賑う街を眼下に見下ろし、その男はふ、と笑みをこぼした。それは、彼が生きていた時代とはあまりにもかけ離れた景色。
「何も変わらんな。少々余計なモノが増えたようだが」
その景色を、彼はそう評した。
「魂の在り様などそうそう変わるものでもない、アーチャー」
アーチャーと、傍らに立っていたもう一人の男が、彼をこの場に止める仮初めの名で呼ぶ。
そう、その身は聖杯が召喚せし、アーチャーのクラスを割り当てられたサーヴァント。だが、その金色の英霊は、アーチャーというクラスを大きく逸脱していた。宝具の名は『ゲート・オブ・バビロン』──全ての「原典」を貯蔵せし、最強にして最古の英雄王、ギルガメッシュ。
アーチャーのマスター、言峰綺礼は此度の聖杯戦争において、最強のカードを引き当てた。傍若無人なサーヴァントであるが、それを気にする男でもない。
「整理が必要だが、まぁ、悪くない」
この世の全てのモノは既に自分の物である、というのが英雄王の認識である。ギルガメッシュにとって支配とは、寝ている間に他人がくすねたものを正等な持ち主に返還するだけの事であった。
言峰を率いて歩を進める。その姿は戦の時に纏う金の鎧ではなく、ごくありふれた、彼が雑種と見くだす者達が着るような服である。下賎ではあるが動きやすい。霊体になる事も出来たが、王たる身が姿を隠さねばならない理由がない。
目立たない訳ではなかった。国際化が進んだと言っても金色の髪は日本では珍しいし、何よりその容姿は一般的な水準を遥かに上回る。人ごみを歩けばどうしても目立つ。
だが、それでも道行く人々は彼を見ようともしない。否、見る事が出来なかった。魔力など無くても、殺気など感じられなくとも、生命としての本能が告げるのだ。
つまらぬ理由で彼の者を見ようものなら、殺されても仕方が無いのだと。
故に、例え雑踏にあろうとも、彼の歩く先には海を割った預言者の如く道が出来ていた。その中を悠然と歩く様は、正に王の風格そのものである。
「アーチャー」
不意に、王の影のように無言で歩いていた言峰に声をかけれた。ギルガメッシュに話し掛けて彼の怒りを買わないのはこの男のみであろう。マスターとサーヴァントという関係に留まらず、ギルガメッシュはこの言峰綺礼という男に親近感を抱いていた。魂の根元の部分に通ずるものがあるのだろう。言わば、飽和にして虚無。
「どうした言峰。我に用か」
「お前に用という訳ではないが、そろそろ昼食にしようと思う」
ほう、と呟く。そう言えば、召喚されてからこちら、食事を摂っていない。無論必要無いのであるが、食してみるのも一興か。
言峰に促されるように、一軒の小汚い店に入る。締め切られたガラス窓は、外から中の様子が伺えない。食器の擦れる耳障りな音がうっすらと聞こえるのみだ。『紅州宴歳館 泰山』
そう書かれた看板を抜ける。
「麻婆豆腐2人前。後でもう2人前」
間髪を入れず言峰は注文し、席についた。その向かいに腰かけ、料理を待つ。で、「アイ、マーボードーフおまたせアルー」と出てきたのが。
「……何だこれは?」
「麻婆豆腐だ」
赤黒い泥のようなスープの中に、白い角切りの物体が入っている。白いのがトーフというらしい。でかい匙のような食器でつついてみたら崩れた。では、この泥スープがマーボーか。不気味な食べ物だった。
「冷めない内に食うといい」
がっちりレンゲという匙の大きいのを握った言峰に急かされる。まず主賓が食べねば自分が食べられないとでも言うのか、自分の分には手をつけておらず、その目が雄弁に「早く食え」と語っていた。
「ふむ……」
恐る恐る慣れない手つきで一口分すくう。
ぱく。「痛っ!?」
痛い。とてつもなく痛い。辛いなんて感想は口に出来ない。もうダイレクトに痛覚まっしぐらであった。アホかこれは。毒か。
で、言峰を見ればもう遠慮はいらんとばかりにものすごい勢いで食ってるし。
「どうした。冷めてはまずくなる」
化け物でも見るような目で言峰を見た。
そう──ギルガメッシュは、最強の英雄王は目の前の男に恐怖した……!いやいや、そんなかっこいい状況じゃないし。
「食えるかこんなもん」
「食え」
「我に命令する気か言峰」
ぴくり、と言峰の眉が上がる。その瞳に、常ならざる気迫が篭り、
「『麻婆豆腐が出たら食え』」令呪が発動した。
「何ィィィィィーッ!?」
ギルガメッシュの腕が、本人の意思とは関係なく麻婆豆腐をすくう。そのまま口に。
「──ッ!?」
もう声にならない。涙目だ。いや、すでに泣いていた。泣いていたってのにその腕は勝手に二口目。
もうやめろ。殺すぞ。限界だ。許せ。我が悪かったから。何でも言う事聞くから。
一口食べるごとに、何か大事な物が崩れていく気がする。それを満足げに眺める言峰、完食済。
ようやく食べ終わった頃には、ギルガメッシュはなんだかだめな人になっていた。
だって言うのに。「アイ、マーボードーフおまたせアルー」
2杯目到着。
世界は赤に紅に朱に赫に包まれて。炎の中で男は笑う。煉獄と化した地上は、聖杯戦争の最終決戦を血色に染める。
「ク……ふははははははははッ!」
「何がおかしいのです、アーチャー!」
風の封印を解かれた黄金の剣を構え、セイバーが叫ぶ。瓦礫の山に立つ黄金の英霊は、その背後に無数の宝具を従え、セイバーを見下ろした。
「いや、なに。よもやかの騎士王が女だったとはな……! いいだろう。お前を我の物にしてやろう。我の飯をつくれセイバー! お願いだから!」
偉そうにしつつ必死。
「戯言を……ッ」
侮辱された怒りを刃に乗せ、駆けるその様は例えるならば雷鳴。聖杯戦争は、ここに終結を迎えようとしていた。