船はドルファンを離れ、暮れなずむ海へと波を割って乗り出していく。この船は、夜の間にドルファンの領海を出て洋上で停泊。それから早朝に錨を上げて北上し、『傭兵の国』のふたつ名を持つスィーズランドへと向かうことになっている。
その船上に、寄り添っている二つの人影が見える。おそらくそれは、一組の男女なのだろう。一つの人影は、もう一つよりも頭一つ分小さい。二人は、船から見えるドルファンの眺望を目に焼き付けようとでもいうように、じっと陸の方向を見つめている。
そこそこ大きな客船だというのに、通常なら波止場に人垣が出来るはずの見送り人はほとんどいない。それは、この船がドルファンには二度と戻ってこないはずの客を満載しているからである。
――外国人排斥法――
閉鎖的なドルファン王国貴族会議が制定したこの法律は、国内に在住しながらもドルファン国籍を持たない人間全てを、その領内から追放することを目的としていた。ドルファン人が出入りする分には問題はない。しかし、この法律は、それが存在する限り、外の人間が許可を得ずにドルファンの地を踏むことを完全に禁じていた。
そして、その許可を得ることは、それが外交使節でもない限り、不可能と言ってよかった。貿易商すら、波止場の土を踏むことが出来ない。一種偏執狂的な法律である。
国家間の交流が盛んになっているこの時代に、このような無茶な法律が制定されるに至った過程には、当然様々な要因があった。外国人の流入による治安の悪化、出稼ぎ人の増加によって引き起こされたドルファン人の就業率の低下。それらに端を発する、国粋主義の台頭、そして付随するテロリズム……。これらを重く見た貴族会議は、かつての平和なドルファンと取り戻すべく、外国人排斥法の制定に踏み切った。
しかし、それらはあくまで建前だった。貴族達の目的は、外から彼らの国に入り込み自分たちを脅かすまでになった――と彼らが思いこんでいる――外国の商人、貴族を否定する思想家、そして数ヶ月前にようやく終結した戦争で活躍し、大きな功績を建てた外国人傭兵隊を追い出すことにあったのである。
貴族達は言う。商人達は、貴族達と繋がっていた在来のドルファン商人達の利権を脅かした。思想家達は、貴族制度を否定し、人はみな平等と唱えることで貴族達から伝来の領地と特権を奪おうとした。そして傭兵隊は、「偶然に」拾った手柄におごって、騎士団と近衛を軽んじ、自らが軍部の中心たろうという大それた企みを働いた――。
それは時代が変わろうという境目の、旧時代の反攻なのかもしれない。しかし、この反攻は、未来のドルファンの発展と成長に、少なからぬ影を落とすことになるだろう。そう語る識者の声は、貴族達に黙殺された。
貴族達の目論見は、驚くべき速さで実行に移され、誰もそれを妨げることは出来なかった。外国との開かれた交流を望む王室の声も、国政の実権を握る貴族達の前では無力だった。王室の権威は丁重に無視され、ただ貴族達の高笑いが政治の府には響きわたる。
そして、そうしたスケールの大きな場所で決定された意志は、ドルファンの街に住む人々の上に、確実に影を落としていた。
ドルファン人ではなくとも、善良で気のいい隣人達が、為す術もなく追放される。そうした場面は、そこここで少なからず見られた。友人達、恋人達が問答無用に引き離される、そんな光景は何ら珍しいものではなかったのである。
ドルファンを離れる最後の船の甲板に立つ二人、その片割れの青年も、排斥法によって追放された一人だった。もっとも、彼は一人ではなく、二人だった。――彼の隣りに立つ少女が、引き離されて泣き暮らすのではなく、彼と共にドルファンを離れることを選んだから。
二人は、飽きる様子もなく遠ざかっていくドルファンを見つめ続けていた。日が落ちるにつれてその光景は闇に沈み、やがて見えるのは黒い影に浮かぶ明かりだけとなる。いつか二人で眺めた銀月の塔からの夜景のように、それは美しい眺めだった。
青年に寄り添っていた少女は、彼が小さく震えていることに気付いた。舷側を掴む彼の両手には、関節が白くなるほどの力が込められている。
「――どうしたの? ……泣いているの?」
「おかしいよな……。君が泣いてないのに、男の俺が、泣くなんてさ……」
少女は小さく首を横に振った。きっちりと編まれた髪が、首の動きに従って左右に揺れる。外国人である彼が、どれほどドルファンを愛していたか、三年という短い時間の間に、どれだけドルファンに多くのものを築き、今それを失ったかを知っていたから。
「おかしくなんか、ないわ。それに……」
少女はその細い指で、青年の頬をつたう涙を拭った。常に洒落っけのない手袋に覆われているその手は、剣を持つ者特有の固さを備えていた。しかし、それは青年のごつごつとした手とは違う、紛れもない女性の手だった。
「生きてさえいれば、希望はいつもあるわ。もう一度、ドルファンに帰ってくることが出来るかもしれない……。そうでしょう?」
決して口数が多いわけではない彼女の、それは精一杯の言葉だった。そして、言葉では表現しきれない想いを伝えるように、少女は青年の胸の中に、するりと入り込んだ。
――私は、いつだって貴方の側に――
