古物語・4


 「『あの』三の宮が来てるーーっ!!?」

 少納言から話を聞いて、姫は思わず大声をあげた。
 先日の事は、あくまで集団見合いだとわかっている。つまりそれが壊れれば、彼は家とそう深い関わりを持つ人物ではないのだ。

 その三の宮が、個人的に家を訪れるなんて…。

 「何のために来たのよ?」

 姫は傍らの少納言に問いかける。

 「なんでも、今度宮中で開かれる桜の宴は、大臣さまと宮さまが取り仕切られるそうです。その打ち合わせだと仰せでしたわ」

 姫は思い切り舌打ちをする。

 「ったく、これだから貴族ってぇのは不生産よ。宴の他にやる事ないの?」
 「それで、姫さまもあちらに出てご挨拶を、と殿(大臣のこと)がおっしゃっておりました」

 …………。



 「なんですって〜〜!!?」








 「………」

 姫の機嫌の悪さは最高潮に達していた。
 貴族の挨拶、というのは当然、「ようこそいらっしゃいました」「いえいえ、おじゃまいたします」「じゃ私はこれで」ですむものではない。時候の挨拶から始まって、その後いくらも言葉を交わし、話が一段落したところで、ようやく何かの理由をつけて退室が許されるのだ。

 普通の相手なら、姫が直接話す必要はない。姫の意向を少納言に伝え、少納言が代弁すればいいことなのだが、何せ今日の相手は今をときめく今上帝の三の宮である。そんな事はできない。
 つまり、姫が直に会話して、『挨拶』をこなさなければならないのだ。『あの』三の宮と。

 「姫。姫や」
 「なんでしょう、お父様」

 自分でもそれとわかるほど口調に棘が出る。だが、父の大臣は気づかぬフリをしているのか、それとも本当に気づいていないのか、全くためらわず話しかけた。

 「お前も考えを聞かせてくれないか。我が右大臣家でも自慢のお前の聡明さなら、きっと主上(おかみ)や他の殿上人(宮廷に仕える人)にもご満足いただける宴になるはずだ」
 「私の意見など…。お父様のお考えを妨げるだけですわ。買いかぶりすぎでございます」

 これで大臣が、「なら仕方ない」と言えば、姫は退室の言葉を言えるはずだった。しかし。

 「いえ、今回は奥向の方々(内裏の女性たち)も大勢この宴を見に参ります。その方々に楽しんでいただくためにも、女性の意見をお聞かせ願いたいのです」

 口をはさんだ三の宮のせいで、その計画はもろくも崩れ去る。

 (こっ、こいつ……)

 姫のこめかみがひくひく震えた。その反面、なぜ三の宮がこうまで自分をひきとめるのか、どうしてもわからない。
 この間断った結婚話を、まだしつこくむしかえすなら、普通は文を送るはずだ。場に女っ気が欲しいなら側に女房が控えているし、まさか本当に意見を聞くだけとは絶対思えないし。

 何度も言うが、姫は恋愛事には疎い。だが、頭の回転や勘の鋭さは、並の公達をはるかにしのぐ。
 どことなくざわついた、落ちつきのない屋敷や父親。気怠そうな三の宮の態度。それらを見てただの宴の打ち合わせではないことぐらい、とっくに見破っていた。

 しかし、不幸にも彼女は「今夜結婚のために来たのだ」、というところまで頭が回るような思考回路にはなっていなかった。だから

 (三の宮のやつ、何かやっかい事でも持ってきたのかしら?)
 そんな風に考えてしまう。

 いくらなんでも、自分がその「やっかい事」の最重要人物であるとは、夢にも思っていないのだ。

 (この場で、ある程度見極めてやろーかしら。知らないままじゃ気になるし)
 むしろ、そんな事まで考えだす始末。

 元々この席、少しでも姫と三の宮がお互いを知ることができるよう、右大臣が用意したものなのだが。
 どうやら、かなり高度な戦いの場になりそうだった。









 それから一刻(2時間)近くたっても、まだ姫と宮の『静かなる戦い』は続いていた。

 「――なるほど。公達と奥向に別れて(つまり男女別)、楽(音楽)を競うというのは、なかなか面白そうですな」
 「殿方と競い合うなどと…はしたない事を申し上げました」
 「いえいえ、楽の才能に性別はない。良い趣向だと、皆さまにもお気に召していただけるでしょう」

