カラ――ン……カラ――ン……
朝を告げる鐘の音が、ゼフィーリアの町でさわやかに響きわたる。 そして今。もうひとつ、大きな音が追加される。 バタン、と大きな音を立て、小さいが造りはしっかりしたドアが、少々乱暴――いやいや、 元気よく開け放たれた。
「とーちゃん、行ってきまーす!」
家の中からの声に答えると、リナは友人達との待ち合わせ場所に向けて走り出した。 「やっばー……遅れちゃうかな」
時計に目をやると、やや時間が足りないかもしれない。
「ほーっほっほっほ! 急いでいるようね、リナ! しかしリナは止まらない。そのままナーガを置いて走り続ける。 「あ……ちょ、ちょっとぉ!?」 無視されて寂しそうな声をあげると、リナを追いかけナーガも走り始めた。
「ごめんっナーガ! 今ほんとに急いでるの! また今度ねっ!」 自信満々に言い放つナーガ。
「つまりは今走っているこの状況が、すでに勝負というわけね! ほーっほっほっほっほっ!」 この町は坂道の斜面にできており、そのため坂の高い所と低い所を行き来するには、町に数本伸びている 大通りを行かねばならない、という特殊な構造になっている。つまり、坂の真下にある場所へ行くには、 坂を横切って大通りへ出て、坂を下り、また坂を横に戻らねばならないということだ。 時間に遅れそうな今、悠長にそんな回り道をしているヒマはない。リナは建物と建物のわずかな隙間へ 身をすべり込ませる。 「逃がさないわよっ、リナ=インバース!」 続いてナーガも。 「あ……あら? ちょっ……リナ?」
横道とも呼べない隙間をなんとか進むリナの耳は、ナーガの声が次第に遠ざかってゆくのを聞き取っていた。 「ちょっと待ってよ、助けて、リナちゃーん」 情けない声をあげるナーガを、薄情にも置き去りにして、リナは近道を抜けると、また猛スピードで走り出した。
様々な人々が雑多に行き交う噴水広場。ここには今日も、多くの露店が軒を連ねている。
「リナさん、お待ちどうさま」 そう言うミリーナの後ろには、遅刻して来ても全く悪びれた様子のないルークの姿。 「相変わらず遅いっ! 時は金なりって言うでしょ?」 言ってもムダとわかってはいるが、一応文句を言うリナに、ルークも噛みついてくる。
「うるせー! 愛しのミリーナにビシッと決まって見える服を選んでたら、少し遅くなっちまっただけだろが!」
寂しそうな声を絞り出すルーク。しかし、いつもこんな風に冷たくあしらわれているというのに、ルークの
ミリーナに対する情熱は衰える気配を見せない。まったく元気な男である。 短気者同士のリナとルークがぶつかることはよくあったが、本気のケンカまで発展したことは一度もないし、 ミリーナもルークにつれない態度を取ってはいても、心底嫌がっている様子はない。これはこれで、うまく まとまっている3人組といえた。 「ねー、まずはワッフル屋さんで、腹ごしらえしてから行きましょ」 リナが広場内にあるワッフルの露店を指さす。最近営業を始めるようになった露店で、リナばかりでなく、 ミリーナもお気に入りの店だ。
「ケッ、男がンな甘いもん食ってられるかよ」
そして今日も『いつも通り』、3人揃ってワッフル屋の前に並ぶ。
「じゃああたしはその2つを2個ずつと、チョコレート3つ、シナモンアップル2つ!」 リナの注文を聞いてルークが毒づく。だがリナは、さらに続けて、
「あと、プレーンを2個!」
これにはミリーナも少々驚いたようだ。いつものリナが頼む分より、さらにプレーン2つ分多い。 「最後の2つは、父ちゃんへのお土産に、お持ち帰り用、よ」
「ひゃ〜〜、降ってきちゃったなあ……」
買い物も終わり、ルークやミリーナと別れてまもなく、急に降り出したのだ。
リナは家に帰るのを諦め、軒下で雨宿りをすることにした。 「はぁ……。ついてないなぁ」 リナがため息をつきながら、バッグから取り出したハンカチであちこちふいていると。 「はぁ……」
隣から、自分がもらしたものより大きなため息。どうやら先客がいたらしい。
女性の多くが目を奪われそうな、かなりの美形だが、リナの目を奪ったのは容姿より、青年の格好の方だった。
しげしげと見入るリナの視線に気づいたのか、青年がこちらへ顔を向ける。 ドサッ 大きな物が倒れる音。つられてリナが振り向くと、青年がぐったりとして倒れていた。 「ちょっ……、……!!?」
声をかけようとして、リナは思わず息をのむ。 (なにこれ――本物……!?) 「は……は……」 うわごとのように、青年が呻く。
「な、なに!?」 彼の主張を裏付けるかのように、腹の虫が盛大に鳴き声をあげた。 「………………」
単純かつ明快な理由に、思わずリナは絶句する。
リナはカバンの中に手を突っ込み、さっき買ったワッフルを取り出した。
「はあー……ごちそーさん」
ついつい食べ物など差し出してしまったが、もしかして厄介な存在に関わってしまったのかもしれない。 「あっ、おーい」 後ろで羽付きの金髪青年が呼び止めたが、あえてそれは無視した。
どげしっっ!! 「なによっ、この恩知らず!!」
吐き捨てるように言うと、リナは後ろも見ずに家まで走った。あんなのにいつまでもついてこられたら、大変困る。
「おいおい、どーしたんだリナ。そんなに慌てて」
