第十五話 「交錯のひととき」


 

 シュン・カタギリは街道の中ほどで馬を止めると、一休みする事にした。

 道端に転がっている倒木に腰掛けると、通り掛った村で買ったパンと水を口に運ぶ。

 二日間に渡って馬を走らせたので心身共に疲れきっているのだが、それでもあと半日ほどで目的の場所に到着する。そう考えると幾分気分も楽になった。

 シュンの目的地とはテラ河河口にある港町、コーグであった。この地を半月程前からヴァルファバラハリアンの一部隊が占領していると言うのだ。

 

 シュンにコーグ偵察の任務が下ったのは四日前の事だ。

 街に潜入し、ヴァルファの目的をできるだけ正確に掴めと言うのだ。

 仮にヴァルファの目的が船を使った海路からの首都城塞侵攻であるなら、事は重大である。

 コーグは商業用の港町である為、そこに停泊している船も商船や個人所有の漁船が中心である。仮にそれらの船を徴収して即席の船団を編成したとしても、ドルファン海軍の海上防衛ラインを突破するのは難しい。よしんば何とか防衛網をすり抜けたとしても、首都城塞に海上から近付けば岸壁に備え付けられたズィーカー砲から雨霰と砲撃を食らう事になる。不審船の接近は事実上不可能だった。

「じゃあ、僕が偵察に行く理由って何ですか?」

 シュンは目の前に座っている傭兵部隊隊長のリヒャルト・ハルテナス中尉に尋ねた。彼がシュンを呼び出したのだ。

 そのシュンの質問に対し、リヒャルトは報告書を見ながら答える。

「要するに保険だ。連中には稀代の策士と言われる『幽鬼のミーヒルビス』がいる。もしヴァルファが海上から接近するのに気を取られてる隙に陸上から別働隊の接近を許せば、それこそ官民を問わずドルファンは大混乱に陥るだろう」

「成る程」

「それともう一つ」

 リヒャルトは顔を上げて、少し苦い表情を作る。

「もし仮に王城がある首都城塞にヴァルファの接近を許せば、たとえその後で敵の殲滅に成功したとしても軍の威信は失墜する。上層部の連中はそれが恐いのさ」

「……はあ」

 リヒャルトの言葉に、シュンはやや呆れながら頷く。

「それに、お前なら全力で走れば馬よりも速く走れる。いざと言う時にも逃げ切れるだろう」

「分かりました。明日の朝、コーグに向けて出発します」

 シュンは頷くと、任務の了解を伝えた。

 

『そう言えば、』

 シュンはふと、パンを食べる手を止めて考え込む。

『最近、ライズさんと会ってないなあ……』

 シュンの脳裏に、一歳年上の少女の顔が浮かぶ。そのクールな横顔からは感情を読み取る事ができない。

『そう言えば、僕ってライズさんとあんまり話した事無かったような気がする』

 そう考えると、少し可笑しい気がする。ライズと会ってからもうすぐ一年になるが、彼女自身があまり話さないせいか、シュンもあまり突っ込んだ会話をしようとはしなかった。

『あれ?』

 そこでふと、シュンはおかしなことに気付いた。

『どうして、僕はライズさんの事ばっかり考えてるんだろう?』

 そう呟いてから、シュンは顔を赤くする。

 考えてみればシュンにはドルファンに来てからいろいろな友達ができたが、その中でも女性が多い。そんな中でもライズは、一種不思議な雰囲気を持っている気がするのだ。

『だめだだめだ!!』

 シュンは頭を思いっきり左右に振る。

『今は任務の事に集中しないと』

 そう呟くとシュンは食べかけのパンをザックの中に戻し、再び馬にまたがる。

 コーグまで後半日。言い換えれば半日立てば敵地に入り込む事になるのだ。

 シュンは気合を入れなおして、進路前方に目を向けなおした。

 


 

 コーグはドルファン王国の西端に位置する街で、海洋貿易に力を入れているドルファンの中にあっても有数の規模を誇る港町だった。
 普段から海外から来る人が溢れ、様々な文化がもたらす恩恵を浴びていた。また、現在でこそ有効な関係を築いているが、隣国ゲルタニアとの有事の際には前線基地としての役割を果たす事になっている。言わば、プロキア王国に対するダナンと同様の役割を担っているのである。