 表面上は至って穏やかな会話だが、実際には壮絶な腹の探りあいである。

 宮はとにかく積極的に姫へ意見を求めた。宮中では多くの男と、勤務外では多くの女と会ってきた宮はある程度、相手の『意見』からその人の性格や考え方を見抜くことができる。そんな宮が姫に下した人物評価は、

 (頭が良すぎるせいで、男まさりなまでに気が強く、プライドが高い)

 というものであった。

 手のひらの上で転がすには、少々やっかいな相手かもしれない。こういうのが嫉妬深いと、こちらの遊び先に手を回し、二度とそこへ寄れないように工作する可能性もある。
 宮は苦々しいものが表面に出てくるのを、かなりの労力で押さえこんでいた。

 一方の姫はというと。

 (…あたしを探ってる?)

 三の宮の行動が示す意味はわかっていた。もっとも、狙いが政治的な何かではないかと思いこんでいたせいで、少々気づくのは遅れてしまったが。
 ただ、何が目的なのか、なぜ三の宮は自分を探るのか。それはこの会話だけで判別することはできない。

 これ以上収穫はなさそうだし、いい加減解放してほしいと姫が姿勢を崩しかけた頃。

 「――いや、さすが音に聞こえし右大臣家一の姫。お噂通りの聡明さだ」

 三の宮がそう口に出した。

 (しめたっ!)

 姫は心の中で快哉する。

 「そんな、お役に立てず申し訳ありませんでした。――ところでお父様」

 突然水を向けられて、姫と宮の冷戦が放つ雰囲気に固まっていた大臣の呪縛が一気に解けた。

 「な、なんじゃ」
 「わたくし、大変失礼なのですけど頭に痛みを覚えまして。退室をお許しいただけませんでしょうか」

 慌てふためく大臣に、まだ余韻が残っているのか冷ややかな声を投げる姫。
 普段から、娘に迫力負けしている父親は、一も二もなくうなずいた。

 「ああ、ああ。大事にならぬよう、早く寝るのだぞ」
 「ありがとうございます。では」

 短い辞去の言葉を述べて、姫はその場を立ち去った。

 「…ふぃー…」

 同時に姫は大きく息を吐きだす。本当に、あの目に見られると気が抜けない。
 まるで話に聞く海のようだ。見かけは綺麗な色なのに、その底は暗く、深く、冷たい。

 彼の目的が何であるかわからないが、その狙いにどうやら自分も一役かっている以上、またあの凍てついた瞳と対峙することになるのだろうか。
 できれば…いや、絶対遠慮したい状況に深いため息をつきながら、姫は長い廊下を歩いて部屋に戻った。

 部屋では、すでに少納言が布団を敷いて待っていた。

 「…早くない?」

 確かに時間はもう夜だが、姫にはいつも夜更かしする習慣がある。もっぱら、本を読むのがその理由だ。
 姫に長く仕えている少納言が、その事を知らないわけがない。

 姫の問いに、少納言はにーっこりと笑って答えた。

 「姫さまはいつも、ご退室の時のお言葉は『頭が痛む』ですから。たまには体裁を整えて、本当に寝てらっしゃってはどうかと思いまして」
 「……う゛っ」

 思わず言葉に詰まる姫。さすが少納言、長く姫に仕えているだけのことはある。

 「まー今日は、たしかに疲れたし……。特にやりたい事もないからいーけど……」

 ぶちぶちと言いながら、それでも姫は着物を脱いでゆく。この頃は着物の一番下に着る、白い単衣(ひとえ。現代のキャミソール、下着のような感覚のものらしい)姿で床につくのだ。
 姫の準備を手伝いながら、少納言が話しかけた。

