2004年11月
成田空港 → ミラノ空港 → ブリンディシ空港 → レッチェ 泊 何とかその日のうちにレッチェのホテルに入る。アリタリア航空の機内食は、質・量ともまあまあ。ただし、飲み物のバラエティに欠けるところあり? 夜中から一晩中、雷鳴が轟き、やむことを知らない。さすが大陸の気候か・・・。 |
サン・ピエトロ教会 |
レッチェ → オートラント → レッチェ 泊 土砂降りの中、オートラント観光に出発。オートラント観光中は土砂降りではないものの雨。 城壁の雨どいからは滝のように雨水が激しく流れ落ちていた。 大聖堂のモザイクの床が売り物=目玉商品なだけに写真・ビデオ撮影不可なのが旅行者としては残念。モザイクの床の絵柄の象はインド象、馬の目が親戚で飼っている犬の目に似ていてプリティ。(主観/笑) 各月の象徴的風景の模様を描いたものばかりか、アレクサンダー大王まであったのには驚いた。 写真撮影ができなかったので大聖堂で気に入ったモザイクの絵葉書を何枚か購入。 大聖堂からサン・ピエトロ教会へ。内部の12世紀(13世紀?)から脈々と描かれ続けてきたフレスコ画が見事。 |
オストゥーニを遠望 |
レッチェ → オストゥーニ → アルベロベッロ → シルバ・デ・ファサーノ 泊 本日も雨の旅立ち。 まずオストゥーニへ。オストゥーニでは迷路の自由散策。ただし、迷うのが怖いのであまりたくさんの脇道に入れなかったのが残念(^^;) 雨が降ったり、晴れ間がのぞいたりの忙しい天気。 |
カステラーナ・グロッテ |
シルバ・デ・ファサーノ → カステラーナ・グロッテ → ポリニャーノ・ア・マーレ → バーリ → シルバ・デ・ファサーノ 泊 カステラーナ・グロッテ(洞窟)がこの時期は午前中のみ見学可能なため、日程の順序を入替えて午前中、カステラーナ・グロッテ見学、午後、バーリ観光となる。 カステラーナ・グロッテは頭上の高さではベルギーのアンの洞窟を圧倒したが、全体的なスケールではややアンの洞窟に譲る感じか?洞窟内の温度が一定に保たれているので、歩いて奥に行くにつれて暑くなった。さまざまな建物や動物に見立てられた石筍や鍾乳石の数々が現れ、往復1時間30分余りの道のりが長いとは感じられない。最深部の“白の洞窟”は美しく、見事!の一言。 |
サン・ニコラ教会 |
バーリでは、まずは魚市場を覘く。午後なのでお買い物客はほとんどいなくて、お店の方が親切にいろいろお魚の説明をイタリア語でしてくださった。魚市場から見る港の景観にほっとする思い。 バーリは、う〜む〜、治安上の問題で一時も気が抜けなくて観光しててもイマイチ観光に徹しきれなかったかも・・・。サン・ニコラ教会は思っていたよりも大きくて見事だったけど・・・。 |
シルバ・デ・ファサーノ → マテーラ → アルタムーラ → マテーラ 泊 シルバ・デ・ファサーノから1時間30分程ドライブしてマテーラ到着、市内観光へ。 ベルベデーレ(展望台)から見るサッシ(洞窟住居)の重なりは人類の辿って来た足跡ともいえるもの。 サッシ群の中にあるサッシの教会のフレスコ画も何回も時代の変遷により塗り重ねられ、そのときどきの流行を反映した聖人の絵になっている。 ときの流れの中、サッシは20世紀初め、スラムとなり、スラム撲滅のため政府によりサッシの住民は街のアパートに大移動させられた歴史を持つ。そして現在、サッシを風化させることなく、サッシをサッシとして保存、維持するために資金を投じて、ホテル、レストラン、または自宅としてサッシを買い取る流れがある。20世紀初頭、スラムであったサッシ。しかし、21世紀、そこに住むことができるのは、サッシを維持できる余裕のある人々になっている。いつの日か再び、子供たちの声が響く、活気ある街になるのだろうか・・・・・・。 |
マテーラの展望台より |
ケレス神殿 |
