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暗殺者は笑わない

[開幕〜深夜、とある屋敷の一室〜]

「たのむ、たすけてくれっ!金ならいくらでも出すから……」
 男は無様に床に尻餅をつき、音もなく近づいてくる影に向かって喚き散らした。
 周囲には護衛の男たちが倒れている。死んではいないようだが、しばらくは動けない。男の命乞いには何の感銘も受けなかったようで、影は男に歩み寄りながら、獲物ワイヤーをきりり、と引き絞った。
 なぜ、こんなことになってしまったのか、男には理解出来なかった。確かに悪どい事もいろいろやった。しかしそれは、組織の一員としての当然の義務である。そして、組織に対抗出来るものは、この国においてほとんど無に等しい。国王でさえ、組織の顔色を伺っているほどだ。
「きさま……、誰に依頼された」
「依頼?」
 影はこの屋敷に入って初めて声を発した。何の特徴もない声。
 男だか女だかすら判然としない。
「ぼくは誰かに依頼をうけて、こんなことをしている訳ではないよ。君に個人的な恨みもない。君が裏でどんなことをしていたとしても、ね」
 じゃあなぜ、という問は男の口から音になることはなかった。
 ワイヤーが彼の首に恐るべき力で巻き付いてきたのだ。
「君は自覚していないだろうが、君はもう君ではない」
 そう口にすると、影はワイヤーを引く。
 驚くほどあっさりと男の首が飛び、一瞬遅れて鮮血が噴水のように飛び出す。影は血がかからないように数歩後ろに下がりながら、男の頭をワイヤーで細切れにしてしまった。
 男がもう動かないことを無感動に確認すると、影はくるりと背を向け、窓から出ていこうとした。
「ま、まて……」
 ようやく護衛の男の一人が気がついた。体はまだ動かせない。「お前……何者だ?」
「ぼくが誰なのか、君はもう知っているはずだ」
 雲の隙間からこぼれ落ちた月光が影を照らす。黒い帽子に黒いマント、唇には黒いルージュ。それはまさに夜の闇から滲み出た影そのもののよう。
「ブ、ブギーポップ……」
 護衛の男は影の名を口にし、今度は恐怖で気絶した。
 ブギーポップ。
 それは伝説の死神の名。
 いや、伝説ではない。今夜こうしてここに出現したのだから。
 影はそんな男に見向きもせず、窓から飛び降りて、闇と同化した。

[第二幕〜数日後、ハンターギルド・トリスタン〜]

