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 よく晴れたある春の日、リナはプロポーズされた。 
 「頼むっ、結婚してくれ!」 
 思わず驚きの声を食堂中に響かせる、リナと「その他一名」。 
 
 
 数秒の沈黙の後、リナの返した答えはしごく正しかった。ガウリイに至っては、まだ身体が動かないでいる。 まあ相手は確かに、見知らぬ顔ではない。ここ一週間ばかり護衛を続けていた依頼人で、つい昨日しごとを終えたばかりの相手なのだから。 
 「お願いだ、僕にはもう、きみしかいないんだ!」 この青年は町一番の大金持ちで、同時に国でも有名な大貴族の総領息子という、いわゆるいいとこのボンボンなのだ。だが彼は、その身分の知名度と等しく女好きでも有名で、かなりの女性を侍らしているとリナ達も二つ向こうの町で聞いた。 ちなみに今回、リナたちが一も二もなく護衛に雇われたのも、リナが女の子だったからである。もっともこれは『護衛といえど男ばかりの中にいたくない、一輪の花が欲しい』という意見のためで、事実リナには指一本ふれなかったから、ガウリイなどは安心していたものだが。 そのガウリイはリナの二の腕を掴んで引き寄せ、自分の胸に抱きこんだ。 
 「ダメだダメだダメだ!! リナをお前なんかにやれるか!」 じたじた暴れるリナをしっかと抱きしめ、元依頼人――ジョイスを睨みつけるガウリイ。しかしジョイスは一歩もひかず、 「頼む、この通りだ!」 
 土下座までしてみせる。 
 「あなたなら他にいっぱいガールフレンドがいるじゃない。なんであたしなのよ?」 『はあ?』 再び声をハモらせて聞き返すリナとガウリイ。ジョイスは居住まいを正し、自分の分の香茶を頼むと、椅子をもってきて腰かけた。 
 「…僕がおととい、正式に後を継ぎ、総主となったのは知っての通りだが…」 「…実は、我が一族の総主となった者は、それから一週間以内に結婚しなければならない決まりがあるんだ」 
 通常は後を継ぐ前に結婚してしまうので、それほど問題は起こらなかった、とジョイスは言う。 
 「そんな大事なことなら、なんで奥さん候補をもっと早く決めておかなかったのよ!?」 
 ずるるっ、がたがたん。 
 「昨日、じいやに言われて初めて思い出したんだが、まだ一人の女にしばられたくないし…」 さすがにここまでくるとわかる。ジョイスは大きく首を縦にふった。 「結婚した次の日に離婚してはならない、って決まりはないし、きみなら偽名でも親族が一人もいなくても、みんな怪しまない。どうせすぐに町を出るんだろうから、いつまでも噂されることもない。きみが一番いいんだ」 
 「んーー……。でもねぇ……」 
 「もちろんタダとは言わない。必要なものは全てこちらで揃え、それとは別に金貨200枚!!」 
 ジョイスの言葉に身を乗り出すリナと、そんなリナに驚くガウリイ。 「こんなおいしい仕事、めったにないわよ? たった一日おしばいするだけで、金貨200枚だなんて」 「おまえな! わかってんのか!? 結婚式っていったら……!」 ガウリイの頭を、よからぬ想像がよぎる。 「だーいじょうぶだって。一日くらい、おとなしい『おじょーさま』演じてみせるから♪」 ぜんっぜん、わかってない。 リナのお気楽な返事にガウリイが憤りを感じ、なおも言い募ろうとしたその時。 「いやーあ。相変わらずやってますねえ」 突如姿を現す黒衣の神官。空中から現れなかったということは、ジョイスを驚かさないよう、丁寧にもどこからか歩いてきたらしい。 
 リナとガウリイは同時に一瞬ゼロスの方を振り向く。 
 「だいたいリナ、お前簡単に式なんてあげて、後の始末は――」 
 ゼロスは叫びながら、わざわざ目に涙まで浮かべてみせる。芸が細かい。 
 「まだいたの? 銀バエ魔族」 
 ゼロスはやれやれ、と息を吐き、 
 リナとゼロスは、ガウリイへと視線を向ける。 「…なんだよ、二人でコソコソと」 「あのぉ……」 
 控えめな発言に、今度は3人が一斉に振り向いた。 
 「…僕の依頼は…?」 
