「ふふふ、ふふふふーん。ふふふ、ふふふふーん」
メロディを口ずさみながら、洗濯物を干す。
空は快晴。二月の風は少々肌寒くはあるが、絶好の洗濯日和である。鼻唄だって出ちゃうってものだ。
紫紺のローブをエプロンに着替え、キャスターは新婚さん真っ最中であった。
何しろ、新しいマスターである葛木宗一郎と出会ってからは快進撃である。柳洞寺を自らの結界とし(葛木には内緒だが)、自らの手でサーヴァントを召喚し(葛木には内緒だが)、聖杯の正体まで見えてきた(葛木には内緒だが)。
このまま行けば勝ったも同然。それはもう、お布団まで干してしまう勢いである。
唯一の心配事と言えば、葛木が変わらず教師として学校に赴いている事であろうか。
「んもう、他のマスターの目もあるでしょうに。宗一郎様のいけず」
本人のいない所でだけ様付けであった。流石に面と向っては照れる。照れるが、それもいいかもしれない。
なーんてきゃーきゃー言いながら布団叩きで干した布団を殴打殴打殴打。
「フッ」
「そこー! その「魔女と言っても所詮は女子(おなご)。惚れた男の事となると、巷の娘と変わらぬな」とでも言いたげな笑みはおやめなさいアサシン!」
びしいっと布団叩きを山門に向ける。その先には、5尺の長物を優雅に肩にかけて佇むアサシンの姿があった。
「ほう、キャスターともなると突っ込みも電光石火だな。高速神言のスキルは伊達ではないか。というか、笑みをこぼしただけで何故そこまで突っ込まれねばならぬのだ。いや、思っていたのは概ねその通りだったが」
このまま呪い殺さんばかりの視線をさらりと流すアサシン。まるで、それ以外の感情を知らぬかのように、この男はその笑みを崩さない。
「ま、良いではないか。サーヴァントとて笑顔をこぼしてはならぬという法はない。主の布団を干すのも良かろう。先ほどのそなたは中々の表情(かお)であった」
何かを納得したように幾度か目を閉じて頷き、
「ふむ、これが世に言う「萌え」というものなのであろうな」
踏み込みは一瞬だった。
自らの喉を掻き切る勢いで繰り出された初撃を物干し竿の柄で弾き、円を描いた第二撃──その回転は正に竜巻であった──を峰で捌く。深く沈みこんだ相手に反応して下げられた刀身は第三撃を相殺し、鈍い音をたてた。続く四撃目は胴。2歩下がりこれをかわすも相手の追撃は更に速く。
顔面を布団叩きで強打された。
「ふざけるのもいい加減になさい!」
「……いや、今のはかなり本気で捌いたつもりだったのだが……」
剣士としての自尊心とかいろいろをとても傷つけられてアサシンがうめく。こ奴、本当にキャスターか。実はセイバーとかなんじゃなかろうか。
「まったく、私には貴方の相手をしている暇など無いのです。こうしている間にも……あ、おもいっきり某がはじまってる」
いそいそと住職に与えられた離れに戻るキャスターを見送り、アサシンは長刀をゆるりと地に下ろす。
その切っ先はのの字を書いていたりして、ちょっぴり落ち込んでいた。軽めの昼食を済ませ、情報収集の為と称して魔術でくすねてきた(魔力に余裕があればこそだ)テレビをつける。少し旧式のブラウン管の向こう側では、初老の司会が寒天がダイエットに良いとか言っていたのでメモしておいた。
場面は変わって人生相談。電話の向こうの主婦が、夫の生活を助ける為にと万引きに手を出して、司会に「奥さん、そりゃあなたが悪いよ」等とたしなめられている。
「ああ、いくら相手の為とはいえ、内緒で悪事をするのは良くないわね」
などと自分の事は完全に棚に上げて、住職におすそ分けしてもらったお煎餅をぱりぱり食べながら感想を洩らした。薄めに淹れた緑茶をすすり、そのままころり、と横になった。
時間の感覚が延長される。先ほどからちちち、と聞こえるのは小鳥の囀りだろうか。
「宗一郎様、早く帰ってこないかしら」
誰にともなく、呟いた。帰ってきたからどうなるものでもない。葛木宗一郎は魔術師ではないし、聖杯にも興味がない。キャスターにとってそれは、自らを現世に止める為だけの存在である。
存在である、のだが。
帰ってくるのが、待ち遠しかった。
かりかりと、畳を爪でひっかく。
「……今夜は、手荒くしてもらったり」
いやーん。
一人赤くなってごろごろ転がる午後。
──最後の最後。最早命尽きるというその時に、キャスターはそんな事を思い出していた。
血に塗れたその両手で抱き締めた主は微動だにせず、我が身を見ようともしない。自らのサーヴァントが死するその時に、彼は恐怖も動揺も悲しみも見せない。
だが、それでいいと思った。それが、普段通りの彼の顔だった。
だから、最後の最後。最早命つきるというその時に、その女の胸を満たしたのは怨嗟でも恐怖でもなく。幸福、だったのである。