その日は午前中で訓練が終わり、アルバイトも休みということで、ケイゴはカミツレ地区に足を運んでいた。
気を練るための訓練をするには、喧騒のある街中よりも静かで自然に恵まれた所の方が、心を無にしやすいのだ。
化学汚染で奇形化した森の中で瞑想、高原近くにある滝に打たれるなど、母国流の修行を終えた帰りに、ケイゴは燐鉱石の採掘現場を通りがかった。
燐鉱石とは街灯などの燃料として使われている鉱物で、その需要は欧州において一般家庭から国の公共施設まで広く及んでいる。
ちなみに燐鉱石の採掘で一気に名を上げた新興財閥のリストには、ザクロイド家の名前も入っている。
その現場にふと目を向けると……
ソフィア「……よいしょ……よいしょ……」
ソフィアが作業着を着て、重い土砂をリヤカーで運んでいた。
女の子だからだろうか、リヤカーは揺れ、いつ土砂が落ちてもおかしくなかった。
様子を見ていたケイゴと、彼女の目が合う。
ケイゴが見ていたことに気づいた途端、びっくりした拍子にリヤカーごと転んでしまったかと思うと恥ずかしさが込み上げてきたらしく、顔を真っ赤にしてその場から走り去ってしまった。
ケイゴ(悪いことをしてしまったようだな……)
後味の悪い気持ちで、ケイゴはその場を去った。
夏の日の夕焼けは遅い。
赤橙の空を下にして、ソフィアは歩いていた。
今日は散々だった。
ケイゴに恥ずかしい所を見られてしまったし、現場監督にもこっぴどく叱られてしまった。
男性主体の力仕事の現場で、女の子が働くのは勇気もいるし、体力もいる。
そのためか、失敗が多く、その都度頭を下げなければならなかった。
それを心配して、優しい声をかけてくれる同僚のおじさんや同年代の男の子もいるが、それは少数だ。
大抵は「仕方なく置いてやってるんだ、いつでもクビにできるぞ!」とソフィアのことを邪魔扱いしている。
それが嫌だとは思うが、父親の借金の返済を早く終えるには、こうした賃金の比較的高い肉体労働をする他ない。
セリナリバー駅を出ると、入れ違いにケイゴがやって来た。
ケイゴ・ソフィア「あ……」
二人はお互い何て言ったらいいのかわからずに、その場で立ち尽くす。
が、駅の真ん前にいつまでもいる訳にも行かず、近くにあるベンチに腰を下ろした。
ケイゴ「さっきはすまない。驚かせるつもりはなかったんだが……」
ソフィア「いえ、私の方こそ、お恥ずかしいところをお見せしてすみませんでした」
お互い謝ったところで、再び沈黙する。
二人には、この沈黙がとても長いように思えた。
一秒過ぎるのも、遅く感じるほど長いように思えた。
ケイゴ「……ところで、明日は暇か?」
開口一番、ケイゴはそう言った。
もしかして、とソフィアは思った。
ソフィア「はい。明日は特に、何もありませんし……」
期待を胸に膨らませて、ソフィアはケイゴの顔を見る。
ケイゴ「なら、高原に行こう」
予想は的中した。
ソフィア「はい」
はにかみ顔で、ソフィアは答えた。
翌日。
ケイゴ「よりによって、遅刻するとは……不覚!」
昨夜寮に帰った後、仕込みを頼まれて夜遅くまで食堂にいたのだ。
軽く睡眠を取ろうと思ったのだが、起床予定時刻の七時から一時間遅れてしまった。
ピコ「それは、君が悪いんでしょう?文句言わないの!」
