-ORIGINAL STORY-

屋根の上の恋人達 前編

「じ、地獄の様だわ」
 この時期になると冴子は、必ずそう思わされる。
 いい加減古くさくなってきている四階建ての校舎、二階の一番奥に位置する 教室。窓際の最後尾に冴子の席があった。
 季節は春―――うららかな陽気がとても心地良い季節である……とは言って も、それが全ての人に歓迎されるモノとは限らない。
 特に、現在授業を受けている冴子に取っては、「凶器」と言う形容詞がぴった りと当てはまるものだろう。

 そう、睡魔という凶器である。

 何せ冴子のいる教室は校舎の南側に面しており、うららかな陽気と共に心地 よいそよ風が吹き込んでくると言う、絶好の位置にあるのだ。
 季節は春、校庭をぐるりと囲むように咲いている桜が、見る者に絶対的な睡 魔を提供するのは言うまでもない。
 しかも悪いことに、今現在冴子が受けている授業は、別名『安眠先生』と恐 れられている安見教師の古典だった。

 なぜ安眠先生と言われているかって?
 それは、ゆっくりとしてマイペースな語り口の安見から発せられる、意味不 明(に感じられる)言葉が、まさに天使の子守歌か悪魔のささやきか……強烈 な眠気を催す呪文の様だからである。
 タダでさえ春の凶器に打ちのめされているのに、これ程厳しい条件が重なれ ば、たまったモノではない。いくら強靱な精神の持ち主でも、睡魔を追い払う のは至難の技であった。

 現に殆どの生徒は、いかにして眠気を払おうかと四苦八苦している状態で、 安全ピンを用意する強者もいるくらいだった。

 よって、後方で、しかも窓際の席にいる冴子が『地獄の様だ』と思うのは、 仕方が無いのである……
「そう、だけど私は別に寝ている訳じゃないの……ただちょっと、まぶたさん が休憩したいって言うから、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけまぶたさんを 休ませてあげているの……」
 と、かなりメルヘンチックな言い訳をしながらも、もちろん、冴子は腕を枕 にして深い眠りの中へと落ちていた。

 よだれを垂らしていないのが唯一の救いであるのだが、顔には既に、寝皺が つきつつあって、名前の「冴」とはだいぶ異なっていた。
 しかし、そんな冴子の名誉の為に言っておくが、冴子自身は勉強も……そこ そこには出来るし、たとえ今は寝皺でひどい状況になっていても、けっして顔 そのものが……ひどい訳では無い。
 美人と言うタイプでは無かった―――もっとも当人はスッキリとした美人顔 だ!と思っているらしい―――が、なかなか可愛らしい顔付きをしており、明 るい性格も手伝って、男女ともに人気がある。
 ただし、明るすぎるのがたまに傷という話もあるのだが……
 身長は160cmと、最近の女子高生としては平均的な高さ。スリーサイズ は本人の承諾が無いので伏せておくが、別に太っている訳でもやせぎすで骨張 っている訳でも無く、ごくごく平均的な容姿をしている。

 さて、大体冴子の説明が終わったところで、もう一度教室の方へ目を向けて みると、相変わらず春の凶器や安見氏の呪文に必死に耐えている者、または戦 わずして負けているものが半々と言った感じで、とても他人の事など気にする 余裕は無い。
 とは言え授業の続く中、冴子の横に背広を着た男が立っている事に、周囲の 誰もが気が付かない状況と言うのは考えられるのだろうか?
 そう、授業をしている安見でさえ、その男の存在に気が付かなかったのであ る。

「桂木さん」
「んぅ」
「すいません」
「はぅん」
「あのぉ〜」
「もう食べれないってば……」
 本人は否定するかも知れないが、冴子は春の凶器によって完全に夢の中へと たたき落とされていて、男の呼びかけにも全く気が付く様子はない。
「もしも〜し、起きてくださいよ〜」
 ユサユサ……ツンツン
 男は、いくら呼びかけても起きる様子を見せない冴子に、肩を揺すったり指 で頬をつついたりと……色々な事を試すのだが、しかし、それでも冴子は目を 覚まさない。
「はぁ〜ここまでやって起きない人も、珍しいですね〜」
 男はそんな冴子に、あきらめのため息をついた。
 そして「仕方がないですね〜」と、妙に間延びするしゃべり方で、一人、納 得した表情になると、今度は背後に手を回し、何やら棒の様なモノを取り出し 始めた。

