深雪(みゆき)


 白く、雪が降り積もる。
 しつしつと、すべてを覆い隠すように。
 人も、思いも、そのすべてを。






 さっく、さっく、さっく。

 雪を踏みならす自分の足音が、やけに大きくきこえる。
 おなじ空から降るものでも、雨はみずから音を立てるが、雪はまわりの音を吸い込む。
 だから、まわりから聞こえる音はなく――いや、他に動くものも見えない。
 こんな雪の絶え間なくふりつもる日は。
 みんな、極力外出をさけているのだろう。あたしだって、本当ならこんな日に、外など歩きたくない。

 「うううぅぅぅぅ、さむいいぃぃぃ…………」

 ぶるっ、とひとつ体をふるわせて、手袋越しに、冷えた両手をこすりあわせる。
 見渡すかぎり、真っ白な雪原。気づいたら、こんなに積もってしまっていた。雪雲におおわれた空は、はや暗くなりはじめている。
 急がないと。まにあわなくなる。
 寒さに縮こまる体をふるいたたせ、あたしは再度あたりに視線をめぐらせた。
 白い雪と白い息。視界に広がるのは、ただ、白の世界。

 「たしか……このへんに……」

 もう一度、注意深く根気よく、探し続けると――

 (――いた!)

 雪に足をとられながらも、急いでその、茶色いかたまりに駆け寄る。
 『それ』がもぞもぞと動いたことに、ほっと安堵の息をはいた。

 ――ミィ。ミィィ――

 あたしの姿を認めたのか、細い声を出す子ネコたち。

 「よかった……間に合って」

 けれど、このままここにいては、きっと手遅れになるだろう。
 あたしは、頭にかぶっていたフードをとる。さっきとった宿にそなえつけてあった、赤いコートと赤いフード。フードは内側に、ふわふわの綿を使って、体温が逃げないようになっている。
 その中に、小さな4つの命をくるみ、そっと持ち上げた。







 ネコを捨てるのは、昔からキライだった。
 子供のころ、野原や森で遊んでいると、よく野良イヌや野良ネコを見つけて。姉ちゃんが動物好きだったから、あたしもいっつも連れ帰ったものだ。
 けど。何度連れ帰っても、必ず捨てに行かされた。
 あたしの家は雑貨屋で。つまりは食べ物も売ってるわけで。それでなくても子ネコはイタズラ好きで。

 『あたしが面倒見るぅ……みるからぁぁ……』
 『ダメよ、リナ。うちは動物は飼えないの。もとのところに返してらっしゃい』
 『かーちゃああぁぁぁん…………』

 どんなに拾ってきても、また捨てることしかできない、無力な自分がキライだった。
 罪悪感と無力感が、波のように押し寄せるのに耐えながら、それでも捨てるしかない。
 せいぜいできるのは、元の場所より少しでも、よさそうな場所に置き去りにすることだけ。
 姉ちゃんは、後に家で飼うのではなく、家で野良イヌや野良ネコにエサをやることをシュミとしていたようだったが……あ、でも風のウワサで、こんど犬を飼ったっていうはなしだったっけ。

 「あんたたちも、いい飼い主が、見つかればいいんだけどね」

 ――ニィ――

 ちょん、と指先でつついてやると、子ネコは小さく声をもらす。
 今だって、あの頃とたいして変わっているわけではない。あたしは今では旅の空。子供のころとは違った理由で、イヌやネコなど飼えっこないのだ。

 それでも、やはり気になった。さっき町に入る前、ふと見かけた子ネコのことが。
 まして雪が降りはじめれば、野ざらしにしとくわけにはいかない。
 凍死しないような場所において、タオルと一回分のあたたかいミルク。それが、たぶん今のあたしにできる精一杯。
 放っておくより幾分はマシ。けれど、また味わうことになるのだろう。
 あのころの、飼ってあげられない無力感と――置き去りにされる子ネコに、自分を投影した、消せない寂しさを。

 子供のころは、とにかく姉ちゃんに、置いてゆかれたくなかった。
 必死にあとをついてゆき、それでもどうしてもおいつけなくて、悔しかったから魔法を習った。
 どんなにがんばっても置いていってしまう姉ちゃんが、うらやましくもあり、妬ましくもあった。
 姉ちゃんの力は人外のものであること、それゆえにわずらわしいことも多いということ、姉妹はいずれ道を違えるということに気づいたのは、そのずっと後のことだったけど……。

