負けたくない。
逃げたくない。
だから……あたしは戦うことにした。
アイツと。
あの、保護者を自称する男と。
なによ。
なによなによ。
たしかにアイツの金色の髪はキレイだけど、金貨の方がよっぽど魅力的じゃない。
空色の瞳だってキレイだけど、サファイアの方がずっと高価。
剣の腕は認めるわ。超がつくほど一流と言っていい。でも、郷里の姉ちゃんや女王サマの方がずっと……いや、やめとこう。あんな人外と比べるのは、いくらなんでもガウリイが可哀想すぎる。訂正。
ともかく、剣の腕はいいけど、あたしだって戦闘力ってことなら負けてない。懐に入られたら、そりゃあすぐに斬られてオシマイだろうけど、そうでなかったらスピードも破壊力もある術が、いくつだって使える。
昔、あたしが勝てなかったズーマという名の暗殺者(アサッシン)に、ガウリイが勝てたからといって、ガウリイの方があたしより強いってわけじゃあない。あれは単に、町中という条件が厄介だったのだ。荒野なら、きっとあたしが勝っていた。
そうよ。それに何より、アイツのアタマは煮崩れたジャガイモみたいに、ブニャブニャなんだから。
性格は優しいし、つきあいもいいけど、代わりに甲斐性というものがない。
だから。戦えば、きっと勝てる。
あたしはいつでも、勝つつもりで戦うんだから。
絶対に、負けたくない。逃げたくない。
あたしは――勝ってみせる。
「絶対に、勝ぁぁぁぁつ!!」
ダン! と音をたて、椅子から立ち上がり、あたしは叫んだ。
自分の決意を、改めて口にすると、気分が高揚してくる。
それと同時に――
「……リ、リナさん……。どうしたんですか?」
戸惑うような、恐れるような声が、後ろからそっとかけられた。
振り返れば、ついさっきまで誰もいなかったそこに佇む、黒髪の清楚な女性。
「あは、あははは……。そ、そうだシルフィール、アメリアは?」
「え……ええ。アメリアさんなら、外にいましたよ。呼んできましょうか?」
「あー、いいのいいの。あたしが行くから」
よっしゃ、話題変換成功。
あたしはそそくさと、シルフィールの視線から逃げるように、外へ出た。
ほんの少し前から。
あたしは、ガウリイと戦うための、士気を高めている。
とはいえ、楽なことじゃない。なにしろ今回の戦いは、とても特殊なものなのだから。
単に決闘、というだけなら、ガウリイを吹っ飛ばして終わりである。あたしは郷里に、絶対勝てないと思う人を5人ばかり持ってるが、むろんその中にガウリイは含まれていない。
では一体何に気をかけているかというと、チャンスの問題なのだった。
これが、最後のチャンス。あたしが勝つための。
もし、今回負けたら――あたしはもう、あいつには勝てない。
ひたすらに、天気のいい昼下がり。
吹く風はやさしく髪をなぶり、陽差しは春先のあたたかさを感じさせる。
道ばたに目をやれば、こないだにくらべてずいぶん花が咲きはじめた。もう少しすると、動物や野盗が活発に動き回る季節になるだろう。
あたしの立っている世界は、こんなにもキレイだ。
壊さなくてよかった……こないだの件を振り返ってみて、しみじみとそう思う。
「それでね、リナ。セイルーンで、新しい焼き菓子が売り出されたの。今度寄ったら、ぜひ食べてみてね」
「へえ、いいわねー。でも王族のアメリアの口に入るようなもんじゃ、高いんじゃないの?」
「ううん、大きなお店だけど、普通のお菓子屋さんよ。子供のおこづかいでも買えちゃうくらいの」
「……逆に、なんでそれがあんたの口に入るのか、理解に苦しむわね……」
「決まってるじゃない! 城を抜け出して買ってくるのよ!」
「あなたねー、その調子で『悪党征伐諸国漫遊』とかしてたりしないでしょーね? お忍びで」
「なっ! なんでしってるの!?」
「……をい」
隣を歩くアメリアと話をしながら、てくてく歩く表街道。
まだ寒さが残るけれど、歩きっぱなしのあたしの額には、うっすら汗がにじんでいる。
一緒に歩いているメンバーは、他にガウリイとゼルガディスとシルフィール。計5人の大所帯である。
フィブリゾとの戦いから、早6日。セイルーンへ向かう、というアメリアとシルフィールを、近くまで送るため、あたしとガウリイがついていくことになった。さっさと別れようとしていたゼルガディスも、当然道連れにして。
しかし、今はいいけれど……。
近いうちに、セイルーンへ着けば。アメリアやゼルガディスやシルフィールと別れれば。
あたしとガウリイは、二人きりになる。
そうなると、避けられない。彼との直接対決は。
(………………)
分の悪い戦いだ。しかし、逃げるわけにもいかない。
ちらり、と視線を流すと、敵はシルフィールと話をしていた。
いつも通り、のほほんとした笑顔。何を考えているのか――いや、きっと何も考えていない表情。
戦う前から気がくじけてしまいそうで、あたしは急いで前に向き直った。
「リナ? どうかした?」
「あー、ううん。ベツに」
目聡く聞いてきたアメリアを適当にながしたが、まだ少し目が疑ってる。
そんなアメリアの耳に、あたしはこっそりささやいた。あたしにとっても、彼女にとっても魅力的な一言を。
「ところでさあ……アメリア」
「? なに?」
「ここんとこ、ごぶさただったじゃない? ひさしぶりに、今夜あたり行こうかと思うのよねー……」
はっ、としたように目をみはり、同じく声をおとすアメリア。
「まさか……それってもしかして?」
「もちろんそーよ。とうぞ――」
「――リナ」
びびくんっっ!!