 スルスルスル―――と、どこにしまい込んでいたのか、取りだしている棒の様 なモノはドンドンと伸びて行く。
 スルスルスル―――と、背後から取り出した棒は、最終的に男の身長程にもな っていた。
 しかもよく見ると、棒だと思っていたモノの先には、三日月状に反り、鋭く、 そして鈍く光りを放つ鉄の刃が付いていた。
 そうそれは、まるでおとぎ話に出てくる死神が必ず手にしている様な、大きな 鎌だった。

 男は、未だ授業の続く中で、大きな鎌を両手で持って冴子の隣に立った。
 だが、それでも誰一人、この男に気が付く者は居ない。
 いくら春の凶器と安見の呪文にさらされているとは言え、大きな鎌を持つ背広 姿の男に、周囲の生徒はおろか、教師の安見ですら気が付かないのは異常としか 言いようがない。
 しかしその男は、そんな周囲の状況がさも当然と言った感じで気に止める様子 もなかった。
「ふぅ〜、本当はキチンと確認したかったけど時間が時間だし……事後承諾と言 う事で〜」と一人つぶやくと、大きな鎌を冴子に向かって構えだした。

 振り下ろす先には当然、冴子の『首』があって、このまま行けば間違い無く猟 奇的殺人現場のできあがりと言う状況、果たしてこの男、怪奇映画の見過ぎで現 実と幻の境が解らなくなった異常者なのだろうか?
 いや、背広姿の男はどこかの普通の営業マン程度にしか見えない。それもうだ つの上がらない、成績の振るわない営業マンだ。
 その成績の悪い営業マン、外見は本当に普通の男で、何処から見てもぼろぼろ のマントを付けた骨だけの死に神と言う訳でもなし、髪の毛も、後ろの毛に寝癖 が付いてはいたが、小綺麗にカットされていてサラリーマン然としている。
 顔は寝不足なのか、ぱっとしていなかったが、やはり極々平均的な冴えない男 である―――そう、鎌さえ持っていなければの話だが。
 しかし現実に、男は鎌を持って冴子に向かって構えている。そして冴子は、未 だに夢の中を漂っているのか、そんな事など全く気が付かない。
 このままでいけば、まず間違いなく男のなすがままになってしまうだろう。

 男はそれも見越しているのか「よっこらしょ」と、いささか格好悪い掛け声を 出すと、俄然、冴子の首を狙って大きな鎌を構え直した。

「じゃ、逝きますよ〜」

 男は、ここでも緊張感の無い間延びした口調で呟くと、鎌を握る手に力を入た。 男の身の丈ほどもある鎌は結構な質量があるのか、たまにふらつきながらもねら いを定めている。
 そして―――男はねらいを定めたのか、もう一度、鎌をギュッと握り締め剣道 の上段の構えを取って気合いを入れたかと思うと、気合いの声と共に、その凶器 を冴子の首へと振り下ろした。

えい!

ブン―――短い気合いの声と共に振り下ろされた鎌は、鈍く風を切る音を立てる と、鋭い一撃を、冴子の首へと突き立てていた。

 瞬間、鋭い鎌の一撃はその首をやすやす刎ねあげると、主の無くなった冴子の 身体からは、噴水の如く血しぶきが上がり、一瞬にして教室の中は阿鼻叫喚の地 獄絵図へと……

……

……

―――変わることは無かった。

 どうしたのだろう?男は失敗したのだろうか?
 いや違う、実はその男、冴子の「首」を狙ったのでは無く、頭の直ぐ上をかす める様に鎌を振り下ろしていたのである。
 よって、当然のごとく何も起きようが無いのだが……変化は直ぐに現れてきた。
 男が鎌を振り下ろして少しすると、徐々に、周囲の空気が冴子に向かって吸い 込まれる様に渦を巻きだしたのだ。

 ゴゴゴゴゴ!!―――その渦は空気を吸い込む異様な音と共に、徐々に、大き さを増す。まさに竜巻だ。
 そして、徐々に大きさを増した空気の渦が、とうとう冴子の体を飲み込む様に なったと思った瞬間、その渦の中からもの凄い勢いでもう一つの竜巻が飛び出し た。

 バン―――

 勢い良く飛び出した竜巻は、不気味な音を立てて宙に舞った―――と思ったら、 一瞬にして空気の渦は何事も無かったかのように収まりはじめた。
 すると、冴子の身体から飛び出してきたもう一つの竜巻も、徐々にその空気の 渦が収まりを見せ始め、空気の渦に隠れていて見えなかったそれが、姿を現しは じめた。