 約一ヶ月前のダナン攻防戦において敗北した傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンは、その後、国境線を流れるテラ河を下って逃走した事まではドルファン軍情報部も察知していたが、その後プロキア領に入った所で、その消息はプッツリと途絶え、ようとして知れなかった。

 それが突然、僅か一部隊とは言え姿を現したのである。ドルファン上層部としてはその真意を知りたい所だった。

 しかしこれまでの所、情報部が送り込んだ密偵はことごとく帰還しなかった。

 密偵と言うのはあくまでも偵察の専門家であり、一部の例外を除いて戦闘には不向きな者が多い。対してヴァルファは戦闘の専門家が揃っている。加えて彼等は戦争の専門家でもある。防諜体勢は完璧で、蟻の這い入る隙間も無かった。

 思い悩んだドルファン軍上層部は思案の末、「腕が立ち、ヴァルファに警戒されにくく、なおかつ見つかった場合でも無事に逃げてこれる可能性の高い人物」を選ぶと言う結論に達した。しかし、そのような人物存在するのだろうか?

 いた。

 年齢は十五歳だが痩せ気味のせいか容姿はさらに二、三歳は若く見える。また幾度かの戦いから戦闘実績に申し分ない事も確認している。さらにその俊足ぶりはドルファン一と言っても過言ではない。

 シュン・カタギリに白羽の矢が立ったのはそう言った経緯だった。

 

「ふ〜ん」

 シュンはグルリと町を見まわしてから、寒心したように鼻を鳴らした。

「意外と、混乱はしてないんだね」

 敵に占領されてる訳だから、もう少し荒んだ街の光景を想像していた訳だが、町の人は出入りに制限が設けられているものの、それ以外では普通の生活を営んでいた。ただ、出入りに制限があるのは港も同様で、この街の特徴である外国人が行き来する光景は見る事ができなかった。

 シュンは今、町に入り込む為に変装している。白いシャツの上から黒いYシャツを羽織り、下はジーンズのハーフパンツを履き、帽子を目深に被っている。さらにその上から、砂色のマントを羽織っている。こうしていれば一般人と見分けが付かない。

 ちなみに馬は町に入る手前にあった宿で乗り捨て、自身は単身、高い城壁を跳び越えて町に入った。

 コーグの町の人の表情には、やや活気こそ足りないものの。自分が見慣れているドルファン首都城塞の光景と変わらず、町の人が行き来する様が目に付いた。

 シュンはポケットの中に手を突っ込んで雑踏の中に足を踏み込んだ。

 人の流れは川のようにシュンの背中を押し流し、自身の一部へと吸収する。

 ふとシュンは通りの向こう側に数人のヴァルファ兵がいる事に気付き、帽子をより目深に被る。

 いかに身体能力に優れ、なおかつカムフラージュし易い年齢だと言っても、ヴァルファ兵の中にはシュンの顔を知っている者がいるかもしれない。用心するに越した事はなかった。

 一応マントの下の背中には、小太刀を隠し持っている。さすがに朱月を持ってくる事はできなかったが、交戦は充分可能だった。

 しかし、今回のシュンの任務はあくまでも偵察である。その為、こちらから無駄な争いを仕掛ける気は無かった。

 シュンは歩調まったく変える事無く、ヴァルファ兵達の横を通りぬけた。

 ヴァルファ兵達をやり過ごしたのを確認したシュンは、ホッと息をついて辺りを見回した。

「さて、どうしようかな?」

 このままこうしていても埒があかない。さっさと任務を終えて、この町を去るのが一番良いだろう。

 そう考えたシュンは、町並みをグルリと見回す。そんなシュンの目に、ある建物が飛び込んできた。

 と、その時、突然背後から肩を叩かれた。

「?」

 この町に知り合いはいないはずである。と、言うか、ドルファンに来て、戦争以外で首都城塞を離れた事の無いシュンにとってこの町はまさに異国である。そこに知り合いなどいようはずも無かった。

 シュンは怪訝な顔付きで振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。

 年の頃はシュンよりやや上と言った感じだろう。少し癖のある金髪を短く切り揃え、その顔はやや浅黒く、鼻の上に一本切り傷が入っている。体付きは小柄だが引き締まっており、どこか素早い動物、イタチかテンを連想させた。

