──続いて埼玉県内の天気です。
県北部では昨日に引き続き晴天となりますが、午後から急速に…候…ザ、ザザッ…悪く……ザ…の天気になるでしょう。
やっぱり峠でAMラジオは限界がある。FMなら問題無いんだけど、このトラックにそんな高級な代物は付いていない。天気予報が気に掛かるけど……
「峠を越えるまでは止めておくか」
純平は一人つぶやくと、車同様、いい加減古くさくなったラジオを止めた。
それにしても……
「眠い」
アルバイトも良いけど、いい加減体力勝負の仕事だから疲れる。
純平はこの夏、夏期休校を利用してアルバイトの掛け持ちをしていた。いつもやっているファミリーレストランのアルバイトに加え、2tトラックに乗って各営業所を巡回する、いわゆるピストン輸送の仕事だった。
やっぱり掛け持ちはきつかったかな。体力には、そこそこ自信があったんだけどなぁ……
特に身体を鍛えている訳ではないが、それでも平均的な体力は持ってると思ってた純平にも、さすがにアルバイトの掛け持ちは疲れるらしく、途中、何度かあくびをかみ殺さなければならなかった。
「あ〜あ、俺だってごくごく普通の大学生の様に、山ほどあるレポートそっちのけで飲み会に行ったり、サークルの奴らと旅行やら合コンやら、それでもって可愛い娘と仲良くなっちゃって、それでもって、って」
――ふっ、虚しい
も、妄想に花を咲かせるのは、何となくむなしい気がする。
純平は自分勝手に浮き沈みしながらも、通り慣れた峠道を山頂目指して走り続けた。
「ふん、貧乏がなんだい」
そう、純平は貧乏だった。
「親父が生きてたら、少しは変わったのかな……って、そんな無駄なこと考えるんだったら運転に集中しよう」
軽く頭を振ると、ハンドルを握る手に力を加えた。
慣れた道とは言え、今走っている道は山越えをするための峠道。道幅が狭い上に、場所によっては車同士がやっとすれ違えるかどうかという道だ。
よって、運転に集中していないと危いのである。
とは言え順平は、今ではその姿さえも思い出せない父親の事を考え始めていた。
純平は15年程前から母親の女手一つで育てられてきた。
父親と暮らしたのは4才まで。父親の事は――今ではもう聞いた話でしか知識がなかった。
純平の父、太平は、一流企業に席を置く成績優秀な営業社員だった――らしい。
上への受けも良く、周囲の誰もが太平の前途洋々とした将来を疑わ無かった――らしい。
ところがである。
『俺は海の男になる!!』と言い残し、周囲が止めるのも聞かず、いきなりマグロ漁船に乗り込んだのが16年前の話。
結局、太平はそのまま帰ってこなかった。
まあ、今更何を言っても始まらないか。
確かに、小さい頃には文句の一つでも言ってやりたいと思ったけど、当の本人が目の前に居ないのではどうしようもない。
「物心つく時には、いなかったんだからな……」
ま、今まで生きていたとしても、仕事仕事で家に居ない事の方が多かったらしいから、どうなってたことやら。
普通の子供なら憎んだりするんだろうけど……そんな感情すらも浮かばない親父なんだから、別にいっか。
「ま、それも、母さんがいたから許せるんだけどね」
そう、純平に取って唯一の救いとなったのは、底抜けに明るい性格の母親の存在だった。
純平とて貧乏の上に暗く沈んだ家庭だったら、いくら何でもやりきれなかったに違いない。
「その点だけは、心配ないからな……うちは」
順平の母親は、本当に底抜けに明るかった。
結婚してからというもの、ほとんど家に帰ってこなかったと言う父親に愛想を尽かすわけでもなく、純平は母親が愚痴を言っているのを一回もも聞いた事がない。それどころか、いつも笑っていた印象しかなかった。
それに、貧乏ながらも今までそれ程生活に不自由があった訳でもなかった。太平の生命保険があったのか、一番心配だった大学の入学金も何とか無事に支払う事が出来た。
影で努力してくれたのは、紛れもなく母さんなんだろうな……
緩い上り坂のカーブを、慣れた運転でやり過ごした。
まあ、一人暮らしの費用やら生活費やら、これから大学で掛かる費用くらいは自分で稼がなくっちゃばちが当たるか。
純平のアルバイト代は毎月十五万円。その内家賃が3万5千円。これはもう少し節約したかったが、どうしてもバスとトイレは欲しかったので、築四十年をすぎたアパートでもこれが限界だった。
その代わりと言ってはなんだが、食費は切りつめていたりする。とは言っても別にひもじい生活をしている訳ではない。もう一つのアルバイト、ファミリーレストランの恩恵にあずかっているからだ。