 どうしてここは、いつもこんなに男臭いんだろう。
 黒いレザーアーマーを着込んだ女性はそうひとりごち、舌打ちしながらカウンターについた。
「よう、『炎の魔女』じゃないか。久しぶりだな」
「前のヤマがでかかったからな。少し遊ばせてもらってたのさ」
 そう言って、マスターにアルコールとリストを要求する。
「俺が頑張りすぎたら、ほかの奴らが干上がっちまうだろ」
「ははっ、違いない」
 そんな会話の間にも彼女の前にはエール酒と、黒塗りの賞金首リストが用意される。黒塗りのリストは1stクラスのハンターしか閲覧を許されない、高額リストだ。
 だがそれは、1stクラスのハンターが特権階級だからではない。1stを名乗るほどの腕を持つ者でなければとても歯がたたない、危険な仕事だからだ。
 『炎の魔女』はエールで口を湿らせて、リストにざっと目を通そうとして、一番最初で止まってしまった。
「マスター、これ正気か?」
 そこには、人一人が数年間は遊んで暮らせるだけの金額が書かれている。いくら高額のリストだと言っても、これは桁違いだ。
「正気かどうかは知らんが、依頼主はあの『トウワ』だ。幹部が一人殺られたらしい」
「なるほど、ね」
 それならば一応は納得できる。あの、国王さえ口出しできない奴らなら。
「で、あんな得体の知れない奴らの幹部を殺った、剛毅な奴はどこのどいつだ?」
「聞いて驚くな、ブギーポップだ」
「ブッ」
 危うく『炎の魔女』は口に含んだエールを吐き出すところだった。
 ブギーポップ。
 それは、伝説の死神の名前だ。
 狙った獲物は逃さない。女、子供も容赦しない。ブギーポップの通った後には屍しか残らない……。
 そいつが噂になったのは、もう五年ほども昔のことだろうか。
 結局その時は誰も奴を捕まえることが出来ず、数ヶ月で噂も消えていった。だがそのたった数ヶ月の間に、ブギーポップに殺されたと思われる人間は数十人にも及んでいた。
 『炎の魔女』はその時まだ3rdクラスで、奴を捕まえる権利も持っていなかった。
「おもしろい。その話、乗った」
 グラスを一気に空にすると、『炎の魔女』はそう言って、にやりと笑う。
「その極悪人、この俺が捕まえてやるよ」
「ブギーポップは極悪人なんかじゃないですよ」
 『炎の魔女』が横を見ると、少女がむすっとした顔で彼女を見ている。バイトでギルドの接客をしているトウカだった。
 『炎の魔女』とも顔なじみである。
「ブギーポップは法では裁けない悪い人を陰で始末する正義の美少年だって、女の子達の間で有名なんですよ。知らないんですか? ナギさん」
「こらこら、1stクラスハンターを名前で呼ぶな」
「いいって、マスター。それより、ブギーポップってのは男なのか?」
「あくまで噂ですけど。すっごい美形で、真っ黒のマントを着てるんですって」
「そいつはすごい。他の奴より一歩リードだな」
 『炎の魔女』ことナギは、そう言って席をたった。
「次はブギーポップと一緒に来るよ」
「だといいな。好運を」
 マスターのそんな言葉を聞きながら、トリスタンを後にする。
 そういえば、トウカが横に来るまでまるで気配を感じなかった。まさか、ね。

[第三幕〜夕刻・路地裏〜]

 難癖をつけられて男達に路地裏へ連れ込まれても、アヤの心は現在には存在しなかった。
 まだ微かに痛む頬が過去の記憶が確かに現実であったことを冷酷に証明している。
「役立たず」と言われた。
「用無し」と言われた。
 自分でもその通りだと思う。
 なのになぜ、自分を放っておいてはくれないのだろう。
 ブギーポップの情報を集めなければならない。どんな手を使っても。
 ハンターギルドに依頼を出しはしたが、自分達で決着をつけるつもりなのだ。ギルドへの依頼はブギーポップを追い詰めるための罠でしかない。
 ……ブギーポップの情報を集めなければならない。たとえ、この体を使っても。人より多少は恵まれた容姿は、そんなことぐらいにしか役に立たないと言われた。
 ああ、でもこの人達は何も知らないだろう。自分達の欲望を満たして、それで終わり。もしかしたら殺されるかも知れない。
 いっそ、その方がどんなに楽なことか。アヤが何も喋らない事を自分達に都合のいいように解釈した男達は、下卑た笑みを浮かべて彼女の服を乱暴に引きちぎる。
 もう、数え切れないほど経験した行為。摩耗したアヤのココロは、なんの反応も示さない。
「そこで何をしている?」突然の声。
 四対の視線の先には少年の姿。
 アヤは自分の記憶と照合して、それが『炎の魔女』ナギの弟、マサキであることを知った。
 アノヒトナラナニカシッテイルカモシレナイ。
「何だガキ? こいつの知り合いか?」
「そうじゃないけど、女の子一人に三人がかりで乱暴するなんて、男のすることじゃないな」
「んだとぉ!?」
 男の一人がナイフを取り出し、余裕の表情で身構えたマサキに駆け寄る。
 だが、そのナイフは彼に届くことはなかった。マサキの目の前でナイフが男の手首ごと宙を舞う。
 何が起こったのかと自分の手を見ようとした男の首は、ひねった反動でぽろり、ともげてしまったように見えた。
 そして、地面にたどり着く前にばらばらに分解される。誰も目の前の出来事を理解できなかった。
 もちろん、マサキがやったのではない。だが、答えはすぐに音も無く降ってきた。夜の闇がこぼれ落ちてきたのだ。
 黒い帽子。黒いマント。黒いルージュ。
「な、なんだてめぇは!?」
 半狂乱に陥った男をそっと闇が指さす。
 とたんにびくん、と男の動きが止まった。
 その眉間には一筋のワイヤー。
 闇が静かに指を横に払うと、男の頭部もそれに倣うように横にずれて、地に落ちた。
 闇はまるで指揮棒を操るように、ワイヤーでその頭部を細切れにする。
「行きたまえ」
 闇はへたたりこんでいる最後の一人に向けてそう言った。
「君には殺す価値はない。おめでとう。君はこの二人よりほんの少しだけマシな人間だ」
 脱兎のごとく逃げ出した男にも、アヤにもマサキにも関心を持たず、闇はもとの闇の中に帰ろうとする。
「待て!」慌ててマサキが呼び止めた。
「あんた、いったい何物だ!?」
「ぼくが誰なのか」
 闇はアヤに向かって囁くように言った。
「君はもう知っているはずだ」
「ブギーポップ……」
 それは、伝説の死神の名。
 ブギーポップはそれ以上質問を許さず、闇と同化した。残された二人はただ呆然とするばかり。
 ……運命が動き出した日。