「よう」

 少年はシュンに対し、気さくに話し掛けてきた。

 そんな少年の態度に、シュンは訝るような視線を投げかける。もちろん、見覚えあがある訳無かった。

「あの、何か?」

 疑念が頭をよぎる。

 自分は何か、怪しまれるような行動をしただろうか?そう考えると、手はいつでも背中の小太刀を抜けるような体勢になる。

 しかしそんなシュンの様子を気にせず、少年はニッと笑った。

「いやな。折り入ってお前に頼みがあるんだ」

「……何でしょう?」

 シュンは気付かれないように半身引き、いつでも仕掛けられる体勢を取る。

 そんなシュンに、少年は右手を差し出した。

「悪い、財布落しちまったんだ。少し貸してくれねえか?」

「…………はい?」

 シュンは目を真ん丸にして、少年の顔を見詰めた。

 


 

「いや〜、悪ィな。おごってもらっちまって!!」

「……いえ」

 紙コップになみなみ注がれた炭酸飲料を手に、豪快に笑う少年に対し、シュンは苦笑混じりに答えた。こちらの手には、オレンジジュースが握られている。

 前にも似たような事があった事を思い出していたのだ。

 そう、あれはプリシラと初めて会った時の事だ。あの時もいきなり声を掛けられて、金を貸してくれるように頼まれた。そう考えると、この目の前の少年も他人とは思えない気がした。

