春も終わりに近づき、少しずつ暑くなりはじめる頃。ガウリイ主演のドラマは、クランクアップ(ドラマの全話撮影終了)を迎えた。 これから打ち上げだ、とまだまだ熱いカントクの叫びを背に、ガウリイはアメリアへと近づく。 別の女優と話していたアメリアも、ガウリイに気がつくと話を打ち切り、彼の方へ歩み寄ってきた。
「……なあ、アメリア……」 なんですか、と言っても、ガウリイにとってここ最近の話題など決まりきっている。毎回同じことを聞いて、同じ答えをもらっているだけの会話。しかし、それでも彼は、聞かずにいられなかった。
「……えっと……リナは……」
アメリアの言葉を聞いて、どことなく充実感のある笑顔を見せるガウリイ。たとえて言うなら、遠く想いを馳せるような、もっとわかりやすく言えば遠くへ行って逢えない恋人を想うような、そんな表情。 「そうですねえ……」
アメリアは思わずうなる。ドラマの撮影は、本日でクランクアップ。つまりアメリアが、次にガウリイと会う予定は、今のところ全くない。それは同時に、ガウリイがリナと接点を持つこともできなくなる、ということだった。
「そうだ、ガウリイさん。携帯電話、貸してもらえません?」
さあ早く、と目で急かすアメリアに、ガウリイは首を傾げながら携帯電話を取り出す。アメリアは自分の携帯にメモリされている番号を、素早く押して電話をかけた。
『もしもし?』 相手が誰か、わかった瞬間、ガウリイは声を上げていた。アメリアは指を唇にあて、黙っているよう可愛らしく身振りで伝える。
「もしもし、リナ? わたし、アメリアです」
女の子の友人同士が交わす、楽しげな会話。機械を通じた声でも、リナの元気さは確かに伝わってくる。
初めて会った日の焼肉屋で。先日行ったライブの楽屋で。くるくる変わるリナの表情が、声を聞くだけで鮮やかに浮かんでくる。 (でも――なんでだ?)
リナが気になる。いや、リナが元気かどうかが気になる。そういえば、もしもアメリアに元気かどうか聞いて、「カゼひいたみたいです」とかいう答えが返ってきたら、どんな気分になるんだろうか。
「じゃあね、リナ。またー」 会話が終わり、電話は切られてしまった。とたんになぜだかもの悲しくなり、すがるようにアメリアを見るガウリイ。 「……ガウリイさん。そんなカオしないでください。ちゃんと、この携帯、ガウリイさんにお返ししますから」 アメリアは、どこか含みのある、満面の笑みを浮かべた。
――わたしは、リナの携帯の番号を、他人に教えたりなんかしません。 アメリアのセリフが、耳によみがえる。
――でも、誰かの携帯を借りてかけた時、その発信履歴が残ってしまうのはしかたないことですし。 つまりは、リナの携帯番号をこっそり教えてやる、ということらしい。なぜそんなことをしてくれたのか彼にはわからないが、この番号にかければリナにつながることは間違いないだろう。 (今の時間なら、出るかな――?)
ためらいつつも、発信履歴からダイヤルする。そしてコール音。1回。 「だけどなあ……何話したらいいか、わかんないんだよな」
声が聞きたい。けれど、用件もないのに電話したら、彼女の性格からして怒りだしそうではないか。
考えて悩むのは、彼のもっとも不得意分野のひとつである。 「………………。よしっ。怒られたら、それはそのときだ」
深く考えるという、自分の人生において全く行ったことのない行為を今回も避け、ガウリイはまず電話をかけることにした。 「うう…………何やってんだ、オレ…………」
リナの声が聞けるかもしれない、と思った瞬間、ガラにもなくめちゃくちゃ緊張してしまった。ましてその後、怒られて、嫌がられるかもしれないと頭によぎったとたん、指は電話を切っていた。 「まるでオレ……あいつに……」 ちゃらっちゃーららー、ちゃらっちゃー、ちゃーちゃーん!