[第四幕〜夜・ある悪人の屋敷〜]

 ある日を境に、ギルドに護衛の依頼が殺到するようになった。
 ブギーポップはどうしようもない悪人を根絶やしにしようとしている、という噂が流れたからだ。
 貧乏な悪人は息を潜め、金持ちの悪人は護衛を雇う、という寸法だ。そのおかげで、この付近では今、軽犯罪がほとんど起きていない。
 噂を流した張本人、『炎の魔女』ことナギは、依頼の中で一番高額の、つまりはおそらく一番悪どいことをしている人間の護衛を引き受けた。
 マサキと、あいつが助けた女の子(たしか、アヤといった)の話からすれば、あながち間違った噂ではない。
 多少のオヒレを付けはしたが。
 彼女が依頼を引き受けてから、さらに何人かの人間が同様の手口で殺されたが、あわてて動いてもしょうがない。
 どうせ殺されるのは悪人だ、と開き直って、じっと待ち続けた。
 そして、その夜。
 引き裂くような女の悲鳴を聞いて、ナギは依頼主の男の部屋に飛び込んだ。ろくでもない性癖のせいかもしれないが、そんなことを確かめている暇はない。
 ナギの後から、同じく護衛に雇われたハンター達もなだれ込む。
 半裸の女達が彼らと入れ違いに逃げ出した後、部屋の中には二人。一人はベットの上でがたがたと震えている依頼主。そしてもう一人は……。
「ブギーポップ……」
 ハンターの誰かがそう口にした。
 バルコニーにたたずむその姿は、暗くて顔こそよく見えないが、黒い帽子に黒いマント、間違いない。
 不意にブギーポップが両手を広げる。
 瞬間、きらりと光る何かを感じることができたのはナギだけだった。
 とっさに身を翻す。
 他のハンター達は、ばたばたと倒れていった。首に巻き付いたワイヤーが頚動脈を締めている。
「邪魔をしないでもらおう」
 最初の一撃をかわされた動揺など微塵も感じさせず、ブギーポップは囁く。
「彼で最後なんだ」
 その声に聞き覚えがあるような気がしつつ、ナギはブギーポップとの間合いを少しずつ詰めていく。
「悪いがこっちも仕事でね。しかし、もうちょっと早く来てくれたら安眠できたのに」
「昼間はアルバイトが忙しくてね」
「はっ」
 ナギはそれを笑い飛ばすと、一気に間合いを縮めた。
 そして拳をブギーポップの鳩尾にたたき込む。ブギーポップの体が宙に浮いた。
「生け捕りにさせて……っ!?」
 拳と鳩尾の間にブギーポップの左手が割り込んでいる。右手とその延長であるワイヤーは依頼主の首を胴体から奪っていた。空中で一回転してふわりと着地する。
「残念だが仕事は失敗だ」
「そうらしいな。……だが、なぜ殺す?」
「君に話す義務はないが……見たまえ」
 そう言ってブギーポップは男の首を、正確にはその眼球を食い破って出てきた『虫』を指さした。
「こ、こいつは……」
「見ての通りのものさ。イマジネーターと言う。もっとも、出来損ないだけどね」