 そうそれは―――もう一人の冴子だった。
 冴子の体が二つに分かれ、片方が宙に浮いていたのである。


「ふう、これで起きてくれるでしょう〜」
 男は宙に浮く冴子をみて、ほっと胸をなで下ろした……ハズだった。が、

スヤスヤ―――

「って、 か、桂木さん?」
 ま、まだ寝てる……
 冴子は未だ、春の凶器に打ちのめされたままだった。


 竜巻が二つに分かれた瞬間は、まさに弾丸のようなもの凄い勢いで飛び出し、 周囲にその余波を振りまくほどの衝撃であったのにもかぎらわず、余程深い眠り に陥っていたのか、未だ冴子は目を覚まそうとしなかった。
 し、しぶといですね―――男はそんな冴子を見てどうしようかと頭を悩ませ た。
 いくら図太い神経の持ち主でも、あれ程の衝撃があれば目を覚ますだろうと高 をくくっていたのだが……ところがである、目の前の少女は、『それしきの事で 私の眠りを妨げる事が出来るの?』と言わんばかりに爆睡してて、男は、どうし て良いのか分からなくなった。
 一瞬、このまま放置して帰ってしまおうかとも思った―――が、しかし、その 男には、どうしても冴子に目を覚ましてもらわねばならない理由があり、ここで 引き下がる訳にはいかない。
 あれほどの衝撃で目を覚まさないなんて、なんて図太い神経の持ち主なんでし ょうか。とは言えこのままにして置くわけにも行かないし……体を揺すった程度 では起きそうもない。けれど、案外そう言う人に限って、言葉の方が聞くかも知 れませんね―――
 男は思うやいなや、早速冴子に向かって呼びかけを始めてみた。

「冴子さん〜美味しい焼き肉があなたを待ってますよ〜」
 ……ある意味、男は冴子の性格を見透かしていたのかも知れない。
「ケーキに大福、プリンにホットケーキにクレープにあんマンに……」
 思いつくだけの食べ物の名前を、冴子の耳元でささやき始めた。
「う、う〜ん……」
 するとどうだろう、少しだったが、冴子から反応が返ってきた。
 これは、これはいけますよ!!―――男は希望が持てたのか、更に食べ物の名 前をささやいた。
「うに、トロ、いくら、鮭にネギトロ、アサリに……」
 今度は寿司ネタだった。

「うぅん……もぅ、食べられ……てば……」

 冴子の顔に、これ以上ないと言った幸せそうな表情が浮かんだ。
 後もう少しだ!―――男はここぞとばかり、大きな声で冴子を呼んだ。

「冴子さん!!起きてください!!」
「うう……うっさい……わね」

 途中……が入ったのは、大きな欠伸で遮られたからだが、男は、とうとう冴子 を起こす事に成功した。
 とても彼氏には見せられない顔をしていたが、冴子が、何とか目を覚ましたの である。

「いやぁ〜良かったです〜、やっと起きられましたね〜」
 男は冴子がようやく起きたのを見ると、妙に間延びした特徴のある口調で話し だした。
「いやぁ〜実際ですね〜、たまにいるんですよ〜夢の中でも寝てるってゆ〜奇特 な方がぁ〜」

 ……誰?
 冴子は目の前の男に見覚えが無かった。新しい教師かしら……でもやすみん (安見教師のあだ名)のお経が続いているって事は、まだ授業中みたいだけど ……それに、こんな風に空中に浮いてる状態なんて……やっぱり夢よね……

 冴子の体は、あれからまだ、空中に浮いたままだった。

 いやね……あるのよね、こう、夢の中で夢を見るって言うの?それで自分の寝 てる姿とかも見えたりして……ま、そんな事はどうでも良いとしてとにかく私は 眠いのよね……
「と言うことで、お休みなさい」
 自分の中で折り合いが付いたのか、冴子は目の前で色々としゃべり続けている 男を無視し、もう一度、春の凶器へと身をゆだねようとした。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ〜冴子さ〜ん。何が『と言うこと』なんですか 〜」
 男は、今度冴子が眠りに落ちたら、もう二度と目を覚まさないと思ったのか、 寝かしてなるモノかとまたもや間延びする口調で冴子の体を揺さぶった。

「何……よ私の夢のくせして、この私の睡眠を……邪魔するって言うの?」
 冴子は何度か欠伸を挟みながら、自らの眠りを邪魔する目の前の男に怪しげな 視線を向けた。
「うっ……なんか嫌な予感」
 男はそんな冴子に、イヤな予感を感じたのだが……その時は既に遅かった。
 冴子が「天罰テキメン!!」と言う掛け声と共に、男の股間を思いっきり蹴り 上げていたのである。

―――ぼぐぅ!!!