突然割り込んできた声に、思いっきり背筋が震えた。
いつのまに近づいてきたのやら、すぐそばから聞こえたのは、まぎれもないガウリイの声。
……ここで知られては、せっかくの計画が水の泡である。あたしはなんとか、ごまかすことに決めた。
「あーらどうしたのガウリイ? 次の町までは、もうちょっとかかるわよー」
「そうか。だったら、ちょっと休まないか? お前さん、つかれてるだろ」
「ほへ?」
てっきり、今の話を聞いてて、今夜の予定をとがめられるかと思ったのに。
見当違いのことを言われ、拍子抜けする。まあ、ガウリイが気づいてないのなら、それに越したことはないのだが。
「休む、って、まだまだ平気よ。それに、あたしよりも旅慣れてないシルフィールの方が、先につかれるんじゃないの?」
そう言ってシルフィールの方を見ると、彼女は「まだ大丈夫です」と、手を振ってみせる。
「ほら。大丈夫だって」
「そうですよ、ガウリイさん。あんまり休んでると、次の町に行けなくなっちゃいますよ」
アメリアも、不思議そうな顔で言ってきた。あたしもまったく同意見だ。
しかし、ガウリイはぽりぽりと、困ったように頬をかき、
「んー……でもなあ。このままじゃ、リナの身体がきついと思うんだが」
「さっきから何言ってるのよ? これっくらい、どうってことないじゃない」
やたら過保護なヤツのコトバに、イライラが募ってくる。そう、こいつはいつも、あたしを子供扱いする。オトナとして見てなどくれない。そうに決まっている。
強制的にイライラを盛り上げるあたしに気づいたのかどうか、ガウリイはやはり困った顔で、あたしのマントに手を伸ばし――あ、コラっ!
――じゃらじゃらじゃらっっ。
『………………』
マントの裏側につけた、大量のポケットから、派手な音がした。
あたりに響いた金属音に、あたしとガウリイ以外の、三人の目が点になる。
ガウリイは、困った顔を崩さぬまま。いや、さっきより苦笑がいくらか深くなったような気がする。
対してあたしは、不機嫌モード一直線。もちろん今までのとは理由がちがう。
「……なんでわかったのよ。ガウリイ」
「だって、いつもと歩き方が違うじゃないか。後ろにひっぱられるようにしてるし。
お前、盗賊いぢめに行った次の日って、いつもそんな重そうな歩き方してるぞ? 気づいてなかったのか?」
気づかなかった。
だって、そんなの当たり前じゃない。
できるだけかさばらないものを選んではいるはずだけど、基本的にお宝ってのは、重いものが圧倒的に多いんだからさ。
ぶうたれているあたしの後ろに回りこみ、アメリアがマントへ手を伸ばす。マントをそっと持ち上げて、驚愕の声をもらした。
「うわ!? なんですか、これ!?」
昨日の盗賊いぢめの収穫物が持つ重みを知り、アメリアが叫ぶ。そんなとんでもない重さになってるかなあ? いつもより、ちょびっと多いだけなんだけど。
にじんでいた額の汗をついついぬぐうと、ガウリイはひとつおっきなため息をつき、あたしのマントを止める金具をいじりはじめた。
「ちょ、ちょっと。なにしてんのよ!」
「なにって。持ってやるよ。重いんだろ?」
おおきなお世話よっ!
