四月の雪・1


ちらちらと 白い雪が レンガの道に降る
落ちては ほら とけて消えるよ







 淡雪 粉雪 ぼたん雪
 どれとも違う 四月の雪

 四月の雪は とてもはかない
 残したくても すぐ消えて
 とけて かわいて 見えなくなって

 四月の雪 それはまぼろし
 ただひとときの 切ないユメ
 あとには なにも残らない








 白い雪が、静かに空から落ちてくる。

 空の色は鈍い灰色。雨になる、とは思ってたけど、降ってきたのは雪だった。
 たしかに今日は寒い。でも4月に雪が降るなんて、誰に予想ができただろう。

 こんなに寒い日は、みんなあまり外にも出たくないようだ。通りを行く自動車でさえ、思い出したようにときどきしか、姿を見かけることはなかった。

 人の少ない町の中。
 あたしは1人、マロニエの並木道を歩いていた。

 (雪、きれいだけど…………寒すぎるわよ)

 小さく呟いて。――いや、呟こうとして。
 あたしはようやく、その事実を思い出す。

 (そうか……。
  声、出ないんだった…………)









 あたしの声が出なくなったのは、今から約1週間前。
 ちょっとした事故のせいで、喉がやられてしまったのだ。

 ――どんな事故だったのかは、聞かないでほしい。
 くくうっっ!! このリナ=インバースともあろうものが、あんなドジを踏むなんてえええぇぇぇぇ!!! 生涯、姉ちゃんにからかわれそーなネタが、また増えてしまったぁぁぁぁ!!!

 しかし。さすがに、そのまま一生ノドを潰しておくわけにもいかない。幸い診断の結果、ウデのいい外科医に手術してもらえば治るらしいし。
 そんなわけで、あたしはそのスジでも有名な外科医がいるこの国へ、手術のために郷里のゼフィーリアからやって来たのだった。

 (でも、まさかこんなに待たされるとは、ね……)

 医者は、たしかに優秀だった。そう、優秀すぎるほどに。
 あんまり優秀すぎて、急患がしょっちゅう運ばれてきて、あたしの手術が予想外なまで延びてしまうほどに。

 さすがに、病院長に怒鳴り込み――しゃべれなくとも、迫力は伝わったらしい――やっと数日以内に手術してもらえることになったのだ。
 一応これまで入院患者として扱われていたものの、あまりの退屈さに、外出許可もとりつけた。

 そんなわけで、気分転換にサンポしてみたのだが……

 (もろに、失敗だったかも……)

 昨日はもう少しあたたかかったから、道ばたの雑草も小さなつぼみをつけていたというのに、今日の雪でおあずけをくらっているようだ。
 あたしの爪の先ほどもない黄色いつぼみは、冷たい雪に降られて、なんだかとても寒そうに見えた。

 他人事ではない。あたしの身体も、ずいぶん冷えてしまっている。
 さわらなくとも指先が、冷たくかじかんでいるのがわかってしまうから。
 しっかりと、赤い厚手のダッフルコートにマフラー、とどめとばかりにイヤーマフラーまでしてはいるのだが、この寒さでは気休め程度の役にしか立たなかった。

 くっそぉ、外出初日からこんな天気なんて、反則よ反則っっっ!!

 (…………。病院戻ろ)

 タイクツな場所ではあるが、こんなとこで雪に降られているよりマシである。
 あたしは、並木道を抜けようと、足を踏み出し――

 そこで、彼に出会った。













 いくら春先とはいえ、いくら小降りとはいえ、雪の降っている中、傘もささずに立っている。
 男の前には、白いキャンバス。右手に絵筆、左手にパレット。一見して、若い絵描きと誰もが判断するその姿。

 しかしそんな格好をしていなければ、モデルか俳優と連想して当然の外見だった。男のくせにやたらと長い、その上とてもキレイな金髪。こんなお日さまのない天気でも、キラキラ光っている。
 さらには、あたしより頭いくつ分も高い身長。オマケにというには上質すぎる、女より整った顔立ち。

 絵描きの男は、あたしが近づくとゆっくり振り返った。
 ――両の瞳を閉じたままで。

 「……なあ、お前さん」

 男が話しかけたのは……あたし?
 慌ててあたりを見渡すが、人通りの少ない並木道で、他に人の姿を見つけることはできなかった。

 「いきなり呼び止めて、すまん。
  ――その、頼む。オレに、お前の絵を描かせてくれないか」

 …………。…………は?
 思わずあっけにとられる。通りすがりの少女に、いきなしなにを言い出すんだこの男わっ!?