「ん?」

 炭酸飲料に口を付けていた少年が、シュンの視線に気付いて顔を上げる。

「何だ、俺の顔に何か付いているか?」

「いっ、いえ」

 慌てて答えてからシュンはマントのフードを取り、帽子のつばを上げて、少年に顔を見せた。

「ふ〜ん」

 そのシュンの顔を見て、少年はどこか感心したように鼻を鳴らした。

「あの、何か?」

「いや、思ってたよりも若いなと思ってよ」

「はあ……」

 そんな少年の言葉に、シュンは少し間の抜けた返事を返した。その時ふと、ある事を思い出して今度は自分から声を掛けた。

「そう言えば、お互い自己紹介がまだでしたね」

 そう言ってからシュンは、右手を差し出した。

「よろしく。僕はシュンって言います」

 取りあえず、フルネームを名乗るのは避ける。

 それに対して少年も口元に笑みを貼り付けて、シュンの手を握り返して答えた。

「俺はスパンってんだ。よろしくな」

 スパンと名乗った少年もフルネームを言わなかった。その事がシュンの胸に軽く引っ掛かったが、自分も名乗らなかった手前、深く追求する事は避けた。

「そう言えばよシュン」

「何?」

 スパンの声に、シュンは口に運び掛けたオレンジジュースを戻して答える。

「お前って、この辺じゃ見掛けない顔だな。どっかから越してきたのか?」

 その質問に、シュンはギクリとする。

「うっ、うん。まあね」

 まさか、「軍の特殊任務を帯びて来ました」と答える訳にも行かず、取りあえず曖昧な言葉でお茶を濁しておいた。

「ふ〜ん。どっから来たんだ?」

「あ、しゅっ、首都城塞」

 それを聞いて、スパンは怪訝そうに首を傾げる。

「ふ〜ん、随分変わってんだな。首都城塞からこんな田舎の町に来るなんて」

「ま、まあね」

 シュンはさっきから自分の声が上擦らないように、必死で声帯を押さえていた。

 それに対しスパンは、特に気にした様子も無く、炭酸飲料を口に運んだ。

「ま、いいや」

 そう言うとスパンは、空になった炭酸飲料のパックをくずかごに投げ捨てた。

「とりあえず、ご馳走さん。悪いな。こりゃ、何か礼しなきゃいけないか?」

「そんな、良いよ。大した金額じゃなかったし」

 そう言ってシュンは曖昧な笑みを浮かべる。

 どうも自分は、この手の強引に物事を進めようとするタイプの人間に縁があるようだ。そう思うと、何となくおかしな気分になってくる。

 その感情は、やがてある種の好奇心となってシュンの口から紡ぎ出された。

「ねえ、スパン君はこの町の事詳しい?」

「ん?」

 シュンの質問に対し、スパンは振り返る。

「まあ、詳しいって言や、詳しいけど」

「じゃあさ、」

 シュンは、スパンに向かって見を乗り出す。

「今、この町でヴァルファバラハリアンが何をしているのか分かる?」

「あ?」

 シュンの質問に、スパンは少し目を細める。

 シュンはこの少年から、ある程度の情報を引き出せないかと考えたのだ。

 そんなシュンを、スパンは疑わしげな目で見詰める。

「おいおい、何だってそんな事聞くんだ?」

「え、いや、それは、」

「何か、理由でもあるのか?」

「いや、別にそう言う訳じゃないんだけどさ」

「じゃ、どういう訳だよ」

 なおも追求するスパン、

「そっ、それは……」

 それに対して言い淀むシュン。

 そんなシュンに、スパンは更に疑惑の眼差しを向ける。

 もはや完全に疑われてしまった。

 そんシュンの当惑した様子を見て、スパンは溜め息交じりに言った。

「ま、良いか。言いたくないなら深くは聞かねえよ」

 そう言って苦笑するスパン。

 それを見てシュンも、ばつが悪そうに笑顔を浮かべる。

「ごめん」

 そう言って謝るシュンに、スパンは不思議そうな眼差しを向ける。

「お前って、変な奴だな」

「そうかな?」

「ああ。お前みたいに変な奴は見た事ねえな」

 そう言ってスパンは可笑しそうに笑う。そんなスパンの笑顔を見て、シュンは少し頭痛がした気がした。

「そんなはっきり言わなくても」

 シュンは軽く頭を押さえた。

 その時だった。

 突然強力な殺気を感じ、シュンは顔を上げた。ほとんど同時にスパンも振り向く。

「伏せろ!!」

「え!?」

 とっさにシュンを突き飛ばすスパン。間髪入れずに自分も地面を転がる。

 一瞬の間を置いて、二人がいた場所に数本のナイフが突き刺さる。いや、ナイフにしてはやや大振りで、しかも欧州圏では見られない奇妙な形をしている。

「……クナイ……まさか!?」

 とっさに顔を上げるシュン。

 そのシュンの視界に、数人の黒ずくめの人影が向かってくるのが見えた。

「鬼道衆!!」

 自分を狙っている暗殺者達の突然の出現に、シュンの動きは一瞬鈍る。その一瞬を逃さず、鬼道衆の忍三人がシュンに斬りかかる。

 シュンもとっさに背中の小太刀に手を伸ばす。が、間に合わない。

 三本の刃がシュンの頭に振り下ろされる。

 シュンは死を覚悟して硬く目をつぶった。

 しかし、

「ぐあ!?」

 鬼道衆の一人が、横から飛んで来た石つぶてを顔面に浴びてひるむ。その隙に比較的小柄な影が彼等の懐に潜り込んで、手前の忍に一瞬の内に当て身を食らわせていった。

 残ったもう一人の忍は、その影にたじろいた様子であとずさる。

 その一瞬に距離を詰めた影が、その忍を蹴り飛ばした。

「大丈夫か、シュン?」

 その人影―スパンはそう言ってシュンに笑い掛ける。

「うっ、うん。でも、」