 さすがに金貨200枚の依頼主となると、リナもそうそう放っておかない。ガウリイやゼロスそっちのけで、今は当日の式の段どりなんぞ話しあっていたりする。 
 「すごいですねえ、ガウリイさん。”あんな放蕩息子にオレのリナを触れさせるか”って気配がビシビシ伝わってきますよ。いい言葉使いじゃないですか♪ 今回の依頼人に♪」 「そうですよねぇ。今回ガウリイさんは無関係ですから。リナさんがあの人と腕を組もうとバージンロードを歩もうと、一切関与できな……」 
 
 
 「ガウリイさん…。ほんのオチャメなのに…」 ガウリイはまだまだ、不機嫌なままである。それでもちょっとは気がはれたのか、ドス黒い殺気のような気配が少しはおさまっていた。 そして間もなくリナが話を終え、ガウリイとゼロスの方へ向き直り、 
 「じゃああたし、ちょっと行ってくるわ。待っててね」 
 ジョイスの言葉にリナは露骨にイヤな顔をした。 たとえ偽装でも、リナが他人と結婚式をあげるのなんて見たくない。しかし一人部屋でイライラしながら待っているのもいただけない。だったら近くで、この男が調子に乗らないよう睨みをきかせている方がまだマシだ。 
 ガウリイの中で激しい葛藤が続き、その結果。 
 そしてここに。新婦の数少ない客人たちがいた。 
 「いやー、きれいですよリナさん」 
 「あんたにほめてもらわなくてもいいわよーだ。なんか裏がありそうだもーん」 確かにリナはきれいだった。急ごしらえで作ったドレスは時間をかけないよう、布を『縫合する』というより『要所要所を止めて服にする』といった感じでかなり奇抜なデザインだったが、最上級の絹でよく作られていた。身頃(身体を包む部分)で余った布を切り取らず、そのままリボンや花の形に整えブローチなどで止めるという手法を使っていて、ドレスの飾りや華やかさにも事欠かない。 
 何より、緊張も手伝って頬を赤くしている花嫁の初々しさを、白という色がいっそう引きたてている。 「…ガ、ガウリイ…。ど? 似合う?」 ずっと見てるばかりで何も言わないガウリイに恥ずかしくなったのか、リナが赤い顔をさらに染めてたずねた。ゼロスの反応は歯牙にもかけなくても、やはりガウリイの反応は気になるらしい。 それでもガウリイは、しばらく口を開けて見つめていたが、やがて無言のままリナへ近づき――― 「…ガウリイ?」 不思議そうにしているリナを、強く、抱きしめた。 
 「な、なっ!? ちょっとガウリイこら、離しなさい! ドレスが崩れちゃうでしょお!?」 怒りを含んだ彼の声に、思わず動きを止めるリナ。 
 「リナのこんな姿、仕事なんかで人に見せたくない」 そして、ガウリイの顔はリナの顔へ近づいてゆく……。 「………っって!!」 唇の距離あと2cm、というところでリナが我に返った。思いきりガウリイをつきとばす。 
 「なんだよリナー、オレとキスするのイヤなのか?」 
 リナの視界の片隅には、ひっそりたたずむゼロスが一匹。 
 
 「新郎ジョイス=シルヴェルス。汝は彼の者を妻とし、永遠に愛することを誓うか?」 ちなみにリナの偽名は、以前彼女が使っていた『ミナ=サンダース』である。 「誓います」 
 リナ自身に言わせると、『この誓いはミナとしての誓いで、リナ=インバースじゃないからいいのっ!』ということになるらしい。ついでにこれを聞いたジョイスも調子に乗って、『じゃあ僕が誓うのも架空の女性にだから、この誓いは架空のものってことになるな』などとぬかしていた。 「では、誓いのキスを」 
 どきっ!! とガウリイの心臓がはね上がった。 
 「ガウリイさん、ガウリイさん」 
 「いいんですか? リナさん、キスしちゃいますよ」 
 平静を装ったつもりだが、ゼロスは小さくげっぷしつつ、 ガウリイの目が突如、剣呑なものとなる。 「なにしろ女性が好きな方らしいですから。いいきっかけとばかりに、キスのひとつくらい…」 無言でガウリイが立ち上がった。リナしか見ていないガウリイにはわからなかったが、ゼロスは煽るような笑みを浮かべながらガウリイを押しとどめる。 