「返せ! 返しなさい、ガウリイ!」
「おいおい。なにをムキになってるんだ?」
だって。
あたしは、自分のことは自分でやる。それができる。
ガウリイにだけは――優しくされたくない。
戦う気持ちが、萎えてしまうから。
「いいからっっ! 返してよっっ!」
「だめだぞ。こんな重いモン持って歩いたら、お前さんつかれちまうだろ?」
「大丈夫だったらっっ!!」
ムカつく。
いつでも、いつまでも子供扱いするコイツが。
そうよ。人をバカにして。
「いいかげんにしろ、リナ」
闘志をみなぎらせ、熱くなっていたあたしの頭を、横から割り込んだ声が突如冷ます。
目を向けるまでもない。仲裁に入ってきたのは、呆れ顔のゼルガディスだった。
「いくら旅慣れているとはいえ、お前がそんな重いものを持って歩いていたら、軽装のシルフィールにすら足が劣ることになる。アメリアも言っていただろう? 急がないと、ヘタをしたら野宿になるぞ」
――野宿――
「…………う〜…………
……わかったわよ……」
悔しいけど、ゼルガディスの言うことは正論だった。
正直、このペースは少しばかりキツかったのだ。それでもムリして歩いていたから、ちょっと息があがりだしていた。それに比べ、シルフィールの顔には疲れも汗もにじんでいない。
このまま行けば、たぶんあたしが最初に一行のブレーキ役になってしまうだろう。このまま、あたしが自分の荷物を渡さないと、強行に主張し続ければ。そして、今夜は皆を、野宿に巻き込んでしまう。
それは、すでにワガママの域を越えている。身勝手、と呼ぶ類のものだ。
「……………………」
あたしがしぶしぶマントから手を離すと、ガウリイはひょいとマントを肩にかついだ。ちょっとした重さがあるはずなのに、ガウリイの足取りはさっきとまったく変わらない。なんだか無性に悔しい。
なんで当たり前に気づくの。なんで当たり前に荷物を持つの。なんで当たり前に平然と歩けるの。
唇をとがらせ、思いきり蹴飛ばした小石は、はるか先の方向へ消えていった。
「……どうして……あーなっちゃったんだろう」
考えのまとまらない問いが、ふいに言葉という形をとる。しかし何気なく言葉になった問いは、それまで心の中にためていた時より、はるかに大きな波となり、あたしを悩ませた。
あの後、なんとか町についた夕方ごろ、ようやくガウリイは荷物を返してくれた。
「次からは、胸ぐらいの大きさの荷物にまとめると、持ちやすいぞ」などと無礼千万な意見には、きっちりケリを入れて。
夕食後、町でとった宿から抜け出し、あたしは夜のサンポとしゃれこんでいた。
やたらと気配の少ない、夜の森。もちろん気配が皆無なわけではなく、そこかしこから虫や夜鳥の声が聞こえてくる。風の音もさわさわと、昼間とは違った夜のフンイキを演出していた。
そんな森の音の他には、あたしがたてる音だけが、耳をかすめて通りすぎてゆく。固い土をブーツが踏む音。そしてつい今しがた、音になったあたしの声。
これ以上、ガウリイに優しくさせない。それがあたしの戦いの第一歩だったはずなのに。
なんで、しょっぱなからつまづいたんだろ?
