Eternal True・1


 ピリリリッ、ピリリリ……

 頭の上から聞き慣れた電子音が響き、ガウリイは身を起こした。わずかなカーテンの隙間から、朝の光が射しこんでいる。今日も天気が良さそうだ。
 カフェオレを作るため、サイフォンをセットする。今朝は時間があるからトーストがいいだろう。一枚ひっぱり出し、トースターの中へ入れた。

 一人暮らしの彼には、慣れきった行為。さして大きな刺激はないが、朝起きて、仕事して、たまの休みに遊び、夜になったら眠る。こんな『当たり前の生活』が、幸せなのだとガウリイは思っていた。
 この幸せを感じる時、よく学生時代の知人たちが脳裏をかすめる。

 『おまえは若さがないんだよ。そんなのジジババの境地だぜ?』

 会社でトップに昇りつめたいとか、商売で一山当ててやるとか大望を抱く彼らにとって、ガウリイの『幸せ』はそんなもんだった。いや、世間一般の見解に照らしあわせても、同じことを言う人間が大半を占めるだろう。

 それでも、ガウリイにはこの生活が一番だった。こんな穏やかな日が続けばいいと、ずっと思っていたのである。








 服を着替え、植木に水をやると、少し時間が余った。ちょっと早いが仕事場へ行くことにし、ついでで出すゴミを持って鍵をかける。
 マンション側が管理しているゴミ捨て場へ、彼は足を向けた。本日の収集物・燃えないゴミのスペースへ一歩踏み出した、その時。


 ダダダダダダ……


 かなりな早足で、ガタイのいい男が一人、ゴミ捨て場の前を通り過ぎて行った。ボディービルダーとまではいかないが、ある程度鍛えてある筋肉が目立つ。

 何だありゃ、と思いつつガウリイがその男を見送っていると、男はゴミ捨て場の角でもう一人別の男に気づき、そのまま話し合いを始めた。

 「………の辺……とよ……か………」
 「…ければ………ちろん…あい………」

 遠くて会話の内容はよく聞き取れなかったが、筋肉男と話しているのは神経質そうなメガネ男である。TシャツにGパンの筋肉男とは対照的に、これでもかというほど形の整ったスーツ姿だ。不釣り合いなことこの上ない。

 (ヘンな奴ら…)

 男達は怒っているようにも見えたが、メガネ男がガウリイに気づくと筋肉男を連れ、路地の陰へと姿を消していった。

 「…変なの」

 今度ははっきりと言葉に出して呟くと、ガウリイは気をとりなおしゴミ箱に近づいた。このマンションのゴミ置き場には、彼の腰ほどもあるゴミ箱があり、住人はここにゴミを捨てるのだ。臭いが漏れにくいし、動物にも荒らされないのである。
 まだ早いから、きっとオレが一番乗りだろうな。そう思いつつ箱をあけたガウリイは、中を見て思わず呟いた。

 「で…でかいゴミだなー…」

 なんと、すでに誰かのゴミが入っている。しかも普通のゴミ袋の数個分はあろうかというデカさだ。
 しかし、今日は燃えないゴミの日だというのに、このゴミは布と……あれ?

 「え゛っ!?」

 とっさにその声が悲鳴にならなかったのはたいしたものである。というより、あまりのその現象に、叫ぶ余裕すらなかった、というのが正解かもしれないが。

 「―――声を出さないで」

 突然動きだしたゴミ袋――いや、ゴミと見間違えるほどボロボロの服を着た、それは子供だった。その子は、ガウリイに先のとがった何かをつきつけてくる。
 よくよく見ると、それは砕けたガラスの切片だ。ゴミ箱の中にでも落ちていたのだろうか。

 「あんたはこのまま立ち去って、何も言わずに全てを忘れるの。わかった!?」

 と言われても、相手はせいぜいこのゴミ箱から背が出るか、というような子供である。こんな子供に小声ですごまれても、本来ならば全然怖くない。だが、反射的にガウリイを頷かせてしまったもの、それはこの子の『目』だった。

 野生動物のような、鋭い視線。一瞬だが、殺されるかもしれないと本気で感じた、瞳。

 「わ、わかった。約束する」

 何度も首を縦に振るガウリイを見て、その子の表情からわずかに緊張が消えた。するとそれが合図であったかのように、小さな体は真横へ倒れる。

 「おいっ!?」

 子供を小さく揺さぶりながら声をかけたが、反応はない。完全に気を失ってしまったようだ。

 「マジかよ……」

 物騒な瞳を閉じた子供を見ながら。ガウリイは小さくぼやいた。









 仕事場には、気分が優れないという休暇届を出した。ウソではない。もっとも、気分が悪いのは自分ではなく、このちっぽけな少女だが。

 そう思いながらガウリイは、ベッドの上に横たわる夢の国の住人に視線を移した。年齢は10歳くらいだろうか?柔らかく長い栗色の髪。今は封じられている同色の瞳。華奢な手足は、まだ男女の区別がつかないが、声と口調から少女であることが予想できる。