 シュンは呆然とした顔をスパンに向ける。石礫を投げて相手の気を逸らし、その隙に自分の間合いまで接近し素早く制圧する。これはどう考えても素人の動きではなかった。

 しかし、何か言いたそうなシュンを制してスパンは口を開く。

「話すのは後だ。どうやら団体さんのお出ましだぜ」

 スパンの声に、シュンは顔を上げた。その視線の先には、いくつもの人影が民家の屋根の上に立っているのが見えた。

「知り合いか?」

「……ちょっとね」

 そう言って立ち上がると、シュンは油断無く周囲を見まわす。

 どうやら既に包囲されているらしく、周囲の物陰からくまなく殺気が滲み出ていた。

「お前、もう少し友達選びに気ィ使った方良いぞ」

「痛感してるとこ」

 スパンの言葉に苦笑混じりで答えつつ、シュンは背中から小太刀を抜き放った。

 それを見て、スパンは目を細める。

「ほう。そんな物持ってた訳か」

 シュンの額に冷や汗が滲む。仕方が無いとは言え、これでは自分の正体を公言しているような物だ。

 しかしそれに対しスパンは、さらにシュンを驚かせる行動に出た。

「じゃあ、俺も出し惜しみしてる場足じゃねえな」

 そう言ってズボンの裾を捲ると、中から一振の短剣を抜き放った。

「それは……」

「へへ、備えあれば憂い無し、って言うだろ?」

 シュンの驚く顔を、面白そうに眺めるスパン。

 その時だった。

「久しぶりだな、片桐瞬!!」

「!?」

 突然の頭上からの声に、シュンはハッとして上を見上げた。

 中天まで上った太陽を背に、一人の男が立っている。

 腰に二本の小太刀を差したその男の顔に、シュンは身覚えがあった。

「駿風の弦馬……」

 シュンはうめくように言葉を絞り出す。

 その男は、かつてシュンの命を狙った刺客で、今一歩の所までシュンを追い詰めながらも、ライズに邪魔されて果たせなかった男である。

「お前が一人で行動すると聞いて、ずっとこの機会を待っていたのだ!!」

「…………」

 弦馬は腕を組んで、まるで蔑むようにシュンを見下す。どうやら」シュンのコーグ行きは、完全に鬼道衆に筒抜けだったらしい。

 そんなシュンに、弦馬は勝ち誇ったように言った。

「今度は逃がさん、ここで貴様の命、貰い受ける!!」

 そう言って、腰から二本の小太刀を抜き放つ。

 その時だった。

「馬鹿は高い所が好きだって言うが、ありゃ本当らしいな」

 突然のスパンの声に、弦馬は声を上げる。それに対しスパンは、顔に不敵な笑みを貼り付けたまま、弦馬を見上げる。

「何だ貴様は!?」

 激項する弦馬。しかしスパンはそれを受け流しながら、さらに弦馬を挑発する。

「名乗る必要無いね。これから死ぬテメェにはな」

 その一言で、現場の怒りは一気に沸点を切った。

「ほざけ!!」

 言うが早いか、弦馬は配下の忍達に攻撃開始を合図する。

 それを受けて、一斉に抜刀した忍達がシュンとスパンに斬り掛かる。

 それに対しスパンは雄々しく翼を広げた猛禽の如く両手を水平に伸ばすと、頭上から斬り掛かる忍に向けて一気に跳躍する。

「そして、馬鹿な奴ほどよく吼える」

 まるで底冷えするような口調と共に、スパンは自らの体を旋回させつつ手にしたナイフを繰り出す。

 すれ違う一瞬、スパンのナイフは忍達の腹部を切り裂いた。

 撒き散らされた鮮血は、一時的にどしゃ降りの雨を流す。続いてその発生源がグシャリと言う鈍い音と共に地面に叩き付けられた。

 一方地上では、シュンが他の忍相手に刃を振るっていた。

「天破無神流、襲雷斬!!」

 叫ぶと同時に小太刀を繰り出す。

 並の人間では目で追う事もできないほどのスピードで移動しながら、シュンは忍を斬り捨てていく。

 と、一人の忍がシュンの横から刀を振るって斬り掛かってくる。

「もらったぞ、片桐瞬!!」

 振り下ろされる刃。

 しかし、その場にシュンはいなかった。

 刃が振り下ろされる直前、シュンは遥か頭上に飛びあがっていたのだ。

「襲、星、斬!!」

 落下によって充分に威力の乗った一撃が、忍に振り下ろされる。

 その一撃は頭蓋を断ち割り、忍を絶命させた。

 それを確認する間もなくシュンは背中から鞘を取り出し、素早く小太刀を収めた。そしてそのまま腰溜めに構える。

 その視線の先には、四人の忍がシュンに向かって手裏剣を投げようとしている所だった。

 しかし、彼等が手裏剣を投げるよりもシュンが刀を鞘走らせる方が早かった。

「襲鳴斬!!」

 一瞬遅く忍達も手裏剣を放つ。

 しかしその手裏剣は、襲鳴斬によって引き起こされた突風の前にまるで木の葉のように翻弄され、四散した。

 そしてそのまま突風は四人の忍達を吹き飛ばし、さらに背後にあった廃屋の壁面粉砕した。

 その壊れた壁の向こうでは、さらに何人かの人影が吹き飛ぶ気配があった。

 しかし忍達はそれでもひるむ事無くシュンに向かってくる。

 それに対しシュンも、小太刀を構えて向かって行く。

 小太刀の最大の利点はその短さから来る素早い斬撃である。太刀の半分ほどの長さしかない小太刀は、その分素早い攻撃が可能である。もっとも、それを活かす為には相手が攻撃するよりも早く懐に飛び込む素早い動きが必要なのであるが。

 シュンに限って言えば、その条件を完全に満たしていると言えた。

 シュンは向かってくる忍の一団に、体を低くして潜り込むと、旋回するような軌道で小太刀を振り、忍達の足を切り裂いて行く。

 いかに素早い動きができる忍といえど、肝心の足を斬られてはいかんともし難く、ほうほうの体で後退して行った。

 シュンもそれを深追いせずに、まだ戦闘力を備えた敵に刃を向けた。

 

