カチャカチャと、食器の重なる音。彼女のマスターは、台所で遅めの朝食の準備をしている。この家の持ち主であるところの衛宮士郎はまだ本調子とはかけ離れたところにいて、以前のように料理を作る程には回復していなかった。
故に、自分を含めた4人分の朝食を桜が作っている。苦などとは思っていないであろう。元より自分の役割であったし、何より自分の最も大切な人物の為に作っているのだ。その顔はとても輝いて見えた。
喜ばしい事である、と。間桐桜のサーヴァントたるライダーはそう思う。マスターとサーヴァントは似通うという。然り、自分と彼女は似ている。そんな彼女に幸せになって欲しいとライダーは願う。
「……あら? お塩切れちゃってる。ちょっと買ってきます」
下ごしらえしていた食材にラップをして一度冷蔵庫に戻すと、桜はエプロンを外した。勝手知ったる他人の家、財布と買い物袋を持って玄関に向う。
「いってらっしゃい、サクラ。テーブルの準備はしておきますね」
ライダーもテーブルを拭いていた手を止めて桜について行く。
「はい、行ってきますね。あ、私が出かけてる間にゆで卵を4つ作っておいてくれてると嬉しいです」
「ゆで卵……」
主を見送って、ぽつりと呟いた。
ゆで卵は知っている。食卓に何度も出てきたし、食べたこともある。彼女は人間の食事を必要としないが、桜の意向もあって一緒に食事を摂っていた。あれは中々おいしい。
だが、作っている所は見た事がなかった。台所は桜の独壇場であり、ライダーは食器の準備をするのが精々だ。
「ゆで卵と言うからには茹でるのでしょうが……」
ぶつぶつ呟きながら台所に向う。作り方は知らないが作らなければなるまい。主の命令をこなせずして、何の為のサーヴァントか。
ちょっと間違い気味の矜持を胸に冷蔵庫から卵を4つ。
さて、どうしたものか。
熱湯にさらしておけばできるような気がするが、何か足りない気もしないでもない。ああ、途中でお湯が冷めてしまったゆで卵が出来ない。という事はコンロで湯を沸かしながらそれに入れておけば──
ちょっと待て、それはサクラが帰ってくるまでに間に合うのだろうか。今から湯を沸かしていては間に合わないのではないか。サクラは「出かけている間に」と言ったのだから、短時間で出来る方法があるのではないか。
ぐるぐる思案を巡らすライダー。その目の端に、ふと電子レンジが写った。──これだ。
きゅぴーんと、ライダーの魔眼が光る。
あれは確か、サクラが物を短時間で温める道具だと言っていた。同じ温めるなら、茹でるのも電子レンジも一緒だろう。皿に乗せた卵4つをレンジの中に。確かこのボタンを押せば作動するはず。ほら、動いた。
そうして待つ事数十秒。爆発した。
「…………」
びっくりした。よもや爆発するとは思わなかった。失敗するかもしれないとは思っていたが、爆発はありえないだろう普通。呪いか。何かの呪いだろうか。
……だが、いつまでもびっくりしていてはいけない。今ので貴重な時間を失った。このままではサクラが帰ってくるまでにゆで卵が間に合わない。ここは時間がかかるかも知れないが、第一案でいこう。
冷蔵庫から新しい卵を取り出し、鍋の中に入れる。その鍋に水道から水を入れようとして、ふと思った。というか、思ってしまった。
水、入れなくても大丈夫なんじゃないか、と。温めるだけならこのまま火にかければいいのではないだろうか。それならば水を温める時間を省略できる。
先ほどの失敗がまったく活かされていない結論に達し、そのまま鍋をコンロに。今度は一分待っても爆発しなかった。不慮の事態に備えて退避していた居間で、ぐ、と拳を握る。ライダー的には完璧だった。
さて、茹で上がるまでの間(茹でてないが)、自分はどうしていようかと思い、中身が黄色と白の斑に染まっている電子レンジに気付いた。アレは確実にサクラに怒られる。証拠を隠滅しなければ。
流しでは洗えないので、浴室で洗う事にした。サクラが帰ってくる前に元通りになれば良いのだが。
「ただいまー……ってわー!?」
衛宮邸に桜の悲鳴が響き渡った。その声に反応して、恐るべき速さで浴室からライダーが現れる。電子レンジの洗浄は間に合わなかったが、主の危機である。それどころではない。
「サクラ……って、わ」
浴室の外は白かった。煙が充満している。しかもこげくさい。原因は火を見るよりも明らかだった。卵はどんな惨状になっているのだろうか。
「何やってんですかライダーっ!?」
「……で、相談って言うのは……」
「あれ以来サクラは私を台所に立たせてくれません。サクラのサーヴァントとして、料理も出来ないのはどうかと思うのですが」
1年ぶりの我家で、両手の袋にいっぱいの食材を持ってやって来たライダーを迎えて、凛は呆れるやら微笑ましいやらでため息をついた。
「サーヴァントが料理が得意なのもどうかと思うけど」
紅茶を淹れるのが得意だったサーヴァントをちくり、と思い出しつつ呟く。どちらかというと、その事件に怒っているというよりは、このど美人がさらに料理が出来るようになってしまった場合の自分のアドバンテージを考慮しての事のような気もするが、そうすると、ふむ、これは中々いい牽制になるかもしれない。
「リン? 何か邪悪な笑みを浮かべていますが」
「マスターに似て中々鋭いわね。いいわ、教えてあげる。あの家に足りないのは中華だから、攻めるならそこね。さー、上がって上がって。今日からみっちり特訓してあげるから」
「感謝します、リン」
本当に、ここにいると退屈しない。凛は上機嫌で台所に向った。