焼いたトーストを口にくわえながら疾走するケイゴを、ピコが諌める。
ケイゴ「俺のことを相棒だと思うなら、起こしてくれてもいいと思うが?」
ピコ「自分のことは自分で管理しろっていつも言ってるくせに……」
ケイゴ「……」
ピコに突っ込まれて、ケイゴは何も言わなくなった。
その時、彼はこう思った。
ピコには敵わん、と。
急いで近くの駅の馬車に乗り込み、慌ててレリックス駅を飛び降りる。
待ち合わせ場所に指定した銀月の塔の前に、果たしてソフィアがいた。
ケイゴ「遅れてすまない」
ソフィア「いえ、私もついさっき来たばかりですし」
ケイゴ「そうか」
彼女が遅れてきたことを気にしていないのに、ケイゴは感謝した。
ケイゴ「とりあえず、展望台にでも上ろう」
展望台からの景色は爽快だった。
首都城塞の隅々まで見渡せるこの銀月の塔は夜になるとデートスポットに変化する。
夜空に浮かぶ星々のように明かりが街を灯し、幻想的な雰囲気を醸し出す。
ロマンチックな夜を楽しみたい恋人たちにとってこれ以上な場所はないだろう。
ソフィア「あの、ケイゴさん」
ケイゴ「ん?」
ボーッと空を見上げていたケイゴは、隣に寄り添っているソフィアに顔を向ける。
ソフィア「ドルファンってどう思います?」
ケイゴ「……いい場所だ。俺はそう思っている。それがどうかしたか?」
ソフィア「いえ。外国の人にそう言って貰えたら嬉しいなって、そう思っただけですよ」
ケイゴ「なら今、嬉しいか?」
ソフィア「はい」
当たり障りのない会話。
ケイゴはそれに安らぎを覚えた。
最も、彼が安らげるのは、こんな平和な会話をしているという理由だけではないが。
塔を降りると、ハンナとギャリックという、変わったカップリングの二人が声をかけてきた。
ハンナ「ヤッホー。あれ、もしかしてお邪魔だった?」
ケイゴ「……まぁ、どちらかというと、そうかもな。ところでどうした?ギャリックと一緒とは珍しい」
ギャリック「んなこたぁどーだっていいじゃねーか。それより、耳寄りな話があるんだよ!」
と、調子よくケイゴとソフィアの肩に手を乗せ、交互に二人の顔を見る。
ソフィア「み、耳寄りな話って、何なんですか?」
ちょっとギャリックに引き気味な様子のソフィアが尋ねる。
ハンナ「あそこの森林地区のことなんだけど……」
要はこうである。
最近、森林区で黄金虫なる生物が出現したという噂が広まっており、その目撃例も少なくない。
調査のため捕獲しようとしたのだが、あまりに素早くて捕獲できない。
そこで、この黄金虫に懸賞金をかけることにした。
ケイゴ「それでその黄金虫を捕まえに来た、ということか」
ハンナ「ねぇ、二人も一緒に探そうよ。もちろん、賞金は山分けということで」
ハンナの誘いに、ケイゴとソフィアは顔を見合わせた。
ケイゴ「ソフィア、どうする?お前がいいと言うのなら、構わないが」
ソフィア「私も、ケイゴさんがよろしかったら」
ギャリック「よーし、決まりだな!そんじゃとっとと行こうぜ!」
半ば強引な形で二人を加え(?)黄金虫捕獲隊は、目的地を目指した。
薄暗い森林区での中。
メルヘンチックの『メ』もない不気味な雰囲気が、ここの特徴だった。
何でも、化学者の女性がこの森に住み着いてから森の植物の奇形化が始まったらしい。
