幾年経ても・3


 翌朝、リナは今朝も元気に食堂への階段を降りてきた。その姿からは、ゆうべ夜着と宿屋のスリッパで森を徘徊していたなどとは思えない。

 「ガウリイ、おっはよー! …あれ、どうしたの? 目の下、すごいクマ」

 お前が夢遊病みたいに歩き回るんで探しに行ってたんだよ、とはまさか言えず、オレはあいまいな答えを返した。

 「ああ、ちょっとな」
 「ふーん…? ま、いいや。おばちゃーん! 今朝はモーニングセットC、二人前ねーっ!」

 え!?

 「おっ、おいリナ!」
 「なぁに? ガウリイ」
 「何、じゃないだろう! お前が二人前しか食べないなんて! 体の具合でも悪いのか!?」

 いつものリナなら最低でも三人前は頼むはずだ。ほとんどの場合、それに追加注文が加わる。朝の食事は一日の活力の源、と毎日朝からしっかり食べるリナが…

 「ほんっとーに、二人前でいいのか!?」
 「だああああぁぁっ、あたしが二人前しか頼まないと、そんなにおかしいかああぁぁぁ!? …いーのよ、今朝はちょっと食欲がないだけなんだからっ!」

 と口をとがらせるリナ。よく見れば、彼女の目の下にもうっすらとクマができている。
 ムリもないよな。夜の間ずっと歩き回っていたんじゃ。

 「リナ、お前も寝不足なんじゃないか? ゆうべもどっか行ってたのか?」

 オレは慎重に問いかける。案の定、リナは小首を傾げて、

 「え? 別にどこも行ってないわよ。疲れてたから早く寝ちゃったもん」

 ――やっぱり。

 昨晩も、そしておそらくその前の行動も、リナの意識下の行動ではないのだ。
 だが、口で言ってもそう簡単には信じないだろう。どうやって伝える――?

 悩んでるオレの心配をよそに、リナはジト目でオレを見た。

 「ガウリイ…。あんた、あたしが毎晩毎晩、盗賊いぢめに出てるんだと思いこんでない…?」
 「違うのか?」

 ぶづ。

 リナのふるったメニューの角が、オレの頭に直撃した。



 リナは結局、朝食を二人前しか食べなかった。
 疲れも溜まっていたらしい。食事が終わると、すぐ部屋へ戻って寝てしまった。

 さすがにオレも疲れたので、リナが寝静まるのを待ってから横になる。部屋に射し込む西日が顔に当たり、目が覚めた。

 「んっ…。もう夕方か…」

 リナはどうしたろう。ちゃんと昼は食べただろうか。まさかまたあちこち歩き回ってないだろうな。

 様子を見に行こうと上半身を起こした時。

 「ガウリイ。いる?」

 リナだ。

 「ああ。どうした?」

 ドアに近づいて開けてやると、そこには幾分血色の良くなったリナがいた。

 「あたし、お腹すいちゃった。ご飯食べにいかない?」
 「?」

 オレは首を傾げた。いくら夕方とはいえ、日はまだ出ている。夕飯にはやや早い時間だ。
 リナは少し気恥ずかしそうに続ける。

 「ほら、あたし朝そんなに食べなかったじゃない? おまけにずっと寝ちゃってて、起きたのついさっきだから、お昼ご飯食べてないのよ。だから、少し早いんだけど…」

 なるほど。昼を抜いて腹が減ってるのはオレも同じだ。何よりリナに食欲が出たのなら、異論のあろうはずがない。

 「いいぜ。なあ、たまには外で食べないか?」

 オレはそう提案する。宿の中に引きこもりっぱなしより、外へ出た方が気分も変わるかもしれないからな。

 「あら、いーじゃない♪ そーよね、ここの食事もおいしいけど、やっぱり新しい味を求めに行かなくっちゃねー♪」

 気を良くして浮かれるリナ。やれやれ、すっかりゴキゲンだな。
 この時だけは、オレの心の中から、完全に夜の事が消え去っていた。




 おばちゃんが夕飯の買い物をしたり、日のあるうちの仕事を終えた男達が家へ帰ったりする時間なのだろう、街の中は思ったより混み合っていた。
 背の低いリナはこんな時、人波に流されてしまうので、オレはリナをかばうように道を歩く。だが、さすがにこれ以上人が多くなってくると、ちょっときつい。