 あたしが黙っていることを、不審がっていると思ったんだろう。金髪男はとりつくろったように、つっかえつっかえ説明しだした。

 「いや、そのな。あ、別にアヤシイ勧誘とかじゃないぞっっ!
  オレ、ガウリイって言うんだ。絵を描いてて……その、お前さんを、描きたいと……」

 あたふたする男を見てるうちに、あたしは気づいた。
 彼――ガウリイは、あいかわらず、目を閉じたままである。普通、人と話す時に目を閉じっぱなしのヤツなんて、よほどヘンな趣味をもってるか、よほどの無礼モノでもない限り、答えはひとつだ。

 おかしな絵描きに興味をもって、あたしは彼に近づいた。
 見舞いに来てくれた姉ちゃんとは、いつも筆談で話す。しかし、彼に筆談は通用しないだろう。
 ならば。彼の手をとって、そこに筆談代わりで文字を書く。
 あたたかくて大きな手のひらに、彼がわかるようゆっくりと。

 (――あたし、声が出ないの)

 普段のおしゃべりな自分からは、想像もつかないほど端的な説明。でも、さすがに一部始終を見知らぬ男に話すシュミはないし、いくらなんでも面倒だった。
 ガウリイは、急に哀しそうな顔になり、

 「……そうか。あ、でも、こうして答えてくれるってことは、オレの言うことはわかるんだな?」
 (ええ。あなたは、目が見えないようだけど?)
 「…………」

 彼は少し躊躇して、押し黙る。
 数度、小さく口を動かしたあと――

 「……そうなんだ。ちょっと、事故に遭って、な」

 そうか。あたしと同じなんだ。

 「でも、目が見えなくても絵は描ける。それで、お前さんを描いてみたいと、そう思ったんだ。
  だから、頼む。オレの絵のモデルになってくれないか? この近くのアパートに住んでるんだ」

 ふむう…………。
 あたしは少し、考えた。

 これがガラの悪い男で、「よお姉ちゃん、オレこの近くのアパートに住んでるんだ」なんて誘いをかけてきたら、そいつが何をしたいのか、考えるまでもない。声の出ない、華奢な身体つきの若い娘なんて、ケダモノの欲望を満たすには最適のゴチソウだろう。

 しかし。目の前の男からは、そういったギラギラした、殺気じみた気配は感じなかった。
 なんつーか……狂犬というよりも、捨てられそうになった子犬みたいで……。

 …………見捨てられないかも…………。

 元々、声が出ないからといって並の男に遅れをとるあたしではない。まして、フリじゃなくホントに目の見えない彼が、あたしをどうこうできるとも思えないし。
 それになにより、目の見えない男が描く絵なんて、とても興味があった。

 (いいわよ。モデルやったげる)

 そう、彼の手のひらに書くと。

 「ホントか!? ありがとう! よし、さっそく行こう!!」

 捨てられそうな子犬から、子犬をもらって喜ぶ人間の子供の顔になって、ガウリイは言う。
 不覚にもそんな顔を、あたしより年上のくせに、かわいいと思ってしまったのだった。












 ガウリイのアパートは、ベッドとイス、机という、必要最低限の家具。他にはたくさんの、絵の入ったキャンバスと、白いキャンバスが1つ。それに絵の具と絵筆しかない、なんだか寂しい部屋だった。

 そのせいだろうか。キャンバスに描かれた絵も……どこか、寂しい。
 描かれているのは、どれも風景画。そして、あたしはその寂しさの原因に思い至った。

 ……人がいないのだ、彼の絵には。

 本来なら人がいるべき街角の絵でも、人の姿はおろか、人が生活をしている気配すら感じられない。

 「その窓際のイスに座ってくれ。日当たりもいいから、きっとあったかいぞ」

 彼なりの、気遣いなのだろう。この部屋の中で、たぶん一番の特等席を、あたしに譲ってくれた。
 うーん、それにしても……こんな貧乏暮らしの男から、モデル料はもらえるのかしら?

