あいつはまるで猫の様だ―――俺は不思議とそう思う事に抵抗が無かった。
あいつって言うのは幼馴染みである北崎凛(きたさきりん)のこと。
凛は、肩口まで伸ばしているサラサラの黒髪に驚くほど艶があって、いつもいい匂いをさせてたりとか、スッキリした顔立ちに大きくて良く動く瞳がとても印象的だとか、とにかく、ひげやしっぽこそ生えてなかったけれど、まるで子猫を思わせるかの様に可愛いかった。
さらに、凛が笑うとほら――両方の頬に針で突いた様なエクボが出来ると言うおまけつき。
案の定、クラスの大概の男は凛の事がお気に入りだったし、俺から見ても、エクボを見せる凛は本当に可愛いと思えた。
だけど、だからこそ、あいつの事を猫の様だと思う。
凛とは家が隣同士で、本当に小さい頃から一緒に育ってきた。
何せ両方の母親が大学の時の同期生だったらしく、家族ぐるみで仲が良くなるのも当然と言う状況。しかも……両方の母親がほぼ同時期に妊娠して、いざ凛の母親の陣痛が始まったと思ったら、うちのかーちゃんも産気づいて、同じ日に同じ病院で二人とも生まれてしまったのだ。
いくら仲が良いと言っても、ここまで一緒にすることはないと思ったけど、とにかく、俺と凛は本当に生まれた時から兄弟の様に育ってきたのだ。
だから俺は――エクボを見せる凛の、もう一つの顔も知ってる。
凛は性格も猫の様なんだってこと。
基本的に凛は素直だ。クラスの中でも性格の良さでは有名だったし、何しろあの顔だから嫌われる事はまず無かった。けれど、俺と二人きりの時の凛は、本物の猫の様にわがままで気まぐれで、機嫌が良くなると思ったら、プイっとそっぽをむく事も珍しくない。
常に兄妹の様に育ったからか、凛は俺と二人の時は頼りたがる傾向にある。
しかも困った事に、無理なお願いする事が多い。
ついこの間も春の海が見たいと言い出して、俺は自転車の後ろに凛を乗せ12kmもの道のりを走らなければならなかった。
だから俺は、毎回の様に苦労させられる凛のお願いを今度こそは断ろうと思うのだが……凛のあの笑顔でお願いされると、断れなかった。ちくしょう――
とにかくあいつは、猫の様だ!
「な〜おちゃん」
ホームルームで先生のくだらないギャグを聞き流し、やっと終わった――と思った時、斜め後ろの席にいた凛が俺のことを呼んだ。
嫌な予感がした。
過去の記憶から、凛が俺の名前をこんな風に伸ばしながらちゃん付けで呼ぶとき、絶対に何かお願いごとがあると言う事を知っていたからだ。
「何だよ凛」
「あのね」
「待てよ、この前の時もそんな顔して頼み事してたよな……」
「まだ何も言ってないよ」
「大体の想像がつくんだよ。どうせ頼み事だろ」
「そんなの判らないじゃない」
「でも頼み事なんだろ」
「うん」
「…………」
俺はこういう時ほど、凛の根性の良さを感じる事はない。
凛は人に頼み事をするとき、大概のヤツが頼み事を聞いてくれる事を本能で知っているのか、少し上目遣いでじっと人の顔を見つめながら話してくる。
そんな時の凛の瞳は、強力な武器だ。
時々俺は、凛が自分の武器の事を良く理解していて、それを最大限に利用しているものだと思えるのだが――実は天然の性格だと言う事も知っている。
実にズルイ。
「それで、今度はなんだよ」
「なおちゃん、お願い聞いてくれるの?」
「分かんない。無理なお願いだったら出来ないよ……けど、話しだけは聞いてやる」
「ありがとうなおちゃん! それでね、あのね――」
俺の通ってる小学校は、てっぺんまで100メートルも無いような山だけど、校舎はちょうど山の中腹にあって、下から見ると林の中に埋まってる様な格好だった。
だから体育館の裏手には林が広がっていて、それでもって先生達もあんまりやってこないから、俺達生徒の秘密の場所見たいになっているのだ。
凛はそんな体育館の裏に俺を連れてくると、少し影になっているところから段ボールの箱を取りだしてきた。
「あのねなおちゃん、この子うちで飼いたいんだけど」
そう言うと、一匹の三毛の子猫が俺を屈託のない瞳で眺めてくる。
「それは無理なんじゃないの?」
凛の両親は決して動物が嫌いと言う訳ではない。逆に今も動物を飼っている程だから、何も問題が無ければ大丈夫だったかも知れない。
ただ、今飼っている動物が『鳥』と言う事を除けばの話しだけれど。
「だって凛の家じゃ鳥飼ってるじゃん」
「でも、この子何とかしないと死んじゃうよ。なおちゃんはそれでも良いの?」
……まったく、凛は絶対に知能犯だ。
そんな顔してこっちの事見つめて来るなって言うの!
