奇跡の始まる夜


 手持ちぶさただったので、ガウリイは薪をもう1本、火の中に放り込んだ。
 新しく糧を得た炎は、元気をとり戻したかのように勢いを増す。

 物の焦げる薄いにおいと共に、パチパチと薪のはぜる音が聞こえると、炎の反対側にあった毛布の塊が息を吹き返した。

 「……あー?……」
 「起きたのか?」
 「起きた、んじゃねえ。起こされたんだ。ったく…もうちょっと薪くべる時は気を使え」

 そう言って、毛布の中からもぞりと這いだしてきた男は、がしがしと頭をかいた。
 夜の色と同じ黒髪が、なぜか闇に映える。
 今さっき出てきたばかりの村で知り合った男だった。ガウリイはムッとして言い返す。

 「悪かったな」
 「悪いさ。もし今後、他の誰かと旅をしてみろ。薪をくべる音がうるさいから、なんて理由で三くだり半つきつけられても知らねえぞ。いびきがうるさいから、の次に情けない」

 黒髪はひとつ伸びをすると、枕元の釣り竿へ手をのばした。やはり元とはいえ傭兵だ。野宿中は、自分の獲物に触れていないと不安なのだろう。
 相変わらず火のついていないくわえタバコをふかしている。何が楽しいのやら、ガウリイにはわからないが。

 「…仲間なんてうっとうしい、って顔してるな」

 突然黒髪の言った言葉に、ガウリイは顔をあげた。

 「少しのつき合いだから仲間づきあいは楽しい。相手のクセが嫌になるほど長くは関わりたくない、って考えてないか? おまえ」

 なぜか嬉しそうにニヤニヤしている黒髪の視線から逃れるように、ガウリイはそっぽを向く。

 「長くつき合ってると、互いの嫌な面ばかりが見えてくるからな。…当たり前だろ?」

 脳裏に浮かんだのは、生まれてからずっとつきあってきた人たちばかり。
 長いつき合いの人間に限って日増しに嫌う気持ちが募れば、まだ少年だった頃の心にはそう思えて当然かもしれない。

 だから逃げたのだ。
 もうこれ以上、『つき合い』をしないために。
 こうすることで、彼らが『変わって』くれることを願って。

 何ができるかもわからない彼には、原因を消すこと以外何もできなかった。
 自分とこの剣がなくなったことで、あの家は本当に、何か変わっただろうか?

 「――光の剣に、ガブリエフ、か」

 含みのある言い方に、ガウリイの眉がピクリと動く。
 黒髪はガウリイの方を見もせず、釣り竿の手入れを始めていた。糸が空を切る音と、そのかすかな気配が2人の男の肌に届く。

 「いくらか前、光の剣を探してる、ってヤツに会ったが――そいつの名前も確か、そんなんだったかな?」

 表情から真意を読み取ることはできないが、言いたいだろうことは十中八九想像がつく。
 ガウリイも目を合わせず、ポツリと呟いた。

 「…偶然だろう、そんなの」

 「自分(てめえ)の杓子定規で、物事決めちまわない方がいいぜ」

 まるでこれまでの軽口のようにあっさりと、しかし確かな重みを持った口調に、ガウリイは再び黒髪へと目を向けた。

 いつの間にか黒髪は宙(そら)を見上げている。ガウリイも思わず上を見た。
 月のない星だけの大きな空は、包み込むような雄大さで彼らの前にある。

 「あの梢の上の星な、隣の木にかかってる星より大きいだろう。だが近くで見ると、あっちの梢の方の星が必ず大きいというもんでもないらしい。隣の木の星がもっとずっと遠くにあると、そういうこともありえるんだと」

 黒髪が視線を戻し、ガウリイもつられて戻す。
 ぱちん、と薪がはぜ、また木の焼けるにおいが鼻をくすぐった。

 「目に見える事が真実とは限らない。たとえ真実でも、それが全てとは限らない。人間の目の届く範囲なんてちっぽけなもんだから、頼っちゃいけないモンまで頼るな。―――下の娘が知恵ついてきた頃、生意気ぶって言った言葉だけどな」

 ニヤッ、といたずらっぽく笑う顔は、まるで本当の父親のように親しげで。
 ガウリイも小さく笑みを返した。

 「そんなに、娘はあんたの人生で重要な役割にいるのか? しょっちゅうその話を聞くんだけどな」
 「おお、存在感のある家族だからな。息子がいない分、男1人で大変よ」

 口では嘆きつつも、顔はとても楽しそうだ。
 その証拠に、さっきからクスクスと忍び笑いがもれている。

 「さっきも言ったろ。昔は1人でも平気だったのに、今じゃそれが耐え難い。娘たちが『家族』だったからなのか、娘たちの性格なのか、とにかくうちのカミさんと娘たちのおかげには違えねえ。
  人間ってのは周りの影響で変わるもんだと、しみじみ思ったね」
 「……そうなのか」

 内心の感情を隠して相づちを打ったガウリイだったが、黒髪はその胸の中を見抜いたかのように笑った。

 「おまえが何か捨てたくても捨てられないモンを持ってるなら、こうやって誰か知らないやつにおせっかい焼いてみるのも手だぞ。道具捨てるよかよっぽど前向きだ」
 「え…」

 「誰かに『何か』すりゃ、それだけでどこかが変わる。それが巡り巡って、やがておまえ自身が変わってゆくんだ。何もしないより変わるのは早いし、少なくとも、『自分にもなにかできる』と実感することができる。それだけでおまえの何かが変わる」

 「…………」
 「おまえみたいのが、うちの娘たちに会ってみろ。人生変わるぞ? ま、上の娘は故郷でアルバイトが忙しいからおまえが会いに来ないといけないし、下の娘はずっと旅の空だから、偶然会う可能性は万にひとつもないけどな」

 『家族』の話をする時、自分にもこんな笑顔ができるだろうか。
 ただ生きてるだけでなく、誰かにこうして小さな力を与えて、生きてる証を立てられるだろうか。

 男の横顔を見て、ガウリイはそう思った。

 「あ、そうだ、ただしもし会っても、うちの娘たちにはホレるなよ。手強い娘たちだし、そう簡単には嫁に出す気はないからな」
 「あんた…恐妻家なだけじゃなく、親バカか?」
 「うるせえ」













 コンコン、と軽いノックの音で目が覚めた。
 まぶたをあけて辺りを見回すと、ここが昨夜泊まった宿の部屋だと思い出す。

 「随分昔の夢見たな――」

 あれはもう、何年も前の話。
 たった1度のおせっかいで、本当に人生と世界が変わってしまったのだから不思議としか言いようがない。

 「ガウリイー? 朝ごはん食べに行こーよお」
 「ああ、今行く」

 彼の人生観をすっかり変えてしまった少女の声に答えを返すと、ガウリイはベッドから降りた。
 なぜ今さらあんな夢を見たのかわからないけど。
 懐かしい人に会えて、今日はとてもいい日になるような気がした。






 それはリナとガウリイがゼフィール・シティへ入る日の、朝のこと。
 万にひとつの奇跡が起こったとわかる日は、朝もやの夢の中から始まった。




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