 それからは誰にたいしても、ついてゆくより先に行く方が多くなったように思う。
 その方が性にあっていたし、一緒だった誰かと別れても、さびしく思うことはなかったから。
 視線を手元に落とすと、四匹の子ネコはかたまってふるえている。
 いずれこの兄弟たちも、それぞれ別の道を生きてゆくのだろう。ネコはもともと、個で生活する生き物だ。
 しかし今は、そんなことも知らぬげに、かたく身をよせあっている。

 (――そういえば……)

 1人、いた。ここのところ、ずっと一緒の道を歩いているやつが。
 飼い犬よろしく、あたしの後をついてきて、めったなことでは離れない。
 最初は、あたしが彼の後をついてゆくはずだったのに。気がつけば、あたしがあいつの先を歩いている。
 置いて先にゆかれる心配だけはないわけだが……考えてみれば、どうして彼はついてくるのだろう。
 あたしと、同じ道を。

 ざくっ!

 一瞬、雪に足をとられて、歩みが止まる。
 そのときを見計らったかのように、突然風が強くなった。

 「わぷっ……!?」

 顔に、体にたたきつけられる雪。とっさに子ネコをかばい、腕の中にかかえこむ。
 ほぼ同時に、なぜかいきなり、体を襲う吹雪がやんだ。
 ゆっくり目を開けるが、視界の中で吹きすさぶ雪の強さは変わらない。……なんで?

 ――ミィ――

 嬉しそうに鳴く子ネコの声に顔を上げれば。
 そこでは、『原因』が苦笑混じりにほほえんでいた。
 見慣れた、金髪碧眼に整った顔。たくましい体躯は、きたえあげられた剣士のそれ。

 「……ガウ……リイ……」
 「よっ。大丈夫か? 寒かっただろ」

 今、あたしが着てるのと同じ、赤いコートに赤いフード。
 そのコートの前をあけて、風よけにしてくれたのは。
 いつもあたしにくっついてくる、自称保護者だった。
 ふわり、とあたしの頭に手がのびてくる。
 いつもなら髪をくしゃくしゃかきまぜる大きな手は、あたしの頭の綿帽子を、そっとはらい落とした。

 「ほら、お前さんの頭、雪つもっちまってるぞ」
 「………………」

 驚いた。
 正直言って、かなりの驚きだった。
 あたしは、どこに行くなんて一言も言ってない。
 夕食の時間には、まだもう少し早いから、ガウリイがあたしの部屋に来る理由はなかったはずだ。
 だから、部屋を抜け出したのもバレないと、思っていたのに。

 「――――――」

 不思議だった。
 ガウリイが、ここにやって来たことが。
 彼は、自分のコートにあたしと子ネコを一緒につつみこむ。
 ガウリイの体温と、それであたたまった彼のコートから、伝わってくるのはガウリイらしい、優しいぬくもり。

 ――ミィィ。ミィ――

 また、子ネコが鳴く。もぞもぞと、居心地のいい場所を探すように、体を動かした。
 それは、あたたかい庇護の下に置かれた、安堵したものの行動。
 ついであたしも、知らずこわばっていた肩の力を抜く。すると上の方で、小さく笑った気配がした。
 その笑みに、誘われたわけではないのだが。
 あたしは、どうしても気になったことを聞いてみた。

 「……どうして、ここに……?」

 ――出かけることすら、教えてなかったのに。
 ――こんな雪の中、あてもなく飛び出して。
 ――あたしを探す、それだけのために。



 「オレは……保護者だからな」



 返ってきたのは、いつもと同じ言葉。とてもあたたかい響きをもった、言葉。
 絶え間なく降り続ける雪の中に、彼の言葉は溶けていった。









 互いが互いへ向ける気持ちは、まだお互いに気づいていない。
 自分の気持ちさえ、気づかない今は、それも当然かもしれないが。
 誰も気づいていなくとも、想いは、絆はたしかに其処に在る。
 覆いかくされた雪の下には、たしかに大地が在るように。
 春が来て、大地が顔をあらわす日は、すぐそこに見えている――




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