「はぅぁ」
 瞬間、なにやら鈍い音と共に、男の断末魔の様なうめき声が聞こえたが……
―――人事不省である。


 男の頭の中では、過去の出来事が、まるでメリーゴーランドの木馬の様にグル グルと走り回っていた。見てはいけないモノが次々と浮かんでは、苦痛によって 消えて行いった。

「ぞ、ぞうが、ごれがぞうまどうってやづだ」
訳:そ、そうか、これが走馬燈ってやつだ

 その男が滅多に見られない(見たくない)走馬燈を経験している時、冴子は、 例の『モノ』を蹴り上げた感触からか、何となく眠気と言うものがなくなってし まった。
「ふぁ〜あ、全く嫌な夢ね。夢の分際で私の眠りを妨げるなんて……って、あら ら?」
 冴子は伸びをしながら大きく欠伸をすると、目の前で背中を丸めてうずくまっ ている男に気が付いた。そして、自分がナニに何をした事などつゆ知らず、うず くまっている男に声を掛けていた。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「って! 死んだらどうするんですか!!」
 冴子が寝ぼけていたからか、幸いにして蹴る力がそれ程でもなかったらしい。  男は何とかあの世行きを免れた……とは言え、筆舌に値する痛みだった事は言 うまでもない。
 男はこれまで経験した事の無い程の痛みに、脂汗をダラダラとたらしながら、 全く平気な顔をしている冴子に対して抗議の声を挙げた。

「男に取って、男に取ってどれ程苦しいか……解ってるんですか!!女の子にな っちゃうじゃないですか」
 男は四つんばいになって、右手で腰のあたりを叩きながら涙声だった。
 しかし、先程まで寝ぼけていた冴子としては、イキナリ怒られても訳が分から ない。
 どうして私が怒られなきゃならないの?―――と、男の理不尽な怒りに反論し ようと思った……が、しかし、その時改めて気が付いたのである。
 そう、自分がフワフワと空中に浮かんでいることを。

「あら、あらら、ヤダちょっと、なんで私が空中に浮いてるの!?」
 自分の下には見慣れたクラスメート達はおろか、自分の姿さえもある。
 先程は寝ぼけていたせいもあって、あまりよく覚えていなかったのだが、今は その眠気も去って現状を確かめる余裕があった。
 ヤダ、私ってまだ眠っているんだ……さっきもそうだったけど、体が空中に浮 いているなんて夢の中以外に考えられないじゃない。でも、それにしてはさっき、 何かを蹴る感覚があったけど……
「や〜っと気が付いてくれましたか? 桂木さ〜ん」
 空中にフワフワと浮きながら戸惑い顔をしている冴子を見て、男は説明するに は今しかない―――と、ここぞとばかりに話しを切り出す事にした。
「や〜っと、あなたの立場を理解してくれましたか〜」
「ええ気が付いたわ。私がまだ眠っているって事が」
 冴子でなくともそう思っただろう。自分がフワフワと空中に浮いていて、下に は自分の体と、今まで受けていた古典の授業が続いているのを見れば。
「いや、そうじゃなくてですね〜桂木さん。あなたは今日、この時間に死ぬ運命 だったんです〜。で、もう死んでるんですけどね〜。ついでに私も死にかけまし たけど……」
 男は余程堪えたのか、少しばかりの皮肉を加えつつ現状を説明した。もっとも、 今の冴子には、そんな皮肉やジョークなどに気が付く余裕は無かったのであるが。
 イキナリ「あなたは既に死んでいます」と言われば、そんな些細なことに気付 くハズがない。
 案の定、冴子の頭は、現状を把握出来ずに混乱していた。

