1隻の貿易船であろうか、長い航海を終え港に停泊している様子で船員達は次の航海の為の準備に追われている。
その船の中の一室において
20歳程度の東洋人の女性がいる。黒髪黒眼、髪の長さは肩にかかるぐらいで独特の民族衣装を着ている。
彼女の名は「カグラ サクヤ」手には古い日記があり。それを机に置く。
その部屋は机と椅子、そしてベッドだけがある部屋であった。
物が散らかっているわけではない、ただその部屋は暫く使われてないらしく至る所に埃がたまっている。
この部屋を定期的に掃除をするのが彼女の習慣になっていた。
彼女はその部屋の掃除を終えると、部屋にある椅子に腰をかけた。
「最後に会ったのは従兄様が18の時か…。もう4年近く会ってなかったのね…」
サクヤは小声で言いながら、机の日記を手に取り開き出す。どこか寂しそうな顔をしている。
これはサクヤの父の日記である。父が亡くなった時、遺品の整理をしている時にサクヤがたまたま見つけたものだった。
「父が残していた、従兄様に関する数少ない記録…」
もともと古い日記ではあったが、サクヤが何度も開き、飽きるほど読み返していたので非常に傷んでいる
分厚いぼろぼろの日記にはわずか数ヶ所に印がつけてあり、そしていつものことのように日記に目を通す。
「妹が嫁ぐことになった、相手は日本国の重臣にあたる家の若き当主で、フジイ リュウヤといった。
日本国人と西洋人の混血である自分と妹、特に妹は母似で金髪蒼眼であったから
普通の生活が送れるかどうか不安であった。
後日妹からの手紙が届き、内容からして幸せな生活を送っているようで、自分も正直に嬉しい」
「某年11月13日、嫁いでいた妹が男児を出産、その子供には「マサト」と名づけられたそうだ。
しかし妹は病を患い、数日後入れ替わるように命を落とす事となってしまった」
「マサトが初陣に出て手柄を立てたとの報らせが入る、まだ10歳にも満たない子供であるはずなのに。
戦場に立つのは早すぎる気もするが大したものである。自分も甥の将来が楽しみだ」
「マサトが12歳の時、日本国で内乱が起こりマサトの身の安全の為、義弟から預けられることになった。
その数日後、義弟は罪なき罪をかぶせられ、見せしめとして処刑されてしまう。義弟と甥が不憫でならない」
「甥の顔をはじめて見ることとなる。黒髪だが眼の色が妹に似て蒼色の眼をしていた。
またマサトには自分には見えないものが見えるらしい。
そういえば、妹もそうだった。幼いときそれで極度に怯えることがあったり、泣きつかれたのを覚えている」
「甥がこの船で生活することになり娘が甥になついている。
同世代の子供がこの船にはいない為、それが自然ともいえる。
娘が最近明るくなってきた、自分も妻に早く先立たれたるし新しい家族が必要なのかもしれないと思い
養子の話をマサトにかけたが断られてしまう」
「養子の話から数日後、マサトが剣の修行の為、大陸に渡ることを願い出た。当然初めは反対だったが、
マサトの決意が固かったこともあり、年に1度数日でもいいから、この船に戻ってくることを条件にそれを許した。
マサトがこの船を去った後サクヤが泣いてばかりいたのは参った。また甥の部屋はそのままにしておくことにする」
「マサトが船を去って1年後、送り出した港に滞在中、約束どおり戻って来た。その時のサクヤの喜びようは
言葉では言い表せないものだった。仕事で別の港に向かいマサトはその港で降りる。しばしの別れである」
「マサトが毎年のように船に戻ってきた。
すでに17歳になっていて近い内に18歳の誕生日を迎えることになっていた。
サクヤがそれを祝おうと提案した。マサトは提案を受け入れたが、どんな心境で受けたのだろう」
「次の日マサトが1人で海を眺めている所を見かけた。表情はとても厳しいものであり、
大陸でも辛い経験をしている事は容易に想像できたが内から出てくる悲しみも感じられた。
私はマサトに声をかけ、初めて妹の話題を出した。マサトが妹の事を聞くようなことはなかったし、
自分もあまり触れたくなかったので口に出さないでいた。
しかしマサトは自分の母についてはほとんど知らされてなかったらしく、
普段感情をあまり表にだすことのない甥だがその時ばかりは明らかに違うものだった」
「自分に知っている限りでマサトに妹の事を話すと同時に、ドルファン王国の存在を教える。
この国は自分と妹の母の国であり妹はこの土地で生まれ、わずかな期間であるもののここで生活していたからだ」
