ちゅっっどごがごおおおぉぉぉんん!!!
涼やかな夜の気配に似合わぬ、騒がしい音と熱風が、森を満たした。
静かな眠りを奪われ、緊急事態に慌てた鳥や獣が、全速力で逃げてゆく。
一方、逃げたくなくとも強制的に、立ち起こった凶悪な風へ巻き込まれた者たちもいた。
爆風で吹っ飛んだのは、どう見ても成人の男たち。
さらに細かく見るならば、全員やたらと人相が悪い。子供を相手にする商売になぞ就こうものなら、あっという間に失業することうけあいの顔つきである。
「ちっっくしょおおぉぉぉ! リナ=インバースめええぇぇぇ…………」
男の一人――獣の皮をなめした上着と、丈夫さだけが取り柄のズボン、山月刀でいかにも盗賊でございといわんばかりの格好の男――が、一番高く吹っ飛ばされながら叫んだ。おそらく彼が帰ってくるには、普通の人なら傷の回復時間も含めておよそ3日を費やすであろう。
その、爆心地の中央。木々は残らず燃え、大地には焼けこげた痕が、夜の闇の中でもわかるほど黒々と残っている。
まだ数人、先ほど吹っ飛んだのと同じような男たちがそこにはいたが、それらは全て地に伏しており、立っているのはたった1人の少女だけであった。
どこか幼さの残る顔に、勝ち気な色の笑みを浮かべる。
「ふっふ〜ん。このあたしに勝とうなんて、120万年早いのよ!」
それでは、この世界に神と魔が生まれた時間より長いのではないのか、という気もするが、とりあえず彼女のセリフにツッコむ者は誰もいなかった。盗賊たちはもとより、考えられるような余裕など残されていない。生命維持の他、手足をぴくぴくさせるのが精一杯だ。
ご自慢の栗色の髪を爆風の残りになびかせ、彼女――リナは、やおらくるりと向きを変える。
この場にいる、ガラの悪い人外の『盗賊』と呼ばれる生き物たちは、すべてへち倒した。こーゆー輩を呪文で完膚無きまで吹っ飛ばすことが、リナのストレス解消に役だっているのは、もはや世界レベルで有名な話である。
そして。それと同じくらいよく知られている行為は、これから行われるのだ。
「さーて、おったからさん♪ おったからさん♪」
リナはいそいそと、宝物庫があるであろう方向へと、小走りで向かった。すでに3ケタ近くの盗賊団を潰してきた彼女にとって、おたからを隠していそうな場所を見つけるなど、魚が水の中を泳ぐぐらいたやすい。
リナの顔は喜色にあふれ、この世の幸せをすべて独り占めしたかのような、満面の笑みを浮かべている。足取りも軽く、まるで若い娘が恋しい青年の元へ向かうかのような歩調だ。
だが、いつもならばまっすぐその場所へ向かう足が、なぜか一度ピタリと止まる。
「……待てよ。今までのパターンだと……」
がさごそ、と、それまで全く音のなかったやぶの中から、枝葉をゆらして出てきたのは1人の青年だった。
闇の中でもなお眩い黄金色の髪。人の手では決して創りえない端正な容貌。だが、その美しい顔に、今は苦渋の表情を浮かべている。
「まいったなー……。まかれちまった。あいつ、いつの間にウデあげたんだ……?」
がしがしと頭をかき、ぼやく青年。その青い瞳に先ほどまで映っていた、栗色の髪を持つ小さな後ろ姿は、いまや完全に視界から消えてしまった。
盗賊いぢめの好きな相棒を持つと、まったく苦労する。
彼の足下には、斬り倒した盗賊が数人、横たわっていた。生死ははっきりわからねど、少なくとも動けるものは皆無である。
そうやって、リナを援護しつつ、おたから漁りに熱を上げようとしたところをお説教、というのが、ここしばらくのパターンなのだが。
「まさか、その前に見失うとは……油断した」
盗賊の残党にばかり気をくばって、肝心のリナを追うことに、集中していなかった結果だろう。リナが自分からホンキで隠れる、なんて思っていなかったせいもある。
しかし、まかれてしまったものはしかたない。
ガウリイは、あからさまに大きくひとつ、ため息をつき――
「……いつまでそんなとこにいるつもりだ?」
がさがさがさっ!