 昔どっかの漫画であったっけ「お前は既に死んでいる」なんて台詞の後、イキ ナリ、ドバーと血を吹きながら悪者が倒れたり……でも私、別に悪い事なんてし てないし。
 大体なんなのよこの男、この私が死んでるですって?……そう、やっぱり夢な のよね。だって私は全然健康だったし、第一今まで授業を受けてたのよ、車に轢 かれたって訳でも無いし、机にうつぶして居眠りしていただけでなんで死ななく ちゃならないのよ。
 そうよ、なんかの発作を起こしたって訳でもないのに、イキナリ死ぬなんて有 るわけないじゃない。
 もしかしたら、私が美人だからって、美女に付き物の持病を気づかずに持って いたとでも言うの?そして、それがイキナリ発病して突然死んでしまったとか ……冴子は少々?図々しい事を考えていたが「いいえ、でも……」と、未だ信じ られないと言ったように考え込んでいた。
 しかし、元々考えるよりは行動が先に立つ冴子は、今も、考えるのがだんだん 馬鹿らしくなってきた。そして、「やっぱり夢ね」と、ごく普通の結論に達する のだった。

 それもそうだ、誰が見ても冴子は、授業中に居眠りをするほど正常な?健康優 良児であり、口の悪い友人からは「冴子は殺しても絶対に死なないタイプよね ……」などと言われる元気者なのだから。
 しかし、そんな冴子に対して「あのですね〜、死んだ直後はみなさんそう思わ れるのですよ。でも安心してくださいね、完璧に死んでますから」と、死んで安 心も無いのだが、この一見サラリーマン風の男は真面目な顔で言った。

「だだだ、だって、どう考えたっておかしいじゃない。私まだ17才の高校2年 生よ!持病だって持ってなかったし、健康診断だって異常は無かったのよ!それ どころかクラスの友達からは『冴子は元気過ぎるから少しくらい血を抜いた方が 良いんじゃない』とか言われて腹が立ったくらいだし、それにまだ私のおばあち ゃんだって生きてるし、うちの飼い猫のクリッパーだって生きてて、やっぱり秩 序を重んじる日本人に生まれたからには順序ってもんがある訳で、順番的には私 はまだまだ後の方だと思うし……って、これはあんまり関係ないかも知れないけ ど。とにかく、私がなんで死ななくちゃならないのよ!!」
 と、冴子は目の前の男の首を絞めながら、一気にしゃべりまくっていた。

「うぐぐっ、ざえござん、ギブギブ」
 男が今日2度目の走馬燈を経験したのは言うまでもない。

「大体、あんたは一体何者なのよ。まさか死神なんて言ったらお笑いよね。いく ら夢とは言え、死神と言えば黒いマントを深くかぶって、フードの中からは肉の 無い無機質な感じの骸骨がのぞいてて、くぼんだ両目の部分にはろうそくの炎の 様に鈍い光が二つ光ってるじゃない?こんな冴えないサラリーマン氏が死神だっ たら、夢の中とは言え私のイマジネーションが欠落しているって証拠よね。はは は……」
 自分でも何を言ってるのか解らなくなり、冴子は力無く笑った。

「ぞ、ぞのまべに、で、でをばなじでぐだざい」
 訳:そ、その前に、手、手を離しでください

 冴子は、男の言葉で初めて自分が相手の首を絞めながら話している事に気がつ いた。
「あ、あら……ごめんなさい」
「は〜っは〜っ、一日に二度も死にかけた事なんてありませんよ〜。全く、死ん でからも元気な方って珍しいですね〜」
 冴子が漸くその手を離すと、男は締め付けられた首をさすりながら安堵の息を もらした。
「で?」
「ひぃ! や、やめてくださいよ、その怖い顔は」
「顔の事なんかどうでも良いじゃない!」
「は、はい〜」
「で、一体あんたは何者なのよ!!」
 冴子はとても彼氏には見せられない様な恐ろしい顔で、その男に詰め寄ってい た。もっとも、つき合っている彼氏などいなかったのだが……それにしても、怖 い顔には違い無い。
 男はそんな冴子に身の危険を感じつつ、スーツの内ポケットから一枚の名刺を 取り出すと「え、ええ、私こういう者です」と、恐る恐る手渡した。

