悪魔のkiss


 「メリークリスマーース!」
 陽気なアメリアの声が響き渡る。

 「…………」

 だが、後が続かない。そのままのポーズで固まるアメリア。隣に座っていたリナはフン、と鼻をならし、そっぽを向いてしまった。
 アメリアは情けない声でリナに詰め寄る。

 「リナぁ…。機嫌なおしてよぉう……」
 「別に機嫌悪くなんかないわよ」
 とリナはとてもドスのきいた声で言う。どーもこの場の雰囲気にそぐわない。

 所はセイルーン王宮、時は日暮れ後1時間ほど。偶然この辺りに来ていたリナ達を、アメリアがパーティーに招待したのである。だが、ここにゼルガディスの姿はない。どうしても連絡がつかなかった、とアメリアは残念がっていた。

 とーぜん王宮主催のパーティーなので、彼女たちは正装である。アメリアは王女らしく、翡翠をぬいつけた豪奢な緑色のドレスに王女の位を表すティアラを。リナも王宮の客人ということでかなり気合いの入った格好をさせられ、白絹の歩くたび裾のフワフワ揺れる服と流行りの型に結いあげた髪が決まっている。童顔なので幼くも見えるが、いつも以上にかわいさ倍増マニア垂涎。

 …もっともそれも、ニッコリ笑顔がつけばの話。この仏頂面では全て台無し。

 その理由は、今現在となりにいない、彼女の相棒にあった。



 リナが料理を取りにいって、ちょっとガウリイから離れたスキをつき、女が一人声をかけた。

 (こんばんわ。あなたどこの方? 少しお話のお相手して下さらない?)
 (いや、オレ連れがいるし…)
 (さっきから食べてばかりの女の子でしょ? 大丈夫、一人じゃ食べられないほど小さい子じゃないわ。大人は大人同士、大人の時間を…ね?)

 こうして、リナの目の前でガウリイは無理やり拉致されてしまった。
 波うつ金髪、透けるような緑の瞳、大人のしぐさをしたお約束のごとくナイスバデーな女性に。



 アメリアも、ガウリイ拉致の瞬間は見ていた。そしてリナがなんで怒っているのかも、拉致犯の女性がいかにリナのコンプレックスを刺激するかも知っている。だから雰囲気を盛り上げようと必死なのだ。この状態はあまりに危険すぎる。

 …どうやら、また思い出してムカムカきたらしい。リナから感じるケンアクな気配がまた跳ね上がった。

 「リ、リナー♪ ほら、料理食べない!? これなんか、ラルティーグ王宮伝統の料理で…」
 「それ、さっき食べた。それに、もうおなかいっぱいだわ」

 またも白ける空気、風。

 まずい。これはまずい。なんでもいい、リナの気分を変えなくては。
 もはや強迫観念にも近しいモノに襲われたアメリアは、あることを思い出した。




 「…んで…。なに? これ」

 訝しげなリナ。王宮内の教会に来ていた彼女たちの前には、ズラッと並んだ女性軍団。ベレー帽に、少し重たげな、裾の長い白い服。音符のついた本を持ったこの姿は、どう見ても合唱隊。これを酒屋の御用ききなんて言うヤツは、ガウリイぐらいのもんである。

 「これは、セイルーンが世界に誇る聖歌隊よっ!」
 「せいかたいぃい?」
 誇らしげにアメリア。ますます訝しげなリナ。

 「この床の六紡星のおかげで、ここはセイルーンで一番神聖な場所なの。クリスマスは神の誕生日。つまり、その力が一番強くなる日よ。この日に聖王国セイルーンのこの場所で歌われる聖歌は光となり、聖なる力となるっっ!」

 アブないシューキョーのようなセリフを言うアメリアに、リナは気のないあいづちを打った。

 「これだけだと例年通りなんだけど、今年はちょっと違うの。見て、これ♪」
 アメリアは懐から、小さなコインのようなものを出してきた。とても見慣れた、銀色の丸い板。

 「…レグルス盤?」
 「そう。一日歩いた距離くらいまでしか声を届けられないレグルス盤だけど、受信した場所に新しい送信用のレグルス盤を置くことで、さらに距離をのばすことができるの。これで今年は世界各地で、セイルーン聖歌隊の歌が中継されるのよ!」

 これは、アメリアらしからぬ失態である。こんなん見せられても、それこそ正義の使者を自称するアメリアならともかく、リナが心ひかれるわきゃあない。その判断がつかなくなるほど、アメリアはリナの機嫌をなおそうと慌てていたことがうかがえる。

 だが、ここにこの展開を、えびらたたいて喜ぶ存在がいた。

 『それはちょっと困るんですけどねえ…』

 すぐに笑みが連想される、その声。
 リナとアメリアは同時に叫んだ。

 『ゼロス!?』
 「お久しぶりです、おふたりさん♪」

 ニコニコ笑いながら出現するゼロス。二人は思わず後じさる。

 「なにしに来たの? 魔族のあなたが! このセイルーンに!?」
 アメリアが注意深く問いかけると、ゼロスは一杯のグラスを取り出した。瑠璃色をしたその液体は、彼の手にあるとそれだけで妖しく揺らめいているように見える。