 「落ち着いてください、ガウリイさん♪」 ちょうどその時、リナの右手が小さく動くのが見えた。 
 次の瞬間、バン!という大きな音と共に教会の扉が開き、強風が中に吹きこんでくる。 「――――!」 
 さっと、リナの影がジョイスのそれに重なる。 
 「うーん…やりますね、リナさん」 
 他の人間はごまかせても、ケダモノ視力を持つガウリイと人外のゼロスにはわかったのだ。 
 
 結婚式の客にはジョイスの屋敷の客間が今夜の宿として貸し与えられた。とーぜんガウリイもゼロスも、そのうち一室をもらっているはずなのだが、今、彼らは共に庭にいた。 
 リナたちは明朝まで『夫婦』を装わねばならない。もちろん一緒の部屋で一晩過ごすわけだが、それでは他人に気づかれる恐れもある。 
 「さあ、いよいよ初夜の床ですよ。何をする気なんでしょうかねえ、あのお二方は」 
 「…まあ、まさかとは思うが…」 「万が一、ということもありえますもんね♪」 
 心を読んだかのように、絶妙のタイミングでゼロスが声をかける。 
 「えっ…。ちょっとまって……」 
 リナとジョイスの声が聞こえる。二人ともまだ起きているようだ。 「何をやってるんでしょうね…ほんとに」 さらに聞こえてきたのは、 
 「や……、ダメよ、そんな…!」 何だか嬉しそうなジョイスの声と、慌てたようなリナの声。それを聞いてもっと嬉しそうなゼロスと、もっと慌てるガウリイ。 
 「ガウリイさん♪ 中はどうなってるんでしょうね♪♪」 「やぁっ、ダメだってばっ!」 突然聞こえたリナの声に、男2人はヤモリのごとく壁にはりつく。それにリナ達の声が続いた。 
 「しっ、声が大きすぎる」 
 ゼロスはさらに笑みを深くして、 ガウリイの握っていた木の枝がバキ、と音をたてて折れ、木片がパラパラ散らばる。しかし、彼の表情はもはや全く変化がない。 
 それからしばらく盗み聞きを続けていた二人だが、なぜか声は聞こえなくなった。 
 「…これはまた、ほんとに意外な展開になるやもしれませんね…」 
 ガウリイはゼロスの首ねっこ掴みあげ、 ゼロスの言葉を最後まで待たず、ガウリイはゼロスを下に落とした。ムギュ、とカエルの潰れたよーな音をたてたゼロスが、ガウリイの手にある物を見てあとずさる。 「ガ、ガ、ガウリイさんっっ!? ブラストソードはちょっと、シャレにならないと…」 と同時に、中に変化があった。 
 「ああぁっ、もうダメェ!?」 
 再び、ガウリイはビタッと壁際のヤモリと化す。 
 「マッサージの行為で、何か『出す』ものなんかありましたっけねえ? これはやっぱり…」 「それに、ガウリイさん。仮にマッサージだとしても、ジョイスさんがリナさんの肌に触れることに、代わりはないんじゃないですか?」 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 リナとガウリイは、まだ陽の昇る前から旅立っていた。出立の姿を人に見られると厄介だからだ。ちなみにゼロスは、ゆうべの混乱がおさまった時点でメリットがなくなったのか、すでにいなくなっていた。 「ラッキーー♪ 思わぬところで臨時収入だわーー♪」 
 金貨の入った袋にほおずりしながらほくほく顔のリナと対照的に、ガウリイの顔にはかなり疲労の影が色濃い。あれだけ感情の起伏が激しかったのだから、当然といえば当然だが。 
 「…オレは二度と、こんな仕事ゴメンだ…」 
 いたずらっぽく微笑むリナに、さすがに今回はため息しか出ない。 「ねえ…。ガウリイ怒ってる?」 しゃがみこんでそっと、囁くようにうかがう。少しは罪悪感があるんだろうか、という希望的観測にすがり、ガウリイはリナの髪をかきまぜた。 「反省してるなら、それでいいさ」 そう言って、リナと目線の高さをあわせるためにしゃがんだ、その時。 「……今度は、ガウリイとも、ね……」 
 フワ、と彼の頬にふれる、春風のような感触。 
 「………今……リナ……?」 
 もう表情が見えないほど遠くまで走ったリナが叫ぶ。 「待ってくれよ、リナ!」 ガウリイはその、金色の世界へ向かって走りだしてゆき――― また、今日が始まる。  |