 その名刺には
『死神協会東京支部第一執行部―――竹田泰三』と、印刷されていた。

……

「何よ!このふざけた名刺は!!」
 冴子が叫んだことは、言うまでも無かった。


「ひぃ〜、だからその怖い顔はやめてくださいよ」と、自称死神を名乗る竹田泰 三氏は、先程の一撃が余程堪えたのか、股間を押さえながら顔を引きつらせてい た。
「失礼ね!こんな美人を捕まえて」
「ひぃ! わ、解りましたから……ううっ怖い」
「大体何よ、この死神協会東京支部って。人を馬鹿にしてるわ!」
「だ、だってしょうがないじゃ無いですか、神様が決めたんですから」
「神様って……はぁ〜?」
 冴子は額に手を当てながら、天を仰いだ。
「と、とにかくですね〜桂木さん。私は寿命の尽きた方をお迎えにあがるのが仕 事なんですよ〜。そ、それでですね、生憎ですが〜今日のこの時間に、あなたを お迎えに来たと言う訳なんです」
「……で?」
「はい?」
「それで?」
「はい??」
「だからどうして私は死んだのよ」
「ええ、ですから寿命で……」
「って、そうじゃないわよ!死因よ死因!!寿命って年じゃ無いじゃない!!」
「ひぃ!だ、だからその怖い顔は……ひぃ!えええっとですね、ここに死亡確認 書があるんで、詳しくはそれを見てください」
 冴子の形相に、竹田氏は身をすぼめながら一枚の紙を取りだした。
「本当はですね、執行の前に本人に確認して貰って、書類にサインを頂きたかっ たんですけど……そ、その、冴子さんがお疲れの様子でしたので」
 冴子は鬱陶しく説明する竹田をジロリと睨むと、渡された紙に目を通した。

桂木冴子−107才
○×年○×月○×日○×市○×の場所に於いて、天寿を全うした事により、ここ に召還す。
執行人:死神協会東京支部第一執行部 竹田泰三

 紙にはそれ程多くの事は書かれて無かった。
 これだけ?もっと劇的な理由があるのかと思ったのに―――冴子はその紙を見 て気が抜けてしまった。きっと想像も付かない様な複雑な理由が隠されていて、 その運命には逆らえずに死んでしまったのでは無いか?と、密かに思ったのだ。
 案外、人が死ぬ理由など簡単な事なのね―――冴子は、この突然の出来事に、 既に何も考える気力が無くなっていた。

「そ、それではですね、一番下のところにお名前を頂けますか?」
 竹田泰三は、そんな冴子に、まるでどこかの営業マンの様に手もみでもしそう な低姿勢で言った。
「そう……」
 と、冴子は上の空で答えると、竹田が差し出したペンを素直に受け取った。
 もう、何がなんだか理解を超えていて、抵抗する気持ちも浮かばなかったので ある。

 そして冴子は、竹田に言われるまま、死亡確認書に自分の名前を書き込んだ。

 葛木冴子―――と。

「は〜これで一仕事終わりです〜。それでは天国へと案内させていただきますの で〜、桂木さんはご安心して下さいませ〜」
 は〜素直にサインしてくれて良かったですね〜
 もう一波乱あるのでは?と思っていた竹田は、案外あっさりとサインをした冴 子に安心した。
……が、その時変化は現れた。

「ん?」
「いや〜以外と上の世界も良いものですよ〜」
「ねえ」
「若いウチに上の世界に逝くとですね〜」
「ちょっと」
「はい?」
 竹田はどこか怪しげな雰囲気の冴子に、小さな不安がわき上がる。
「これ……この書類の名前、かつらの木って書いて桂木になってるわよね……」
「ええ〜っと、そうですね」
「私……」
「はい?」
「私の名前は、くずの木と書いて葛木って言うのよね……」
「は、はぁ〜」
「それに、私107才じゃなくて、17才なのよ……」
 冴子は震える手で書類を眺めていたが、それを竹田泰三の顔の前に付きだした。
「人違い……なんて言ったら、解ってるわよね」
―――!!
 竹田はそれを確認すると、自分の体内に流れている血液が、一気に引いていく のが分かった。
 明らかに、人違いなのである。

 目の前に突き出された紙が、ゆっくりと下がると、そこには、今までで一番恐 ろしい冴子の顔があった。

「ひ!ひぃ〜!!!!!!」
「あんたが逝って来なさい!!!」
 竹田泰三に何が起きたのか―――ひとまず目をそらした方がよさそうだった。


 同時刻:桂木冴子(107才)宅では―――

「それにしても……いつ逝っても良いハズなんだが……」
「そう……ですね、先生」
「持ち直してる訳でも無いし……」
「不思議……ですね、先生」
「う〜む」
 親戚一同が顔をそろえる中、医者と看護婦は冴子の脈を不思議そうに診るのだ った。



TO BE CONTINUED


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