 「これを、リナさんにさしあげようかと思いまして」
 「あたしはイヤ。外の植木にでもやっちゃってちょーだい」

 ついと横を向くリナ。ゼロスは油断ならない相手だとわかっているので、メチャクチャ態度がそっけない。ただでさえ、今の機嫌は良くないというのに。

 ゼロスは悲しそーに、

 「そんなぁ。変なモノは一切入ってませんって。信じて下さいよぉ」
 「あんたを信じるくらいなら、昨日の太陽は南の海の底から昇ったんだと信じるほーが、何万倍もマシだと思うけど?」

 けだし、正論である。

 だが、ここで大人しく引きさがらないのが、ゼロスというもので。

 「やれやれ…。黙って飲んでいただきたかったんですがねえ」
 言葉の終わらぬそのうちに、ゼロスの姿がかき消える!
 次の瞬間、突如リナの前に姿を現すと………鼻を、つまんだ。

 「はっ! はにふん…ふぐっ!?」
 「…こうするんですよ♪」

 反射的に開けたリナの口に、ゼロスはグラスの液体を注ぎ入れた。
 そしてゴーインに口をふさぎ、そのまま放さない。

 「…んぐっ…」

 リナの喉がゴクリとなったのを確認すると、ゼロスは手を放した。間髪入れず、食ってかかるリナ。

 「ちょっと! あんた、あたしになにを、の………」
 言葉の最後を待たず、いきなりリナの顔が急速沸騰したかと思うと、同時にグラリと大きく傾く。アメリアが急いで支えようとするが、彼女の身体もやはりどちらかといえば小柄。倒れこんでくる人の重さに翻弄されつつも、リナの代わりに叫ぶ。

 「リナに何を飲ませたの!?」
 「『悪魔のキス』、です♪」

 サーー…と顔から血の気が引くアメリア。にこにこにこ。うれしそうなゼロス。

 「あああ…『あくまのキス』ぅぅぅぅぅ!!??」

 その強さは世界一と謳われた、ちょっと酒を知ろうと思ったら必ず名前の出てくる有名な酒である。しかしこの酒は、アルコール度が高いくせにとても飲みやすく、だが酒に弱い者が飲むと必ず悪酔いするので、確か製造停止になっていたはずだが。

 いや、そんなコトはどうでもいい。アメリアはおそるおそるリナの顔を窺った。
 焦点の合ってない瞳で、じっと一点を見つめている。どうやら茫然自失状態らしい。

 「いやあ、これもお仕事なんです。上の人達に、今年は騒音がひどそうだから、早めになんとかしろとか言われちゃいまして。はっはっは」

 それはもう、実に楽しそうなゼロス。

 「その『騒音』が大きくなる前に、元をたとうと思いまして、機嫌の悪いリナさんに、酒飲んで暴れていただくことにしました。題して『命短し怒れよ乙女、ジョルジョワーヌ今夜は歌なんか聞かせないよ♪』作戦です」

 「あーーーっっっ!! もしやさっき、ガウリイさんを誘った女の人って…!?」
 叫ぶアメリアに、ゼロスはピッ、と指たてて、
 「ご想像におまかせしますよ。ではリナさんアメリアさん、メリークリスマース♪」

 「ちょっ…!」
 止める間もなく、ゼロスの姿は風のように消えた。

 「…がうりい…?」

 後ろから聞こえた感情のこもらぬ声に、アメリアの巫女としてのカンは、「終わった」と告げていた。どうも先程うかつにも、アメリアの発した「ガウリイ」の一言に反応したようだ。

 べろべろに泥酔しているはずだが、そうとは思えぬしっかりした足取りで立ちあがる。
 その背後には、なぜかゆらめく赤いオーラが見えた。

 「ガウリイなんか……ガウリイなんか……ガウリイなんかっっ……!」

 ワナワナ震える手で、一番手近にあった花瓶をガシッとつかむ。

 「あんの、大バカヤローーー!!!」

 普段自他共に認めてる、非力な彼女はどこへやら。これぞまさしく火事場のクソ力。哀れ第一犠牲者・リナの腰ほどまである花ビンは、宙をまい、荘厳なステンドグラスに激突して、両者はその生涯を終えた。
 赤、青、黄。色とりどりのガラスが飛び散って、冷静に見るとなかなかキレイだが、むろんそんな場合ではない。

 聖歌隊の女性達は、悲鳴をあげて逃げ出した。しかし、アメリアは王女という責任ある立場としても、リナの友人という立場としても、逃げるわけにはいかなくて。

 「リナーーー!! とっ、とりあえず落ち着いてっっ!!」

 だがしかし、こんな騒ぎの中にあっても、リナの勢いはとどまるところを知らない。

 「なによっ、なによっ、なによっっ!! ちょーっと美人に誘われたからって、デレデレしちゃって!! どーーせあたしはちびでどんぐり目のペチャパイで、胴長短足の茶筒体型よ!! よくも人の目の前で言ってくれたわねえ!?」

