「あ──ああ、あああ──……!」
手にしていた銃が、重い音を立てて地に落ちる。左手の令呪は消え、彼のサーヴァントが敗北した事を知らせたが、そんなものを気にかける事などできなかった。
男の周囲には炎。瓦礫。死体。見渡す限りの地獄。
頬を伝う涙はとめどなく。滲んだ視界で、じっと自らの両手を見た。
これは──何だ。
自らの理想の為に、自らの理想を裏切ってまで求めた聖杯。その聖杯すら彼の望みを叶える事はなく。それどころかソレは、彼の望みの対極にあった。そして。
その結果が、これか。
嗚咽はいつしか叫びになっていた。この場所は、彼の理想郷の対極。何も知らなかった、これからも何も知らないまま過ごしていくであろう人々が、平等に、何の区別も無く、紙切れのように燃えカスになっていく世界。この世界を作った一端を、自分が担っている。
叫びは絶叫に。泣きながら走った。誰か、誰か生きていないかと。そう叫ぶ喉は焼かれ、それでもここで黒こげになった人々の苦しみには比べるべくもなく。いっそ狂ってしまえば楽なほど、いや狂う事など許されず。自分が狂ったらこの惨劇の責を誰が負うのかと。
──もう、救うべき人間など、この場所にはいないのではないか。
涙は枯れ、喉も焼きつき、それでも心の底から泣きながら走った。走らずにはいられなかった。だから──どさり。
その微かな音は、本当に奇跡そのものの様に聞こえたのだ。
力尽き、倒れた少年はその黒く爛れた腕を助けを求めるように天にかざし、そしてその腕が落ちる。
落ちるはずの腕を必死で握った。少年は今にも死にそうだが、まだ生きている瞼をうっすらとあける。
そして、今にも死にそうだが、まだ生きているその手が、男の手を力なく、それでも確実に握り返したとき、衛宮切嗣はその少年を胸にかき抱いていた。
「──生きていてくれて、ありがとう──」
「と、いうわけで、今日から僕の息子になった士郎だ」
「……よろしく」
切嗣の後ろに隠れるように、そう挨拶する士郎という少年。
いつもの様に衛宮邸にあがりこんで、「大事な話があるんだけれど、いいかな」とかどきどきする事を言われて、真っ赤になりながらぶんぶん頭を縦に振った結果がこれだ。「そんなのダメーーーー!」
藤村大河15歳、絶叫。
いつもの事なので切嗣は咄嗟に耳を塞いでいたが、初めての士郎はそうはいかない。鼓膜に深刻な被害を受けてのたうちまわっていた。
「藤村さん、落ち着いて落ち着いて」
少女をなだめながら士郎を介抱する。うん、けっこう危険だが死ぬほどじゃない。
「これには深い訳があるんだ」
「訳って、どんな?」
涙目の少女にそっと耳打ちする。
「ひ・み・つ」綺麗なアッパーカットが決まった。
「おぶぅ!?」
「爺さん!」
見事な放物線を描いてぶっとぶ切嗣を追おうとした士郎に、少女が立ちはだかる。
「こうなったら──勝負よ! アンタが勝ったら切嗣さんの息子だって認めてあげる!」
無茶苦茶であった。まぁ、一目惚れの相手がいきなり息子を紹介してきたのである。加えて、藤村大河という少女は元々無茶苦茶だった。
「それは、困るなぁ。士郎はもう、僕の息子なんだ」
ごきごきと首をならしながら、切嗣は少女の肩を叩いた。
「どうしても勝負したいって言うなら、僕が相手だ」
「ふ、ふーん! どっちでもいいわよーだ! 切嗣さんなんか目じゃないんだから!」
はらはらと見守る士郎。場所は衛宮邸の道場に移り、少女は虎のストラップのついたマイ竹刀を取り出した。対して切嗣は道場に備え付けの竹刀を弄んでいる。
「どちらが勝っても恨みっこなし。さあ、どっからでもかかって──」
「めーん!」
「あいたっ!」
早っ!?
見ていた士郎がそう突っ込まずにはいられない程一瞬で勝負がついた。ふふーんと勝ち誇るタイガー。
「タイガーって言うな!?」
ふふーんと勝ち誇る少女。
「ふ、藤村さん。言い忘れていたが、この勝負は3本──」
「こてーっ!」
「あうちっ」
士郎は明日から孤児院にお世話なるのに何を持っていこうか考え、そういえば自分の持ち物なんて一つも無いのを思い出してやめた。短い間だったが、中々楽しい保護者だったなぁ。
「待て、藤村さん、3本目は1万点入る特別ルールで」
お、大人げねぇ。
呆れる士郎と容赦なく打ち込む藤村少女。歴史は三度繰り返すかと思ったが──
「あれ?」
竹刀の先には誰もおらず。
「女の子に手をあげるのは気がひけるんだけど、ごめんね」
少女の背後に立っていた切嗣はぽんっと、軽く少女の頭を竹刀で叩いた。
「今考えてもほんと不思議よねー」
ずずずーとお茶を飲む藤ねぇに、士郎は「ああ」とだけ返す。10年たった今ならわかるが、まともにやったら勝てないと悟った切嗣 は、最後の最後で魔術を使った。単に身体能力を上げたのか、固有時制御とかいう切嗣 の得意技だったのか。どっちにしろ、素人相手に魔術を使うなんて反則もいいところだ。
まぁ、おかげで今、自分はここにいる訳であるが。
「あれかなー、親子愛ってやつ?」
何が嬉しいのか、にこにこ笑っている藤ねぇに釣られて、士郎も笑みをこぼした。
「ああ──そうだったらいいな」