このへんなまほうつかいは、まだ日本にいるのです。たぶん。
「……で、なんでこんな所にいるんですか、大師父」
凛がロンドンから帰国して2日目。衛宮家には珍しい来訪者が来たと思ったら、タキシードを着こなした、紳士然とした佇まいの魔法使いだった。
「観光だ」
にっこりきっぱりと断言しやがった。あちゃーと頭を抱える凛。
「時計塔の方は大混乱でしょうね……」
「なに、愛弟子に会いに行くと書置きを残しておいた。問題あるまい」
ぐらり、と凛の体が揺れる。これは、時計塔に帰ったらどんな境遇が待っているのか想像もつかない。
「あれ、姉さんにお客様ですか?──きゃっ」
顔を覗かせた桜の頭を無理矢理押さえつける。
「ばかっ 前にもちょっとだけ話したでしょ、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ! 貴方をぶちのめした宝石剣の所有者で、遠坂の大師父で、魔法使い! 貴方も遠坂の末席に連なってるんだから、ちゃんと頭を下げなさいっ」
「いや、そんなに大げさなものではないよ、お嬢さん」
慌てる姉とおろおろしている妹に鷹揚に微笑みかけた。
「ん? 誰だこの爺さん。あれ、どっかで見た事が……」
「うりゃーっ!」
続いて出てきた、そしておそろしく無礼な事を口走る士郎に足払いをかける凛。下駄箱の角に頭をぶつけてのた打ち回っているが、そんなの気にしてられない。
で。
「おや、来客ですか──」
買い物から帰ったライダーが、興味深げにその手を取ったゼルレッチに遠慮なくワンパンチ入れるのには、制止が間に合わなかった。
おぶぅとか言いながらぶっ飛ぶ魔法使い。
「この老人──ただ者ではありませんね?」
「だったらいきなりぶん殴るなー!?」
大抵の事なら流せるが、これは胃に穴があきそうだ。髪を振り乱し、肩で息をする凛に、ゼルレッチの笑い声が届いた。
「いや、実に興味深い環境のようだ、ここは」
多少の手加減はあったとはいえ、サーヴァントに殴られてぴんぴんしている。伝説の魔法使いは健在と言ったところか。嫌な健在の証明の仕方ではあるが。
「あー……とりあえず、立ち話もなんですから、どうぞ……」
怒ってないみたいだから大丈夫、と自分を励ましながら、凛は大師父を居間に案内した。「なに、少しばかり興味があったのでな。あの聖杯を壊した者に」
この家で一番高い玉露を啜りながら、ゼルレッチはそう語った。
彼もまた、あの聖杯が誕生する時に立ち会ったのだという。数百年の時を経て、人々の希望を込めたものであったはずの聖杯がこのような結果で破壊された事に、どのような感慨を抱いているのか。余人には窺い知る事のできないものだった。
「破壊もまた、トオサカ、マキリ、アインツベルンに縁のある者達の手によって行われるとは、これも因果か。──そう言えばあの時も、当主であるナガトよりも、その娘の方が優秀だった。どうやら、トオサカは女の方が優秀な家系らしい」
「へぇ、そうだったんですか」
桜はすっかり祖父の昔話を聞く孫娘状態である。語っているのは6代も前の話だが、まぁ、それほど大差は無いのかもしれない。
凛も、偉大なる伝説の魔法使いが穏やかに昔の話をするのを見て、親近感をおぼえていた。
「欠点が無いのが欠点のような娘でな、父のように肝心な所でヘマをやらかす事もなかった」
「うう、わたしの家系はそんな前から……」
がっくりである。まぁ、そんな事とは思っていたが。遠坂の当主が決定的な場面で決定的なミスを犯すのは、もはや伝統であった。遠坂永人の娘という、ただ一人の例外を除いて。
「でも、まったく欠点がないなんて、近寄りがたいよな」
「うむ、私もそう思っていた。これでは良い伴侶にも恵まれず、有能な後継者も産まれぬのではないと」
頭に馬鹿でかいたんこぶを作っている士郎のぼやきに、ゼルレッチが相槌を打つ。その時の彼の微笑みに、凛は不穏なものを感じた。
「トオサカは優秀ではなかったが、それでも弟子にはかわりない。一肌脱いでやった」
「あのー……それは、どういう」
恐る恐る訪ねる凛に、ゼルレッチは笑顔で答える。
「魔術刻印に、ちょっと細工をだな」
ぶー! と凛がお茶を吹いた。逃げ遅れた桜がお茶まみれになる。
遺伝的な呪いみたいなもんだと思っていたが、本当に遺伝する呪いだったとは──!
「おかげで、当主になった頃にはすっかり隙の多い娘になっていてな、言い寄る男はよりどりみどり……どうした?」
「──士郎」
ものすごい形相で自分を見る凛に、士郎は後ずさる。
「宝石剣、もう一回投影しなさい」
「俺を殺す気か!?」
ごごごごごご、という効果音を出しながらゆらーりと立ち上がった。
「桜、ライダー。殺 るわよ……、わたしがそのおかげでどんなに苦労してきたか、思い知らせてやる」
「むちゃくちゃだこの人ー!?」「姉さんやめてー!」
「うるさーい! アンタたちがやらなくたって、わたし一人でだってやってやるんだからーぁ!」
周囲の者達に止められながら大騒ぎする凛を見て、ああ、あの娘もこんな気性であったと回想する魔法使いの目は、本当に孫娘を見るように穏やかであった。で、とりあえずグーパンチでぼっこぼこに殴られた。