マテーラ → パエストゥム → カプリ島 泊 早朝7時45分マテーラ出発、11時パエストゥム着のロングドライブ。 パエストゥムはギリシアの植民都市の衛星都市として築かれ、徐々にかつての母都市を凌駕し、繁栄を謳歌しながら、都市拡大のための森林伐採で地盤沈下を引き起こし、マラリアが伝染したため、都市そのものが放棄され、歴史の記憶から忘れ去られ、その姿を消した街。 捨て去られ、忘れ去られていたがゆえに、パエストゥムの遺跡は保存状態がギリシアの遺跡より格段によく、その姿を現在にとどめている。なので、超お勧め品。(笑) 遺跡の発掘は全体の1/5ほどだそうだが、遺跡の中に私有地がある上、遺跡の上に道路が作られ、さらには国立考古学博物館まで建設!!!されているので、その全容が解明されるか否かは??? 日程初の晴天で、晴れすぎてしまい、逆に写真撮影に苦労してしまった。 パエストゥム考古学博物館では遺跡からの出土品を見学。雨どいなのどオリジナルがそのまま展示され、間近で見られて面白かった。お目当ての「飛び込み男」の棺も十分に堪能。これは水に飛び込むのではなく、この世からあの世に飛び込むのを表現した絵なのだそうだ。納得。 遺跡、考古学博物館ともにフリータイムがなかったのが非常に残念。もっと好きに、好きなところを見る時間がほしかった。 |
終日カプリ島観光 カプリ島 泊 11月の入場(?)確率30%(くらいだったはず)の青の洞窟に入れました !(^^)! (^^)v (*^^*) これで旅行初日からの雷雨も雨も帳消しにしましょう。(笑) am8時30分ホテル出発。ホテルはマリーナグランデの目と鼻の先。9時からでないとマリーナグランデから青の洞窟への船が出ていないので、時間がもったいないということで、青の洞窟の近くまでバスで出動。駐車場から階段を数十段降りると、そこはもう青の洞窟まで数mの至近距離。青の洞窟に入るための小船が来るのをスタンバって待っているとマリーナグランデから青の洞窟へ入るための200人以上乗っていそうな船も到着。青の洞窟の中に入るために乗る小船が3艘やってきて、私たちのグループに1艘、船に2艘、割り当てられる。1艘の小船は6人乗り。私たちが待つ小船の乗船所からは乗るとすぐに青の洞窟に吸い込まれる。青の洞窟の中は平凡な語彙では表現しきれない神秘的なブルーの世界。おそらく中にいたのは1〜2分だろうが、くいいるように洞窟内のブルーを見つめた。幸せな気持ちでスーパー(*^^*)(*^^*) 揺れる船に乗っていたのはほんの数分だったので非常に助かった。マリーナグランデからの船に乗っていたら、全員が青の洞窟を見終わるまで、そこで乗っていなければならないので、私にとってはきっと顔面蒼白な世界だっただろう。ほっ。添乗員さんに心から感謝感謝。 |
青の洞窟 |
カプリ島 → ポンペイ → ナポリ 泊 朝、8時15分の船でカプリ島からナポリへ。この日は波があったため、か〜な〜り〜船が揺れてケロケロケロリンになってしまった。(@_@)(:_;)(@_@) ポンペイの遺跡は3時間近く歩き回った。以前に見た記憶のある風景はほんのわずかで、ほとんどは初めて目にするような気がした。記憶に埋没してしまったのか、広大な遺跡なので、前に訪れたときとは違うルートを歩いていたのかもしれないが、その辺も定かではない・・・。ガイドさんによって、ガイドしたい場所が違うのだそうだ。 牧神の家、悲劇詩人の家、ステファノの洗濯屋など、見たかった場所は網羅した。秘儀荘のポンペイの赤もよかった。 おまけ カプリ島からナポリへの高速船が揺れるくらいなので、この日は「青の洞窟へは入れなかったでしょう。」 とポンペイを案内してくれた地元ガイドさん。 ちなみに、3時間のポンペイ観光コースは上記のガイドさんいわく、「めったにない!Crazy!」なのだそうだ。だからこそ、ガイドブックで見て行きたかった所を網羅できたのだろう。そんなに長時間歩いている気は全然しなかった。普通は1時間くらいらしい。 |
ポンペイの遺跡 |
ナポリ |
ナポリ考古学博物館の見学時間は1時間弱で、必須な物を駆け足で巡ったのみで鑑賞した気分がイマイチ薄い。規模と収蔵品を考えると、2時間くらいのガイド付き見学+1時間のフリータイムが欲しいなぁ。ナポリだけでなくパエストゥムでも感じたけれど、遺跡や博物館での見学時間がもう少し欲しかった。遺跡・博物館大好き人間としては、食事の時間やスパッカナポリの散策時間を削ってでも博物館を彷徨っていたかった。 |