俺は彼女の手紙を手にしたまま、全ての感情が消えて無くなってしまったかのような無の時を迎え、そして、自嘲気味に笑った。
決して自分が悪い訳では無かったが、それでも俺は、笑うことでしか今の自分を支えられないと……思った。
─ONE SCENE STORY─
四季シリーズ第四弾『冬の華』
きっかけは、いつも配達をしているお客さんからの一言だった。
「朝倉君って、彼女とかいるの?」
通常ならば荷物は玄関先までで良かったのだが、女性の多い職場ではそれも大変だろうと倉庫まで運んであげる事がある。その質問は、いつものように倉庫まで荷物を運んであげている時だった。
「いや、それがいないんですよ……」
そんな時俺は、当たり障りのない返事をすることにしていた。
「あら、朝倉君って感じが良いから、彼女とかいそうなのにねぇ……」
名前も知らない30代前半の女性に続き、少し年輩のおばさんが続く。
「本当にいないの?全然そんな風に見えないけど」
「でも、本当にいないんなら、ねえ、あの娘なんか良いんじゃない?」
あらかじめ二人の中で話がまとまっていたのだろう、何度か本当に彼女がいないのかと聞かれた後、俺に一人の女性を紹介したいと話してきた。
「ほら、私たちの職場って女性が多くて横のつながりはあるけど、どうしても男の人と接するチャンスが少ないじゃない、それでね、朝倉君より少し年上なんだけど、第二保育園にいるあの娘、知ってるでしょ?」
そりゃ知らない訳がない。俺はこの地域の小中学校と共に、保育園関係の殆どに配達を、それどころか営業として出入りしているのだから。
「あの娘ってスッゴイ奥手だから、彼氏とかいないらしいのよ……朝倉君どう?ああいう娘ってタイプ」
俺は第二保育園にいる「あの娘」を思い浮かべる――
第二保育園には年上の女性は二人いるのだが、どう考えても、50代の女性でないことは確かだ……という訳で、ある一人の女性が頭の中に浮かぶ。
女性の年齢を詮索するのは失礼と言うものだが、その女性は俺よりも5才くらいは上だと思われた。つまりは30は越えていると思われるのだが、結構な美人――と言うイメージがあって、独身と言うのが疑わしく思えるのだが、どうやら未だ独り身であるらしい。
彼女は特別印象に残る様なタイプではかったが、どこか寂しげな雰囲気を纏う、儚げなイメージのつきまとう女性だった。
「ね、彼女の方には私たちから話しておくから、ちょっと話だけでもどう?」
どうして女性はこういった話しが好きなのだろう……これが噂に聞「お見合いおばさん」と言うやつか。とは言え今の俺には彼女と言った存在も無く、営業なんてやっているくらいなので人との出会いは歓迎する様にしている。
俺は最初、本当にそんな些細な理由で断らなかった。
「紹介してくれるならお願いします――」
実に珍しい――自分でも珍しいと思う。お客さんと言うことで、いつもならばこの手の話は曖昧にはぐらかすのが常の俺は、この時何故か、誘いを断らなかった。
いや、断れなかったのかもしれない。触れれば手折れる様な印象を持つ彼女に、何かしらの興味があったのかも知れない。
それは保護欲と言ったものなのか――だとすれば、俺は自分自身に嫌悪しなければならないが、どうにもそれとは少し違う。俺は彼女に惹かれるモノを感じ取っていた……そう思いたかった。
そして俺は、その理由を知りたかったのだ。
――彼女が持つ何か。
俺は後に、これ以上ない程の自嘲を味わう事になるなど知るよしもなく、誘いを断らなかった事を後悔する。
「それじゃ連絡先……名刺に載っている携帯の番号で良いのかしら。彼女に連絡するように言っておくから」
荷物を降ろし終わると、二人の女性は意味ありげな笑顔で名刺を取り出した。俺がこのエリアの担当になるときに渡した名刺だった。
俺は紹介してくれるなら――と、新しい名刺を彼女達に渡し、この場を後にした。
期待していなかった――と言えば嘘になる。
現在彼女と呼ばれる存在もいなかったし、僅かばかりでも気になる女性から連絡を待つと言うのは、珈琲にミルクを入れたときのような曖昧な感情になる。期待も不安も入り交じる――そんな感情だ。
しかも、いつまで待っても連絡が来ない。
いくらこのエリアの営業担当で配達もあるとは言え、保育園に関しては毎日の様に連絡を取る事もなかったし、配達にしても一週間に一度程度の頻度なので直接顔を合わせる事も少ない。
しかも、その保育園に配達があったとしても、彼女は希に休んでいるらしくてすれ違いが続いた。この時ばかりは恨めしく思ったが、それ以外の仕事も多くて気にしてばかりもいられない。
俺が「振られたかな……」と思い始めた頃、彼女のいる保育園へ配達する事になった。
「いつもご苦労さまです」
俺が、僅かばかりの気まずさと共に扉を開けると、そこに、彼女の姿があった。
「朝倉さん……朝倉さんは富士見保育園の調理場の方はご存じですか?」
彼女の瞳に、どの様な感情が込められているのかは分からない。けれども、何かしらの決意の様なものはあったと思う。彼女は確認するような口調で話しかけてきた。
「あ、はい、もちろん知ってますけど……」
「お二方からあなたの名刺を頂きました。どの様な経緯であなたが名刺をお預けになったのかは分かりません……ですが、お二方の話を聞き、私なりにお返事を認めさせて頂きました。どうか、受け取ってください」
そう言うと彼女は、若い女性が使うには落ち着きと気品のある一封の封書を手渡してきた。
あの――俺が何か聞こうとしたのを「私の、現状を認めさせて頂きました」と、彼女が止める。
「富士見保育園のお二方には、私の方からはお返事をしなかった――と、伝えておきます。それから、手紙の内容は、出来れば口外しないで頂きたいのですが」
俺は彼女の真剣な眼差しに、これ以上、言葉を挟む事が出来なかった……
俺は仕事が終わると、その手紙を大切に家に持ち帰った。
封書の表には、彼女の名前のみが書かれていたが、それだけで達筆である事が分かる。
どうやっても俺には、これ程整った字を書く事が出来ない――そう思うと共に、彼女の性格が、この文字だけでも伝わってくるほど、彼女の文字は美しかった。
俺が丁寧に封を切ると、表書きに記された様な、真っ直ぐな文字が連ねられていた。
前略――
富士見保育園の方から貴方様のご名刺を頂き、私へのご紹介と言う話を聞きしました。
ですが、貴方様の様な素敵な殿方に、私は年を取りすぎております。
少々私事を書かせて頂きます。
私は幼少の頃より体が弱く、両親の庇護の元でしか生活の出来ない暮らしをしております。今も体調が安定せず、休み休み保育園で働かせて頂いています。
私は当年、35才と言う年を重ねておりますが、一度も男性とお付き合いした事もありませんし、お付き合いしたいとも思いません。
貴方様より名刺を頂きましたこと――大変ありがたく存じますが、貴方様のような素敵な方には、きっと、他に素敵な方が現れると信じております。
勝手ではありますが、今後とも、より良き仕事上のお付き合いを、お願い申し上げます。
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