そのため、その化学者は魔女だと言う者もいる。
ハンナ「……何か、怖くない?」
ソフィア「……そうですね」
二人はケイゴの両脇にぴっとりとくっついていた。
ギャリック「なぁ……何で俺じゃなくてケイゴにくっついてんだ?」
不満げに声を洩らしているのはギャリックだ。
両手に花のケイゴを恨めしく見ている。
ハンナ「だって、ギャリックよりケイゴの方が頼りになるもん」
ギャリック「ぐっ!」
キツイ一言が、彼の心を無慈悲に突き刺す。
が、すぐに再起すると、ソフィアにドアップで迫った。
ギャリック「ソフィアちゃんはそうは思ってないよね!ねぇ!」
完全に媚びを売っている。しかし、
ソフィア「私も、ケイゴさんの方が……」
ギャリック「……」
もはや声は出なかった。
ケイゴ(……哀れだな)
完全に意気消沈してしまったギャリックの背を、ケイゴは同情するでもなく見た。
ギャリック「はぁ〜あ。な〜んで俺ってこんな扱いばっかなんだろう……って痛っ」
真下を見て歩いていたためか、何かにぶつかった。
顔を上げると、そこには大きな熊が……
ギャリック「!何でこんな時期に熊公が出てくんだよ!」
ケイゴ「知らん!俺に訊くな!」
ソフィア「きゃっ!」
ハンナ「うわぁっ!」
ケイゴ「あまり喋らん方がいいぞ!」
ギャリック「舌噛むぜ!」
ケイゴはソフィアを、ギャリックはハンナを抱き抱えると、それぞれ別方向へ跳んでいった。
ギャリック「……はぁはぁ、ここまで来ればもう追って来ねぇだろ」
奇形化して、腰を下ろせるようになっていた木の根元にギャリックはへたれ込んだ。
ハンナ「大丈夫?」
ギャリック「何ともねぇよ」
と、虚勢を張るギャリックだったが、
ハンナ「でも、いくらなんでも邪魔だからって……」
逃げてきた道の木の枝が薙ぎ払われて地面に落ちている。
枝が邪魔だったため、ハンナを左肩に担いで『バハムートティア』で枝を切り落としたのである。
ハンナ「これって立派な自然破壊だよね」
ギャリック「……以後気をつけます」
気が抜けたのか、ギャリックはバッタリと後ろに倒れた。
森の木の葉が擦れ合い、波のような音が静寂を支配する。
ギャリック(ふ〜ん。樹海とはよく言ったもんだぜ)
と呑気に木に囲まれて見えなくなった天を見上げていると、木の幹で何かが光った。
何だろうと思って、目を擦る。
すると、それはまた光った。
ギャリック「おい、ハンナ。あそこ見ろよ」
ハンナ「え、何?」
彼の指の先に、全身が黄金の虫が木の幹に止まっているのが見えた。
ハンナ「間違いない……黄金虫だ!」
賞金ゲットの夢が、一歩近づく。
いても立ってもいられなくなったハンナは、黄金虫のいる木を登り始めた。
ギャリック「おいおい、大丈夫か?」
ハンナ「大丈夫、大丈夫」
心配するギャリックを余所にどんどん登っていく。
すると、自分に迫り来る者の気配を悟ったのか、黄金虫は横に伸びている枝に移動を開始した。
ハンナ「こら、待てーっ!」
彼女も枝の上に乗っかって、黄金虫を追い詰める。
そして、獲物を掴みかけた瞬間、枝がハンナの体重を支えきれず折れた。
元々、あんまり太くなかったそれは、彼女が乗ったときは既にミシミシと軋んでいたので当然の結果だった。
ハンナ「きゃあああっ!」
ドシンッ!