 しかし、一番気になったのは、少女の肌の色だった。透けるような、と表現してもまだ足りない、普通の人間よりも明らかに、白い肌。顔立ちは間違いなく、この国の人間のものなのに。
 ここよりずっと北の国の血が混じっているのか、それとも何かの病気なのか。

 たぶん後者だろうな、とガウリイは思う。白い肌にかなり赤みがかかっている北の人とは違い、この子の肌は青白い。
 どこかの病院を抜け出してきたのなら、連絡しなければ。でも、「誰にも言わない」と約束してしまったし。

 どうしようかとガウリイが悩んでいると。

 「…ん…」

 わずかに声が洩れ、少女が目を開けた。ざっと2秒ほどぼんやりしていたが、突然ガバッと跳ね起きる。

 「!?」

 目を閉じる前と覚ました後の変化に、かなり驚いたようだ。だが、頭痛を感じたのか、頭を抱えこむ。

 「っつつ………」
 「おい、無理するな。お前さん、さっきいきなり倒れたんだからな」

 ガウリイがそう声をかけると、少女は大きく目を見開いてガウリイを見た。そうやってしばし放心していたが、やがてまたあの、野生動物の光を瞳に甦らせる。
 だが、今度はわずかに交じる、脅えたような色。
 それでも気丈に、詰問するような声で問いかけてきた。

 「ここはどこ? まさかあんたがあたしを連れてきたの!? あんた何者!? もしかして……」
 「落ち着けって。そう一度に聞かれても答えられんだろーが」

 少女の言葉を遮って、ガウリイは笑いながら言った。少女は少し黙ると、今度はひとつひとつ、区切るようにはっきりとたずねる。

 「じゃあ、ひとつめ。 ここはどこなの?」
 「ここ? ここはオレの家。お前が寝てるのも、オレのベッド」

 「あなたが連れてきたの? あたし、立ち去れって『命令』したのに、どうして『連れてくることができた』の?」
 「どうしてったって、目の前で人が倒れたら、まさかそのまま放っとくわけにはいかんだろ? お前さん、どこにも連絡してほしくなさそうだったから、救急車呼べなかったしな」
 「そうじゃなくて………」

 少女は口ごもり、何か逡巡しているようであった。はて、自分は何かおかしな事を言っただろうか。
 それを聞く前に、少女が今度はまっすぐ見つめて問いかけてくる。

 「じゃあ、もうひとつ。あなたは誰?」

 ガウリイはその時、ふと気づいた。
 少女の目は、いまだ強い光を放ち続けている。しかし、それはこれまでのような攻撃的なものではない。意志のある、柔らかな強い瞳だ。
 たぶん、これが本来の彼女の目なのだろう。

 ガウリイもしっかりと、見つめ返して答える。

 「オレはガウリイ。ガウリイ=ガブリエフってんだ。この家に、まあとりあえず一人で住んでる。あ、仕事もちゃんと持ってるぞ。今日はちょっと休みになったけどな」

 少女が求めているのはこんな言葉ではないと知りつつ、ガウリイにはとりとめのない話をすることしかできなかった。この子は、自分が彼女の恐れている『何か』ではないかと案じている。だが、それが何なのかわからない以上、他にかける言葉が見つからない。

 だんだん話すことがなくなってきたガウリイを、少女は見た。それだけで、心の中まで見透かされそうな視線が、ガウリイに注がれる。
 ガウリイも言葉を切り、二人が見つめ合って、わずかの後に。

 少女が視線を外した。

 「―――わかった。もういいわ」
 その口元に浮かぶのは、呆れたような苦笑い。
 少しは安心してもらえたのだろうか?