[幕合〜過去・記憶〜]

フラッシュバック。

「光栄だね」
 少年は、黒焦げになった少女を優しく抱き寄せながらそうつぶやいた。
「それはつまり、僕達が世界と等価だということかい?」
「正確には君だけだ。その憐れな怪物のことなど、実はどうでもよかった」
「ひどいな」
 口で言うほどは不快には思っていない。それはそれでいい。
「これでも僕の最愛の人なんだぜ」
 そう言って少年は笑った。
 彼は死の瞬間まで笑みを絶やさなかった、という表現は正確ではない。自分が殺されるその瞬間だからこそ、少年は心の底から笑ったのだ。

フラッシュバック。

 それは子供の姿をしていた。
 それは女の姿をしていた。
 それは老人の姿をしていた。
 そしてそれはもちろん、男の姿もしていた。
 腕が飛び、足がちぎれても、そいつらは向かってくる。悪夢とはこんな光景を言うのだろう。
 ただ、それを処理している者にとって、その光景自体にはなんの感慨もなかった。
 感染者を遮断する、それだけである。そのことで、自分が死神と呼ばれることになるのも、彼の興味の範疇外である。
 

フラッシュバック。

 恐食姫、とでも呼べば良いのだろうか。彼女は人の恐怖を食らう化け物だった。
 だが彼女はついにみずからの恐怖を食らうことは出来なかった。
 そして、彼女をはじめとする者達共通の恐怖も。
 そいつに殺される瞬間、それでも彼女は後悔していなかった。
 これで恐怖の無い世界にいける。
 

フラッシュバック。
 
一歩先は奈落の底だというのに、彼女の顔から笑みが消えることはなかった。
「残念、私はここまでね」
 そう言って、彼女は追跡者の方を振り向いた。
「でも、いつか、どこかで、誰かが。あれを完成させてくれるわ。そうは思わない?ブギーポップ」
 追跡者は無言のまま彼女に近づいていく。手には一振りのナイフ。
「でも、あれは失敗だったわね。まさか、人の負の感情を餌にするとは思わなかったわ」
「失敗とわかっていて、何故解き放った?」
「観察するためよ。もちろん」
 その微笑みは、とても自分を殺そうとしている者へ向けるものには見えなかった。
「後始末は、あなたがしてくれるんでしょ?気をつけて。今はまだ大丈夫だけど、そのうち繁殖期が始まるわ。……あなたは、今度は何人殺すのかしらね?」
 くすくす笑いながら、一歩後ろに下がる。そこにはもう床がなかった。

[第五幕〜決戦舞台〜]