社員価格万歳!――と叫びたいのだが、やっぱり食べ盛りなので毎月三万円程度は掛かってしまう。一人暮らしだと、自炊は逆にコストパフォーマンスが悪くなる場合があるので、栄養バランスは悪くなってしまうが、もっぱらコンビニ弁当とファミレスのメニューに頼っている純平――もちろん、食事を作ってくれる彼女なんてものは存在していない。
そして、なんだかんだある生活費の中で、一番大きいのが大学の授業料。
今年度の授業料は振り込んだものの、毎月五万円は積み立てておかなくてはいけない。
その他、携帯の料金やら光熱費やらで、大体残るのは二万円強。そうそうサークルの飲み会に参加もしていられないのが現状である。
「って、だけど……やっぱり少しは遊びてー」
純平はため息と共に声に出して一人ごちた。
貧乏ではあるがごくごく普通の大学生。たまには羽を伸ばして遊びたいと思うくらいは、目をつぶって欲しい。
そう、大学生と言えばキャンパスライフ! キャンパスライフと言えばときめく恋の予感――だけで終わってる純平だったが、やっぱり彼女は欲しい年頃なのである。
「はぁ〜どっかから女の子でも降って来ないかな」
一人暮らしの弊害か、純平は考えを口に出す癖があった。
それが例え、危ない思考のモノでもである。
天気は突き抜けるような晴天――緑の深い山の中、頂上へ向けて伸びる緩い登り坂は、そのまま大空にまでも続いてゆく様に感じられた。
と、そんな時である。
もう少しで頂上を迎えると言う緩い左カーブに差し掛かった時だった。
『止まって!!』
それを見た瞬間、純平は思いっきりブレーキを踏み込んだ。
キキッー!!
「おわっ」
ごん!
「つっ……」
上り坂が幸いしたのか、順平の感覚では、トラックは何とか『それ』にぶつかる前に止まりきった……はずである。
その代償として、しこたま頭をフロントガラスに打ち付け、鈍い音を響かせてはいたが。
「い、一体何が!?」
純平は状況を把握しようと顔を上げた。
……引いちゃった?
トラックの前を確認した順平は愕然とした。トラックの前方には――直前に出てきた何かの影が見あたらなかったのである。
や、殺ちゃった!?
「か、母さん、俺、俺、犯罪者に」
ガチャ
「はい!?」
と、純平が真っ青になりかけたとき、いきなり助手席側のドアが開いたと思うと、『それ』は何の前触れもなく現れた。
「私、悪い奴らに追われているんです。お願い、私を乗せて逃げて下さいませんか?」
「え?え?」
全くの不意打ちに、純平の思考は電気が切れたおもちゃの様に停止した。
しかし『それ』はお構いなしらしい。助手席へとその身を滑り込ませてくると、
「ね、お願い、私追われているの、早く車を出して!」
と、純平に向かって真剣な眼差しを向けてくる。
「ええー!!」
追われている……って?
この安全な日本の地で、こうまで焦る程他人から追われるってなんだー!
全日本鬼ごっこ協会主催、全国統一鬼ごっこ大会?
純平は、かなり動揺していた。
「早く、ね、早くしないと捕まっちゃう」
「は、早くって言ったって、君は一体……」
「その説明は後でするから、ほら、もう見つかっちゃったじゃない!」
純平が『それ』が指さした方へ視線を向けるとそこには――何ですか、あの『いかにも』って言う黒服さんは……しかも二人ですよ。
夏場にもかかわらず、黒服に身を包んだがたいの良い男が二人、こちらに向かって迫ってきていた。
一体この娘は何者で、何ヤッタデスカ?
「ね、早く車を」
「シート……」
「え!?」
今度は『それ』の方が戸惑った。
「シートベルトを締めて!!」
――順平は一応アルバイトとは言えプロのドライバーなのである。シートベルトは基本中の基本。
「う、うん」
助手席の『それ』はシートベルトを手に取ると、しっかりと身体にあわせて留め具をはめ込んだ。
カチッ!
その音が合図になったのか、純平の頭の回路も切り替わる。
アクセルを踏み込む右足に力が入った。
ギャギャギャ――
純平は、驚異的なスタートダッシュに続いて、華麗なコーナリングで第一コーナーに向けてギアを一つ上に入れた。
午後から急速に荒れ模様となるでしょう――
なにやらそれ以上に、これからの雲行きが怪しくなった――純平はそんな気がした。
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