「『あの』三の宮が来てるーーっ!!?」
少納言から話を聞いて、姫は思わず大声をあげた。 その三の宮が、個人的に家を訪れるなんて…。 「何のために来たのよ?」 姫は傍らの少納言に問いかける。 「なんでも、今度宮中で開かれる桜の宴は、大臣さまと宮さまが取り仕切られるそうです。その打ち合わせだと仰せでしたわ」 姫は思い切り舌打ちをする。
「ったく、これだから貴族ってぇのは不生産よ。宴の他にやる事ないの?」 …………。
姫の機嫌の悪さは最高潮に達していた。
普通の相手なら、姫が直接話す必要はない。姫の意向を少納言に伝え、少納言が代弁すればいいことなのだが、何せ今日の相手は今をときめく今上帝の三の宮である。そんな事はできない。
「姫。姫や」 自分でもそれとわかるほど口調に棘が出る。だが、父の大臣は気づかぬフリをしているのか、それとも本当に気づいていないのか、全くためらわず話しかけた。
「お前も考えを聞かせてくれないか。我が右大臣家でも自慢のお前の聡明さなら、きっと主上(おかみ)や他の殿上人(宮廷に仕える人)にもご満足いただける宴になるはずだ」 これで大臣が、「なら仕方ない」と言えば、姫は退室の言葉を言えるはずだった。しかし。 「いえ、今回は奥向の方々(内裏の女性たち)も大勢この宴を見に参ります。その方々に楽しんでいただくためにも、女性の意見をお聞かせ願いたいのです」 口をはさんだ三の宮のせいで、その計画はもろくも崩れ去る。 (こっ、こいつ……)
姫のこめかみがひくひく震えた。その反面、なぜ三の宮がこうまで自分をひきとめるのか、どうしてもわからない。
何度も言うが、姫は恋愛事には疎い。だが、頭の回転や勘の鋭さは、並の公達をはるかにしのぐ。 しかし、不幸にも彼女は「今夜結婚のために来たのだ」、というところまで頭が回るような思考回路にはなっていなかった。だから
(三の宮のやつ、何かやっかい事でも持ってきたのかしら?) いくらなんでも、自分がその「やっかい事」の最重要人物であるとは、夢にも思っていないのだ。
(この場で、ある程度見極めてやろーかしら。知らないままじゃ気になるし)
元々この席、少しでも姫と三の宮がお互いを知ることができるよう、右大臣が用意したものなのだが。
「――なるほど。公達と奥向に別れて(つまり男女別)、楽(音楽)を競うというのは、なかなか面白そうですな」 表面上は至って穏やかな会話だが、実際には壮絶な腹の探りあいである。 宮はとにかく積極的に姫へ意見を求めた。宮中では多くの男と、勤務外では多くの女と会ってきた宮はある程度、相手の『意見』からその人の性格や考え方を見抜くことができる。そんな宮が姫に下した人物評価は、 (頭が良すぎるせいで、男まさりなまでに気が強く、プライドが高い) というものであった。
手のひらの上で転がすには、少々やっかいな相手かもしれない。こういうのが嫉妬深いと、こちらの遊び先に手を回し、二度とそこへ寄れないように工作する可能性もある。 一方の姫はというと。 (…あたしを探ってる?)
三の宮の行動が示す意味はわかっていた。もっとも、狙いが政治的な何かではないかと思いこんでいたせいで、少々気づくのは遅れてしまったが。 これ以上収穫はなさそうだし、いい加減解放してほしいと姫が姿勢を崩しかけた頃。 「――いや、さすが音に聞こえし右大臣家一の姫。お噂通りの聡明さだ」 三の宮がそう口に出した。 (しめたっ!) 姫は心の中で快哉する。 「そんな、お役に立てず申し訳ありませんでした。――ところでお父様」 突然水を向けられて、姫と宮の冷戦が放つ雰囲気に固まっていた大臣の呪縛が一気に解けた。
「な、なんじゃ」
慌てふためく大臣に、まだ余韻が残っているのか冷ややかな声を投げる姫。
「ああ、ああ。大事にならぬよう、早く寝るのだぞ」 短い辞去の言葉を述べて、姫はその場を立ち去った。 「…ふぃー…」
同時に姫は大きく息を吐きだす。本当に、あの目に見られると気が抜けない。
彼の目的が何であるかわからないが、その狙いにどうやら自分も一役かっている以上、またあの凍てついた瞳と対峙することになるのだろうか。 部屋では、すでに少納言が布団を敷いて待っていた。 「…早くない?」
確かに時間はもう夜だが、姫にはいつも夜更かしする習慣がある。もっぱら、本を読むのがその理由だ。 姫の問いに、少納言はにーっこりと笑って答えた。
「姫さまはいつも、ご退室の時のお言葉は『頭が痛む』ですから。たまには体裁を整えて、本当に寝てらっしゃってはどうかと思いまして」 思わず言葉に詰まる姫。さすが少納言、長く姫に仕えているだけのことはある。 「まー今日は、たしかに疲れたし……。特にやりたい事もないからいーけど……」
ぶちぶちと言いながら、それでも姫は着物を脱いでゆく。この頃は着物の一番下に着る、白い単衣(ひとえ。現代のキャミソール、下着のような感覚のものらしい)姿で床につくのだ。
「三の宮様とお会いした緊張からお疲れになったのでは?」 布団に寝転がり大きくのびをしながら、うんざりとした口調で言う。さっきまでの冷戦を思い出すと、全然リラックスできない。あの時は自分で彼を調べてやろうという気になっていたからいいが、休みたい時まで緊張感が続くというのは困りものである。 姫の心底疲れた声に首をかしげつつも、少納言は明かりを消し、「おやすみなさいませ」と一言かけて姫の部屋を出てゆく。
暗い部屋で一人きりとなった姫は、天井の木目に目をやった。
「…眠れない…」 時間がいつもに比べて早いため、うまく寝つけないのだ。横を向いてみたり、目の上に手をあててみたりしたが、なかなか眠くならない。 「ちょっと起きてみようかなぁ…」
こっそりと抜け出して、夜の通りを歩いてみたい。もちろん貴族の女性に許された振る舞いではないが、姫には時々こうしたことをする悪癖(?)があった。 「―――おかげんはいかがですか、姫」
ビクッ!と姫の身体がはねあがる。
風もないのに几帳(部屋を簡単にしきるカーテンのようなもの)が揺れ、その間から、人影が現れる。
「三の……宮………」
具合を見るためだけに、女性の部屋へ忍びこむ男などいるわけがない。
「…ご心配ありがとうございます。でも、それでしたら女房を通してお聞きになればよろしいものを」 同時に、宮の動く気配がした。
「来ないでっ!」 宮が喉の奥をクックッと鳴らして笑う。その音が、姫の耳にもはっきり届いた。
「――この家から結婚を申し込まれてここへ来たのだから、そう考えるのは当然だと思うが?」
姫は息をのむ。 (ハメられた!!? あんのクソ親父ーーーーー!!) 姫は心の中で、いささか上品とは言いがたい絶叫を放つ。大方、この前の見合いがうまくいかなかったことを憂慮して、これから先の見込みに不安を覚え、強行突破をはかろうとしたのだろう。
怒りで頭に血の上っていた姫には、宮が寄ってくるのも目に入らなかった。
(しまっ………!)
抵抗しようととっさに反応したが、一瞬遅い。 |