少女は夢を見る。
紅く染まった世界の中、老女と語った日々を。
少女は夢を見る。
自身が出演者となる、その開幕を。
「世界に絶望するのはまだ早いと思わないかね、お嬢ちゃん」
紅く焼ける空を背景に、老女と少女が話している。
老女の目は優しく少女を映し、少女の目は真っ赤に染まった空と老女を映していた。
「世界は私に何もしてくれなかった。それなのに、もう追いかけるものなんて無いよ」
「夢を信じる気は無い、そう言うのかい?」
「夢なんて、希望なんて、なにもしてくれない。ただ、その日が嫌になっても大丈夫な為の方便じゃない」
少女はただ淡々とその言葉を紡いだ。言葉には悲痛な響きも憐憫を誘うような響きも無い。
事実を述べている。ただそれだけ。
まっすぐに向けられた目は、その言葉以外を写していなかった。
そんな少女の髪を優しく撫で、そして老女は少女に語りかける。
それはまるで、泣きじゃくる子をあやす母の様だった。
「だったら、お嬢ちゃん。一つ、アルバイトをしてみないかい?」
「…それをしたら、何か変わると言うの?」
「変わるさ。もっとも、それもお嬢ちゃん次第だけどね」
そして、懐から取り出した封筒を少女に手渡す。
「…これは?」
「魔法のチケットさ。お嬢ちゃんにも夢を与えてくれる、ね」
「…嘘」
信じられないと言う気持ちを隠しもせず、少女が両目を見開く。
老女は苦笑した。優しげな眼差しをそのままに。
「嘘はつかないよ、お嬢ちゃん。ただ、そのために、ね」
「…………」
「それが出来れば、お嬢ちゃんには真の自由が手に入るし、夢を追っかけられるかもしれないよ」
「…………」
黙りこみ、封筒を見つめるばかりの少女に、老女は「おや」と小さな声をあげる。
「…信じていいの?」
「信じていいさ」
少女の目にようやく輝いてきたのは、かすかな希望だった。
それでいい。どんな炎だって、種火が無ければ燃え盛ることも出来ない。夢も希望も絶望しているだけだったら、手に入らない。
「これは契約の証さね」
そして、老女は嬉しそうに少女の額へと口付けを交わした。
少女は夢を見る。
かの少年の夢を。
自らが友と慕った男の夢を。
それが虚無と憐憫にまみれた情景を。
「僕は、幸せになっちゃいけなかったんだ」
俯く少年に、少女は掛ける言葉を見つけることが出来なかった。
「だから、もう、望まない」
「駄目だよっ!」
気が付いたとき、少女は少年の頭を胸に抱いていた。
少年が身じろぎするのを感じ、それでもそれを離そうとしない。全力で押さえつけていた。
「…苦しいよ」
「貴方が苦しんでいる方が、苦しい」
「…離してよ」
「貴方が泣くから、離したりはしないよ」
びくん。
少年が身じろぐ。
「泣きたいときは泣いていいんだよ。泣き顔を見られるのが恥ずかしいんだったら、見ない。だから、泣いていいんだよ」
そして、少女は少年を拘束する力を弱めた。
だが、少年は離れない。変わりに漏れて来る嗚咽。
少女は優しく、手のひらで少年の後頭部をさすった。
「私の胸だったらいつでも貸してあげる。だから、自分を責めないで」
少年の暖かな体温のほかに、自分の皮膚で感じるほのかな温もりがある。
多分、それは涙だと感じた。
少年の涙は、暖かいものだった。
「…落ち着いた?」
一呼吸起き、こくんと少年の首が動く。
「女の子に抱きしめられてると、男の子は安心するんだって。お母さんに抱きしめられていたときのこと、思い出すんだろうね」
少女の言葉に、少年が何事か呟く。
だが、それは少女の耳に届かない。
そして少女は。
「甘えてていいんだよ」
悪戯っぽく、微笑んだだけだった。
少女は夢を見ていた。
そして、決意をした。
自分の生きる道を。
自分が為の生きるすべを。
「後悔は無いね」
「うん。…でも、まったくって言ったら嘘になるかな」
再び再開した老女の前で、少女は苦笑じみた笑みを浮かべる。
それは、以前の彼女には浮かべられなかった微笑。
「贖罪のつもりなら、やめた方がいいと思うがね。せっかく、自由になったんだし」
「…そうだね」
でもね。
少女は老女に笑顔を向ける。
寂しげな、だけど明るさを取り戻した笑顔だった。
「夢を与えたいんだよ。私」
「……その言葉に嘘、偽りは無いんだったらね」
「ないよ」
キッパリと断言。
「だって、私に夢を与えてくれたのは、貴方と彼で」
結局、彼は絶望に身を投じてしまった。
引き止めたかったと言えば、それは本当のこと。否定は出来ない。
だけど、少女では彼を止めることは出来なかった。
自分は、それだけの存在ではなかった。ただそれだけのこと。
だけど。
「貴方と彼に出会えて、そのお陰で私、まだ生きていけるんだよ」
自分が自分らしく。
それは二人に与えてもらった希望。
だから、と思う。
自分も、希望を与える側に回りたい。
それが、贖罪じゃないと否定できるほど、自分の思いに自信があるわけじゃないけど。
「…………」
少女の言葉に、老女は一瞬だけ、ため息を吐いた。しかし、それを感じさせる間を置かず、老女の顔に笑顔が灯る。
「分かった。お嬢ちゃん。あんたの入学、許可しよう」
その年の春。
真新しい制服に身を包んだ少女がマリーア女子高等学校の校門を潜ることになったのは、また別の話である。
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