 「三の宮様とお会いした緊張からお疲れになったのでは?」
 「んー、緊張といえば緊張だけど…ほんとーに頭痛くなりそうではあったわね」

 布団に寝転がり大きくのびをしながら、うんざりとした口調で言う。さっきまでの冷戦を思い出すと、全然リラックスできない。あの時は自分で彼を調べてやろうという気になっていたからいいが、休みたい時まで緊張感が続くというのは困りものである。

 姫の心底疲れた声に首をかしげつつも、少納言は明かりを消し、「おやすみなさいませ」と一言かけて姫の部屋を出てゆく。

 暗い部屋で一人きりとなった姫は、天井の木目に目をやった。
 消したばかりの油のにおいが鼻をかすめる。
 近く嵐を連れてくる、強い風が吹き始めていた。










 大人しく、床についてみたはいいものの。

 「…眠れない…」

 時間がいつもに比べて早いため、うまく寝つけないのだ。横を向いてみたり、目の上に手をあててみたりしたが、なかなか眠くならない。

 「ちょっと起きてみようかなぁ…」

 こっそりと抜け出して、夜の通りを歩いてみたい。もちろん貴族の女性に許された振る舞いではないが、姫には時々こうしたことをする悪癖(?)があった。
 もぞもぞと身体を起こしかけた、その時。

 「―――おかげんはいかがですか、姫」

 ビクッ!と姫の身体がはねあがる。
 思わぬところで聞こえた声。ついさっき聞いた声。いや、それより何より、裳儀(女子の成人式)を行ってからは、親兄弟でさえ男と対面する時は御簾越しだったというのに、忘れるほど久しぶりに近くで聞いた、低い響き。男の、声。

 風もないのに几帳(部屋を簡単にしきるカーテンのようなもの)が揺れ、その間から、人影が現れる。
 はっきり顔は見えないが、もはや疑うべくもない。

 「三の……宮………」
 「あなたのご様子が気になって、こうして駆けつけてきてしまいました。その後、おかげんはよろしいようですね」
 (ウソつくなーーーっ! それに、気分は最悪よっっ!)

 具合を見るためだけに、女性の部屋へ忍びこむ男などいるわけがない。
 これでもわからない人間がいたら、鈍いを通りこして単なるバカたれだ。
 姫は夜具の上で身構え、慎重に声をかけた。身体に寒気が走るが、懸命に嫌な予感をおさえつける。

 「…ご心配ありがとうございます。でも、それでしたら女房を通してお聞きになればよろしいものを」
 「いえいえ、わたしは何でもこの目で確認しないと気がすまないのです。…酒も、食べ物も…女性も」

 同時に、宮の動く気配がした。

 「来ないでっ!」
 「おや、つれないな。『頭が痛いから部屋で寝ている』とは、『褥(しとね)の上で待っているから早く来て』という意味だと思っていたのに」
 「なっ……!? 誰がそんな誘い、かけるもんですか!!」

 宮が喉の奥をクックッと鳴らして笑う。その音が、姫の耳にもはっきり届いた。

 「――この家から結婚を申し込まれてここへ来たのだから、そう考えるのは当然だと思うが?」
 「…………!」

 姫は息をのむ。
 では、今日の皆の落ちつかない雰囲気は。早い時間に敷かれた布団の意味は。

 (ハメられた!!? あんのクソ親父ーーーーー!!)

 姫は心の中で、いささか上品とは言いがたい絶叫を放つ。大方、この前の見合いがうまくいかなかったことを憂慮して、これから先の見込みに不安を覚え、強行突破をはかろうとしたのだろう。

 怒りで頭に血の上っていた姫には、宮が寄ってくるのも目に入らなかった。
 気がついた時には、もうその顔が夜目にもしっかり見えるほど近づいている。

 (しまっ………!)
 「さあ、もう口と目を閉じて―――」

 抵抗しようととっさに反応したが、一瞬遅い。
 ふりあげた手を掴まれ、わずかの間に姫は夜具の上に押し倒されており、その上には三の宮がのしかかっていた。




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