二人の影は、星明かりの元、一つになっていた。既にほとんどの乗客は船室や食堂に引っ込んでいるのだろう、甲板上には、二人以外の人影はほとんど無かった。
青年の震えは、いつの間にか治まっていた。凍えていた体を、少女の温もりが温めたかのように。
「あの時とは、逆になっちゃったな……」
「言ったでしょう? 私は、二人で生きていきたいって。なら、貴方に助けられるだけじゃなくて、私が貴方を助けることは当たり前よ」
「そうだったなぁ……。これからは、君と、二人なんだ……」
その大柄な体に相応しく、精神的にも骨太でタフな青年は、少女の助けもあって、もう落ち着きを取り戻していた。その顔には、少女を――彼女以外にも多くの女性達を――暖かく包み込んだ包容力のある笑みが浮かんでいる。絶世の美形などという表現にはほど遠い、笑顔。しかし、それは少女の凍りついていた心を融かし、限りない安心感を与えてくれた、少女にとって何よりも大切な笑顔だった。
二人は寄り添ったまま、じっと互いを見つめ合っていた。少女の、常ならば年齢以上に落ち着いた表情を浮かべている整った顔立ちには、幼女のように安心しきった、あどけない笑顔が浮かんでいる。そして青年は、暖かな笑みを浮かべながら、宝物でも扱うかのように優しく、しかし、しっかりと少女を抱きしめていた。
「コースケ……」
「ライズ……」
囁くように互いを呼び合う。少女、ライズの瞳が潤みを帯びる。そして、背伸びしたライズの唇が、青年、康介のそれに近づいていく。
「コースケー!」
ところが、そこに闖入者が現れた。鍛えられた身のこなしを活かして、ライズはするりと康介の腕の中から逃げてしまう。その顔は夜目にも鮮やかに赤く染まっている。落ち着いた物腰とは裏腹に、彼女は純情で恥ずかしがりなのだ。
康介は、途方くれたような表情で空になった両手を所在なげに揺らしていた。しかし、そっぽを向いて俯いているライズの後ろ姿に苦笑すると、雰囲気を台無しにしてくれた闖入者に向き直った。その視線には、多少の恨みがましさが含まれていたかもしれない。
「コースケー。そろそろ降りてきて、一緒に飲もーぜぇー。これでドルファンともお別れなんだから、ぱーっとやるぞー」
言うだけいうと、傭兵隊の一員だったその男はさっさと船室に引っ込んでしまった。今頃、大部屋の中では呑め歌えやの大騒ぎだろう。
一つ肩をすくめると、康介はまだあらぬ方を向いているライズの方を抱き寄せた。
「あっ……」
驚いたような、小さな声を漏らしはしたが、ライズはすぐに力を抜いて、その逞しい胸板に身を預ける。二人はそのまま波の音に聞き入っているかのように、夜の静寂に寄り添って身を委ねていた。
しかし、それも僅かの間のこと。どうやら大いに盛り上がっているらしい船室の喧噪が聞こえてきたことをきっかけに、二人は申し合わせたように、寄り添ったまま船室の扉へと歩き出した。
歩きながら、ライズは頭一つ高い康介の顔を見上げた。
「これから……、どうするの?」
「なんだ? 突然?」
「ちょっと、聞いてみたくなったの」
「……そうだな……。三年でずいぶん稼いだし、これを元手に宿屋か酒場でも開くとか。下宿屋なんかも良いかもな」
「あら。貴方、商売が出来るほどの料理なんて作れるの?」
「言ったな? これでも結構上手いんだぞ。そういうライズこそ、料理の一つも出来るのか?」
「酷いわね……。一通りの家事はこなせるわよ。落ち着いたら、いろいろ作ってあげましょうか?」
「そいつは、楽しみだ。期待してるよ」
二人はそのまま、船室への扉をくぐりかけ、最後に一度だけ、夜の闇に沈んでしまったドルファンを眺めやった。
そして、その闇に向かって小さく何事かを囁くと、今度こそ二人は船室へと消えていった。
誰もいなくなった甲板の上に、ただ星の光が降り注ぐ。波は低く、ただゆったりと船を揺らし、歌うような波音をたてている。
二人が最後に残した言葉、『またいつか、かならず帰ってくる』という誓いの言葉を聞いた者は、誰もいなかったはずだった。しかし、船から少し離れた水面の上、彼らに応えたかのように、何かが小さな水しぶきを上げた。
後書き
一ヶ月ぶりにまともに文章を書いたので、ちょっとリハビリも兼ねてしまいました(苦笑)
ども、たのじです。企画が立ち上がってから投稿するまで、ずいぶん間を空けてしまいました。社会人って、忙しいですね(苦笑)
もうちょい気合いを入れて書ければよかったんですが……。とりあえず、こんなところです。
それでは、今回のキャラ解説。
主人公……コースケ。フルネームは越前康介。異名はコンバット越……。すいません、冗談です_(__;)_
気は優しくて力持ち、な大男。ドルファンを出る前の叙勲式では、当然のように聖騎士叙勲を受けています。その後、風の噂では、スィーズランドで年下の奥さんをもらって下宿屋をはじめたとか、即位直後のプリシラ女王に招かれて、ドルファン騎士団の団長に迎えられたとか。
ヒロイン……言わずと知れたライズ・ハイマー。
手袋姿も相変わらずですが、これはもう偽装がどうのこうのではなく、それが当たり前になってしまっているようです(笑) もうちょっと書き込んであげたかったな……。
それではこの辺で。
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