古物語・3


 「……私が、ですか?」

 光宮は使者にそう問い返した。その声音からは、心中を伺い知ることはできない。

 「はい。右大臣家として正式に、三の宮様を我が家の一の姫の、婿君にいただきたく…」

 使者は淡々と先程と同じセリフを繰り返す。この部屋の中で最も上座にあたる御簾の中から、涼やかな女房の声がした。

 「大変よいお話と存じます。右大臣殿にはよしなにお伝えください。と、お方様は申しております」

 使者は深々と頭を下げて退がった。宮の母親から直接言われた言葉ではないが、気にしない。むしろこのように身分の高い女性は、そうやすやすと他人に話しかけないのが当たり前なのだ。

 使者がいなくなると、宮は御簾の中の母親に話しかけた。

 「母上…本気ですか?」
 「いいお話ではありませんか。そなたの年ならもう、妻の二・三人いてもおかしくないというに。
 右大臣家の一の姫ならば、北の方(正妻)としては最適。女御(天皇の奥さん)に上がられなかったのが不思議な身代の方です。あなたのこれからのためにも、願ってもない良縁だと思いますよ」

 宮はやれやれと内心ため息をついた。ここまで母が乗り気だと、恐らくこの縁談はまとまるだろう。

 上流貴族の結婚は、時に親達の意志が本人のそれを上回る事もあった。理由は色々あるが、子供たちも大抵意中の相手がいない限りそれを受け入れたものである。

 (まあいいか。どうせいつかは結婚しないと、世間の口はうるさいからな)
 「わかりました。私もこのお話、お受けすると申し上げましょう」

 心の声はおくびにも出さず、あくまで好意的に宮は言った。




 「お話伺いましたよ。三の宮ガウリイ様」

 翌朝、宮は宮中で呼び止められた。声で嫌いな相手とわかっても、無視するわけにはいかない。

 「…これは左中将ゼロス殿。何の話ですかな?」
 「はぐらかさなくても結構ですよ。貴方と右大臣家の姫の、ご縁談がまとまったそうではありませんか」
 「なんとまあ、お耳が早い」
 「僕も姫と御簾越しとはいえお会いさせていただきましたからねぇ…。どうなったか気になっていたのですよ。いや、めでたいめでたい」

 ほっほっ、と人を見下したような笑い声を残し、左中将は一方的に去っていった。そこへ、それを見送る形でもう一人青年が現れる。ここよ、ここ!

 「今の話は本当か? よくOKする気になったもんだ」
 「ゼル…」

 やって来たのは右大弁ぜるがでぃす。この二人、身分的には相当な差があるのだが、二人とも宮中の権力争いに加わろうとしないはぐれ者同士と気が合っている。誰もいない時は、こうして敬語など使わなくなるくらいだ。

 「仕方ないだろ。母が乗り気だからな。いつかは結婚しなきゃならないだろうし」

 両手をひろげ、ぼやいてみせる宮。右大弁は意地悪げな笑みを浮かべ、

 「だが、相手が右大臣家一の姫ともなると、いくらお前でもそうそう邪険にできまい。愛人なんかできるのか?」

 この時代、上流貴族が多く妻を持つことは珍しくない。だが、あまり正妻の家が強いと、それに夫が遠慮して、側室(正妻ではない妻)を持たないこともしばしばだった。

 だから彼はこれを、からかい調子だが本気で言ったつもりであった。しかし。

 「作るに決まってるだろ」

 宮は平然と答えた。

 「お、おい」
 「時々でも通えば義理は果たせる。そうすりゃ向こうも、ちゃんと婿として持ち上げるだろう。オレは一人の女に縛られる気はないからな」

 この頃は普通、財産を継ぐのは女であった。男達はどの家の婿になるか、つまりどの家のバックアップを受けられるかで出世が決まったのだ。

 「それに、あの姫もここまで結婚が延び延びになってたのは、案外遊んでたからじゃないのか? だったらオレが行かなくても、そんなに寂しくないはずだぜ」

 貴族の女性は貞淑、と思われがちだが、実際にはそうではない。あまりほめられた事ではないが、人妻の身で夫以外の男と情を交わす女性も結構多かった。

 財産を継いだ女性はいいが、継ぐべき財を持っていない女性にとってパトロンである夫や愛人が通ってこなくなるのは死活問題になりかねない。そんな裏があるから、内親王(天皇の娘皇女)でもない限り密通は黙認される傾向にあった。未婚の女性ならなおさらだ。

 右大弁は軽く肩をすくめ、

 「世の中の結婚しない人間が、みんなお前と同じ理由だとは思わないことだな。―――ま、いいさ。結婚は人生の墓場とも言うからな。意外と、そこから抜け出せなくなるかもしれんぞ」

 「誰に向かって言ってるんだ」
 と宮は自信たっぷりに答えた。




 その一月後の吉日の夜、一台の牛車が右大臣邸を訪れた。
 中から現れた人物を見て、女房達が色めきだす。

 この光宮と一の姫との結婚は、当人を除いて屋敷中の誰もが知っているのだ。

 『お美しい立ち姿ですわね…』
 『これからたびたび、この方をご拝見できるようになるのね』
 『あら。でも問題はうちの姫様ですわよ』
 『そうねえ。うちの姫様で、どこまで宮様を引き留めておけるか…』

 女房達は自分達にしか聞こえないよう小声で囁いているつもりだったろうが、あいにく宮には全て聞こえていた。彼の耳は左中将とはまた違う意味での地獄耳だ。

 (女房達には、あまり評判の良い姫ではないようだな)

 彼女らの話から、宮はそう判断する。

 もしかして、実はすごく器量が悪いのだろうか。それともそんなに遊び好きなのか。いずれにしても、妻にするにはあまり気が進まない。

 まあいいか。欠点があった方が、放っておくときの理由になる。

 宮はそんな事を思いながら右大臣邸に上がりこんだ。




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