 「なぁリナー。早く店決めようぜー」

 うんざりしながらオレが言うと、リナは辺りをキョロキョロ見回しながら、

 「てきとーに決めちゃダメよ! ずぇーったいおいしいご飯にありつくんだからっ!!」

 まったく、うまい物の事となると根性あるよなぁ、こいつ…。もー少し別の面でも、これだけ意気込んで欲しいと思うオレは、贅沢だろうか。まあオレがその分行動すればいいことなんだがな。

 そんな事をつらつら思いながら進んでいくと、かばいきれず男が一人、リナとぶつかった。かなり急いでいたらしく、リナはよろけてこっちに倒れこんでくる。

 「キャ!」
 「おっと!」

 オレはしっかりリナを受け止めた。が、リナはオレの腕から跳ね起きると、男に向かって怒鳴りだす。

 「ちょっと!! 危ないじゃないのよ!!」
 「うわああっ、痛え、痛えよおおおぉぉぉ!」

 『?』

 なんだこいつ…。確かに細身な男には違いないが、ぶつかったのは小柄なリナなのだ。ケガなどしているはずがない。
 男はひたすら腕をおさえて苦痛を訴える。とそこへ、人ごみをかきわけ大柄な男が二人、その男のところへ駆け寄った。

 「おい、大丈夫か! …ちくしょうねーちゃん、こいつの治療費出してくれるんだろーなぁ!?」

 当たり屋か…。そういえばさっきから町の人達がオレ達を遠巻きにして、『可哀想に…』だの『またやってるわ、いやねえ』だの言ってる声が聞こえてくる。多分この辺の常習犯なのだろう。
 オレにわかるくらいだ。当然リナは瞳に挑戦的な色を浮かべて、

 「へー。そんなに言うなら払ってあげるわ。ちゃんとケガしたらねっ!」

 言い放って呪文を唱え始める。オレはすかさずリナの真後ろについた。長い間の経験によれば、ここが最も安全な場所なのだ。

 「爆―――」

 あれ?
 どうしたんだ。呪文が途中でとぎれたぞ?

 見ると、手に集まっていた魔力の光も消えていた。その指先が小刻みに震えている。あまりの異常に、オレはリナの顔をうかがった。

 「リナっ!?」

 リナの顔色が真っ青を通り越して紙のように白くなっている。膝がガクガク震え、地面に崩れ落ちるのを、すんでのところで支えた。すでに意識はない。
 そうか、魔法はかなりのエネルギーを使うと聞いたことがある。今のこいつに、魔法はご法度だったんだ!

 「お、おい! 金が払えねえからってなぁ、今更ケガしたフリしても無駄だぜっ!」

 忘れられまいと叫ぶさっきの男。自分たちがやってるからそんな発想するんだろうが、今はそんな事言ってる時じゃないっ!

 「うるさい、だまれ!」

 倍の勢いで叫び返したオレに、辺りが水を打ったように静まりかえる。なぜか野次馬していた町の人までもが沈黙しているが、そんなのはどうでもいい。むしろ好都合だ。

 すっかり固まっている男達と観客をその場に残し、オレはリナを抱きかかえて宿に走った。




 宿屋のベッドで、リナは間もなく意識をとり戻した。
 だが、夕飯はスープ一杯と果物ひとつですませてしまった。
 リナは食事を終えると、再び眠り込んでしまい……

 そして―――夜が来る。

 あの忌まわしい夜が―――




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