「だいたい、あいつはヘンなところで鋭いのよね。依頼人との交渉とか、事件の真相の推理とかには、とことん役に立たないクセに」
しかも、本人がすでに開き直っているあたり、タチが悪い。
その分、こーいう面の鋭さに、磨きがかかっているあたり、なおさらタチが悪い。
気づかないでほしい。女子供に親切な彼は、きっと手を差し伸べてくるだろうから。
優しくしないでほしい。強がる気持ちが挫けてしまうから。
「あ〜あ、代わりの剣を探す、なんて、言わなきゃ良かったかも……」
そう口にしてから、しかしこれは逃げだと思い直す。
あたしは、逃げない。負けない。そう決めたんだ。
ガウリイと戦い、そして勝つ。
冷えた夜風が頬をなで、興奮した心を落ち着けてくれる。気持ちいい。
ちょっと欲張りすぎたおかげで、背中の荷物は重いけど、まあ妥当な範囲だろう。うん。
盗賊いぢめをして、おいしいものを思いっきり食べて、邪魔をするヤツは吹っ飛ばす。
そんなあたしを保つのが、今の戦い。
あたしは気合いを入れ直し、明日からまた頑張ろうと、気持ちをふるいたたせ――
「こら。二晩連続はいくらなんでも、やめた方がいいんじゃないのか?」
ぴたり。
聞き覚えのある声が、昼間と同じく、突然思考に割り込んできた。
怒りや侮蔑ではなく、呆れを含んだその響き。それも笑みが多分に混じっている。
あたしがおそるおそるあたりを見回すと、横手の樹の裏から、予想どおりガウリイが姿を現した。
「……なんでわかったのよ……」
「なんで、って。昼間、アメリアと物騒な話してただろ? アメリア、風呂に入ってたら置いてかれたって騒いでたぞ」
ちっ。聞いてないフリして、聞いてたのか。イヤなヤツ。
憮然とした表情で立ち止まったままのあたしに近づくと、ガウリイは手を差し出した。
「ほれ」
「……? なによ?」
「終わったもんは仕方ないからな。荷物貸してみろ」
「っ! 結構よ!」
言い捨てて、さっさと歩き出す。ガウリイは情けない声をあげながら、追いすがってきた。
「お、おいおい。なにを怒ってるんだ?」
そうよ。わからないわよね、あんたには。
わからなくて当然よ。戦ってるのは、あたしだけなんだから。
「いいから! これくらい、自分でっ……!?」
ぐらり。
視界が反転する。一瞬、耳に何の音も聞こえなくなり――
「リナ!」
切羽詰まった、彼の叫びだけが、ただ一つリアルだった。
空白の時間は、ほんのわずかなことだったらしい。
気がつくと、あたしはガウリイに肩を支えられていた。
大きな手から伝わる熱と意外な柔らかさが、やけに気になる。
「しっかりしろ! 大丈夫か!?」
「……ん……」
まだ頭の右がわに痛みをおぼえながらも、あたしは自分で立ち上がる。
どうも疲れと寝不足の状態で叫んだため、貧血を起こしたみたいだ。
もう一度、重い荷物を抱えなおそうとすると、ガウリイに奪われた。
「無理すんな。そんな身体で、どうしようってんだ?」
「……いいの。あたしが持つの」
「どうしてそんな、意地をはるんだよ……」
悲しそうな、ガウリイの声。
あんたこそ、どうしてそんな、悲しそうなのよ?
「あんまり心配させないでくれ。どうせお前、この間の戦いで無理したんだろ。なのに、なんでこんなムチャするんだよ。少しはオレを頼ってくれてもいいだろう」
だって。フィブリゾ相手にムリしないで、勝てるわけないじゃない。
それに、5人で旅するなんて、生活費がたくさんいるに決まってる。
だったらてっとりばやく、たくさん盗賊いぢめした方が、効率いいってもんじゃない?
あとは。
「……ガウリイに、負けたくなかったのよ」
口をついてぽろりと出たのは、いくつもあった説得力のある理由ではなく、一番隠しておきたかったホンネ。
あたしは内心あわてながら、人のホンネを聞くときは極限状態をねらえ、という話を漠然と思いだしていた。
ちらり、と上目づかいにガウリイを見やると、彼は思いもよらないことを言われ、呆気にとられた表情をしている。あ、なんかマヌケ面。
「……なんだ。そんなことか」
「そんなこと、って何よ」
あたしがどんな思いかも知らないクセに。
最後のチャンスなんだからね? あたしが勝つための。
「今さらだろ、そんなこと。オレはお前さんには勝てっこないよ」
「………………へ?」
今度はあたしの口から、マヌケな声がもれる。きっと、さっきのガウリイみたいな、マヌケ面をしていることだろう。
ガウリイは、晴れ晴れとした笑顔で、にっこり笑った。
嬉しそうな笑みが、優しい眼差しが、包みこむような声が、あたしの心臓を跳ね上げさせる。
「オレは、お前がいてくれないとダメだからさ。
オレじゃお前にかなわないってことだ」
たしかに甲斐性なしのガウリイは、あたしがいなくなったらのたれ死ぬかもしれない。
だからこれは、彼にとってはきっと当たり前のことなのだ。
頭の片隅で、冷静に分析する能力(ちから)は働いているというのに。
それでも、鼓動を速めた心臓は、まったく落ち着いてくれそうにない。
(そうか。たぶんこいつは今まで――……)
心が、スッと負けを認めてゆく。
もう、認めざるをえない。
(――こうやって、女を口説いてきたんだわ……)
最後の負け惜しみが、はるか遠くへ消えてゆく。
すでにチャンスはなくなった。
あたしの、完全敗北。
――どうやら、あたしは…………
ガウリイに、恋をしているらしい。