「こいつが、人を操ってたってことか?」
「そういうわけではないさ」
 ワイヤーで『虫』をバラバラにしながら、ブギーポップは応えた。
「本来ならそこまでの力を持つことができただろうが、これは失敗作だ。人の悪意を増幅させる程度の能力しかない」
「それだけでも、正義の味方が退治するには充分だな」
「何のことだい?」
「単なる噂、さ」
 ナギの口元に笑みが浮かぶ。
「だが、正義の味方だろうと何だろうと、賞金首に変わりはない。あんた、自分の首がいくらか知ってるかい?」
「さあね」
 だしぬけにナギの腕からナイフが飛んだ。
 常人ならば知覚することも出来ないであろうそれを、ブギーポップは寸前でかわす。
 いや、避けるのに無駄なエネルギーを使わなかった、と言ったほうが正しいか。
 だが、その一瞬にナギは間合いを一気に詰めていた。
 ナイフをかわした方向からナギの強烈な上段蹴りがせまる。
 しかしそれは鋭い金属音によって阻まれた。自らの蹴りの反動を利用してナギは一旦間合いを開ける。
 鉄板入りの特別製のブーツには深い亀裂が入っていた。
 ブギーポップがゆっくりと構えていたワイヤーを下に降ろす。
 もしもブーツが特別製でなかったら、いや、たとえこのブーツだとしても、もう少し踏み込みが深ければ足首ごと切断されていた。冷や汗が背中を濡らす。
 だが、そんな状況だと言うのにナギの笑みは深まるばかりだ。
 本当は賞金などもうどうでもいい。
 ただ、こういう強い奴と闘いたい。
 勝ちたい。
 それだけだった。
 一瞬の隙をついてブギーポップが右手をあげた。その意図を察してナギは体を逸らしたが、完全にはかわし切れなかった。
 ナギの頬に一筋の紅い線が引かれる。かわさなければ眉間を貫かれていた。
「殺す気かよ?」
「かわしてくれると思った」
 平然と言い切ると、右手を元の位置に戻す。同時にナギの左肩に激痛が走った。
 肩の部分の肉がすっぱり切れている。ワイヤーは張られたままだったのだ。迂闊だった。
「……あんまり買い被るなよ」
「もっと自分を評価したまえ。腕を落とすつもりだった」
「そりゃどうも。それに、弱点もみつけたしな」
 ナギが再度間合いを詰めた。
 真正面からの右ストレートをブギーポップはワイヤーで受ける。繰り出した拳は、切断される寸前でそのワイヤーを掴んだ。皮膚が切れて血飛沫が舞った。手首を回してワイヤーを固定する。
「これで切れないだろ?」
 左の拳がブギーポップの鳩尾に決まった。肩から大量の血が飛び散ったが、そんなことは気にならない。
「かはっ」
 初めてブギーポップの口から呻きがもれた。
「オレの勝ちだ」
 だが、ナギの方も急速に血を失っていく。速く決着をつけなければない。
 拳がブギーポップの顎を下から貫く。気絶するどころか、顎を砕いてしまいかねない勢いだった。
 黒い帽子が宙を舞う。
 ……ナギの敗因はブギーポップの顔を見てしまったことだった。そして、命びろいできたのも、そのおかげだ。
 殴られる瞬間、ブギーポップは自らワイヤーを放して上体を後ろに逸らした。拳の勢いを殺しつつ、ナギの死角から彼女の首めがけて手刀を放つ。
「と、トウカ!?」
 ナギの声がなければその手刀は喉笛を貫いていただろう。
「……君はトウカの知り合いか?」
 その声を聞いた時、ナギは自分の敗北を悟った。

[第六幕〜決戦後・庭〜]