 ガウリイの心の中の疑問に答えるかのごとく、少女は思いっきりのびをした。

 「あーーぁ、これからどうしよっかなぁ」
 「どうしよっかな、って……」

 どういうことだよ?と聞こうとしたガウリイを遮り。


 ぐぎゅるるきるる


 かなりハデな空腹の虫の鳴き声。
 「…ぷっ。くくくっ」

 思わず後ろを向き、声を殺して笑うガウリイ。少女はさも心外だという顔で、
 「なっ、何よー。なにがおかしいっての!?」
 「い、いや…。お前さん、ハラ減ってんじゃないのか?」
 「…う゛」

 さすがに誰でもできる予想だが、少女は不思議だったらしい。また少し不信感を出してたずねてくる。

 「……なんでわかったの? まさか、心が読めるわけ?」
 「なんでと聞かれても、あんなでっかいハラの虫の声聞けば、誰だって『ハラ減ってんだな』ってわかるぞ」
 「ハラの虫? おなかに虫がいるの?」
 「…お前、本当に見かけ通りの年か?」

 今度はガウリイが呆れる番だった。まさか、今時幼稚園の子でも知っている言葉を知らないとは。
 残ってたクロワッサンをいくつか温め、牛乳をコップに注ぎながら言ったガウリイの言葉に、少女はカチンときたらしい。

 「違うわよ! あたしはこれでも、もう18よ!!」

 ぶっ。

 「っはははは、そうか、18か! いやあ、大人大人」
 「あーーー!! やっぱり子供扱いするぅ!!」
 「当たり前じゃないか、子供なんだから」

 子供っぽい大人や童顔の大人は世にたくさんいるものだが、彼女が持っているのはそういうタイプの幼さではなかった。明らかに「子供」なのだ。
 少女は納得できないらしく、さらに言い募る。

 「たとえそう見えたって…」
 「ほい。お待ちどうさま」

 少女が言いたいことを言いだす前に、ガウリイは用意した牛乳とパンを差し出した。

 「食えよ。ハラ減ってたんだろ」
 「…………」

 少女はしばし出されたものを見、チラと一瞬ガウリイに目を向けてから、また視線を落とす。それの意味がわかったガウリイは、皿の上のパンをひとつ手にとった。
 「あ、オレもハラ減ったから、ひとつもらうぞ」

 そして一気にかぶりつく。クロワッサン1個を3口で食べきってしまうと、目線で少女に食べるよう促した。

 無言で伝える。毒なんか入っていない、と。

 「…これじゃ足りない」
 「ん?」

 少女はクロワッサンに、はぷ、とかみついて、

 「もっと欲しい。もうないの?」
 「…了解しました。お姫さま」

 なんだか嬉しくて、ガウリイの顔は微笑んでいた。





 少女は、ものすごい量の食べ物を消費した。
 買っておいたパン、フルーツ、缶詰を食べつくし、その間に用意したカップ麺まで空にする。おなかをこわすんじゃないかとガウリイが心配したほどだった。
 なんと非常食のカンパンまでが底をつき始めた頃、ようやく少女の食欲は止まった。

 「ふー、ごちそうさま」
 「お前さん…めちゃくちゃ食うなあ…」

 半ば呆れ、半ば感心しながらガウリイは言う。手には自分のと少女の二人分の紅茶を持っていた。
 片方を少女に渡し、そばのクッションに腰を降ろす。

 「で? お前さん、名前は?」
 「…………」

 少女は答えない。予想していた反応だが、これだけはどうしても聞いておきたかった。

 「本名がイヤなら、どう呼べばいいのかだけでも教えてくれ。でないと困るからな」
 「……でも……」
 紅茶を一口ふくみながら、少女はまだ迷っているようだ。

 「…教えてくれないと、『おい』とか『名無し』とか『ゴンベさん』とか呼ぶぞ」
 さすがにそれはいやだったらしく、少女は重々しく口を開いた。

 「…リナよ。リナって呼んでちょーだい」

 「リナ、か。いい名前じゃないか。」
 ガウリイがにっこり微笑むと、リナも同じく微笑みかえした。

 「ねえ、ガウリイ。…あたし、もうちょっとここにいたいな
 「な…なにぃ!?」
 思わず声をあげるガウリイ。ちょっと待て、と言い返そうとして、ふと止まる。



 「………いいでしょう?」


 先程までの強気な目が嘘のように、瞳が揺れている。
 ―――一瞬、泣きだすのではないかと思うほどに。



 今の今まで言いそうになっていた言葉をのみこみ、自然とガウリイの口は別の言葉を紡いでいた。
 「…わかったよ。しばらく置いてやるから、そんな顔すんな」
 「ホントに!?」
 「ああ。今んとこ、お前一人が住みついても不自由はないからな」

 もう少し、この風変わりな、何だかわけありの少女につき合ってみよう。そう思ったことは、今の生活が壊されるのを嫌っていたガウリイにとって、まさに驚くべき心境の変化であった。




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