「はー……なんだったんだろ、あれ」
やたらときれいな兄ちゃんが、空腹でぶっ倒れて、背中には羽なんか生えてて。 「もしかして宇宙人? それとも妖精? ――まさかね……」 きっとあれは、どこかの劇かキャンペーンの衣装だったのだろう。あの羽は本物に見えたけど、おそらくよっぽど 腕のいい人が作ったに違いない。 「そーよね! 考えてみたら当たり前の事じゃない!」 頭の中で出た結論に、リナはすっかり機嫌を直してしまっていた。
「父ちゃん、何か手伝おう――か……」 食堂に入るなり見えた光景に、リナは絶句する。 「おー、うまそうだなあ。まだ食えないのか?」
調理する父の隣に立つのは、あの羽つきの金髪青年。
「なっ……なんであんたがここにいいいぃぃぃぃぃ!!!??」
混乱したリナに、父がとぼけた答えを不機嫌そうに返す。
「父ちゃんのことじゃなくてっっ! これよっっっ!! これっっっっ!!」 (――え?) まるきり青年の存在を無視した言葉に、リナが呆気にとられていると、
「おかしなヤツだな。それより、もうすぐお前の好きなポークシチューができるぞ。皿でも並べてろ」
家の中に見知らぬ男が一人、入りこんでいるのだ。普通なら、騒がぬわけはない。 (まさか――見えてない――の――?) 「これって、こんな感じで飲めばいいんだな?」 青年が嬉しそうに、ポークシチューの鍋から、味見用の小皿へ中身を少量移す。先程父が味見していたのを 見たのだろうか。 「おっ、うまいぞこれ!」
どうやら気に入ったらしい。2杯、3杯とちびちび口の中に流し込んでいる。 「なんだ? そんなに見張ってなくたって、ポークシチューは逃げ出さねえぞ?」 不思議そうに父が声をかける。リナの視線の先にシチュー鍋があるのを見てとったのだろう。 「あ、う、うん。わかってるわかってる」
かなり苦しいごまかし笑いをして、リナはふと気がついた。そういえば父はやはり、さっきから少しも
鍋――青年の方を見ようとしない。 「へー、これもいい匂いだなあ」 ひょい、と父の皿からロールパンをつまみ、一気に口の中へ入れる。 「リナ、忙しいからってムチャするんじゃねえぞ。体コワしたら、元も子もないからな」
話をしながら、父はパンの皿に手を伸ばし―― (やっぱり、父ちゃんには見えてないんだ)
ある程度つまみ食いをしたら気がすんだのか、青年は今度は流し台に置いてある、おたまやフライ返しを手にとって
もてあそんでいる。
「どうしたリナ? 熱でもあるんじゃないのか?」 少し心配そうな父の声を残し、リナは食堂を後にした。 「あっ待てよ、オレも行く!」 ――追いすがる青年も、一緒に残して。
がばっ 「あ〜〜、しつっこいマボロシ!! とっとと消えろっ、消えろーー!!」
リナは毛布をひっかぶって、呪文のように叫んだ。どうやら今度は幻覚のせいにするらしい。 「よぉーし……。これを見れば、いくら何でもオレの存在を信じたくなる、っていうもん見せてやるよ」 そう言って懐からピッコロを取り出した。 「ほら、オレはここにいるんだ」
響きわたる柔らかい楽器の音につられて、リナは青年の方を向いた。 「え……えぇっ?!」
冬でもないのに。おまけにここは室内だ。ありえない、雪なんて。 「――――」
言葉を失うリナの鼻先に、雪の結晶が淡い輝きを放ちながら、ふわりと触れる。
「うひゃっ!?」
得意げに胸をはる青年。だがリナには、まだ信じられなかった。
「あんた……何者……?」 ガウリイと名乗った青年は、やっと認められたことが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべる。今触れた雪とは 正反対の、あたたかな笑みを。
「オレ達の仲間は、雨や風や雪を操って、天気を作るのが仕事なんだ。で、オレは雪の担当。季節使いの
中の雪使いってわけだ。
コクリ、と、リナの首が小さく縦に動く。 信じたくはない。けれど、これはたぶん真実なのだ。 ガウリイは体全体に嬉色を溢れさせ、いきなりリナに抱きついた。
「やっと認めてくれたな! やっぱりお前、オレ達のことが見えるんだな!? ちゅっ
頬に柔らかい感触が、一瞬だけ触れて離れてゆく。 「なっ……のなあぅあぁぁぁぁ!!?」 抱きしめられていた身体を、思いっ切り突き飛ばす。たくましい身体は数歩たたらを踏む程度で止まったが、 リナはその隙に自分のベッドへ潜り込み、さっさと毛布をかぶってしまった。
「おっ、おい、リナぁ?」 いつ以来のことだろう、久しぶりにリナは、心の底から祈っていた。
窓の外を、小鳥がさえずりながら飛んでゆく。 「……ヘンな夢……だったなあ……」
リナの精神が、最も安全な答えを導き出す。 「おう、リナ、おはよー。今朝もいい天気だなあ」
……部屋には、もう一人、人がいた。 「なんだリナ、せっかく起きたのにまた寝ちまったのか?さっさと起きないと昼になっちまうぞ」 (あああああ、なんなの!? なんなのよーーーー!!!) のーてんきな男の声に背を向けながら、リナはひたすら己の身に降りかかった不運を呪い続けるのであった。 |
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