第1話「激動の時」


 D二十六年七月十八日、イリハ会戦。

 ドルファンイリハの黄塵の大地では、血で血を争う戦いが繰り広げられていた。

 既に側に勝利の色はなく、死者が一人、また一人と生み出される。

 そして、ここにも戦いがひとつ。

 

 

「くっ……そ…ぉ。畜生……」

 砂を頭から被り、男は膝を付いた。刃こぼれした無銘のバスタードソードを地面に突き刺し、ようやく肩から倒れずにいる。力が入らずに、血が滴る黒い革手袋は震えているのが自分でも分かった。

 ……砂漠の狼ヤング・マジョラムは既に自分が戦えない状態であることを知った。だが、それでも渾身の力を振り絞り、震える脚で立ち身の姿勢を作ろうとする。

 今にも死に絶えそうだというのに。

 ネクセラリアは鋭いが、深い瞳でヤングを制した。

 その瞳には嘗ての友人が映っていた。

「……もう立つなヤング。死に答えを見つけるのは愚者の見つける答えだぞ」

 ヤングは微動だに表情を変えない。目の前にある敵軍の将が持つ戟を見据えながら、掠れた声で言った。

「……違…うな……あ、ネクセラリ……ア。…俺は、傭兵、だ。ずっと、傭兵、自分の……答えと向き合っている……。俺は、俺の意志で立つのだ……。畜生、死んでなるもの……かよ、今の俺は……くそっ、死ねるか!」

 それ以上、力が入らずヤングは再び頽れた。

 乾いた大地の砂を噛む。

「ヤング……」

 ネクセラリアは旧友の姿を脳裏に捉えた。

 かつては、ヤングも自分も同じ傭兵。

 喜びも悲しみも分かち合い、生死を一緒に彷徨った。

 親よりも、兄弟よりも長い時間を共有した二人はただの他人では……。

 しかし……

 勢いを付けて、騎士ネクセラリアは獲物の戟を突きだした。

「先に、地獄で待っていろヤング……、死んだところで俺達の罪が許されるわけでもなかろうが……」

 ヤングは長い戟の半分近くがが自分の体を深々と抉ったのを、ゆっくりと感じた。

 彼は笑う。

 戦いから解放された安堵感……、そして約束を守れないことへの悲しみに包まれた、……しかし、安心しきった表情を見せた。

 いつの間にかセイル・ネクセラリアの頬を涙が伝っていた。死に行く友の、心臓から血をあふれさせる情景を凝視したまま………。それでも、彼は目を逸らす事は決してしなかった。

 虚空を見据えたまま、ヤングは最後の言葉を口から吐き出す……。

 それは誰に向けてか……。

「……、…すまぁぬ…、やく、そく、守れ、なかっ……た」

 二つの大陸と七つの国で戦い続けた男、ヤング・マジョラムは旧軍事地区イリハにおいて生涯の幕を閉じる。

 

 周囲を静寂が支配する。

 ドルファンで右に出るもの無しとされたヤング・マジョラムが一撃で殺されたのを見て、動ける人間はいなかった。

 真紅の鎧を纏ったネクセラリアは、高らかに吠えた。

「ふ、ふふ………さあ、誰だ。……誰だ! 疾風のネクセラリアの首をとらんとする者は誰か! 今なら容易いこと! 武勲を上げることが出来よう!」

 目が血走り、狂気の表情を湛えたネクセラリアは喉から絞り出すような声で叫んだ。

 だが、歴戦の勇士ヤングを屠った八騎将を眼前に、大概の兵は動かず。多勢を考えると、この疾風の騎士を倒すのはそう難しいことではない。それでも、口火を切るのにすら勇気がいる。決死の覚悟を決めたこの男を倒すなら、こちらの兵三分は確実に道連れにされるだろう。

 ネクセラリアは更に挑発する。

「アハハ、ドルファンの兵は皆、臆病者かぁっ! ヤングの敵を取りたくはないのか!」

 

 誰でもいい。

 何人でもいい。

 俺と戦え。そして俺を誅せ。

 ネクセラリアは半分、狂乱していた。部下はもう残り少なく、この場から逃げることもままならぬことは、とっくに知っている。

 