 一方スパンも、十数人の忍に囲まれていた。

 忍達は刀を正眼に構えたまま、スパンを八方から包囲している。

 スパンの武器は右手に構えたナイフ一本。その長さはスパン自身の手首から肘まで程である。スパンはそれをダラリと下げた無形の位に構えている。

 と、

「いやぁ!!」

 気合と共に一人の忍がスパンに斬り掛かる。

 恐ろしいスピードだ。これだけならシュンのそれにも匹敵するだろう。その刃がスパンの首めがけて振り下ろされる。

 次の瞬間、スパンは体を沈み込ませるとそのまま横滑りするような機動で刃を繰り出し、忍の腹部に深々とナイフを突き刺した。

 スパンがナイフを引くと、その忍はそのまま前のめりに倒れる。

 それが合図とばかりに、他の忍が一斉にスパンに飛び掛る。

 スパンに向けて四方八方から刃が繰り出される。

 しかしその一瞬前にスパンはその内の一人にタックルを食らわせて吹き飛ばし、そのまま包囲を抜け出す。

 タックルを受けた忍はそのまま地面に仰向けに倒れ込む。

 スパンはその上から馬乗りになり、胸の中央にナイフを突き刺した。

 味方の死に様を見ても、残った忍は感情を表に出さずスパンに向かってくる。

 そんな忍の一団を見て、スパンは凄惨な笑みを浮かべる。

 そしてナイフの刃に軽く手の平を押し当てて、視線の高さに掲げた。そして、ゆっくりと目を閉じる。

「雷神よ……」

 低い呟き。

 複数の刃がスパンに迫る。

 次の瞬間、スパンの目はカッと見開かれた。

「トールニング・エリシオス!!」

 言い放つと同時に、スパンを中心に雷光が煌く。雷光はそのまま巨大な球形を形成し、向かってくる忍を片っ端から飲み込んで行く。

 今日、人類が使っている「武器」という存在には、時として魔力の効果が付加されている物がある。これは、現在にも少数ながら生き残っている魔術師達が精製した武器であると言われている。もっとも、これを使いこなすには相応な資質や努力が必要となる。例えば、先にシュンと対決したルシア・ライナノールのように、創世紀戦争時代の神の血を僅かながら引いている血統など。少数に限られる。

 スパンは残念ながらそう言った血統に恵まれていた訳ではない。しかし彼は努力という対価を払い、今日の力を得ていたのだ。

 その結果がこの技、まさに雷神の聖域である。飲み込まれた忍達は、一人の例外も無く黒焦げに炭化し、仮に肉親が見たとしても判別が不可能な状態に変化していた。

 

その様子は、地上で交戦していたシュンの視界にも飛び込んできた。

「何だ?」

 シュンは向かって来た忍を小太刀で斬り捨てると、頭上に視線を向ける。

 そこには、まるで雨の日の放電現象のような光景があった。

「あれは……」

 シュンは呆然とした目で、その光景を見ている。

 と、一人の忍びが視界の端から近付き、クナイを投げようとしている光景が見えた。

「くっ!」

 シュンはとっさに大地を蹴る。それと同時に忍はクナイを放った。

 クナイはシュンが元いた場所に、虚しく突き刺さる。

 失敗した事を悟った忍は、次を放とうとクナイを構えた。しかしその時には既に、黒き流星の異名を持つ少年は小太刀の間合いに忍を捕らえていた。

 シュンは迷う事無くその忍の腹部を斬り捨てた。

「…………」

 小太刀を引いたシュンは、それを片手正眼に構えて油断無く辺りを見まわす。

 どうやら今ので最後らしく、もう他の忍が現われる事はなかった。

 と、突然真横からの気配にシュンは振り返った。

 そこには、忍達を束ねていた弦馬が立っている。その顔はどこか虚ろで微妙に焦点が合っていない気がする。無理も無い。たった二人の少年に配下の忍が全滅させられたのだ。彼としてはこの光景自体が信じられない事だろう。