声と同時に、背後のしげみから尋ね人が姿をあらわした。
「えへへー。やっぱり気づいてた?」
「ったりまえだ。お宝は……とっくに荷造り済みか。
じゃ、とっとと帰るぞ。寝不足は美容の大敵なんだろ?」
「言われなくても帰るわよ。はい、ガウリイ。これ持って♪」
ずっしりと重みのあるザックが、リナからガウリイへと渡される。ガウリイはジト目でリナを見た。
「おい……いつもより重くないか……?」
「んー? そりゃそうよ。だってガウリイが来ると思って、ちょっと多めにいただいといたもん」
「自分で持てないぐらいいただくなよ……」
口では文句を言いながらも、言葉の響きにリナを責める色はない。責めてこのシュミが止まるぐらいならいくらでも責めるだろうが、言うだけムダとすでにわかっているのだ。
それでも言ってしまうのは、心配性の彼にとってのわずかなストレス解消なのだろう。
彼女とて、心配をかけて悪いというキモチがないわけではないのだが、それでもこのシュミをやめるつもりはない。
リナは背後にガウリイの気配を感じつつ、先に立って歩き出した。
夜の空気が心地よい。
昼間の太陽は、日に日に暑さを増しているが、日が落ちればまだ涼しい。昼間が暑いぶん、むしろ肌寒いくらいだ。
マントを軽く引き寄せながら、リナは歩みを少しだけ早めた。
「リナ? 寒いのか?」
「……やー、別に、ね。ちょっと昼間に比べてさむいかなあ、ってだけよ」
後ろから聞こえるガウリイの声に、気軽な返事を返す。まったくこの男は、いつでもよく見ているのだから。
最近気づいたのだが、ガウリイは驚くほど、リナの動きに敏感だ。寒いと感じれば寒いのかと聞くし、お腹が減ったと思えばあそこの食堂はどうだと声をかける。きっと毎回盗賊いぢめを気づかれるのも、そこらへんのことがあるのだろう。
だから、かもしれない。今日、あんなことをしてみたくなったのは。
「なあ、リナ」
「なによ、ガウリイ」
「今日、なんでオレのこと、まいたんだ? わざわざ遠回りして、おたからのとこ行ったろ。
あれって、オレがついてこないようにするためだったのか?」
――ほら。やっぱり気づかれてる。
まるで心を読まれてるかのような、タイミングのいいガウリイの問いに、リナは内心ため息をついた。
――まあいいけど。長いこと相棒やってるんだし。
他人に考えや行動パターンを読まれることは、あまり気持ちのいいことではないのだが。ガウリイ相手だと、なぜか不思議といやではなかった。
「……ちょっと、ね。隠れてみたくなったのよ」
「……隠れて?」
「そう。子供のころ、やったでしょ? かくれんぼ」
「そりゃあやったが……」
困惑するような声を出すガウリイ。
「なんだってまた、急に」
「さあ……なんででしょうね」
大きな三日月が、森の梢にかかっている。雲はひとつもない。明日も、きっと晴れるだろう。
自分の後ろを、てくてく歩いてくるガウリイ。
いつもの自分たちと同じ。旅の道を、自分が決めてガウリイがついてくる。
いつもと、同じ歩き方。
それはもう、彼と二人で旅を始めた頃から、ずっと同じで。
――けれど。
「急にいなくなるなよ。心配するじゃないか」
「それって……あたしの、保護者だから?」
「……そう、だな」
一拍置いて、ガウリイの返事が返ってくる。その一拍に、リナは妙な居心地の悪さを感じた。
内心のやるせなさをため息に乗せると、ガウリイが心配したのか、距離を詰める気配が伝わってくる。
ふと上を見上げると、大きな大きな月が目に飛び込んできた。
月は、二人の歩き方は、ガウリイと出会った頃となにも変わっていないのに。
どうして、こんな変化に気づいてしまったのだろう。
「ねえ……ガウリイ」
「ん? なんだ、リナ?」
「ガウリイって、さ…………」
あたしの、なに?
