聖なる迷い子たち・1


 森の方から、さやさやと風が吹き梢を揺らしてゆく。柔らかい空気が頬をなでていった。
 日も高くなってきて、外に長くいれば少し汗ばむその季節。
 白い壁の建物から、数人の人影が出てきた。

 「ガウリイ神父、さよならー」
 「おう、また来週なー」

 3〜4人の子供たちが、パラパラと金髪碧眼の神父の元から、迎えに来た母親の方へと走ってゆく。母親らしき女性が2人彼に向かって会釈すると、神父も同じく会釈を返す。頬を染め、顔をよせ合い嬉しそうに話している母親達の後ろ姿を、彼は少しの間見送っていた。

 妻帯の許されていない美形の神父は、”永遠の独身者”としてひそかに奥様方の間でアイドル化しているのだが、彼もそれを薄々感づいて利用しているフシがある。

 どこにでもありそうな、静かな町の一角。神父はこの町が好きだった。そこそこに人は多いわりに皆あくせくしていない。他の町に比べると、時間が3割ほどゆっくり流れているような気がする。
 その中でも、町はずれのこの教会は緑がよく見え、近くに人家もほとんどないのでとても静かだった。

 (…平和だなぁ)

 彼はゆっくりと、その気持ちをかみしめた。せわしなく荒んで見えた砂漠のような世界で、やっと見つけたオアシスなのだ、この町は。
 眩しい昼の光に、彼の胸元のロザリオが反射して煌めく。

 礼拝も終わり、日曜学校に来ていた子供も帰った。そろそろ彼のオアシスの中心、泉ともいえるべき存在が来るはずだ。
 そう思っていた矢先に、横手の方から高く明るい声が聞こえた。

 「ガーーウリイ♪」
 「おう、やっと来たな、リナ」

 目を向けると、そこにはいつものたんぽぽ色のジャンパースカートを着た少女が立っていた。いや、もちろん他の服を着ている時だってある。しかし、彼が初めて少女と会った時から今まで1番多く見たことがあったのはその服だったし、彼もその格好が1番好きだった。
 彼女ご自慢の栗色の髪に、とてもよく似合っているのだ。

 いつも通り、ふわりと笑って彼に話しかける。

 「ねえガウリイ、今日は何が採れてるの?」
 「今日か? んー、とりあえずキュウリとっといたが」
 「やたっ! いっつも新鮮な無農薬野菜を安くしてくれてありがと、神父サマ♪ 教会のお仕事もあるのに、大変ねー♪」

 この町の人の信仰心はあつく――というより、ガウリイが顔で集めてる『信者』がほとんどだが――ガウリイ1人が食べ、この教会を維持してゆくのに充分な寄付は集まっていた。
 しかしそれだけでは非生産的だと、ガウリイは敷地の一部で家庭菜園を行い、こうして格安で近所の人に提供している。

 「……オレが大変だと思うなら、少しは持ってく野菜の量、遠慮してくれ」

 ちなみにリナがインバース家の分として持っていく量は、全収穫量の7割を占める。それにつられて、ついついガウリイの栽培量も増えてしまったのだ。
 おかげで今やすっかり、ガウリイは町でも有名な野菜作りの名人である。

 「あはは、だってここの野菜、下手すりゃ他の農家のよりおいしいんだもん。うちのねーちゃんも、『あんたおねだりして、もっともらってらっしゃい』とか言うわよ」

 屈託なく笑う少女を見て、ガウリイは小さく肩をすくめた。
 この少女は5年前に会った時から、何ひとつ変わっちゃいない。

 そして、自分はこの5年間、少女と共に変化してきた。
 ふいに、5年前のことが思い出される。

 ―――こんなにいっぱい野菜があるんだから、ひとつくらいいーじゃないっ!
 ―――神の家から盗みをするか!? お前さん、どこの悪ガキだっ!
 ―――ガキなんて失礼ねえぇ! 大地の恵みはみんなのものじゃないの!?
 ―――こんなに手入れされた野生のもんがあるかっ! そりゃへりくつだ!

 「どったの? ガウリイ」

 知らず口元に浮かんでしまった笑みを見て、リナが可愛らしく小首をかしげた。

 「いいや。――それより、暑かっただろ。何か飲んでくか?」

 嬉しそうな顔で頷くリナに「ちょっと待ってろ」と言い残し、ガウリイは冷たいものを用意しに向かった。リナお気に入りのアイスティーを手に、元の場所へ戻ろうとする。

 「…と」

 しかしいきなりガウリイは、途中で方向転換して礼拝堂の方へと歩みを進めた。
 知らない人間からすれば、リナをほっぽってどこへ行く、と声をかけたくなるのだが……

 「やっほー、ガウリイ。こっちー」

 礼拝堂の扉を開けると同時に、その中からリナが手をふって呼んだ。

 「お前さん、礼拝堂好きだなー」

 言ってガウリイ苦笑い。

 「だってえ、涼しいんだもんココ」

 リナはなぜか、いろいろな理由からよくここに入り浸る。ようは礼拝堂が気に入っているのだ。一応ここは神聖な場所なんだが、と初めはガウリイも言っていたのだが、結局リナは今もここをくつろぎの場にしてしまっている。

 広い礼拝堂には、リナとガウリイの2人きりだ。ガウリイの手にあるグラスの、氷が立てた小さな音さえよく響き渡る。
 リナはガウリイからアイスティーを受け取ると、ぺたんと礼拝堂の椅子の背もたれにあごをのせた。リナの髪と同じ栗色のグラスについた水滴が、キラキラと光に透けて見える。

 「あー…気持ちいー……。ガウリイ、なんか話聞かせてよ…」
 「って、オレにできる『お話』なんて聖書ぐらいしかないんだぞ」
 「いーのいーの、どーせ退屈しのぎなんだから」

 すっかりくつろぎモードに入ってしまったリナが、目を閉じたまま手をパタパタさせて言う。
 ひとつ息を吐くと、ガウリイは手持ちの聖書を開いた。
 この次はどうなるか、はっきり確信しながら。

 「まず1日目、神は――――」








 ふと、ガウリイはリナの呼吸が、規則正しい音をたてているのに気づいた。
 聖書から顔を上げると、思った通りリナは夢の中に入ってしまっている。

 「まったく…相変わらずなヤツだな」

 ガウリイは小さく笑って、すでに礼拝堂備えつけになってしまった、薄い毛布を取り出した。
 5年間、いつもこの日常がくり返されてきたのだ。野菜を取りに来た少女は礼拝堂でくつろぎ、時々彼の『話』を聞きたがる。そして話を聞いてる最中で、必ず眠ってしまう。

 ゆったりと時の流れるこの町の中でも、特に変わらない彼と少女の『日常』。

 夕焼けの頃になるとリナを起こし、野菜を持たせて家に帰すのだ。これも『日常』である。
 風邪をひかないように、リナの肩へ毛布をかけようとした、その時。

 「―――あ……」

 ガウリイは、それに気づいた。

 (肩――大きくなってる、かな……)

 先程、5年前の彼女を思い出していたからだろうか。5年前に比べると確かに、肩幅が広くなっているとわかる。
 いや、肩幅だけではないのだろう。背も大きくなり、身体もまるみがつき、いわゆる「女性の体型」になってきた。あとまた5年もすれば、さらに変わるのは容易に想像がつく。

 「やっぱり、少しずつ、変わってきてるんだな………」

 子供のように無邪気な顔で眠るリナに、ガウリイはそっと毛布をかけた。




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