to catalog
犬ブギー

 ジャーッジャジャ、ジャッジャジャジャン……
 レッド・ツェッペリンの『カスタードパイ』が流れるその空間には、二人の人物しか立っていなかった。
「レディース・エーン・ジェントルメン!今宵もこの時間がやってまいりました! あなたの心の歪みを黄金に変えるワーイキョークSHOW!! 司会はもちろんこの私、全ての歪みを黄金に変える為、日夜実験の日々を送る孤高の探求者歪曲王! 今夜のゲストはこの方だ!」
 歪曲王の口上と共に、もう一人の人物にスポットライトがあてられる。
「彼女はいるけど友達いない、いいんだか悪いんだかわからない高校生活を送るこの人、竹田啓司君!センキュッ!!」
「……歪曲王、キャラ違う」
 呆然とつったっている啓司に歪曲王はチッチッ、と指を振る。
「全ての人の心に遍在する私にはキャラ性など存在しまセン」
「少なくともそんな偽ヤンキーなのはファンが納得しないぞ?」
「私が納得してればノープロブレム! それより、今夜の主役は君だ!」
 突然空間が歪んだ。気がつけばそこは深陽学園の屋上。時間は、太陽が沈む直前。
 思い出と、寸分違わぬ空間。
 そして、そこにはもう歪曲王の姿はなかった。
「君の歪みは、僕だ」
 啓司の正面に立った宮下藤花がそう言うと、その姿が瞬く間に彼女のもう一つの姿へと変わる。
「ブギーポップ……」
「君は僕に会いたいと思っている。だが、そのためには僕が『世界の敵』と戦っていなければならない。そして、確実に会うには君自信が『世界の敵』にならなければならない」
 ブギーポップの姿が今度は藤花の変わった。
「それに、ブギーポップが現れるということは、たとえ一時でも私がこの世界から消えなければならない……」
 藤花がぎゅっと自分の体を抱き締める。
「俺は……」
 そしてその姿はまたブギーポップへ。
「そして君は悩む。自分はあの時、ブギーポップのことを本当にわかっていたのか、とね。僕は君のことを「いい人だ」と言ったが、本当にそうなのか?自分はただブギーポップに愚痴を聞いてもらっていただけじゃないのか?」
「うぅ……」
 自分の歪みに直面させられて、啓司は混乱していた。この苦しみを味わうくらいなら、歪みのまま心の底にしまっておいてもいいのではないか、と思う。
 だが、それでは駄目なのだ。歪曲王はそう言った。
「そこで、僕のことがよくわからないという君に、特別オプションを搭載してみた」
「……え?」
「僕のことがわからない理由の一つに、僕の無表情があると思う。だが、普段無表情な奴にいきなり表情をつけても不気味なだけだ。よって、ちょこっと外部出力装置をつけてみた」
「は?おまえ何言って……」
「では、イッツ・ショウターイム!」

 ……そして、その次の日、やっぱり屋上に上がってきた僕を待っていたのは、制服を着たままで女の子の格好をしているブギーポップだった。
「やあ」
 と言って手をあげる仕草で”彼”だとわかったが、そうでなければ藤花だと思っただろう。
 ……いや、藤花だとは思わないかも知れない。今のブギーポップには僕の記憶にないものがくっついている。
 頭の上に2つ、腰のところに1つ。
 耳としっぽ。
 しっぽをぱたぱたと振っている。うれしいらしい。
「……どういうことだ?」
「危機は去った」
 あっさりと言った。
「……え? あ、いや俺が言ってるのは……」
「これでおわかれだ。竹田君」
「ちょっとまて」
 しっぽがだらりと下がっている。耳も伏せ気味。どうやら悲しいようだ。
「仕方ないんだ。ぼくはそれだけのものなんだから。危機が去れば消える。泡のようにね」
 僕は口をぱくぱくさせた。それ以上何を言っていいのかわからなくなったのだ。
 いやほんとに。
「ありがとう。竹田君」
 突然ブギーポップは、僕に頭を下げた。
 しっぽは下がったまま。
「君といた時間は楽しかったよ。これまでのぼくはずっと戦ってばかりで。友達といえるのは君ぐらいのものだったからね。宮下藤花のおまけでつきあってくれていたんだろうけど、でも楽しかった。本当に」
 しっぽが少しだけ左右に振れた。
「……」
 僕はふいに、こいつのことが好きだったのだということに気がついた。
 気がついたんだけどさぁ。どうするよ、これ?
 しっぽついてんだぞ。あと耳も。合計4つも耳があるんだぜ?
「行くなよ」
「え?」
「行かないでくれ。おまえは、俺にとっても今じゃたった一人の友達なんだよ。お願いだから、もうすこし出ててくれよ……」
 僕はうつむいて、ぼそぼそと言った。泣いていたのかも知れない。
 でもひょっとしたら笑いをこらえるのに必死だったのかも。
 ブギーポップは、また例の表情をした。
 しっぽがぴーんと立つ。
「竹田君、そんなことはないよ」
「まぁ、そうだったんだけど」
「君は、ただ今は周りと噛み合っていない
というだけだ。宮下藤花だって、君のことはいろいろ気にしている。自分だけ悩んでいるなんて思ってはいけないよ」
「でも、でもおまえはどうなんだよ!おまえのことを誰も気にしないで、このまま消えるなんて、そんなの寂しいだろう?」
「君がいるじゃないか、竹田君」
 しっぽがまた左右に振れだした。
「俺なんかじゃ……」
「残念だけどね、ぼくに義務があるように、君や宮下藤花にもやるべき仕事があるんだ。君らは自分で自分たちの世界をつくっていかなくちゃならないんだよ。つまらない卑下をしていてはいけないんだ」
 ブギーポップはきっぱりと言った。
 もう、僕には言うべき言葉は何もなかった。
 いや、真面目に言ってるのはわかるんだけどね。そのしっぽと耳はなんとかならない?
「だけどさ……!」
 うつむいた顔を上げると、もうそこには誰もいなかった。
 僕ははっとなって、屋上を駆け回った。
 しかしもう、あの奇人の姿はどこにもなかった。
 最初に見たときと同じように、風みたいに消え去っていた。
 僕は呆然と立ち尽くし……
「……ホーム!」
「わんっ」
 しゅたっとどこからともなくブギーポップが現れた。
「お座り!」
 しゅたっ
「お手!」
 ぽすっ
「おかわり!」
 ぽすっ
「伏せ!」
 しゅたっ
 はっはっはっはっはつ
 しっぽぱたぱた。
「……これでいいのか? 歪曲王……」
 僕はなんだか泣きたくなった。

 どこかのビルの屋上。そこに一人立つ歪曲王は持参した大学ノートにせっせとメモを取っている。
「今日の実験……失敗、と。何がいけなかったのかな?猫の方がよかったとか?いや、彼は鈍いからもっと直球勝負に出た方が……」
 あんまり一生懸命だったから、彼のすぐ後ろに影が降り立ったのに気がつかなかった。
「何をしているんだい?歪曲王」
 しゃきーん


next