 そんな弦馬に、シュンは小太刀を構える。

「よくも……」

 そんなシュンに、弦馬は底冷えする声を投げる。

「よくも、我が同胞を……」

 弦馬はキッとシュンを睨む。

「許さん……許さんぞ片桐瞬!!」

 言うが早いか、弦馬はシュンに斬りかかる。二本の小太刀が、まったく同時にシュンの眼前に迫る。

 それに対しシュンは、バックステップで距離をとって回避する。

 そんなシュンに、弦馬は今度は連続突きで追撃を食らわす。

「チィ!!」

 シュンは最初の一撃を、小太刀で回避する。

 間髪入れずに二撃目が来る。

「っ!?」

 シュンの頬が切り裂かれる。

 しかし瞬転、シュンは体を高速で回転させて小太刀を繰り出す。

「襲牙斬!!」

 繰り出された小太刀が、弦馬の首を狙う。

 刃は弦馬の首筋に届くかと思われた。しかし次の瞬間、弦馬は上体を反らして回避に掛かる。 

 シュンの刃は上体を反らした弦馬の顔面を袈裟懸けに切り裂いた。

「ぐう!?」

 弦馬はそのまま仰け反る。

 シュンはそのまま小太刀の峰に手を当てて、弦馬の腹部にねじ込もうとする。

 しかしその前に、弦馬はバク転で後退してシュンの間合いから逃れる。

 その一瞬でシュンは、小太刀を腰の鞘に収めて構える。

「襲鳴斬!!」

 シュンが小太刀を抜き放つと同時に、圧縮された突風が弦馬に向かう。

「くっ!?」

 狭い空間で放った為か、風は周囲のがらくたを吹き飛ばしながら弦馬に襲い掛かる。

 弦馬は両手を交差させて顔面をかばい、何とか風に耐える。

 その一瞬でシュンは弦馬との距離を詰める。その手に持った小太刀は、もう一度鞘に収められている。

「天破無神流抜刀術、」

  すれ違う直前にシュンは小太刀を抜き放つ。

「襲豹斬!!」

 ダナン攻防戦においてヴァルファ八騎将の一人、バルドー・ボランキオを討ち果たした技である。

 その凄まじいまでの一撃が、弦馬に向かう。

「くっ!?」

 弦馬はとっさに自分が持つ小太刀を盾にする。

 二本の小太刀が、火花を散らしてぶつかる。

 と、弦馬の小太刀が異音と共に砕け散る。シュンの小太刀は、そのまま弦馬の腹部を斬り裂いた。

「グォ!?」

 弦馬はそのまま腹部を押さえたまま、二歩三歩と後退する。傷口を押さえた指の隙間からは、毒々しく赤い血が流れ出す。

「くっ……ぐっ……あ……」

 弦馬は瓦礫にもたれかかるように倒れ込むと、そのまま派手な音を立てて転倒する。

「…………」

 そんな弦馬に、シュンは油断無く小太刀を構える。

 弦馬の傷はどう見ても致命傷だった。しかしそれでも、その目からは闘志が失われず、残ったもう一本の小太刀はシュンに向けられる。

「…………」

 そんな弦馬を、シュンは黙って見下ろす。

 二人は暫く向かい合っていたが、やがて弦馬は口の端を釣り上げて笑みを見せた。

「フッ、嬉しいか?」

「……え?」

 弦馬の突然の質問を、シュンは理解できずにいる。そんなシュンに、弦馬はもう一度語り掛けた。

「嬉しいか、俺を倒せて?だがな、お前が生き続ける限り鬼道衆は刺客を送り続けるぞ」

「…………」

 弦馬の言葉を、シュンは黙って聞き入っている。

「貴様は生き続ける限り、永久に我等の手から逃れる事はできないのだ。死して、醜い屍を野に晒すまではな」

「……それでも…………」

 シュンは口を開いた。

「それでも僕は、生き続けなきゃいけない。父上や母上、そして僕を生かしてくれた多くの人達が、この時代を生きたという証の為に」

 それを聞いて、弦馬は鼻を鳴らす。

「笑止な……そのような物は、まやかしに過ぎん!!」

 言い放つや否や弦馬は身を起こし、一足飛びにシュンに斬りかかる。

 その動作は、余りにも遅い。それまでの動きに比べたらまるで地を這っているかようだ。ただその目だけは、執念という色に染め上げられている。

 それに対しシュンは、小太刀を片手八双に構える。

 次の瞬間、シュンを中心に突風が巻き起こる。

 まるで竜巻のようなその風は、小太刀を中心に収束し圧縮して行く。

 その間にも弦馬は小太刀を構えて、シュンに迫る。

「天破無神流!!」

 シュンはダッシュする。そして小太刀を振りかぶった。