つぶやきかけたガウリイの言葉を、携帯電話の軽薄な呼び出し音が遮った。つい習慣から、あわてて通話スイッチを押して、耳に当てる。
(――へ?) 電話の向こうから、耳をふさぎたくなるほどの激しい怒鳴り声が響いたというのに、ガウリイは耳をおさえることもせず、呆然としている。
「リナ……か?」
なるほど。
お互いの意志で交換したわけではないのだが、不思議なもので、「教えてもらっていない番号へかける」という後ろめたさは消え去っていた。
「まさか、アメリアのやつ――」 思わず呆けた声をあげたガウリイに、リナがあきれたような口調でたたみかける。
『へ? じゃないわよ。まさか本当に、イタズラであたしの携帯、ワンギリしたんじゃないでしょうね!?』
これは、とてもマズい状況だった。 どうにかして、リナの機嫌を直さなくては。ガウリイは存在しないはずの回路まで動員して、必死に打開策を考える。
「メシ……」
先ほどまでとはうってかわった、嬉々とした声。
どちらも革靴のようだが、片方は規則正しくきっちりと、もう片方は音がまばらでのんびりと。いかにも足音の主たちの性格を顕わしているようだった。
「……ガウリイ。もっとしゃんとしろ」
話しかけられた方、ガウリイは、なんとか顔を作ろうとしながら困ったような声を出す。
「それにしても、正気なのか、ゼル? オレに歌をやらせよう、なんてさあ」
ガウリイのデビュー当時からマネージャーをやってる銀髪の青年は、タレントに対してぞんざいな口をきく人間だった。もちろん人前では繕うが、人目のない時はこうして対等な口をきく。
「だからってさあ……。オレ、小学生の頃、ずーっと音楽の成績は2だったんだぜ」
彼らが子供の頃、まだ小学校に10段階評価はない。それを知らないゼルガディスではないはずだ。
「――4月18日」
ガウリイは思わず呻いた。日付は覚えていないが、心当たりは1つしかない。
「お前がいくら人気俳優でも、まだまだ若手である以上、普通ならそんなワガママは通用しない。ヘタをすれば、あの日以降、仕事が全く来なくなる可能性もあったんだ。それを周囲の恨みを買わず、穏便に済ませるのに、俺がどれだけ大変だったか。お前は本当に、わかっているのか?」
言い返せないガウリイへ、ゼルガディスは容赦のない言葉を浴びせる。しかし、事実は事実だ。
「もうひとつ、言っておく。別の件で、俺の手をわずらわせないよう、注意してくれ」 首をかしげるガウリイ。ゼルガディスはガウリイと同じくらい大きなためいきをついて、 「……今回の特訓、な。スタッフの半数以上が女性なんだ」
この世の中の人間が、通常は男か女かのどちらかである以上、半数が女性なのは当然の話である。
「むやみにフェロモンを出しまくるな。でないとお前にのぼせた女の後始末を、俺がすることになる」 頭痛でも起きたのか、額を押さえながら言うゼルガディスに、ガウリイは軽く言う。
「そういえばそうだな。どうして今回は、そんなに女性スタッフが多いんだ?」
舌打ちでもしそうなくらい、忌々しげな顔でつぶやくゼルガディス。
しかしこのガウリイという男は、見事なまでに”性”への意識を払っていなかった。女性も男性も変わらず接するため、思いこみの激しい年頃の女性たちは、勘違いをしてしまうことがままある。 彼女たちは、虚栄心と妄想から、実際にあったことに尾ひれどころか背びれ腹びれ胸びれまでつけてしまう。そのようなゴタゴタが起こらないよう、いつも細心の注意をしてくれているのは、誰あろうゼルガディスだった。
以前、冗談半分に彼をでろんでろんに酔いつぶしたところ、一晩中このことに関してグチを聞かされたガウリイも、さすがにこの件に関しては慎重になり、できるだけゼルガディスの細工に協力してきた。
「ゼル、それでどうすんだ?」 彼の頭痛はどうやら、本格的なものになったらしい。ゼルガディスは頭の右半分を、手でおおった。 「そういや、その講師ってどんな人か聞いてなかったな。……って言っても、すぐわかりそうだが」
ガウリイのつぶやきが終わらないうちに。彼ら2人は、トレーニングルームの扉の前へたどり着いた。 「おはようございます。これからよろしくお願い――」
ガウリイの思考が思わず停止する。 |