「マサトの18歳の誕生日を、皆で祝いささやかな宴を行った。
マサトはこの船に別れを告げ、ドルファンに旅立つ事を告げた。
きっと言うだろうと思っていた。今までよりずっと長い旅になるだろう。
旅立ちの日、餞別として路銀と1振りの刀を渡し、
お前は私にとっても息子であり、何時でもここに帰ってきても良いと言葉をかけた。甥は深々と頭を下げた。
甥の頬に伝わるものがあった。それは私が見た初めての、そしておそらく最後になるであろうマサトの涙だった」
「マサトと最後に別れてから2年、自分はもう長くはないであろう。
サクヤのこれからとマサトからの連絡がないのが心残りである。
あの時、養子ではなく許嫁の話にしておけばなどと、どうでもいいような事を考えるようになった。
長い間日記をつけてきたが、今日で最後にしよう。これからの自分の病状の経過を記録するのは気が引ける」
そのページを境に後のページには何も記されてはいない。マサトからドルファンに到着したという手紙が届いたのは、
サクヤの父が亡くなった数日後の事で傭兵として生活することになったという内容であった。
日記を閉じサクヤは懐からある1通の手紙を取り出した。その文面にはこう記されている。
親愛なる叔父上へ
私がドルファンに着いてから1年と少々がたちました。さしたる怪我もなく元気でやっております。
昨年行われた初戦、そしてつい先日の戦において手柄を立てることも出来たのですが、
その先日に叔父上から預かった大切な刀を折ってしまいました。
長い間、この刀に助けられた感謝と、折ってしまった事の謝罪がこの手紙を書くきっかけになりました。
ここで困った事が起こりました。代わりの刀についてです。
かの地では刀を購入するには、刀の数が非常に少なく手に入りずらいだけでなく、
質の良いものも見つからず、また大変高価な物でもあります。
現地で刀を作ろうとも思ったのですが、当然日本刀を打てる鍛冶屋など見つからず、
自分が場所を借りて打ってはいるのですが、うまくいきません。
自分は刀剣鍛冶の真似事もできるのですが、作った刀の強度がもろいのです。
出来たものは預かった刀に遠く及ばないものばかりでした。
原因は現地で調達する鉄の品質であり、精錬、加工の技術はこちらの方が優れていると感じました。
ゆえに刀ではなく良質な鉄鉱が必要になりました。
長年連絡もよこさず、非常に手前勝手なこととは存じますが、
叔父上に材料の調達をお願いしたく手紙を出しました。最後になりますが、叔父上もお身体にお気をつけ下さい。
ここでの傭兵生活が終わった暁には、叔父上のあの時の言葉に甘え、戻ってくる所存です。
追伸:サクヤは元気にしてるでしょうか?あまりかまってはやれず、従兄として失格ですが、
自分も元気で暮らしているとお伝えして頂けるとうれしく存じます。
ドルファン暦27年5月某日 フジイ マサト
彼はまだ、叔父が1年以上前に亡くなっている事を知らない。ドルファンに到着した連絡の手紙の返事や
この手紙の返事で知らせることは可能だったが、サクヤはあえてそれをしなかった。
手紙の返事には代理として請けたわまった事と届ける予定日しか書かなかった。
自分が直接訪れることなど当然隠している。
父が亡くなっている事を直接話すべきだと考えていた。それ以上にサクヤ自身がマサトに会いたかったのだが、
従兄の立場、そして自分の立場を考えるとなかなかそれが出来なかった。
不謹慎ともいえるがこの手紙が会いに行く格好の口実になった。
「サクヤお嬢様、こちらでしたか」
1人の船員が声をかけてきた。ふと我に返り。
「もうそのお嬢様というのはなんとかならない?それで一体どうしたの?」
サクヤは不機嫌に答える。
サクヤは父の跡を継ぎ、すでに商船団の当主になっているのだ。サクヤ自身、自分でも良くまとめていると思う。
「申し訳ありません、サクヤ様。積荷の作業が終わって出航の準備が整いましたのでお知らせにまいりました」
「そう、わかったわ、ご苦労様。皆に伝えて。次の目的地はいよいよドルファン港だと」
「かしこまりました」
船員は返事をし、奥へと消えていく。また1人きりになり
「あと数日の航海でドルファンか…もうすぐ会えるけど従兄様はどんな顔をするのかしら?」
サクヤは複雑な表情でつぶやいた。そして彼女は主のいない部屋の扉を閉め、鍵をかける。
出航の合図が鳴り、船は港を離れて次の目的地へと向かっていく。
ドルファン暦27年、すでに秋であった。