ハンナ「イテテテテテ……」
ギャリック「ホラ、言わんこっちゃねぇ。大丈夫か?」
ハンナ「うん」
ギャリックに引っ張り上げられて、ハンナは何とか立ち上がる。
ギャリック「んで、黄金虫はどうした?」
ハンナ「……ああ、ごめん」
沈んだ顔で、右手を開いた。
そこには、潰れて動かなくなった黄金虫の姿があった。
ギャリック「……まぁ、お前が大怪我するよりゃマシだろ?別の奴探すぞ!」
ハンナ「……え?あ、ちょっと待ってよぉ!」
一瞬ポカンとなったハンナだったが、もうギャリックが行ってしまったことを悟ると大慌てで彼の跡を追った。
一方、ケイゴとソフィアはというと、森林区を抜けて高原に出ていた。
ケイゴ「紆余曲折はあったが、ようやく高原に来れたな」
ソフィア「ええ……ところで、ハンナさんたち、大丈夫でしょうか?」
ケイゴ「ギャリックがいるから、とりあえず心配する必要はないだろう。今頃は黄金虫を血眼になって探しているだろうな」
ソフィア「そうかも知れませんね」
クスッとソフィアが笑う。
その時、涼しい風が高原を吹き抜け、草花を、ソフィアの髪を撫でる。
ソフィア「風が気持ちいい……」
ケイゴ「……」
風に吹かれているソフィアは、髪を掻き上げる仕草や表情が艶やかで、大人っぽいけれどどこかあどけなさのあった。
そんな彼女の姿に、ケイゴの目は釘付けになる。
ソフィア「ケイゴさん。私、よくここに来るんです。こうして風に吹かれていると、嫌なことを忘れられるんです。辛いときも悲しいときも……でも、生きててよかったなって思ったこともありました。特に、ケイゴさんが来てから……」
ソフィアの目は、真っ直ぐケイゴを見ている。
ソフィア「……あなたに会えて、よかった……」
ケイゴ「……ソフィア」
ケイゴは、ソフィアに愛しさを覚えた。
彼女の事情は知っている。
けれど、それを押し潰すかのように、彼女への想いが募ってくる。
見つめるだけしかできない自分に苛立つが、今の自分でかこれが精一杯だった。
それを理解しているのかどうかはわからないが、ソフィアも彼の気持ちに応えるように笑っている。
二人の間を、優しく風が包み込んだ。
日も暗くなり、一緒に帰ろうと二人でレリックス駅に向かうと、くたくたになったハンナとギャリックの姿を見つけた。
ケイゴ「どうだ?黄金虫とやらは捕獲できたのか?」
ギャリック「ああ。結局捕まえ損ねちまってな……このザマだ」
ハンナ「ホントに、骨折り損のくたびれ儲けだったよ……」
潰してしまった一匹目以降全く見つからず、ただ不気味な森の中を歩きまわっただけだった。
こうなってしまってはもう笑うしかない。
その笑っている姿を見ていると惨め極まりない。
ソフィア「お気の毒に……」
ギャリック「そーいや、お前らはどうだったんだ?」
ケイゴ「それが、逃げている内に高原に出てしまってな」
ソフィア「それからはずーっとそこで風に吹かれてました」
気恥かしいのか、ソフィアはおろかケイゴまで、顔を赤くする。
ギャリック「……高原で風に吹かれてたって、お前らホントにプラトニックだな。ケイゴ、どーせならそこで張り倒……フギャッ!」
ギャリックは突然後頭部を殴られ、昏倒した。
隣では、ハンナがいつの間にか手にしていた鋼鉄製のハリセンを投げ捨てたところだった。
ケイゴは、何でこんな南欧の地にそんなものがあるのだろうと思ったが、訊くのを取り止めた。
ハンナ「こんなバカ放っといて、帰ろ」
夕焼け空の下に馬鹿が一人取り残された。
その後、黄金虫は森林区を汚染している化学物質の影響で突然変異したゴキブリだということがわかり、ハンナがショックのあまり一週間ベッドで寝込んでしまったことを追記しておこう。
後書き
今回、ハンナが貧乏くじを引いてしまいました。
ギャリックも結構損な立ち回りしてたけど、やっぱりハンナが一番損をしたような……
まぁ作中だと知らぬが仏のようですが。
しかし、何で鋼鉄製のハリセンを、なんで彼女は持ってたんでしょうか?
千鳥さんじゃないのに。
さて、次回はどうしようかな……
ハッ!……キラーン。
覗きって方向で行きましょう。
地中海のビーチの条件(注・必須)。
青い空、白い砂浜、透き通った海。
そして……水着のオネーチャンたち!!(最重要・最優先)
って最後のいらんだろ!<あ、そう?byギャリック
邪魔が入りましたが、海っていいですよね。
ではさいなら。