ともなのか。それはあたしにはわからない。


 うん、そうだね。流してしまおう、この涙に。悲しみやつらさ、ぜんぶのせて。
 ルークが流せなかった分も、あたしたちが。


 そして祈ろう。ルークの心の闇が、いつか晴れてくれるようにと。
 ちっぽけなあたしたちに、できることはこのくらい。



 星も見えない夜は、自分の歩く道さえわからなくて。
 だから人は、いつでも光を求めて歩き続ける。自分で気づいていなくとも。
 いつか出会える、朝を信じて。




 ルークは今、泣いているだろうか―――




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