 あたしの疑問をよそに、ガウリイは喜々として、白いキャンバスをセットしてゆく。目が見えないとはいえ、勝手知ったる自分の家、手慣れたものだった。

 「このアパートは、結構由緒あるものなんだぜ」

 絵の具入れだろうか。彼は白い箱から、いくつかの絵の具を取り出す。

 「オレみたいな、画家を目指す若いヤツが、ここに集まってくるんだ。中にはかなり有名な画家が、ここ出身だったりしてな」
 (じゃ、次はあなたの番ね)

 ふと思いついただけのことを手に書いてやると、ガウリイは本当に嬉しそうに笑った。
 きっとそれは、彼の夢なのだろう。
 考えてみれば、ガウリイは目が見えないというハンデを負ってまで、それでも画家になりたいと願うのだ。よほど絵が好きでなければ、よほど思いが強くなければ、到底できることではない。

 「……よし、準備できた、と。それじゃあ、イスに座って」

 あたしは不思議と、自分でも驚くほど素直な気持ちで、指定されたイスについた。












 ガウリイは、絵を描きながらも、ぽつりぽつりと話をしてくれた。

 彼が視力を失った後、人間を描くのは今回が初めてだということ。
 それまで、うまく人間を描くことはできなかったこと。

 その、最初のモデルがなぜあたし!? と、いつものあたしなら聞いていただろう。実際、その疑問は胸の中にわきあがってきたのだ。

 しかし。あたしからガウリイへ意志を伝達するには、彼の手に文字を書くしか方法がなく。作業途中の雑談のため、いちいち席を立って、ガウリイの集中を乱したくなかった。
 彼もそれをわかっていたのだろう。あたしの答えを待たず、思い出したように時々しゃべる。

 そのうち集中しだしたのか、だんだん彼の口数は少なくなって。
 二人の間に、会話はなくなった。

 ――普段のあたしからは考えられないほど、静かな時間だった。やっぱりおしゃべりしない分、気持ちが落ち着くのかもしれない。いつもだったら、絶対「飽きた!」って暴れ出すのに。

 (なんか……いいかも――)

 目を閉じると、聞こえるのはただ、ガウリイの動かす絵筆の音。シャッ、シャッという、キャンバスの上を滑る心地よい音。そして絵の具のにおい。外からは、雪の降るしめったにおい。
 ふいに、高い音が聞こえる。思いがけない雪にはしゃいだ子供たちが、綿ぼうしを追いかけている声だ。

 目を閉じると、開いていた時には気づかなかったものに、触れられる気がした。
 たぶん、これがガウリイの感じている世界なんだろう。

 今まで知らなかった、ゆったりとした時間。
 あたしはその心地よさを、ゆっくり味わっていた。











 「この絵を完成させたら――何かが、変わる気がするんだ」

 ガウリイの家に通い続けて、数日。ある時、突然彼がそう言った。
 不思議そうにしてたあたしに気づいたのだろうか。ガウリイは苦笑して話を続ける。

 「……オレ、さ。絵を描いても売れないんだよ。原因はわかってるんだけど……。
  みんなが求めてるのは、オレの描けないものなんだ、って」

 ――それは、今この部屋に並んでいる、寂しげな絵のことだろうか?
 人を描くことはできなかったガウリイ。その彼が、初めて今、人の絵を描いている。

 どんな風に変わるんだろう。たぶんそれは、彼にもわからない。もちろん、あたしにも。
 そんなあたしの心を、まるで読みとったかのように。
 ガウリイは、ふんわりと笑う。春の陽ざしのように、あたたかい笑みで。
 それは、彼の今までの絵と違い、人の心を穏やかにさせる、とても優しい顔。

 「変わるとしたら……いい方向に変われれば、やっぱいいよな」
 (……ほんとにね)

 口にできない想いを、見えないと知ってても、あたしは笑みにたくして微笑み返した。

















 ――――けど。
 まさか、こんな風に変わるとは。
 この時のあたしには、想像することすらできなかった…………。




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