「襲鳴斬、蒼牙!!」

 鋭く一閃された刃は、強力な鎌鼬を纏って、弦馬に襲い掛かった。

「なっ!?」

 弦馬はそれ以上声を上げる事ができなかった。なぜなら、シュンの刃はそのまま弦馬の体を胴から真っ二つにしてしまったからだ。

 切り裂かれた弦馬は、そのまま勢いで吹き飛ばされ、背後にあった廃屋の壁に叩き付けられ、無意味な有機物の固まりと化した。

 余韻となった風はシュンの体の回りを名残押しそうに飛び交っていたが、やがて自らの同胞を見付けた鳥のように天へと帰って行った。

 シュンは小太刀に付いた血糊を一閃して振り払うと、それを鞘に収めた。

「終わったみてぇだな」

 そこへ背後からスパンの声がして、シュンは振り返った。

 そこに立っているスパンは先程とまったく変わらず、余裕を湛えた笑みを口元に貼り付けている。

 翻ってシュンはと言うと、油断無く身構えている。

 そんなシュンに、スパンは怪訝な顔付きで尋ねる。

「どうした?」

「…………君は、誰?」

 シュンは射るような視線で、スパンを睨む。

「なぜ、君があんな技を使えるの?」

「…………」

 今度はスパンが黙る番だった。

 シュンは更に続ける。

「……僕は、欧州に来て聞いた事があるんだ。雷を操る傭兵の少年の話を……」

 シュンは一旦言葉を切ってから、吐き出すようにして言った。

「ヴァルファ八騎将、迅雷のコーキルネイファ…………」

 二人の間に、冷たい風が吹く。まるでその風は二人の間に蹴っててき名溝を作り出したかのようだった。

「…………やっぱばれたか」

 やがて、スパンは自嘲気味に呟いた。

「だがな、俺も聞いた事あるぜシュン」

「何を?」

 聞き返すシュンの口調には、抑揚と言う物が感じられない。それを気にせずスパンは続けた。

「今回の戦争でドルファン側に付いた傭兵で風を操る奴の噂。あれお前だろ?黒き流星、シュン・カタギリ」

「…………」

「この町に来たのはさしずめ、お偉方に言われてこっちの動きを探りに来たってとこか?」

「…………」

 子供とは言え、さすがはヴァルファ八騎将といった所か。コーキルネイファは完全にシュンの目的を読み切っていた。

 シュンは答えなかった。

 そんなシュンに、スパンは語り掛ける。

「心配すんな。ここには物資の補給に来ただけだ。長居する気は無い。帰ってお偉方にそう伝えな」

「え?」

 シュンが聞き返そうとするが、スパンはその前に背を向けた。

「じゃあな、今度会う時は戦場でな」

「ちょっと待ってよ!!」

 シュンの声に、スパンは振り返る。

「何だ?」

「僕を、このまま返して良いの?」

「あ?」

 シュンの質問の意図が分からず、スパンは疑問符を頭上に浮かべる。

「僕は君の敵なんだよ。それを黙って返して良いの?」

「ああ」

 そこでようやく納得がいったように、スパンは手を打った。

「別に構わねぇよ。今日の俺はオフだし。お前には奢ってもらった借りもある。だから今回手を貸した。それだけの話だ」

 だが、とスパンは続ける。

「今度会ったら、その時は手加減しねえ。覚えときな」

 そう言って、今度こそスパンはシュンに背を向けた。

 シュンもそれ以上呼び止める事はせず、去り行くスパンの背を黙って見詰めていた。

 そのシュンの瞳も、そして立ち去るスパンの背も、同時に同じ事を語っていた。

「この出会いは、やがて悲劇を生むだろう」

 

 

第十五話「交錯のひととき」   おわり


後書き

 

どうもこんにちは、ファルクラムです。

 

私は子供の頃から、敵味方が一時的に手を組んで戦うというシーンがひじょうに好きでした。まあ、それが理由という訳ではありませんが、今回、コーキルネイファを早めに登場させてしまいました。この二人の出会いは、物語の最後にも語りましたし、懸命なる読者の皆様にはお察しいただけると存じますが、やがて悲劇を生む事になります。その時シュンがいかに行動するか、見守っていただけると、私としてはありがたい限りです。

 

それでは、今回はこの辺で。

 

ファルクラム


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