 ナギは混乱していた。
 ブギーポップの言っていることがさっぱり理解できない。世界の危機だとか、自動的だとか、訳がわからない。
「つまり、あんたはトウカの体を借りているだけってことか?」
「そうなるね。彼女には悪いことをしてると思っているよ」
 全然そんなことを思っていないような口調だった。
「で、どうするんだい?まだ、僕を捕まえる気かい」
「やめとくよ。どうせお前を捕まえてもトウカはなにも覚えて無いんだろ?」
「そうなるね」
「それに、一度負けた相手をそう簡単に捕まえられるとも思えないし」
 そう言ってナギはそっぽを向いた。普通に話してはいるが、悔しくない訳ではないのだ。
「で、あんたはこれからどうするんだ?」
「ぼくの仕事は終わったし、消えるよ。泡みたいに、ね」
 不意に風を切る音がした。
 ナギが反応するより早くワイヤーが唸る。二人の足元に真っ二つに折れた矢が落ちる。
「……サンキュ」
「トウカの友人を傷つける訳にはいかないさ」
 矢を撃った人間はすぐに自ら姿を現した。丸い胴体に長すぎる手足の男、そして、その後から出てきた少女。
「アヤ!?」
 ナギの声に少女は目を逸らす。
「けっ、外したか。だが、まぁいい。てめぇはここでおしまいだ、ブギーポップ」
「お前、何物だ? どうしてアヤがここにいる?」
「手負いのハンターに用は無ぇが、まぁいい。俺様はスプーキーE。トウワの殺し屋さ。このカミールもな」
 そう言ってアヤの髪を無造作に掴み、持ち上げる。アヤは苦しそうに呻くが、抵抗はしなかった。
「やめろっ、アヤから手を放せっ!」
「こいつに同情することはないぜ、ハンター。こいつは、お前を張ってたスパイだ」
「なつ……」
「ご苦労なこった。わざわざブギーポップの所まで案内してくれてありがとうよ。……お喋りはここまでだ」
 アヤを投げ捨てると、スプーキーEは一歩前に踏み出した。そして、それだけだった。彼の首が地に落ちる。
「お喋りが過ぎたようだな」
 ブギーポップはワイヤーを回収すると、今度はアヤの方へ歩き出した。
「待て、そいつは……」
 ナギの制止に耳も貸さない。
「……私を殺すの?」
「君は死にたいのかい?」
 アヤは、ゆっくりとうなずいた。
「アヤっ。お前っ」
「トウワの生活は君にとってすばらしいものだったかい?」
 アヤは首を横に振る。
「じゃあ、あそこのハンターとの生活は楽しかったかい?」
 アヤは、びくりと体を強ばらせ、ナギの方を見て、そして、自分のことを好きだと言ってくれた少年を思い出し、噛みしめるように首を縦に振った。
「だったら」
 ブギーポップはアヤの横をそのまま通り過ぎていく。
「ぼくがすることは何も無いさ。君はここでこの男と一緒に僕に殺された。その後のことはぼくの知ったことじゃ無い」
 そして、ブギーポップは闇と同化した。
 後にはナギとアヤだけが残される。
 ナギはずかずかとアヤの方に歩いていくと、彼女の頭を拳骨で叩いた。
「あ痛っ」
「なにか言いたいことは?」
 目に涙を溜ながら、見上げるアヤに言ったその言葉には、やさしさが含まれていた。
「……ごめんなさい……」
 アヤのその言葉に笑顔でうなずくと、ナギはアヤを立たせて泥を払う。
「よろしい。行こうぜ、マサキが待ってる」
「でも、私は……」
「あやまったんだから別にいーよ。それに、お前を連れて帰らなかったら、俺がマサキに殺される」
 その言葉を聞いて、アヤの目に溜まっていた涙は関を切ったように溢れ出した。
 そして、ゆっくりとうなずく。気がつけば、空が白みはじめていた。もうすぐ朝になる。

[終幕〜数日後・ハンターギルド『トリスタン』〜]

「本当に行っちまうのか?」
「ああ」
 マスターのおごりのエールを一息で飲み干すと、ナギは軽く答えた。
「前の仕事は大失態だったからな。修行の旅ってやつさ」
 ブギーポップの事件のことである。
 結局、依頼人は死亡。犯人を捕らえることも出来なかった。おまけに真相を話そうにも、誰も信じないだろう。ナギはおろか、ギルドの名声さえも傷つけることになった。
 もっとも、ナギもマスターもそんなことを気にする人間ではなかったが。
 旅に出る理由は別のところにあった。
 アヤのことである。彼女はあの事件以来行方不明と言うことになっているが、いつトウワに感付かれるかわからない。しばらくほとぼりをさまそうというのだ。
 正樹も当然ついてくる。
 なぜアヤの為にそこまでしなければいけないのか。自分でもつくづくお人好しだと思う。
「ナギさん旅に出るんですか? 寂しくなりますね」
 突然ナギの背後から声がした。
 トウカである。
 相変わらず気配はなかった。
「だから1stクラスを名前で呼ぶなって……」
「まぁ、いいからマスター」
 修行の旅というのも満更嘘ではないのだ。こいつに、ブギーポップに勝つために。
「そろそろ時間だ。悪いな、連れを待たせてあるんだ」
 そう言ってナギは立ち上がると、カウンターに背を向けた。
「じゃあな、トウカ。また会える日を楽しみにしてるぜ」
「そうだな」
 その声にぎくり、として振りかえる。
 トウカは元の場所に立ったまま、笑っているのかからかっているのか、いわく言いがたい左右非対照の表情をして言った。
「ぼくも楽しみにしているよ」
「はっ」
 笑って、ナギは扉から出ていった。もう2度と振り向かなかった。


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