「俺が、相手になろう」

 敗残の将は声のした方向に顔を向けた。

 そこには黒髪のまだ幼い印象がある少年が立っていた。

 気持ちが高ぶっていたネクセラリアはいささか拍子が抜けた。

「今のは、貴様かぁ? 戦場は子供が出しゃばる処ではないぞ……早く、帰るんだな。貴様には母もあろうに!」

 親の顔を知らないネクセラリアは左腕を払った。檄が空を切り裂き、鋭い音を立てる。

 それに対して、少年は凛とした、だが柔らかい声で断言した。

「一度、戦いに身を置けば誰であれ命を賭して望むのが兵の道というもの。命が惜しいのであれば斯様な場所にはおらぬ」

 妙な、独特のなまりがあった。少年が大陸の人間ではないことを、ネクセラリアは直感的に見抜く。そして、少年の顔をまじまじと見つめ、あることに思い当たった。

 その時、初めてネクセラリアは冷静になれた。

「……名を聞いておこうか。少年よ」

 見たことある。

 これは俺達と同じ瞳だ。

 戦いの中にしか意義を見つけることができない。

 孤独な戦士の瞳だ。

「蓮也……柳生蓮也」

 少年は言った。

「レンヤ……、か」

 哀れみが一端混じった声でその後を続ける。

「万一、万一貴様が生き残ることができたなら、ヤングの妻に伝えろ。『ヤングは疾風のネクセラリアと差し違えた』と。……貴様が俺に勝てたらの話だがな」

 蓮也は問う。

「知り合いか?」

「ああ」

 ネクセラリアは頷いた。

「……承知した」

 蓮也は鞘から刀を抜刀した。

 

 

 シーエアー区のはずれにある教会。

 ライズは一人、建物の裏で大木に寄りかかっていた。

「………セイル・ネクセラリアが殺されました」

 木を境に背中合わせに長髪で彫りの深い顔の神父が呟いた。

「……そう」

 無表情。彼女には表情がない。

 長身の神父は微笑むと、言葉を続けた。

「死ぬ間際に奴はただの傭兵に戻ったとか。うふふっ、騎士の誇りはどこへ消し飛んだんでしょうか?

 そして、ネクセラリアを倒した相手はあなたよりも年下の少年というから驚きではないですか……」

 ライズは動かない。

「眉唾ですがね」

 くくくっ。木の反対側から耳障りな笑い声がライズの耳に付く。

「名前は?」

「最近ドルファンの傭兵になったばかりの新参者です。わずか十五歳の……レンヤとか」

「十五歳? ネクセラリアが十五歳の少年に遅れをとったのか?」

 初めて、ライズの表情が動いた。

「意外でしたか」

「……面白い」

 すぐ近くで足音が聞こえた。

「神父様」

 教会のシスター、ルーナだ。

「誰か、そこにいらしてるのですか?」

 神父の横目にシスターの姿が見えた。

「いいえ。誰もいませんよ」

 ほら、とあたりを示す。

「あら、誰かの声が聞こえたと思ったのに」

 ライズの姿は消えていた。

「シスターは連日の仕事で疲れていらっしゃる。今日はもうお帰りになった方が良いでしょう」

 ルーナは顔を赤らめて、被りを振った。

「い、いいえ。心配いりません。神へのお仕えに休息の時間などもったいない……」

 

「シスター」

 

「はい」

「休みなさい」

「……分かりました」

 教会の中へと戻って行くルーナの白い修道着を身ながら、神父は愉快そうに笑った。

 

 

 ヤングの遺品を渡されたクレアはその場で泣き崩れた。

 

 苦手だ。

 残された者……を見るのは。

 歴戦なれど

 あたかも、初老の域に入るかに見える男が冷たく言い放つ。

「ヤングのことは、残念だったな。しかし、戦場で死ねて奴も本望であろう」

 床にへたり込むクレアに容赦のない言葉を浴びせる。クレアは大きく肩を震わせている。

 