 …やはり酔っているらしい。記憶が混乱している。

 リナの背よりも高い本棚を引き倒し、そこらに飾ってある絵を片っぱしから投げつける。酔いどれ頭ではカオスワーズが浮かばないようで、幸い呪文は飛び出なかったが、さすがにこの騒ぎを聞きつけ人が集まってきた。けれどもリナのご乱心は続く。

 「人の気も知らないでーーーー!! 脳ミソスポンジ真綿ーーーー!!!」
 「アメリアさま! 何ごとですかこれは!?」
 「衛兵!? ちょうど良かったわ、ガウリイさんを呼んできなさい!」

 短い応答をすると、衛兵はそのまま走っていった。少しの間そちらに気をとられていたアメリアが、視線を返しギョッとする。リナの持ち上げた椅子が、投げられようとしている先を見て。

 「ままままま、待って、リナッッ!!」
 「ガウリイなんて、あの女のとこ行っちゃえばいいのよ、もう知らないーーーっ!!」

 アメリアの制止むなしく、リナは椅子を投下。椅子はバラバラ、同時にその先にあった、机の上に置きっぱなしのレグルス盤もすべてひしゃげる。

 「あああぁぁぁぁ、正義のレグルス盤がーーーーー!!」

 悲痛な叫びがこだました。これで『聖歌を世界中継する』という今年の主旨はパアだ。白くなりかけたアメリアに、それでも現実は容赦ない。

 リナがもうひとつ椅子をもちあげ、優美かつ繊細かつ高価な神像の方へ向き直る。

 「ガウリイなんて大大大大大ッキラ――――」



 「リナ!!」



 ぽろ
 ガタ、ガシャーン…



 ガウリイの姿を視界に入れたとたん、いきなりリナの動きは止まった。手からすべり落ちた椅子が、一瞬にして騒ぎのおさまった部屋の中で、唯一音をたてる。

 ガウリイは割れたガラスや散らばった木片を避けながらリナの方へ向かうと、へたりこんでしまった彼女に手を差し出した。

 「ほら、立てるか?」

 リナはコクンと小さく頷くと、ガウリイの手をとった。ガウリイがリナを立たせてやる。それとほぼ同時に、まずアメリアから呪縛がとけた。ため息まじりに言う。

 「ガウリイさん…。保護者を自称してるなら、リナをこんなになるまでほっとかないでくださいね」
 「すまんすまん。最近大人しくしてたから、もーちょっと騒ぎを起こさないでいてくれるものと思ってたが…」
 「まったくです。さあみんな、後片づけを始めて」

 パンパン、とアメリアが手を叩くと、やっとヤジウマに来ていた城の者達も動きだした。そのざわめきの中、ガウリイはしゃがんでリナに目線を合わせる。リナはガウリイから視線を外し、

 「だって…だって…。ガウリイが、いないから…。いつまでも、戻ってこないから…」
 「ああ、悪かった。すぐに帰ってくるつもりだったんだが、なんだか道に迷っちまってな。ゼロスのやつ、オレを迷わせてどーするつもりだったんだか」

 ガウリイはにこぱ、と笑うと、乱れてボサボサになったリナの髪をといてやり、優しく2、3度梳いた。リナの顔を覗きこみながら言う。

 「遅くなって、すまなかったな」

 ぶんぶんぶん
 リナはちぎれそうなほど、首を左右にふる。

 「リ、リナ…?」
 ぶんぶかぶん



 「…おいてかないで…」

 「え?」

 リナは真っ赤な顔で、ポロポロ涙をこぼしながらガウリイの服をつかんだ。
 「…お願い…。おいてかないでぇ〜〜〜〜」





 まだ酒が残っているらしい。怒り上戸の次は泣き上戸。リナはしゃくりあげつつ懸命に涙を拭っている。
 そんなリナを誰にも見せたくなくて、ガウリイは彼女をぎゅっと抱きしめた。

 「リナ、ほんとに悪かった。おわびに今晩は一晩中、おまえと一緒にいてやるから」
 「…ホント…?」

 ガウリイの腕の中から、潤んだ瞳で見上げるリナ。めったに見られない素直でかわいいリナに、ガウリイは内心ガッツポーズをとって、

 「ああ。なんたってクリスマスは、恋人たちの夜だからな♪」

 ただ単純にガウリイがそばにいてくれると喜ぶリナ。今夜一晩、リナと何をして過ごすか考えて喜ぶガウリイ。そんな二人から部屋の惨状に目をうつし、アメリアは大きな大きな大きなため息をついた。

 「ああ……。世界を愛の賛歌で満たすという、壮大な計画が……」





 結局、ゼロスの思惑通り、セイルーンの聖歌は例年と同じくセイルーン国内にのみ響き渡った。

 計画の結果を上司に報告するため、一部始終を覗き見していた獣神官が、ダメージ受けてつっぷしていたのはまた別の話である。




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