言葉が放たれる寸前、リナは喉元でそれを飲み込んだ。
最近、気づいたのだが。
ガウリイはいつの頃からか、『自称保護者』と口にしなくなってきた。
最後に言ったのはいつだったか……もう、思い出せないほどに。
それは、相棒として認めてくれたということなのか、それとも単に言い飽きたのか。
もしくは――もう、保護者なんてやってられない、と思っているのか。
いつもぽややんとしたガウリイの表情から、伺い知ることはできない。
「…………なんでもない」
「なんだよ、気になるじゃないか」
などと言いつつ、ガウリイの口調には、拗ねたり怒ったりした調子は微塵もない。もともと、あまり物事にこだわらない人間なのだ。
そんなガウリイがこだわっていた『自称保護者』を、自称しなくなった理由。
彼の考えなど、リナにはわからないが。
彼の、「オレはお前の保護者だから」が聞けなくなって生じた、自分の気持ちならわかる。
――――寂しい。 うふ♪
本音を隠して、リナの口は当たり障りのない、適当な言葉を紡ぎ出す。
「……ガウリイって、しょっちゅう色んなこと忘れてて、何を覚えてるのかなって思っただけよ」
「あ、バカにするなよ。オレだって色々覚えてることはあるんだぞ」
「へえ、例えば?」
『自称保護者』を、すでに忘れかけてるくせに。
寂しさから苛ついた気持ちは、棘となって言葉に乗った。
「えーっと……。リナが今、オレと旅してるのは、光の剣に代わる新しい剣を見つけること、とかな」
「それは覚えてなきゃ困るでしょおおおぉぉぉ!!? ンな大事なコト、忘れるんじゃないっっっ!!」
「そうなんだけど……ついつい、忘れちまうんだよな」
お前さんと、旅をするのが楽しくて。
掠れるように届いたガウリイの声は、リナの心がもたらした、幻聴だったのだろうか。
真実を、確かめる気にはなれない。
もしも胸の奥底にある希望を、都合のいい声として聞いたのだとしたら、自分ばかりが彼のことを考えているといやでもわかってしまい、あまりにも悔しいから。
こっそり夜のシュミに出かけては捕まっているのに、心まで一方的に捕まってしまっては。
彼に絶対かなわないみたいで、あまりにも、悔しい。
……ガウリイ。
あなたの野生のカンで、あたしの行動パターンが読まれているとしても。
絶対に、隠しておいてやるんだから。
――あたしの、気持ちだけは。
保護者を自称してくれなくなって、寂しいという想いも。
それが、どんな感情から生まれ出ているのかも。
盗賊いぢめのかくれんぼは、すぐ見つかってしまったけれど。
この気持ちは、もう少し隠しておきたい。
まだ、かくれんぼは終わってない。
もういいよ、とあたしが言うまで、見つけさせないからね? ガウリイ。
やがて、二人がお互いに沈黙していると、気づく頃に宿屋の明かりが見えてきた。
すでにほとんどの客室の明かりは消えているが、まだ起きている客室や、時間によって酒場に変わる食堂の明かりが、暗闇を歩き通してきた二人を柔らかく迎える。
「あー、つっかれたぁ。夜更かしは美容の大敵なのに」
「なら行くな、って……言ってもムダだよなぁ」
「あら、わかってるじゃない」
いつもと同じやりとりは、先ほどまでの焦燥を忘れさせるほど、リナには心地よいものだった。
変わらないものが与える、安心感がそこにはあって。
リナは自然とにっこり微笑み、ガウリイに言った。
「じゃ、その荷物あたしの部屋まで運んでね♪ ちゃっちゃとやるのよ、ちゃっちゃと」
「はいはい、わかってるって」
仕方ないな、という風に苦笑しながら、ガウリイはぽんぽんと、リナの頭を軽くたたく。
いつもの動作と、同じ強さ、同じ調子。
その手の重さとあたたかさを感じながら、今夜はよく眠れそうだ、とリナは思った。