「だからって……何も凛が飼うこと無いじゃん。誰か飼ってくれる人を捜した方が良いじゃないの?」
「でもさ、見てよ、この子凄く可愛いんだよ」
そう言うと凛は、子猫を抱きかかえてあごの下を撫でだした。
なぁ〜ご
その子猫は凛に撫でられると、気持ちよさそうに目を細めながら喜ぶ。
確かにその猫は、猫ながらに顔がスッキリしていて目がまん丸。目鼻立ちがハッキリしているとでも言うのか、なかなかの顔立ちだ。スラリと伸びたしっぽが、今は凛にあごを撫でられているからか、気持ちよさそうに揺れている。その姿は――誰かに似ていた。
「でもさ、鳥はどうするんだよ。凛だってお気に入りじゃん」
「うん……でね、お願いがあるんだけど」
うわっ! これはヤバイ――凛のこの顔。
「ダメ」
「まだ何も言ってないよ」
「だからってダメ」
「ね、聞いてってば」
「だってどうしようも無いじゃないか」
「お願い」
「言うなって」
「お願いだからなおちゃん、この子の事、お家で飼ってくれない?」
あ〜あ、とうとう言っちゃったよ。
最初から嫌な予感がしてたんだよ、こんな風に子猫を段ボールに入れて牛乳やらパンやら上げてて、それを俺に見せるって事が。
「だって凛、うちだって猫なんか飼えるかどうか判らないんだぞ」
「ね、だからなおちゃんのお母さんに、お家で猫を飼える様にお願いして欲しいの」
「猫の世話はどうすんだよ、凛が面倒見る訳じゃないんだぞ」
「だって……」
うっ――凛のヤツ本当にがっかりしてる見たいだ。
でもなぁ〜、俺も猫は嫌いじゃないけど、飼うとなると別問題だし……第一うちのかーちゃんが許してくれるかどうか分かんないし。
「ね、なおちゃんお願い。この子の面倒、私も見るから」
ったく、そんな顔で頼まれたら嫌って言えねえじゃんか!
俺は少し甘やかせすぎかと思ったけど、これからも、凛の「な〜おちゃん」と言う台詞を聞いて、そのお願いごとを叶えていくんだと判っていた。
だってあいつは――可愛い子猫ちゃんだから、ね。
ちょこっとONE SCENE!
―――直哉・凛14才、中学3年の卒業前の春―――
「あのね直ちゃん……相談があるんだけど」
凛はいつもの様な無邪気な態度を見せず、少し緊張した面もちだった。
その理由は分かり切ってる、俺と凛は卒業を2週間後に控え、お互いに微妙な感情の変化を感じとって、ここ最近、少しぎくしゃくしした会話が続いていたからだった。
中学3年の卒業間近と言うこの時期は、一種、告白の季節だった。
高校生になると別々になってしまうので、その前に自分の気持ちを伝えたいと思う者とか、卒業を前に、自らの気持ちに区切りを付けたいと思う者とかが、この時期、告白ウイルスをまき散らしているからだ。
俺と凛との間が最近ぎくしゃくしている理由はつまり、告白ウイルスの影響が大きいのである。
だけど、好きとか嫌いとか、俺は今までそんな目で凛の事を見たことが無かった。
一緒の日に生まれ、まるで本当の兄妹の様に育ってきただけに、そんな感情を持つことが無いままここまで来てしまったのだ。
もちろん、凛の事を可愛いとは思うのだが――それでもやっぱり恋愛感情などを持ったことは無かった。
だから、こんな状況になったのはこれが初めてだし、そしてどうして良いのかも全く判らないまま、ぎくしゃくとした雰囲気を引きずっているのだ。
「相談って、なんだよ」
「うん、あのね、これもらっちゃったんだけど」
凛は、鞄の中から一枚の手紙を取りだした。
中身を見なくても一瞬にして判る。
ラブレターだ。
「これって、で、俺にどうしろって言うんだよ」
「これ、どうしたらいいかと思って」
俺は何故だか無性に腹が立って――凛の事を怒鳴っていた。
「これは凛がもらったんだろ、だったら俺に相談なんかするなよ。これを出したヤツはきっと真剣になって書いたんだぜ、それを人に見せる様な事をするなよ」
「あ、あの」
「凛が決める事だろ、それを俺に言うなよ」
「ご、ごめんなさい――」
そう言うと凛は、うつむきながら俺の前から掛けだした。
ちくしょう!
俺は、なんだか自分が悪いことをしたように心が痛んだ。
判っていたじゃないか、凛が俺に止めて欲しいと思ってるって事ぐらい……
俺は怖かったんだ、凛の気持ちが自分に向いているのかいないのか。それがハッキリしたときに、自分が傷つくのを恐れてた――だから凛に対してあんな風に怒ってしまったんだ。
ちくしょう!
でも、それ以上に解ってたじゃないか、凛がわがままを言うのは俺にだけだって……そして、凛が俺の事を好きだって事も、俺が凛の事を大好きだって事も。
ちくしょう!
三度目のちくしょうの前に、俺は走り出していた。
「やっぱりここか」
俺は母校である小学校の、体育館の裏でうつむきながら肩を落としている凛を見つけた。凛が、嫌なことや落ち込むことがあると、いつもこの場所に来ている事を知っていたからだ。
「直ちゃん」
顔を上げる凛の瞳がぬれているのを見ると――ズキズキと心が痛む。
「凛……」
俺はそんな凛を見て、ふと昔の出来事が思い出されてきた。
「そう言えばここで、猫を飼ってくれってお願いされたっけな」
なんでそんな事を思い出し、そしてこんな言葉を言ったのか解らなかった。本当は、凛に俺の素直な気持ちを伝えようと思ってここに来たのに、いざとなったらふっとんじまった。
「猫」
「そうだよ。結局俺の親父の会社の人が飼ってくれた、あの猫だよ」
「懐かしいね」
凛はそっと涙を拭くと、笑顔を作ろうと努力している様だった。
「なあ凛」
「ん?」
「あの時の猫はさ、俺が面倒見てやれなかったけど」
「うん」
「お前の面倒は俺が絶対にみてやるよ。だから、わがままを言うのは俺だけにしろ」
――言っちまった!!
スゲー恥ずかしいぞ。
しかも好きとかって言葉じゃ無くてこんな言葉なんて。
「直ちゃん」
「お、おう」
「直ちゃん!」
「おうっ!」
「大好き」
「おうっ! 俺も凛の事……好きだ」
俺はこの日、告白ウイルスに感染した。
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