「口の聞き方を知らぬようだな」

 黙っていた蓮也が口を挟む。

 メッセニは目を細めて蓮也を見た。

「傭兵風情が……子供は黙っていろ」

 その一言は禁句だ。頭に血がのぼる。

「か…んけいないだろう」

 メッセニは鼻で笑い飛ばした。

「怒ったか、一著前に」

 激高した蓮也はすんでのところで剣を抜きかける。柄に手をかけた。

 途端に周囲を五人の近衛兵に取り囲まれた。

「………」

 ゆっくりと柄から手を離す。この国の兵は弱い……別に切り捨てても良かったが。

「抜かんのか?」

 眉間にしわを寄せたメッセ二がいやらしく問いかける。

「…………」

 駄目だな。

 この程度のことで腹を立てては。

「……メッセニ、口が過ぎます!」

 謁見室に現れたのは王女のプリシラだ。

 気丈な少女の言葉には少々、怒気が含まれているのが分かった。

 形式ながら、メッセニは軍人の家系だ……最敬礼。

「はっ、申し訳ありませぬ」

 プリシラは溜息を吐くと、クレアと蓮也に深々と頭を下げた。

「ごめんなさい。部下がとんだそそうを」

 刃傷沙汰になるところを上手く、収めたプリシラであったが、蓮也が吐き捨てたのは礼ではなかった。

 鞘から手を下ろすと、冷たく言い放つ。

「王女が簡単に頭を下げるもんじゃない」

 プリシラは何を言われたか分からなかった。

「主たる王の娘が謝る時は、よく相手を見てから。少しでも付け入る隙を与えると、立場の均衡が崩れてしまう。……王族には王族の、不文律だが、確かな帝王学が存在するのだ」

 自分の生国であったならば、と蓮也は言う。そんな王はすぐに取って代わられている。

 いや、死ぬべきだ。

 まだ幼い蓮也の顔は険しい。ドルファンに来てから彼は冷たい表情をすることが多い。一見、柔和な、優しい顔の少年であるため、そのつらにくさといったらない。

 あたし、ひょっとして、説教されているの? この子に?

 プリシラは真っ赤になった。

「貴様、なんて口のきき方をするのだ!」

 憤ったメッセニが勢い良くレイピアを抜き放つ。

 慌ててプリシラが止める。

「やめなさい!」

 鶴の一声。

「あなた達、一体クレアの気持ちを考えて?」

 

 

 ……まだまだ、俺には修養が必要だな。

 メッセニの挑発に乗った自分を恥じ、レンヤは宿舎への道を辿りながら考える。

 若き師は言った。

「お前に必要なのはとりあえず愛、だな」

 平常心なら分かる。兵には絶対に必要なものだ。

 しかし……。

「愛?」

 くだらない、と蓮也は思う。

 やれやれ、まるで分かってないな。と肩をすくめ、師はレンヤの頭を軽くこづいた。

「もっと、年相応の、人間らしい生き方があってもいんじゃねーか」

 当時、蓮也は十一歳であった。

「柳生家の跡取りとして剣に生きるのも良いが、それだけの人生って、つまらねえぞ。お前はどうも冷静沈着すぎる。時には驚くほど冷酷だ。柔らかさってのがまるで足りてねえ」

 そう言うと男は口にくわえた蔓を上げて、夕暮れ時の風景を眺めた。

 この人は何を見ているのだろうか。

 それが知りたかった。

「……男だったら、大切な人を見つけてだな」

「見つけて?」

「命がけで守れ。蓮也」

 

「それが一体何の役に立つんだ」

 愛とは何だ。

 所詮まやかしではないのか。

 

 考え事をしながら歩いていたのが良くない。

 ドルファン学園の入り口で、女の子とぶつかった。

 互いに、とっさに避けたつもりだったが、女の子は勢いあまって地面に転びそうになる。

「きゃっ」

 蓮也は瞬時に女の子の手を捕まえて、引っ張るが勢い止まらず。折り重なるようにして倒れ込んだ。

 間近で二人の吐息が重なる。

 女の子は息をのんだ。

 少年の顔があまりにも幼く、綺麗だったから。

「あなた……傭兵?」

 蓮也は軽く、頷いた。

 

 ライズ・ハイマーとの出会いは、それが最初であった。


<あとがき>

どうも、はじめまして、七つの海と申します。

きらめき書房というときメモサイトで、SSを投稿させて頂いております。そこで恋愛小説を書いている間に、なんとなく書いてみた「みつめてナイト」の小説をどこか乗せる場所ないかな〜と、管理人さんに相談したところ、ここを紹介されました。

で、試しに載せてみたくなったです。

さて、遅筆な作者でございますが、ゆっくりと行きましょう。

でわ、第二回目でお会いしましょう。

僕の書いている小説に興味がある方はきらめき書房で読んでみて下さい。内容も書き方も全然違いますけど……。


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